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- ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 初めて訪れたときの印象 2007年
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エリア:
- ヨーロッパ>ボスニア・ヘルツェゴビナ>サラエボ
- ヨーロッパ>ボスニア・ヘルツェゴビナ>モスタル
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2013/05/20 13:44
- コメント(0)
ヨーロッパにあるイスラム色が強い国ボスニア。
この国を最初に訪れたのは2007年でした。
旧ユーゴ紛争は、どの民族が被害者で、どの民族が加害者かというものではなく、どの民族も互いに傷つけられていたし、傷つけていた。
しかし、当時の世論は「セルビア=悪」という見方でかたよっており、その後の支援もかたよっている。
というのは、今でこそ知られた事実かと思いますが、それを実際、現地に行くことにより、感じました。
最も戦いの激しかった地域のひとつであるが、多大な復興支援を得られたサラエボの現在のにぎわい・街の復興ぶりは、支援の少ない隣のベオグラードとくらべたら、10年.20年の違いを感じました。
サラエボもまだ戦いの跡はあちこちに残っているものの、人々の雰囲気は明るく、それがもはや過ぎ去った大きな歴史の一部として捉える事が出来つつあるように思いました。
ただ、サラエボは、なかでも特別なのかと思います。
モスタルは、オールドブリッジを中心とした旧市街のごく一部こそ、きれいに修復されてはいるものの、すこしそこを離れると、まだまだ痛々しい跡はたくさんあり、それらは生活の一部として存在しているというように感じました。
この国を最初に訪れたのは2007年でした。
旧ユーゴ紛争は、どの民族が被害者で、どの民族が加害者かというものではなく、どの民族も互いに傷つけられていたし、傷つけていた。
しかし、当時の世論は「セルビア=悪」という見方でかたよっており、その後の支援もかたよっている。
というのは、今でこそ知られた事実かと思いますが、それを実際、現地に行くことにより、感じました。
最も戦いの激しかった地域のひとつであるが、多大な復興支援を得られたサラエボの現在のにぎわい・街の復興ぶりは、支援の少ない隣のベオグラードとくらべたら、10年.20年の違いを感じました。
サラエボもまだ戦いの跡はあちこちに残っているものの、人々の雰囲気は明るく、それがもはや過ぎ去った大きな歴史の一部として捉える事が出来つつあるように思いました。
ただ、サラエボは、なかでも特別なのかと思います。
モスタルは、オールドブリッジを中心とした旧市街のごく一部こそ、きれいに修復されてはいるものの、すこしそこを離れると、まだまだ痛々しい跡はたくさんあり、それらは生活の一部として存在しているというように感じました。
- タグ:
- 東欧 中欧 ユーゴ ボスニア モスタル
- アルバニア バスについて
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エリア:
- ヨーロッパ>アルバニア共和国
- テーマ:鉄道・乗り物 旅行準備
- 投稿日:2013/05/19 14:52
- コメント(0)
最近、アルバニアのお問い合わせが増えてきています。
なかでも移動手段について。
アルバニアは鉄道というものが全く発達しておりませんので、移動は全て車になります。
都市間を結ぶローカル・バスの利用の場合、しっておかないと痛い目にあうのが、日中に運行が終わるようにバスの時刻が組まれているという点です。
どういうことかというと、例えば首都のティラナとイオニア海沿いのリゾート都市サランダの移動の場合。所要時間は約6時間です。
ティラナの観光をしてランチを食べて15時頃出発して21時にサランダ着。
翌朝からサランダ観光で…と考えたいところですが、アルバニアのローカルバスの旅だとこれが出来ません。
サランダに日中につくように逆算されて到着時刻が設定されているのです。
つまり、この区間に限らず、ローカルバスの多くは午前中発なのです。
貴重な日中を移動に使わなくてはならないので、限られた時間でのご旅行なら、レンタカーや専用車の方がお勧めです。
(タイトル写真は、バスターミナルで給油中の1コマです。なんとも原始的な…!)
なかでも移動手段について。
アルバニアは鉄道というものが全く発達しておりませんので、移動は全て車になります。
都市間を結ぶローカル・バスの利用の場合、しっておかないと痛い目にあうのが、日中に運行が終わるようにバスの時刻が組まれているという点です。
どういうことかというと、例えば首都のティラナとイオニア海沿いのリゾート都市サランダの移動の場合。所要時間は約6時間です。
ティラナの観光をしてランチを食べて15時頃出発して21時にサランダ着。
翌朝からサランダ観光で…と考えたいところですが、アルバニアのローカルバスの旅だとこれが出来ません。
サランダに日中につくように逆算されて到着時刻が設定されているのです。
つまり、この区間に限らず、ローカルバスの多くは午前中発なのです。
貴重な日中を移動に使わなくてはならないので、限られた時間でのご旅行なら、レンタカーや専用車の方がお勧めです。
(タイトル写真は、バスターミナルで給油中の1コマです。なんとも原始的な…!)
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- 東欧 中欧 アルバニア バス 交通機関
- モンテネグロ スベティ・ステファン アマンリゾート
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エリア:
- ヨーロッパ>モンテネグロ
- テーマ:観光地 ビーチ・島 ホテル・宿泊
- 投稿日:2013/05/17 18:17
- コメント(0)
ブドヴァの少し南にある島で、本土とは1本の橋で繋がっているのみで、絵になる眺めです。
もとは小さな漁村でしたが、一時は共産党幹部の別荘でもあり、1950年代には島全体が1つのホテルになり、2011年夏にはアマンリゾートに生まれ変わりました。様々な財界人、芸能人などが訪れています。
もとは小さな漁村でしたが、一時は共産党幹部の別荘でもあり、1950年代には島全体が1つのホテルになり、2011年夏にはアマンリゾートに生まれ変わりました。様々な財界人、芸能人などが訪れています。
- タグ:
- 東欧 中欧 モンテネグロ スベティステファン アマンリゾート
- モンテネグロ ブドヴァは観光の拠点に最適です
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エリア:
- ヨーロッパ>モンテネグロ>ブドヴァ
- テーマ:観光地 ホテル・宿泊 グルメ
- 投稿日:2013/05/17 18:01
- コメント(0)
モンテネグロのアドリア海岸沿いのリゾートです。
交通の便もよく宿泊施設やレストランも多いので、観光の拠点にするには最適です。
15世紀の城壁に囲まれた旧市街は、規模は小さいながらも中世の雰囲気をよく残しており、そのわきには弧を描いて美しいビーチも続いています。
伝説によると、テベスから追放されたフェニスカ族のアゲノス王が、虚勢牛の馬車と共にやってきて町を創ったとされています。
交通の便もよく宿泊施設やレストランも多いので、観光の拠点にするには最適です。
15世紀の城壁に囲まれた旧市街は、規模は小さいながらも中世の雰囲気をよく残しており、そのわきには弧を描いて美しいビーチも続いています。
伝説によると、テベスから追放されたフェニスカ族のアゲノス王が、虚勢牛の馬車と共にやってきて町を創ったとされています。
- タグ:
- 東欧 中欧 ユーゴ モンテネグロ ブドヴァ
- モンテネグロ 世界遺産の小さな城塞港湾都市コトル
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エリア:
- ヨーロッパ>モンテネグロ
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 世界遺産
- 投稿日:2013/05/17 17:34
- コメント(0)
モンテネグロのもう1つの世界遺産で、クロアチアのドブロブニクからの日帰り観光でも人気のコトル。
複雑に入り組んだ海岸線を持つ湾の最も奥にあるこの街は、背後にそびえる険しい山とに囲まれた天然の要害で、高度な海運技術と共に栄えました。
町を囲む城壁は合計4.5Kmに及び、高さは20m、厚みは16mもの部分もあったそうです。
三角形をした一辺約300mの旧市街の石畳の道はわざとくねくねと曲がっており、数々の中世の建造物がぎっしりと建ち並んでいます。
よく見かける湾と街を見下ろす写真の光景は、背後の城壁からの眺めで、中腹には救世聖女教会があります。教会まではこのような道を登ること片道約40分程度かかるので、それなりに覚悟の上で頑張ってください!
登るごとに見え方が変わる景色は、思わず何度もシャッターをきってしまいます。
複雑に入り組んだ海岸線を持つ湾の最も奥にあるこの街は、背後にそびえる険しい山とに囲まれた天然の要害で、高度な海運技術と共に栄えました。
町を囲む城壁は合計4.5Kmに及び、高さは20m、厚みは16mもの部分もあったそうです。
三角形をした一辺約300mの旧市街の石畳の道はわざとくねくねと曲がっており、数々の中世の建造物がぎっしりと建ち並んでいます。
よく見かける湾と街を見下ろす写真の光景は、背後の城壁からの眺めで、中腹には救世聖女教会があります。教会まではこのような道を登ること片道約40分程度かかるので、それなりに覚悟の上で頑張ってください!
登るごとに見え方が変わる景色は、思わず何度もシャッターをきってしまいます。
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- 東欧 中欧 ユーゴ モンテネグロ コトル
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