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- ボスニア・ヘルツェゴヴィナ モスタル 宿泊はトルコ人の家もおすすめ♪
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エリア:
- ヨーロッパ>ボスニア・ヘルツェゴビナ>モスタル
- テーマ:ホテル・宿泊 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2013/05/21 11:09
- コメント(0)
ボスニア南部、ネレトヴァ川にかかる石橋が世界遺産に登録されているモスタル。
この街には、見学が出来る伝統的なトルコ人の家がありますが、中には宿泊ができるところもあります。
ムスリベゴヴィツァ・クチャもその1つ。
客室はこんな感じです。

こちらは朝食を取る部屋の風景。コーヒーはもちろんトルコ式です
この街には、見学が出来る伝統的なトルコ人の家がありますが、中には宿泊ができるところもあります。
ムスリベゴヴィツァ・クチャもその1つ。
客室はこんな感じです。

こちらは朝食を取る部屋の風景。コーヒーはもちろんトルコ式です
- タグ:
- 東欧 中欧 ユーゴ ボスニア モスタル

- ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 食事/ローカル・フード
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エリア:
- ヨーロッパ>ボスニア・ヘルツェゴビナ
- テーマ:買物・土産 グルメ
- 投稿日:2013/05/20 14:05
- コメント(0)
ボスニアの食事って一体どんな?
内陸部に入るので、アドリア海沿いのようなイタリア的な影響は減り、文化的にもより近いトルコ的なものが多くなります。
ボスニアを代表するファーストフードといえば、チャバプチチ!
細長い肉団子(ハンバーグ)のようなもの(いわゆるトルコでいうキョフテ)が、パンの間に挟まれています。
煮込み料理の代表はボサンスキ・ロナッツ! ボスニア風肉じゃがです。
ショプスカサラダは、ボスニアのみならず広くバルカン半島で食べられています。
適当な大きさに刻んだトマトとキュウリに、山羊のチーズをのせたもので、ドレッシングがなくても、食材の持つ塩味と水気だけで十分美味しくいただけます。

飲み物は、ヨーグルトドリンクのアイリャン(トルコでいうアイラン)や、コーヒーもトルコ式で、粉を沸騰したお湯に入れその上澄みを飲む方式です。

トルココーヒーのセットはお土産にも良いですね♪
内陸部に入るので、アドリア海沿いのようなイタリア的な影響は減り、文化的にもより近いトルコ的なものが多くなります。
ボスニアを代表するファーストフードといえば、チャバプチチ!
細長い肉団子(ハンバーグ)のようなもの(いわゆるトルコでいうキョフテ)が、パンの間に挟まれています。
煮込み料理の代表はボサンスキ・ロナッツ! ボスニア風肉じゃがです。
ショプスカサラダは、ボスニアのみならず広くバルカン半島で食べられています。
適当な大きさに刻んだトマトとキュウリに、山羊のチーズをのせたもので、ドレッシングがなくても、食材の持つ塩味と水気だけで十分美味しくいただけます。

飲み物は、ヨーグルトドリンクのアイリャン(トルコでいうアイラン)や、コーヒーもトルコ式で、粉を沸騰したお湯に入れその上澄みを飲む方式です。

トルココーヒーのセットはお土産にも良いですね♪
- タグ:
- 東欧 中欧 ユーゴ ボスニア 食事

- ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 初めて訪れたときの印象 2007年
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エリア:
- ヨーロッパ>ボスニア・ヘルツェゴビナ>サラエボ
- ヨーロッパ>ボスニア・ヘルツェゴビナ>モスタル
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2013/05/20 13:44
- コメント(0)
ヨーロッパにあるイスラム色が強い国ボスニア。
この国を最初に訪れたのは2007年でした。
旧ユーゴ紛争は、どの民族が被害者で、どの民族が加害者かというものではなく、どの民族も互いに傷つけられていたし、傷つけていた。
しかし、当時の世論は「セルビア=悪」という見方でかたよっており、その後の支援もかたよっている。
というのは、今でこそ知られた事実かと思いますが、それを実際、現地に行くことにより、感じました。
最も戦いの激しかった地域のひとつであるが、多大な復興支援を得られたサラエボの現在のにぎわい・街の復興ぶりは、支援の少ない隣のベオグラードとくらべたら、10年.20年の違いを感じました。
サラエボもまだ戦いの跡はあちこちに残っているものの、人々の雰囲気は明るく、それがもはや過ぎ去った大きな歴史の一部として捉える事が出来つつあるように思いました。
ただ、サラエボは、なかでも特別なのかと思います。
モスタルは、オールドブリッジを中心とした旧市街のごく一部こそ、きれいに修復されてはいるものの、すこしそこを離れると、まだまだ痛々しい跡はたくさんあり、それらは生活の一部として存在しているというように感じました。
この国を最初に訪れたのは2007年でした。
旧ユーゴ紛争は、どの民族が被害者で、どの民族が加害者かというものではなく、どの民族も互いに傷つけられていたし、傷つけていた。
しかし、当時の世論は「セルビア=悪」という見方でかたよっており、その後の支援もかたよっている。
というのは、今でこそ知られた事実かと思いますが、それを実際、現地に行くことにより、感じました。
最も戦いの激しかった地域のひとつであるが、多大な復興支援を得られたサラエボの現在のにぎわい・街の復興ぶりは、支援の少ない隣のベオグラードとくらべたら、10年.20年の違いを感じました。
サラエボもまだ戦いの跡はあちこちに残っているものの、人々の雰囲気は明るく、それがもはや過ぎ去った大きな歴史の一部として捉える事が出来つつあるように思いました。
ただ、サラエボは、なかでも特別なのかと思います。
モスタルは、オールドブリッジを中心とした旧市街のごく一部こそ、きれいに修復されてはいるものの、すこしそこを離れると、まだまだ痛々しい跡はたくさんあり、それらは生活の一部として存在しているというように感じました。
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