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台南 (台湾) 観光の現地クチコミ

現地のプロ(10人)詳細

Koxinga Shrine 延平郡王祠 イエンピンチュンワンツー

トルヨコ (ガイドブック編集人)

台湾をオランダから解放した英雄、鄭成功を祀る廟

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延平郡王祠は、17世紀にオランダ人を駆逐して台湾を解放した鄭成功を祀る廟です。台湾に「成功大学」「成功漁港」など「成功」の名をつけた組織や地名がたくさんあるのは、成功したい!とう願望からではなく、みんな鄭成功の名前にちなんだものだったのです。メインの建物である正殿は、赤い塀に囲まれていて、周囲は大きな木も植えられた庭園になっています。

庭園に着いて最初に目に付くのが、まぶしいくらいに真っ白な石像です。馬にまたがった鄭成功の堂々たるこの像は、2008年に中国福建省泉州市の鄭成功学術研究会という組織から寄贈されたものです。泉州白という色が白いことで珍重される花崗岩で作られ、総重量は200トンに及ぶというもので、近づいてみると、その迫力に圧倒されます。

庭園は、台南市街では数少ない緑地で、日差しの強い夏には貴重な緑陰となり、市民の憩いの場としても人気です。春には濃いピンクの花を咲かせるナンヨウザクラ(南洋櫻)が目を楽しませてくれますが、この桜は、日本統治時代に本土の桜を懐かしんだ日本人が植えたものといわれています。

この庭園に、橋の架かった小さな池があります。この池、人の目の高さからだとよくわかりませんが、金門島の形をしています。鄭成功が大陸から台湾に出陣するときに、金門島から船出したことにちなんでいます。

延平郡王祠は、歴史の波に翻弄された廟です。そもそもは、台湾に政府をつくったものの明朝復活の志も半ば、若くして病死した鄭成功を慕う人々によって1662年に「開山王廟」として創建されました。山とは台湾のことで、オランダ人を駆逐して、台湾を開いた王と讃えたのです。その後台湾は、清朝の統治下に入りました。
日本による台湾侵攻が始まると、清朝政府は鄭成功を公式に祀ることを許可し、1875年、開山王廟は「延平郡王祠」と名を変えました。
そして日本による台湾統治が始まると、日本政府は日本人の血を引く鄭成功を日本と台湾の融和の象徴として祀るために、延平郡王祠を「開山神社」と名を変え、鄭成功を神体とする神社にかえました。
さらに、日本の統治が終わり中華民国の時代になると開山神社の社殿は取り壊され、再び延平郡王祠として、鉄筋コンクリートによる中国北方風の廟に姿を変えたのです。現在の建物は、1963年の改修によって建てられたものです。

廟の入り口にあたる三川門の前に、日本の神社の鳥居のようで鳥居でない形をした、ちょっと奇妙な牌坊が建っています。これは、開山神社を取り壊して延平郡王祠に建替える時に、神社の鳥居の笠木を外して、中華民国の国旗にも使われている「青天白日」の紋章を載せたもので、歴史の流れを象徴する牌坊となっています。

鄭成功を祀る正殿裏の後殿には、鄭成功の母、田川マツの位牌が置かれています。日本と縁の深い史蹟なので、日本人観光客の姿も多くみられます。

料金は無料です。
開放時間は8:30~17:30ですが、庭園エリアは終日入ることができます。園内に鄭成功文物館が併設されていますが、鄭成功が台湾で活躍した期間は短いので、歴史資料はそれほど残されていません。鄭成功文物館は月曜日が休館です。

2018/06訪問
  • 上記の記事は、訪問時点の情報を元に作成しています。訪問先の都合や現地事情により、最新の情報とは異なる可能性がありますのでご了承ください。