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エリア:
- アジア > 中国 > 上海(シャンハイ)
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テーマ:
- 街中・建物・景色
- / 歴史・文化・芸術
今日は面白いツアーアテンドの仕事をもらいました。
戦前上海在住の日本人は幼い頃住んでいた場所を探してほしいとのことで、車と日本語ガイドをチャーターしました。
すでに80歳になった方は、6歳まで上海にいました。
非常に記憶は薄いですが、何とか探したいとのことです。
提供してくれば片隅の情報は「○○紡績工場」の名前でした。資料で調べたら、上海の「楊樹浦路」にあるはずです。
とにかく、「楊樹浦路」へ行きました。
非常にラッキーかもしれませんが、この辺は、取り壊しはありますが、戦前住宅はまだ残っています。
野菜市場へ行って、年配の上海のお婆ちゃんやお爺ちゃんにいろいろ聞いて、「以前日本人が住んでいた住宅はどこにありますか。」耳が遠くなったお婆ちゃんは大きな声で親切にいろいろ教えてくれました。
上海の虹口区、楊浦区には、まだまだ取り壊されていないいろんな時代に作られた建物が残っています。この建物の中で、一番古く戦前から残ってきたものを探すのが、面白かったです。年配の方の口から、再度自分が住んでいた町の歴史を読み直しました。
結局一つ大変価値のある情報をあるお爺ちゃんから聞きまして、この住宅地の奥に進むと、以前日本人の紡績工場の社宅があるそうです。
ああ、本当です。
奥に入った、すぐにわかりますが、これは戦前日本人の住宅です。
中国人の住宅と違って、玄関が地上から1メートルほど高くしていますが、屋根の形も中国と違います。
外壁は昔すべて黒かったですが、最近に1階の外壁だけ赤い煉瓦の模様に変えました。
資料で確認したら、お客様の小さい頃、生活していた場所は、この近くに間違いないです。しかも、非常にラッキーなことに、建物が今まで残って来ています。今でも、この住宅地は「紡三小区」(紡績工場第三宿舎の意味かも?)という名前が残ってきています。
但し、お客様は自分の小さい頃は、あまり家から出ることが少なくて、記憶が全然ないですね。「たまに出るとしても、人力車を使ったので、自分の家の外観は全然知らないです。」とのことです。
中に入ったら、分かるかもしれませんが、戦争を挟んだので、資料が全部なくなりました。精密な場所は確認できませんでしたが、自分も覚えていないのは仕方ありません。でも、80歳になって、ようやく自分の小さい頃が生活していた場所と言われるところまで再訪できるのは、楽しいかもしれません。ガイドの私も、すごく意味のある仕事をしたなぁと思いました。
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