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- 上海魯迅故居@山陰路
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エリア:
- アジア>中国>上海(シャンハイ)
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2012/07/13 23:22
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上海日本語通訳観光案内の依頼があって、お客様の希望で山陰路にある「魯迅故居」に来ました。

魯迅先生は中国の大文豪で、我々中国人の高校時代の国文教科書には、必ず魯迅先生を文書を勉強していました。
魯迅先生が亡くなられるまでの1933-1936年の人生の最後の4年間は上海で暮らしていました。

このアパートの中では、魯迅先生が文学、翻訳、編集をやっていたそうです。

魯迅先生を使っていたベッドや布団、食器など、また魯迅先生の著作を展示しています。入場料は8元/人です。
近くには、魯迅先生を記念するために改名した「魯迅公園」や「魯迅記念館」、また魯迅公園の中に「魯迅の墓」があります。
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- 魯迅 文学 通訳 教科書 公園

- 中国の少数民族 チワン族
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エリア:
- アジア>中国>桂林(ケイリン)
- アジア>中国>龍勝(リュウショウ)
- テーマ:街中・建物・景色 留学・長期滞在 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2012/04/24 11:20
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桂林市・龍勝県は広西チワン民族自治区にありますが、名の通り、全国チワン民族のもっとも集中するエリアです。
チワン民族は中国全土では1600万人もいて、漢民族の次に、中国二番目の民族です。中国55の少数民族の中、一番大きな少数民族です。

チワン民族の衣装は袖が大きくて、ズボンも太っています。
シルバーの飾りものを多く用いています。

チワン民族は自分独特の言語を使用しています。現在の若者はチワン文字のできる人が減っていますが、漢語(中国語)を使う人が多くなっています。日常会話はチワン言語を使用します。

中国最大の少数民族として、貨幣の人民元紙面まで反映されています。
人民元の裏には、チワン語で「中国人民銀行」と金額を記載しています。
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- 人民元 少数民族 文字 衣装 袖

- 中国の少数民族 ヤオ族
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エリア:
- アジア>中国>桂林(ケイリン)
- アジア>中国>龍勝(リュウショウ)
- テーマ:留学・長期滞在 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2012/04/20 20:38
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棚田風景の有名な龍脊地区では、チワン民族以外、ヤオ民族がある。話によると、中国全国ヤオ民族の60%が広西チワン族自治区に生活しているという。

龍脊地区では、チワン族とヤオ族はそれぞれ村を持ち、共に棚田の方式で労作している。

ヤオ族の女性は髪を伸ばす習慣があって、その長さは腰より長く、普段は髪を折りたたみ頭に載せ装飾された布で巻いている。

すでに龍脊観光の名刺になっているが、「長い髪の村」を訪れる民族文化とのふれあいコースが人気だった。

実は中国のヤオ民族では、いくつの種類に分かれていますが、広西省の龍勝県にいるのは「赤いヤオ族」と言われています。

つまり、赤い衣装を好んでいるヤオ民族です。しかし、ヤオ民族は自分の言語はありません。漢語(中国語)を喋ります。ミョウ族やチワン族と近く生活していることが多くて、一部のヤオ族の人はミョウ族言語またはチワン族言語を喋ります。

龍脊棚田のような山の上で生活していることが多くて、民族精神は勤勉で、頑張っています。

農業を中心にやっています。

中国以外、ベトナムやラオスにも、同じ民族が生活しています。

龍勝棚田で生活しているヤオ民族の女性は長い髪の毛を残す習慣があります。

龍勝棚田での見学ツアーで見えたもっとも壮大な場面はおそらくこの女性達が髪の毛を洗っている姿でしょうか。

赤い服装を来ているのは龍勝県のヤオ民族の特徴です。

ヤオ民族の山寨へ訪れると、面白い少数民族文化とのふれあいが楽しそうです。
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- 少数民族 衣装 棚田 髪の毛 訪問

上海旧フランス租界界隈の復興中路×思南路の交差点にできた新しいスポット「思南公館」へ行きました。

ここも、1920年代からの古い建物をリノベーションして上海最新のレトロ&モダンな町になりそうです。

まだ営業開始の店が少ないですが、ハーゲンダッツやスターバックス、コスターカフェなどの有名店はすでに進出しています。

敷地面積は新天地と変わりませんが、建物が高くて、大概2階、3階などの奥にも、一軒一軒家庭風の店が作られる模様です。

これからの上海には、また一つファッションの最前線のエリアになりそうです。

こんな建物も、「ホテル」ですよ。
「思南公館」という名前自体は、ホテルとマンションの名前にも使われています。
隣には、「周公館」(周恩来旧居)、「孫中山記念館」(孫文旧居)など、数多くの有名人の住宅(記念館)があり、てるてる散歩には最適な立地ですね。
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- マンション レトロ ファッション 旧居 租界

霊隠寺は東晋時代の紀元326年に建築されて、すでに1600年の歴史が持っている。杭州の名刹である。杭州西湖の西側に位置して後ろには北高峰、前には飛来峰に向かって、緑に囲まれて静かに感じさせる。

言い伝えでは、東晋の咸和元年(326年)、この地を訪ねたインド僧の慧理が、杭州の美しい景色を見て驚き、「あそこに見えるのは確かに天竺国(古代インド)の霊鷲山だが、何時ここに飛んできたのだろう。お釈迦様がご存命であった頃、たいていの仙人があの山に隠遁していたものだ」と言った。そして慧理僧が苦労して建立したお寺を霊隠寺となった。

霊隠寺は1600年間に何度となく興廃を繰り返した。その最盛期は五代の呉の越王・銭鏐(947-978在位)の在位年間で、当時は霊隠寺全体で九つの高楼、18の仏閣、72の殿堂、1300室を超える部屋があり、僧の数は3000人を数えたと言った。飛来峰と北高峰の間にこれだけの建物があったのだから、その伽蓝の配置は今では想像さえできない。

今日の霊隠寺は天王殿、50年代に再建された大雄宝殿と薬师殿、东西回廊、西厢房、蓮灯閣、大悲閣、方丈、斎堂などの建物をもち、うち、高さ33.6mの大雄宝殿が最も壮観である。

再建された大雄宝殿にはこんな逸話がある。1949年7月のある日、大地を揺るがす地響きとともに大雄宝殿が崩れ落ちた。南方の雨の多い気候のため木造の桁や梁が湿気を受けて腐食していたことと、长さ28mの棟木がシロアリの害にあっていたことが倒壊の原因である。この時、落ちた踏木で同時に三尊像が破壊された。しかし、当時は杭州解放の直後であり、政府にもそれを修復する資金がないため、事故の再発を防ぐため公開を中止する以外打つ手はなかった。

その後、1951年夏に杭州を視察した周恩来総理は、倒壊した霊隠寺の大雄宝殿を修復したいという省・市政府からの陳情を聞くと、「杭州の霊隠寺は国内外の仏教界と大衆の間に大きな影響力を持つ名刹である。霊隠寺を修復すれば、国内外仏教徒の霊隠寺を参拝したいという願いを満たせるだけでなく、仏教を信仰する东南アジア諸国から支持を得ることもできる・・・・・・霊隠寺は千年の古刹であり、政府からの保護を受けるべき文化財である」と語った。

間もなく霊隠寺修復計画は政務院(現在の国務院)の承認を得て、120万元の資金と材木や黄金などの建材が支給された。その2年後、三層屋根の平屋式、鉄筋コンクリート构造の薬师殿が完成した。宝殿の中央に安置された釈迦像は、高さ9.1m、基礎部込み高さ19.6mで、24本のクスノキが用いられている。金メッキが施されたこの仏像は全体のバランスがよく、端正で穏やかな颜つきをしており、大雄宝殿の暗がりのなかで黄金色の光を放つ。参拝客はこの大仏を仰ぎ、敬虔な祈りを捧げ、线香を上げるのだ。
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- 周恩来 仏教 西湖 方丈 逸話
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