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エリア:
- 近畿 > 京都 > 洛北(上賀茂・比叡)
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テーマ:
- 観光地
- / 鑑賞・観戦
- / 歴史・文化・芸術
【今日、京響】第705回定期演奏会(10月11日)
※プログラム※
ピエルネ:「ラムンチョ」序曲
トマジ:バラード―サクソフォンと管弦楽のための
(休憩)
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番
指揮:ピエール・デュムソー
サクソフォン独奏:上野耕平
今日は私には初めての指揮者がショスタコーヴィチをどのように聴かせてくれるのか、楽しみにして行った。
で、とにかくよく動く指揮者だった。^^
前半の2曲は初めて聴いたが、聴き易くて躍動感のある良い曲だった。
指揮のデュムソーはよく動き回るので、指揮台の背中側にバーが付けてあったのは良かったと思う。無かったら転げ落ちるかもしれない。
動きは大きいけれど指揮は緻密なのか、右腕をすっと上に伸ばして指揮棒の先がちょこっと動くと、打楽器のピアニッシモの音がほのかに、でも鮮明に聴こえてきた。
反対に打楽器がフォルテで鳴る時はデュムソーも足で指揮台を踏み鳴らして、全身で指揮をするタイプの人なのだな。
サクソフォン独奏の上野耕平さんも柔らかい音色でホールを包み込んだ。
後半、ショスタコーヴィチの交響曲10番では、デュムソーは第一楽章では指揮棒を使わなかった。全体を覆うあの暗いトーンを表現するためには指揮棒は無い方が良いのかもしれない。細部に拘らず、渾然一体とした音作りが必要なのである。
第一楽章の暗く、陰陰滅滅とした音楽の流れは私の近くの座席にいたオバチャンを熟睡させていたが、この曲の第一楽章は生きているのが嫌になるぐらい陰気にやるのが真骨頂というべきだ。
第二楽章からは指揮棒も使い、躍動感のある演奏になった。特に第二楽章のスケルツォは颯爽たるスピードで進む、まさに一糸乱れぬ快進撃。第一楽章では熟睡だったオバチャンも目覚めた。
ヴァイオリンの変幻自在とも言うべき音色の移り変わりなど、今日のヴァイオリンは忙しいなあと思う。これはCDでは分からない。実演だからこそ分かる。コンサートというのはやはり聴くだけではなく、見るものでもあるのだ。
今日の指揮者のデュムソーさんはまた聴いてみたい。
今日のコンサートは馴染みのない指揮者だったからか、あるいは曲が原因かもしれないが、チケットは完売ではなかった。しかし当日券がよく売れたのか会場はかなり埋まっていて、私の印象では8割は入っていたと思う。
※プログラム※
ピエルネ:「ラムンチョ」序曲
トマジ:バラード―サクソフォンと管弦楽のための
(休憩)
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番
指揮:ピエール・デュムソー
サクソフォン独奏:上野耕平
今日は私には初めての指揮者がショスタコーヴィチをどのように聴かせてくれるのか、楽しみにして行った。
で、とにかくよく動く指揮者だった。^^
前半の2曲は初めて聴いたが、聴き易くて躍動感のある良い曲だった。
指揮のデュムソーはよく動き回るので、指揮台の背中側にバーが付けてあったのは良かったと思う。無かったら転げ落ちるかもしれない。
動きは大きいけれど指揮は緻密なのか、右腕をすっと上に伸ばして指揮棒の先がちょこっと動くと、打楽器のピアニッシモの音がほのかに、でも鮮明に聴こえてきた。
反対に打楽器がフォルテで鳴る時はデュムソーも足で指揮台を踏み鳴らして、全身で指揮をするタイプの人なのだな。
サクソフォン独奏の上野耕平さんも柔らかい音色でホールを包み込んだ。
後半、ショスタコーヴィチの交響曲10番では、デュムソーは第一楽章では指揮棒を使わなかった。全体を覆うあの暗いトーンを表現するためには指揮棒は無い方が良いのかもしれない。細部に拘らず、渾然一体とした音作りが必要なのである。
第一楽章の暗く、陰陰滅滅とした音楽の流れは私の近くの座席にいたオバチャンを熟睡させていたが、この曲の第一楽章は生きているのが嫌になるぐらい陰気にやるのが真骨頂というべきだ。
第二楽章からは指揮棒も使い、躍動感のある演奏になった。特に第二楽章のスケルツォは颯爽たるスピードで進む、まさに一糸乱れぬ快進撃。第一楽章では熟睡だったオバチャンも目覚めた。
ヴァイオリンの変幻自在とも言うべき音色の移り変わりなど、今日のヴァイオリンは忙しいなあと思う。これはCDでは分からない。実演だからこそ分かる。コンサートというのはやはり聴くだけではなく、見るものでもあるのだ。
今日の指揮者のデュムソーさんはまた聴いてみたい。
今日のコンサートは馴染みのない指揮者だったからか、あるいは曲が原因かもしれないが、チケットは完売ではなかった。しかし当日券がよく売れたのか会場はかなり埋まっていて、私の印象では8割は入っていたと思う。


