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- 【今日、京響】プロコフィエフの陣 弐(7月18日)
-
エリア:
- 近畿>京都
- テーマ:鑑賞・観戦 その他 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2026/07/18 20:07
- コメント(0)
【今日、京響】プロコフィエフの陣 弐(7月18日)
指揮:沖澤のどか
<曲目>
プロコフィエフ:交響曲4番(初版)
(休憩)
プロコフィエフ:交響曲5番
今回は前回ほどのインパクトは無かったが、沖澤のどかが物凄い指揮者であり、京響の演奏が一流を越えて超一流に近づいていると思わせるコンサートであった。
交響曲4番は初版を採用していたが、これは沖澤さんが「1番から7番まで順番に取り上げるなら、オリジナルの4番を演奏するのが妥当だと判断しました」と語っておられるが、私は規模の大きくなる改定版だと次の交響曲5番の演奏のことも考えるとオーケストラの体力的な負担が大きくなりすぎるという面もあったと思う。
何はともあれ、4番は爽やかな曲を端正に歌い上げていて、清々しい風が吹いて行ったような楽しい気分になれた。
5番は重厚でスケールも大きいが、オーケストラの各パートが何かこう、自己主張の強い音を出しているように聞こえたのである。曲そのものは私の理解を越えた高みにあるので何とも言えないのだが、沖澤のどか&京響の凄さは伝わって来た。
こうなると、11月の3回目も期待する。絶対に良いと思う。^^
指揮:沖澤のどか
<曲目>
プロコフィエフ:交響曲4番(初版)
(休憩)
プロコフィエフ:交響曲5番
今回は前回ほどのインパクトは無かったが、沖澤のどかが物凄い指揮者であり、京響の演奏が一流を越えて超一流に近づいていると思わせるコンサートであった。
交響曲4番は初版を採用していたが、これは沖澤さんが「1番から7番まで順番に取り上げるなら、オリジナルの4番を演奏するのが妥当だと判断しました」と語っておられるが、私は規模の大きくなる改定版だと次の交響曲5番の演奏のことも考えるとオーケストラの体力的な負担が大きくなりすぎるという面もあったと思う。
何はともあれ、4番は爽やかな曲を端正に歌い上げていて、清々しい風が吹いて行ったような楽しい気分になれた。
5番は重厚でスケールも大きいが、オーケストラの各パートが何かこう、自己主張の強い音を出しているように聞こえたのである。曲そのものは私の理解を越えた高みにあるので何とも言えないのだが、沖澤のどか&京響の凄さは伝わって来た。
こうなると、11月の3回目も期待する。絶対に良いと思う。^^

- 【今日、京響】第713回定期演奏会(7月11日)
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エリア:
- 近畿>京都
- テーマ:観光地 鑑賞・観戦 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2026/07/11 19:41
- コメント(0)
【今日、京響】第713回定期演奏会(7月11日)
指揮:沖澤のどか
独奏:ソフィー・デルヴォー(ファゴット)
<曲目>
林光:吹きぬける夏風の祭(1985年度京都市委嘱作品)
吉松隆:ファゴット協奏曲「一角獣回路」(1988年度京都市委嘱作品)
(休憩)
ラヴェル:「鏡」(管弦楽版)から「海原の小舟」「道化師の朝の歌」
ドビュッシー:交響詩「海」
今回は中々「渋い」プログラムではないかと思ったのだが、土曜日のチケットは完売とのこと。これも沖澤さんの人気なのか。
吉松隆のファゴット協奏曲は初演のときに聴いている。まだ京都会館でやっていた頃だ。内容はすっかり忘れているので初めて聴く新鮮さがあったが、聴き易い曲である。
ただ、私はブルックナーもショスタコーヴィチも現代音楽も楽しく聴けるのだが、バルトークとかラヴェルとかドビュッシーとなるとどうも琴線が合わない。今日も少しばかり睡魔と戦うときがあった。
まあ、そんなわけなのだが、次の土曜日はやはの沖澤さんと京響のコンビで「プロコフィエフの陣 弐」がある。こちらに期待している。^^
指揮:沖澤のどか
独奏:ソフィー・デルヴォー(ファゴット)
<曲目>
林光:吹きぬける夏風の祭(1985年度京都市委嘱作品)
吉松隆:ファゴット協奏曲「一角獣回路」(1988年度京都市委嘱作品)
(休憩)
ラヴェル:「鏡」(管弦楽版)から「海原の小舟」「道化師の朝の歌」
ドビュッシー:交響詩「海」
今回は中々「渋い」プログラムではないかと思ったのだが、土曜日のチケットは完売とのこと。これも沖澤さんの人気なのか。
吉松隆のファゴット協奏曲は初演のときに聴いている。まだ京都会館でやっていた頃だ。内容はすっかり忘れているので初めて聴く新鮮さがあったが、聴き易い曲である。
ただ、私はブルックナーもショスタコーヴィチも現代音楽も楽しく聴けるのだが、バルトークとかラヴェルとかドビュッシーとなるとどうも琴線が合わない。今日も少しばかり睡魔と戦うときがあった。
まあ、そんなわけなのだが、次の土曜日はやはの沖澤さんと京響のコンビで「プロコフィエフの陣 弐」がある。こちらに期待している。^^

- 方丈貴恵の『盾と矛』を読みました。
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エリア:
-
指定なし
- テーマ:鑑賞・観戦 書籍・CD・DVD 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2026/06/21 16:00
- コメント(0)
『盾と矛』
方丈貴恵(角川書店)
ここしばらく感想を書きたくなるような本が無かったのだが、ここにきてようやく巡り合えた。
方丈貴恵の『盾と矛』である。これがどんな作品かというと、
本格ミステリ+エイレングラフ弁護士の事件簿+ミッションインポッシブル
なのである。
まず殺人事件があり探偵の草津正守がそれを論理的に解決する。ところが犯人を必ず無罪にするエイレングラフ弁護士のような人物であるヒミコが介入し、新たな証拠を捏造して犯人を助ける。すると今度は草津が正義のために手段を選ばず犯人を追い詰めていく。犯人を自白に追い込むためなら何でもやるのだ。適法手続きなど関係ない。
長編かと思ったら三つの章それぞれ違う犯罪を扱っているのでオムニバスかと思いきや、これまた最後でちゃんと繋がって来る。独立した三つの話でもあるが、全てはひとつの大きな流れの中にある。流石、方丈貴恵。
作品の主体は「ミッションインポッシブル」の部分にあるので、本格物としての骨格は弱く物足りないかもしれないが、本筋では結構ひねりがあるのだ。
第一章は登場人物の紹介の意味もありわりと短い。普通の短編の長さで、ストレートな話なのだが、後の二つは中編の長さがあり、その分込み入った内容になっている。本作の白眉は第二章からだろう。しかも第三章の途中で大転換があるのだ。草津とヒミコだけではなく、別の人物も絡んで知力と暴力を織り交ぜた虚々実々の戦いが繰り広げられる。
しかも三つの物語はどれも最後に少し「救い」があるのだな。
第一章の犯人は清々しく罪を認めるし、第二章の犯人も「このまま逃がしてあげたい」と感情移入する読者も多いだろうが、最後は捕まるもののその先には希望が見える。
そしてこの作品の中心になる第三章にも救いがあるのだが、人によっては「作り過ぎ」とか「やりすぎ」とか言うかもしれないけれど、私はこれは「因習の村」というテーマのパロディだと解釈する。ちょっと笑えるし。個人的にこういうのは好きだし。
ただ、帯にある麻耶雄嵩の「名探偵と名犯人の頭脳バトルなのに、この終わり方はズルい」というコメントは私には理解できない。全然ズルくないと思う。
もうひとつ、帯の惹句に「めくるめく推理と隠蔽の上書き合戦 ああこれを永遠に読み続けたい」と書いてあるが、私は別にこの本はこれで完全に完結しているのでそれで良いと思う。続編は無い方がスッキリするだろう。まあ、永遠に読み続けたいなら何度でも再読すれば良いわけだ。
何はともあれ、「東野圭吾にハズレなし」とか「宮部みゆきにハズレなし」とか言われてきたが、いよいよ「方丈貴恵にハズレなし」というのが加わった。
本作『盾と矛』は今年のベストテン候補です。
http://sealedroom.blog.jp
方丈貴恵(角川書店)
ここしばらく感想を書きたくなるような本が無かったのだが、ここにきてようやく巡り合えた。
方丈貴恵の『盾と矛』である。これがどんな作品かというと、
本格ミステリ+エイレングラフ弁護士の事件簿+ミッションインポッシブル
なのである。
まず殺人事件があり探偵の草津正守がそれを論理的に解決する。ところが犯人を必ず無罪にするエイレングラフ弁護士のような人物であるヒミコが介入し、新たな証拠を捏造して犯人を助ける。すると今度は草津が正義のために手段を選ばず犯人を追い詰めていく。犯人を自白に追い込むためなら何でもやるのだ。適法手続きなど関係ない。
長編かと思ったら三つの章それぞれ違う犯罪を扱っているのでオムニバスかと思いきや、これまた最後でちゃんと繋がって来る。独立した三つの話でもあるが、全てはひとつの大きな流れの中にある。流石、方丈貴恵。
作品の主体は「ミッションインポッシブル」の部分にあるので、本格物としての骨格は弱く物足りないかもしれないが、本筋では結構ひねりがあるのだ。
第一章は登場人物の紹介の意味もありわりと短い。普通の短編の長さで、ストレートな話なのだが、後の二つは中編の長さがあり、その分込み入った内容になっている。本作の白眉は第二章からだろう。しかも第三章の途中で大転換があるのだ。草津とヒミコだけではなく、別の人物も絡んで知力と暴力を織り交ぜた虚々実々の戦いが繰り広げられる。
しかも三つの物語はどれも最後に少し「救い」があるのだな。
第一章の犯人は清々しく罪を認めるし、第二章の犯人も「このまま逃がしてあげたい」と感情移入する読者も多いだろうが、最後は捕まるもののその先には希望が見える。
そしてこの作品の中心になる第三章にも救いがあるのだが、人によっては「作り過ぎ」とか「やりすぎ」とか言うかもしれないけれど、私はこれは「因習の村」というテーマのパロディだと解釈する。ちょっと笑えるし。個人的にこういうのは好きだし。
ただ、帯にある麻耶雄嵩の「名探偵と名犯人の頭脳バトルなのに、この終わり方はズルい」というコメントは私には理解できない。全然ズルくないと思う。
もうひとつ、帯の惹句に「めくるめく推理と隠蔽の上書き合戦 ああこれを永遠に読み続けたい」と書いてあるが、私は別にこの本はこれで完全に完結しているのでそれで良いと思う。続編は無い方がスッキリするだろう。まあ、永遠に読み続けたいなら何度でも再読すれば良いわけだ。
何はともあれ、「東野圭吾にハズレなし」とか「宮部みゆきにハズレなし」とか言われてきたが、いよいよ「方丈貴恵にハズレなし」というのが加わった。
本作『盾と矛』は今年のベストテン候補です。
http://sealedroom.blog.jp

- 【今日、京響】第712回定期演奏会(6月20日)
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エリア:
- 近畿>京都
- テーマ:観光地 鑑賞・観戦 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2026/06/20 23:01
- コメント(0)
【今日、京響】第712回定期演奏会(6月20日)
※プログラム※
指揮:アレナ・フロン
独創:阪田知樹(ピアノ)
<曲目>オール・ドボルザークプログラム
序曲「謝肉祭」
ピアノ協奏曲ト短調
(休憩)
交響曲7番二短調
今年は京都市とプラハ市が姉妹都市になって30周年なのでその記念コンサートということで、チェコの若手指揮者アレナ・フロンが指揮台に立った。どうも他の楽団との共演はなくて、京響だけを振りに来たみたいである。練習の空き時間には京都を散策されたようで、錦市場でご飯を食べたとのこと。^^
ところで、ドボルザークだが、近年はドボルジャークと表記されることがある。なるほど、フロンさんもプレトークで「ドボルジャーク」と発音していたのでこちらが正しいのだとは思うが、今回の京響のプログラムでは「ドボルザーク」と表記されていた。私は別にドボルザークで良いと思う。
さて、序曲「謝肉祭」だが、指揮者は大きく動き回る人だった。まあ、曲に合わせていたのかもしれないが、最後までこの調子だと体力が持たないのではないかと心配してしまった。
続くピアノ協奏曲は初めて聴いたが、ドボルザーク風の民俗音楽的テイストが随所に出ていて、聴き易い曲だった。決して傑作とは言わないが、約40分の長い曲を飽きずに聴くことが出来た。たまにピアノ独奏がオーケストラの音に埋もれそうになったが、カデンツァでは阪田さんの優しいピアノの音にほんわかとしてしまった。
ソリストのアンコールはリストの「忘れられたワルツ」第1番。
休憩を挟んでの交響曲7番は第一楽章と第二楽章はいかにも若手指揮者らしい端正で力の入った演奏だと思っていたら、後半の第三楽章から急に京響の音が変わって音色に艶が出てきた。突如として良くなって、尻上がりに段々と良くなっていって、
最後は大きな音のうねりになって終結。指揮者は曲の後半に賭けるためそれまでは抑え気味にしていたのだろうか?
何はともあれ、又聴いてみたい指揮者であった。
京響常任の沖澤のどかさんもそうだが、オーケストラの世界もこれからは女性指揮者がどんどん活躍する時代になったのかもしれない。
※プログラム※
指揮:アレナ・フロン
独創:阪田知樹(ピアノ)
<曲目>オール・ドボルザークプログラム
序曲「謝肉祭」
ピアノ協奏曲ト短調
(休憩)
交響曲7番二短調
今年は京都市とプラハ市が姉妹都市になって30周年なのでその記念コンサートということで、チェコの若手指揮者アレナ・フロンが指揮台に立った。どうも他の楽団との共演はなくて、京響だけを振りに来たみたいである。練習の空き時間には京都を散策されたようで、錦市場でご飯を食べたとのこと。^^
ところで、ドボルザークだが、近年はドボルジャークと表記されることがある。なるほど、フロンさんもプレトークで「ドボルジャーク」と発音していたのでこちらが正しいのだとは思うが、今回の京響のプログラムでは「ドボルザーク」と表記されていた。私は別にドボルザークで良いと思う。
さて、序曲「謝肉祭」だが、指揮者は大きく動き回る人だった。まあ、曲に合わせていたのかもしれないが、最後までこの調子だと体力が持たないのではないかと心配してしまった。
続くピアノ協奏曲は初めて聴いたが、ドボルザーク風の民俗音楽的テイストが随所に出ていて、聴き易い曲だった。決して傑作とは言わないが、約40分の長い曲を飽きずに聴くことが出来た。たまにピアノ独奏がオーケストラの音に埋もれそうになったが、カデンツァでは阪田さんの優しいピアノの音にほんわかとしてしまった。
ソリストのアンコールはリストの「忘れられたワルツ」第1番。
休憩を挟んでの交響曲7番は第一楽章と第二楽章はいかにも若手指揮者らしい端正で力の入った演奏だと思っていたら、後半の第三楽章から急に京響の音が変わって音色に艶が出てきた。突如として良くなって、尻上がりに段々と良くなっていって、
最後は大きな音のうねりになって終結。指揮者は曲の後半に賭けるためそれまでは抑え気味にしていたのだろうか?
何はともあれ、又聴いてみたい指揮者であった。
京響常任の沖澤のどかさんもそうだが、オーケストラの世界もこれからは女性指揮者がどんどん活躍する時代になったのかもしれない。

- 【今日、京響】第711回定期演奏会(5月16日)
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エリア:
- 近畿>京都
- テーマ:観光地 鑑賞・観戦 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2026/05/16 20:29
- コメント(0)
【今日、京響】第711回定期演奏会(5月16日)
※プログラム※
指揮:シルヴァン・カンブルラン
<曲目>
マーラー:交響曲6番「悲劇的」
今回は今年の京響定期の中でも「目玉」のひとつである。何といっても私はマーラーの交響曲の中ではこれが一番好きなのだ。やはり同じことを思う人も多いのか、土曜日の公演はチケット完売であった。
私はこの曲を実演では井上道義指揮の京響で聴いているし、CDではショルティやバーンスタイン(新旧両方)やレヴァインや、小澤征爾でもサイモン・ラトルでもインバルでも、他の指揮者の録音でも聴いている。まさに名曲なのだ。
私が初めてこの曲を聴いたのはゲオルグ・ショルティ指揮のシカゴ交響楽団のCDだった。しかしその頃と今ではこの曲の演奏に変化があって、第二楽章と第三楽章が入れ替わっている。サイモン・ラトルのCDで初めて「新しい」順序で聴いたときはやはり何か違和感があったのだが、今日の演奏ではすんなりと聴けた。まあ、それだけ名演だったということだろう。
第一楽章の冒頭は少し大人しい感じがして、これがこの指揮者の芸風なのか、長丁場なので少し力を溜めにかかったのか、よく分からないのだが、聴いてるうちにそんなことはどうでもよくなった。とにかく長さを感じさせない演奏で、聴き終ってから「もう一度初めから聴きたい」と思ってしまった。
指揮のカンブルランは78歳らしいが良く動く人だ。指揮棒は持たないスタイルだが、オーバーアクションになる一歩手前ぐらいの動きで細部まで指示していた。ひょっとしたらオーケストラを隅々まで統率しないと気の済まない人なのかもしれない。
今日は終演後にエントランスホールで第四楽章で使ったハンマーが展示されれていた。終ってからすぐ運んだのだな。スタッフは大変だ。
写真も撮らせてもらった。^^
何はともあれ、今回も贅沢な時間を過ごすことが出来ました。^_^
※プログラム※
指揮:シルヴァン・カンブルラン
<曲目>
マーラー:交響曲6番「悲劇的」
今回は今年の京響定期の中でも「目玉」のひとつである。何といっても私はマーラーの交響曲の中ではこれが一番好きなのだ。やはり同じことを思う人も多いのか、土曜日の公演はチケット完売であった。
私はこの曲を実演では井上道義指揮の京響で聴いているし、CDではショルティやバーンスタイン(新旧両方)やレヴァインや、小澤征爾でもサイモン・ラトルでもインバルでも、他の指揮者の録音でも聴いている。まさに名曲なのだ。
私が初めてこの曲を聴いたのはゲオルグ・ショルティ指揮のシカゴ交響楽団のCDだった。しかしその頃と今ではこの曲の演奏に変化があって、第二楽章と第三楽章が入れ替わっている。サイモン・ラトルのCDで初めて「新しい」順序で聴いたときはやはり何か違和感があったのだが、今日の演奏ではすんなりと聴けた。まあ、それだけ名演だったということだろう。
第一楽章の冒頭は少し大人しい感じがして、これがこの指揮者の芸風なのか、長丁場なので少し力を溜めにかかったのか、よく分からないのだが、聴いてるうちにそんなことはどうでもよくなった。とにかく長さを感じさせない演奏で、聴き終ってから「もう一度初めから聴きたい」と思ってしまった。
指揮のカンブルランは78歳らしいが良く動く人だ。指揮棒は持たないスタイルだが、オーバーアクションになる一歩手前ぐらいの動きで細部まで指示していた。ひょっとしたらオーケストラを隅々まで統率しないと気の済まない人なのかもしれない。
今日は終演後にエントランスホールで第四楽章で使ったハンマーが展示されれていた。終ってからすぐ運んだのだな。スタッフは大変だ。
写真も撮らせてもらった。^^
何はともあれ、今回も贅沢な時間を過ごすことが出来ました。^_^
1 - 5件目まで(34件中)


