-
エリア:
-
指定なし
-
テーマ:
- お祭り・イベント
- / 書籍・CD・DVD
- / 歴史・文化・芸術
日本各地の面白い場所を紹介した本が出ましたので、その感想です。
『現代「ますように」考』
井上真史(淡交社)
一瞬、何の意味かと思った題名だが、要するに「猫が帰ってきますように」とか「子供が生まれますように」とか「縁が切れますように」といった「神様への願い事」を探求した労作である。もちろん、本の帯には「この本が売れますように」と書いてある。うーむ。買った私は神様か?
さて、全四章と断章から成る本書だが、普通の目次とは別に地域別のリストも掲載されており、中々便利なのである。
第一章は題名にもなっている各地の「ますように」を紹介している。
第二章はいわゆる「奇祭」の追求である。
次に挟まれた断章は、コロナ禍にあって出現したアマビエを追いかけた話。
第三章は「この世」にいたままで「あの世」を覗き見る。
第四章は呪いや執念に纏わる話。
もちろん、これは単なる隠れた名所の紹介ではない。取り上げられているその場所その場所それぞれを基にしたエッセイ集になっていて、通読するも良し、面白そうなのを拾い読みするのも良しの楽しい一冊である。
副題が「こわくてかわいい日本の民間信仰」であるように、基本的な軸足は民俗学に置かれているのだが、学術臭さはなくて一般の読者が気楽に読めるし、ちょっと気が向いたら「ここに紹介されている場所に行ってみようかな」という気にさせる内容にもなっている。自宅で座ってじっくり読むのも、通勤通学の電車の中で軽く読むのもその人次第。読み終ったら本棚に並べ、折に触れて読み返す本である。
どのエピソードも過不足なく書かれているので軽妙な文章なのに中身は濃いのだ。「ご存じですかぁ」という嫌味もなく、上から目線でもなく、意味不明の専門用語を羅列するのでもなく、全て「自分の言葉」で語っているのは著者の人柄であろう。
写真もたくさん載せてあるが、中でも51頁のやつは「うむ」と納得してしまうぐらい不気味で良い。
ただ、讃辞ばかりでは贔屓の引き倒しになるので、少しツッコミも入れておく。
◎41頁の後ろから3行目に
<今でも木槌のことを「げんのう」と呼びますが>
とあるのだが、「げんのう」というのは「木槌」ではなく「大ぶりの鉄槌」である。
◎70頁の8行目
<ロイコクロリディウムに寄生されたカタツムリ>
という例えが分かる人は、ほとんどいないだろう。しかしこれはギャグで言っていると思う。これがどんなものか気になる人は検索すればすぐに出るのでどうぞ。その後で67頁の写真をもう一度見ると「なるほど」と納得。
それから、これは著者とは何の関係も無い事なのだが、表紙の魚の絵は「鰯の頭」に違いないのだが、私の目にはどうしてもマグロの兜焼きに見えてしまうのである。まあ、こればかりは仕方がない。
何はともあれ、私はこれからも「ますように」は無くならないと思う。昔から「苦しい時の神頼み」と言って、我々は普段は忘れていても窮地に陥ると神様を思い出すのである。この習性が無くならない限り「ますように」も無くならない。
しかし日本は良い国である。一神教の国々は人間が神様に従わねばならない。しかし日本では「ご利益」といって神様の方が人間に奉仕してくださるのである。こんな良い国、他には無いだろう。
『現代「ますように」考』
井上真史(淡交社)
一瞬、何の意味かと思った題名だが、要するに「猫が帰ってきますように」とか「子供が生まれますように」とか「縁が切れますように」といった「神様への願い事」を探求した労作である。もちろん、本の帯には「この本が売れますように」と書いてある。うーむ。買った私は神様か?
さて、全四章と断章から成る本書だが、普通の目次とは別に地域別のリストも掲載されており、中々便利なのである。
第一章は題名にもなっている各地の「ますように」を紹介している。
第二章はいわゆる「奇祭」の追求である。
次に挟まれた断章は、コロナ禍にあって出現したアマビエを追いかけた話。
第三章は「この世」にいたままで「あの世」を覗き見る。
第四章は呪いや執念に纏わる話。
もちろん、これは単なる隠れた名所の紹介ではない。取り上げられているその場所その場所それぞれを基にしたエッセイ集になっていて、通読するも良し、面白そうなのを拾い読みするのも良しの楽しい一冊である。
副題が「こわくてかわいい日本の民間信仰」であるように、基本的な軸足は民俗学に置かれているのだが、学術臭さはなくて一般の読者が気楽に読めるし、ちょっと気が向いたら「ここに紹介されている場所に行ってみようかな」という気にさせる内容にもなっている。自宅で座ってじっくり読むのも、通勤通学の電車の中で軽く読むのもその人次第。読み終ったら本棚に並べ、折に触れて読み返す本である。
どのエピソードも過不足なく書かれているので軽妙な文章なのに中身は濃いのだ。「ご存じですかぁ」という嫌味もなく、上から目線でもなく、意味不明の専門用語を羅列するのでもなく、全て「自分の言葉」で語っているのは著者の人柄であろう。
写真もたくさん載せてあるが、中でも51頁のやつは「うむ」と納得してしまうぐらい不気味で良い。
ただ、讃辞ばかりでは贔屓の引き倒しになるので、少しツッコミも入れておく。
◎41頁の後ろから3行目に
<今でも木槌のことを「げんのう」と呼びますが>
とあるのだが、「げんのう」というのは「木槌」ではなく「大ぶりの鉄槌」である。
◎70頁の8行目
<ロイコクロリディウムに寄生されたカタツムリ>
という例えが分かる人は、ほとんどいないだろう。しかしこれはギャグで言っていると思う。これがどんなものか気になる人は検索すればすぐに出るのでどうぞ。その後で67頁の写真をもう一度見ると「なるほど」と納得。
それから、これは著者とは何の関係も無い事なのだが、表紙の魚の絵は「鰯の頭」に違いないのだが、私の目にはどうしてもマグロの兜焼きに見えてしまうのである。まあ、こればかりは仕方がない。
何はともあれ、私はこれからも「ますように」は無くならないと思う。昔から「苦しい時の神頼み」と言って、我々は普段は忘れていても窮地に陥ると神様を思い出すのである。この習性が無くならない限り「ますように」も無くならない。
しかし日本は良い国である。一神教の国々は人間が神様に従わねばならない。しかし日本では「ご利益」といって神様の方が人間に奉仕してくださるのである。こんな良い国、他には無いだろう。