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エリア:
- 近畿 > 京都
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テーマ:
- 観光地
- / 街中・建物・景色
- / 歴史・文化・芸術
神社と寺の町である京都には鳥居のある風景も珍しくはありません。平安神宮の大鳥居や御香宮神社の鳥居のように道路を跨いで仁王立ちよろしくデンと聳えているものもあります。
しかし、その鳥居の中にも変わったものが多々あります。
珍しいところでは週刊誌などでも紹介されている御金神社の金の鳥居。
正しくは「みかね神社」ですが、誰が見ても「おかね神社」ですね。
いかにも金運がつきそうです。
そして縁きり祈願で有名な安井金毘羅宮の四角い鳥居などを挙げることが出来ます。
清水寺にある地主神社は縁結びですが、こちらは縁切り。男と女の縁を切りますからお参りする人も人間に角が立っているのでしょうか。
そこで今回は京都中、いや日本中、いやいや世界中探しても他には無いだろうというのを2つご紹介しましょう。
まずは見てのとおりの鳥居です。別に何の変哲もない、何の取り柄もない鳥居ですが、左右の端が隣の建物にめり込んでいる。
中々シュールな光景ではないか。
何故こんな事になったのか。
もともと左右の端は普通に外に出ていた。ところが左右の土地に新たなビルを建てるとき、敷地いっぱいに壁を作ると鳥居の端が境界線を超えてしまうのですね。それまではそんなギリギリに建てていなかったから問題なかったのです。
さてそうなると、鳥居の端を切るわけにはいかない。かといって、土地いっぱいに建物を建てる地主の権利を制限するわけにもいかない。そこで、これが京都らしい妥協の産物かもしれないのですが、鳥居の両端を敷地いっぱいに建てた壁にめり込ませてビルの内部へ突き出させたのでした。
これにより鳥居の端を切ることもなく、ビルを建てる権利を侵害することもなく、双方の顔が立ったのであります。
さて、鳥居の端が壁にめり込んで反対側に出ているということは、左右のビルのこの壁側の部屋に入ると、壁を突き抜けて鳥居の端が「ぬっ」と出ているということ。部屋の中に委細かまわず鳥居の端っこがドンと出ているというのも、中々シュールな光景ではないだろうか。
もうひとつ、これも度肝を抜いている。
見てのとおり、真ん中が無い。決してパロデイではなく、真面目にやっているようだ。ある新興宗教の敷地にあります。
この鳥居をくぐると、って言っても、これはくぐりようがないではないか。無いのだから。無い物の下はくぐれない。にもかかわらず、くぐると開運になるらしい。つまり、鳥居そのものが「開いて」いるから、その下を「くぐる」ことによって自分の運も「開ける」のだと。
うーむ、言われてみればその通りなのだが、何事も合理的な解決が付かないと気が済まない本格ミステリ・ファンの私は「真相」を推理してみました。
考えるに、この鳥居の両側が建っているのはこの宗教団体の土地であろう。自分の敷地になにを立てようと自由です。しかし真ん中の道路は公道ではないでしょうか。公道の上を遮る鳥居の「真ん中部分」を作ることが出来なかったのではないか。
でも、普通の神社の鳥居は公道の上でもちゃんと作っているではないか、と思われるでしょう。神社の場合は、今の法律が出来る前からそこにあった鳥居だから法律の適用外になるのかもしれないし、あるいは何らかの特例があるのかもしれない。しかし新興宗教の場合はその特例が受けられないとしたら?
あるいはまた、自動車が通行するための高さ制限に関する規定に引っかかったのかもしれない。
もっと考えれば他の理由も思いつくかもしれないが、この辺でやめておきます。
京都はまだまだ奥が深い。うん。
しかし、その鳥居の中にも変わったものが多々あります。
珍しいところでは週刊誌などでも紹介されている御金神社の金の鳥居。
正しくは「みかね神社」ですが、誰が見ても「おかね神社」ですね。
いかにも金運がつきそうです。
そして縁きり祈願で有名な安井金毘羅宮の四角い鳥居などを挙げることが出来ます。
清水寺にある地主神社は縁結びですが、こちらは縁切り。男と女の縁を切りますからお参りする人も人間に角が立っているのでしょうか。
そこで今回は京都中、いや日本中、いやいや世界中探しても他には無いだろうというのを2つご紹介しましょう。
まずは見てのとおりの鳥居です。別に何の変哲もない、何の取り柄もない鳥居ですが、左右の端が隣の建物にめり込んでいる。
中々シュールな光景ではないか。
何故こんな事になったのか。
もともと左右の端は普通に外に出ていた。ところが左右の土地に新たなビルを建てるとき、敷地いっぱいに壁を作ると鳥居の端が境界線を超えてしまうのですね。それまではそんなギリギリに建てていなかったから問題なかったのです。
さてそうなると、鳥居の端を切るわけにはいかない。かといって、土地いっぱいに建物を建てる地主の権利を制限するわけにもいかない。そこで、これが京都らしい妥協の産物かもしれないのですが、鳥居の両端を敷地いっぱいに建てた壁にめり込ませてビルの内部へ突き出させたのでした。
これにより鳥居の端を切ることもなく、ビルを建てる権利を侵害することもなく、双方の顔が立ったのであります。
さて、鳥居の端が壁にめり込んで反対側に出ているということは、左右のビルのこの壁側の部屋に入ると、壁を突き抜けて鳥居の端が「ぬっ」と出ているということ。部屋の中に委細かまわず鳥居の端っこがドンと出ているというのも、中々シュールな光景ではないだろうか。
もうひとつ、これも度肝を抜いている。
見てのとおり、真ん中が無い。決してパロデイではなく、真面目にやっているようだ。ある新興宗教の敷地にあります。
この鳥居をくぐると、って言っても、これはくぐりようがないではないか。無いのだから。無い物の下はくぐれない。にもかかわらず、くぐると開運になるらしい。つまり、鳥居そのものが「開いて」いるから、その下を「くぐる」ことによって自分の運も「開ける」のだと。
うーむ、言われてみればその通りなのだが、何事も合理的な解決が付かないと気が済まない本格ミステリ・ファンの私は「真相」を推理してみました。
考えるに、この鳥居の両側が建っているのはこの宗教団体の土地であろう。自分の敷地になにを立てようと自由です。しかし真ん中の道路は公道ではないでしょうか。公道の上を遮る鳥居の「真ん中部分」を作ることが出来なかったのではないか。
でも、普通の神社の鳥居は公道の上でもちゃんと作っているではないか、と思われるでしょう。神社の場合は、今の法律が出来る前からそこにあった鳥居だから法律の適用外になるのかもしれないし、あるいは何らかの特例があるのかもしれない。しかし新興宗教の場合はその特例が受けられないとしたら?
あるいはまた、自動車が通行するための高さ制限に関する規定に引っかかったのかもしれない。
もっと考えれば他の理由も思いつくかもしれないが、この辺でやめておきます。
京都はまだまだ奥が深い。うん。