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エリア:
- 近畿 > 京都
- 近畿 > 京都 > 洛東(祇園・清水)
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テーマ:
- 観光地
- / 街中・建物・景色
- / 歴史・文化・芸術
民族のアイデンティティーとは何ぞや、と大上段に振りかぶってしまうと嫌われるかもしれませんが、要するに、どんなにカタカナ語やラテン文字の表記が増えても誰もが桃太郎や浦島太郎の話を知っている、これが民族のアイデンティテイーですね。
そこで今回は牛若丸と弁慶の話です。

京都にお越しの方はもうご存知でしょうが、五条大橋のすぐ近くに牛若丸と弁慶の像があります。歌にあるとおりですね。
ところで、この弁慶像のほうですが、ちょっと悲哀に満ちている。何かと言うと、股間のモノなのです。
あまりにも小さい。写真でお分かりでしょうか。

これでは弁慶さんが可哀そうではありませんか。別に信楽のタヌキ並みにしろとは言いませんが、もう少し「立派」なものを付けてあげればどうか。このスモールサイズはないやろう、と思います。
さて、これも「京都通」の方ならすでにご存知でしょうが、平安時代の五条通は今の通りではなく、もうひとつ北側の現在の松原通が五条通でした。豊臣秀吉が政権を取った時に名前が変わってしまったのですね。
秀吉は通りの名前を変えるつもりはなく、ただ橋を架け替えただけ。ところが橋の位置が変わっても京都の人はそれまでどおりその橋を「五条の橋」と言い続けた為、それに引っ張られて通りの名まで「五条通」に変わってしまったと。
そこで問題です。
今の五条通の商店街は当然といえば当然ですが牛若丸と弁慶がシンボルになっています。幟もそのデザインですね。

これに対して平安時代の、本来の五条通でもある今の松原通でもやっぱり牛若丸と弁慶をシンボルにした旗を出しています。
これって、本家争い?

まあどこぞのお家元や老舗会社のように「骨肉の争い」をしているわけではありませんが、むしろ「本家争い」を売り物にしたほうが話題性もあり、人も集まるのではないか、なんて無責任な事を考えている今日この頃です。
ところで、五条坂を上っていって清水寺に行く途中、やはり牛若丸と弁慶が登場します。『義経記』では五条通の対決では引き分けた牛若丸と弁慶が清水の舞台でリターンマッチをやって牛若丸が勝つことになっています。その関係でこんな人形も出来たのですね。
この人形は時間が来ると出てきて対決をします。電気仕掛けなのです。清水坂のどこにあるか、今度行かれる時に探してみては如何でしょうか。
そこで今回は牛若丸と弁慶の話です。

京都にお越しの方はもうご存知でしょうが、五条大橋のすぐ近くに牛若丸と弁慶の像があります。歌にあるとおりですね。
ところで、この弁慶像のほうですが、ちょっと悲哀に満ちている。何かと言うと、股間のモノなのです。
あまりにも小さい。写真でお分かりでしょうか。

これでは弁慶さんが可哀そうではありませんか。別に信楽のタヌキ並みにしろとは言いませんが、もう少し「立派」なものを付けてあげればどうか。このスモールサイズはないやろう、と思います。
さて、これも「京都通」の方ならすでにご存知でしょうが、平安時代の五条通は今の通りではなく、もうひとつ北側の現在の松原通が五条通でした。豊臣秀吉が政権を取った時に名前が変わってしまったのですね。
秀吉は通りの名前を変えるつもりはなく、ただ橋を架け替えただけ。ところが橋の位置が変わっても京都の人はそれまでどおりその橋を「五条の橋」と言い続けた為、それに引っ張られて通りの名まで「五条通」に変わってしまったと。
そこで問題です。
今の五条通の商店街は当然といえば当然ですが牛若丸と弁慶がシンボルになっています。幟もそのデザインですね。

これに対して平安時代の、本来の五条通でもある今の松原通でもやっぱり牛若丸と弁慶をシンボルにした旗を出しています。
これって、本家争い?

まあどこぞのお家元や老舗会社のように「骨肉の争い」をしているわけではありませんが、むしろ「本家争い」を売り物にしたほうが話題性もあり、人も集まるのではないか、なんて無責任な事を考えている今日この頃です。
ところで、五条坂を上っていって清水寺に行く途中、やはり牛若丸と弁慶が登場します。『義経記』では五条通の対決では引き分けた牛若丸と弁慶が清水の舞台でリターンマッチをやって牛若丸が勝つことになっています。その関係でこんな人形も出来たのですね。
この人形は時間が来ると出てきて対決をします。電気仕掛けなのです。清水坂のどこにあるか、今度行かれる時に探してみては如何でしょうか。
