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- 釜山国際映画祭 トトロとユン・ゲサン〜^^
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エリア:
- アジア>韓国>釜山(プサン)
- テーマ:観光地 お祭り・イベント 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2015/10/28 02:10
- コメント(0)
かの有名な、釜山国際映画祭に行ってきました。釜山には何度も訪れていますが、映画祭は初めて。
今年は20周年の記念イヤーなのですが、例年に比べて小規模開催だったとのこと。(昨年、セウォル号の事故についてのドキュメンタリー映画を上映したことが政府の神経を逆なでして、予算を半分に削られてしまったなどの報道があった)
しかし、小規模っていっても、たのしかったです!
予算の都合で韓国映画を中心とした特集があったり、スタジオジブリ特集があったりと、一般市民にとってうんと親しみやすいプログラムになっていたと思う。いや、釜山国際映画祭ってもともと市民のためにやっているんだっけ? ボランティアの学生さんたちも楽しそうにやってて(通訳が未熟とかはまあ・・・ご愛嬌なのです)ほんわかしました。
韓国映画の上映には、ちゃんと出演俳優たちがぞくぞく舞台挨拶に登壇してびっくり。上映されて結構経つ映画でも俳優が登壇することもあってか、お客さんもいっぱい入ってて。
そして私も思いがけず、ユン・ゲサンを間近に拝むことができました!! かっこいい。顔、ちっさい!!

映画『少数意見』は国を相手取り訴訟に踏み切る若手弁護士を演じてたケサン。最近の彼が選ぶドラマや映画は、だいたい影のある役どころが多いけど、ふだんの彼はものすごくやわらかい兄ちゃんみたいな感じなのですね。
映画『少数意見』は俳優たちもネタにして笑ってたほど興行的にはふるわなかったそうですが、骨太のすごくよい映画です。日本で上映されたらまた見たい。
ジブリ特集では、トトロの上映を見ました。トトロが世に出て30年くらい経ちますか?? ぜんぜん色褪せないトトロにも感動したけど、1000人はいた地元の親子連れやカップルたちが今もトトロを見て笑って泣いている姿を見て、こちらもジーンとしました。帰り道にちいさな女の子が、私もサツキみたいにお弁当をつくりたい・・・などとお母さんおばあちゃんと話しながら歩いているのを見て、またジーン。。よい旅でした。
今年は20周年の記念イヤーなのですが、例年に比べて小規模開催だったとのこと。(昨年、セウォル号の事故についてのドキュメンタリー映画を上映したことが政府の神経を逆なでして、予算を半分に削られてしまったなどの報道があった)
しかし、小規模っていっても、たのしかったです!
予算の都合で韓国映画を中心とした特集があったり、スタジオジブリ特集があったりと、一般市民にとってうんと親しみやすいプログラムになっていたと思う。いや、釜山国際映画祭ってもともと市民のためにやっているんだっけ? ボランティアの学生さんたちも楽しそうにやってて(通訳が未熟とかはまあ・・・ご愛嬌なのです)ほんわかしました。
韓国映画の上映には、ちゃんと出演俳優たちがぞくぞく舞台挨拶に登壇してびっくり。上映されて結構経つ映画でも俳優が登壇することもあってか、お客さんもいっぱい入ってて。
そして私も思いがけず、ユン・ゲサンを間近に拝むことができました!! かっこいい。顔、ちっさい!!

映画『少数意見』は国を相手取り訴訟に踏み切る若手弁護士を演じてたケサン。最近の彼が選ぶドラマや映画は、だいたい影のある役どころが多いけど、ふだんの彼はものすごくやわらかい兄ちゃんみたいな感じなのですね。
映画『少数意見』は俳優たちもネタにして笑ってたほど興行的にはふるわなかったそうですが、骨太のすごくよい映画です。日本で上映されたらまた見たい。
ジブリ特集では、トトロの上映を見ました。トトロが世に出て30年くらい経ちますか?? ぜんぜん色褪せないトトロにも感動したけど、1000人はいた地元の親子連れやカップルたちが今もトトロを見て笑って泣いている姿を見て、こちらもジーンとしました。帰り道にちいさな女の子が、私もサツキみたいにお弁当をつくりたい・・・などとお母さんおばあちゃんと話しながら歩いているのを見て、またジーン。。よい旅でした。
- タグ:
- 釜山 映画祭 釜山国際映画祭 セウォル号 ジブリ

- 昌徳宮の楽善斎と李方子(り・まさこ)妃
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エリア:
- アジア>韓国>ソウル
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2015/10/08 07:30
- コメント(1)
先月、日韓国交正常化50周年を記念して、新国立劇場(東京)で上演された創作オペラ 『ザ・ラストクイーン』。
英親王李垠(イ・ウン)殿下に嫁ぎその後日韓親善に尽くされた李方子(イ・バンジャ)妃の波乱の生涯をテーマにしたオペラは、チケット完売で成功裏に幕を下ろしました。

李方子さまといえば、ソウルの昌徳宮を回ると最後にたどり着く簡素なたてもの楽善斎を思い出しますよね。ここに方子さまは平成元年までお住まいだったとか。ガイドツアーに参加したときに、ガイドさんも方子さまの人となりのすばらしさに熱く語られていたのを思い出します。

日韓両国の懸け橋となった王妃・李方子(りまさこ/イバンジャ)さま。
日韓併合後の政略結婚とはいえ、大韓国の皇太子・李垠(り・ぎん/イ・ウン)殿下に嫁ぎ、両国融和の象徴だったお二人。
日本の敗戦と共に、二人は皇族の地位も、日本国籍も、財産も失います。
1970年、夫の李垠殿下が死去。しかし、その後も日本には戻らず韓国に留まりました。そして反日感情の渦巻く韓国で、「日本人になにができるか」として冷ややかに見られるながらも、障害児教育に力を入れ、韓国社会に貢献。
そして、徐々に「韓国のオモニ(母)」と呼ばれ、受け入れられていきます。87歳で死去したときは、皇太子妃の準国葬として扱われ、葬列は1キロにも及び、韓国国民がその死去を痛んだとか。
『ザ・ラストクイーン』はソプラノ歌手で、東京生まれの在日韓国人2世のソプラノ歌手田月仙さんが10年にわたり構想を続けてきた創作オペラ。このオペラをきっかけに、再び李方子さまの歩んだ道や功績への関心が高まっています。
英親王李垠(イ・ウン)殿下に嫁ぎその後日韓親善に尽くされた李方子(イ・バンジャ)妃の波乱の生涯をテーマにしたオペラは、チケット完売で成功裏に幕を下ろしました。

李方子さまといえば、ソウルの昌徳宮を回ると最後にたどり着く簡素なたてもの楽善斎を思い出しますよね。ここに方子さまは平成元年までお住まいだったとか。ガイドツアーに参加したときに、ガイドさんも方子さまの人となりのすばらしさに熱く語られていたのを思い出します。

日韓両国の懸け橋となった王妃・李方子(りまさこ/イバンジャ)さま。
日韓併合後の政略結婚とはいえ、大韓国の皇太子・李垠(り・ぎん/イ・ウン)殿下に嫁ぎ、両国融和の象徴だったお二人。
日本の敗戦と共に、二人は皇族の地位も、日本国籍も、財産も失います。
1970年、夫の李垠殿下が死去。しかし、その後も日本には戻らず韓国に留まりました。そして反日感情の渦巻く韓国で、「日本人になにができるか」として冷ややかに見られるながらも、障害児教育に力を入れ、韓国社会に貢献。
そして、徐々に「韓国のオモニ(母)」と呼ばれ、受け入れられていきます。87歳で死去したときは、皇太子妃の準国葬として扱われ、葬列は1キロにも及び、韓国国民がその死去を痛んだとか。
『ザ・ラストクイーン』はソプラノ歌手で、東京生まれの在日韓国人2世のソプラノ歌手田月仙さんが10年にわたり構想を続けてきた創作オペラ。このオペラをきっかけに、再び李方子さまの歩んだ道や功績への関心が高まっています。
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