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エリア:
- ヨーロッパ > ウクライナ > ヤルタ
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テーマ:
- 観光地
- / クルーズ
- / 歴史・文化・芸術
2010年5月、ウクライナという黒海が南に面する旧ソ連の国へ行ってまいりました。
ウクライナの人たちは、底抜けに明るい気質の持ち主だそうですが、ツアー中感じたのは、お客様に楽しんでもらおう、ウクライナを知ってもらいたい、という暖かなホスピタリティ精神でした。
そんなあったかな国ウクライナの中でも特に暖かく、リゾート地として人気なのがヤルタ。
「黒海の真珠」と呼ばれ、ロシア人が愛してやまない街です。
タイトル画像はヤルタの町を遠望したもの。黒海は太陽の光でやや青みがかった色合いでとても神秘的でした。ではそんな美しいヤルタをご紹介いたします。
ヤルタは昔から別荘地、保養地として特にロシア人が愛した街でした。歴史の皮肉で、ソ連時代にウクライナ領となり、そのままウクライナとして、ソ連崩壊と同時に独立してしまいましたが、今でもロシア人が多数派です(国籍はウクライナでも)ので、クリミア半島だけでの独立も考えたんだそうです。
いろいろありまして、今はクリミア自治共和国となっているのだそうです。

さて、写真の断崖絶壁に残るこの建物は、20世紀初頭にドイツ人のオイル王が自分の愛したジプシー娘のために造った別荘だったそうですが、ジプシー娘には振られてしまったという、ちょっと悲しい別荘です。なぜこんなところにあるかは、現地でガイドさんの話を聞いていただけると幸いです。
いま私が話してしまうと、ヤルタのガイドさんに申し訳がないですしね。
そしてヤルタといえば、日本人なら絶対誰もが一度は(多分)耳にしたことがあるはずです。
そう、あのヤルタ会談が行われたところです。

というわけで、その会談が行われたリバディア宮殿へ訪れました。写真は、スターリンさんとルーズベルトさんが日本侵攻に関する密約を行った場所です。ここから、かの北方領土問題がうまれたのか〜と感慨深い思いになりました。

そして、3巨頭のひとりチャーチルさんが宿泊していたアルプカ宮殿にはいまもチャーチルさんがお休みでした。
このライオン像は、チャーチルさん自ら「私にそっくり」と大変お気に入りだったそうです。
この宮殿はお金持ちの貴族の別荘として造られましたけど、イギリスとアラブの様式がミックスされた、異国情緒あふれ出る建築で、訪れた人を魅了していました。


しかも、温室があるのですが、大理石の彫刻と緑の美しいコントラストに誰もが足を止めてしまいました。
ちなみにオクにある女の子の全身像の彫刻はイタリアのかの有名な彫刻家ベルニーニの作です。
そして、ダイニング。広々としてなんともまぁ開放的。
ヤルタは太陽の光があふれ、人々も陽気で、ロシア貴族たちがココへ訪れる気持ちがよくわかりました。
ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世も、リバディア宮殿を造ったのですけど、退位した後、この宮殿で隠遁生活をおくりたいと考えていたようです。
秋から春にかけて、お召し列車とボートでヤルタへ訪れた皇帝一家は、激動の時代にこの暖かい地でひと時の安らぎを求めていたのかもしれません。リバディア宮殿には皇帝一家が残した多くの写真の一部が残っています。
残念ながら、1914年の春を最後に、皇帝一家はヤルタへ戻ることはなく、銃殺されてしまったのですが…。
保養地として、リゾート地として美しいヤルタは人気があります。
また、交易の港としても栄えていました。
タタール人といわれる、モンゴル系の人々やトルコ系の人々、ウクライナ人にロシア人、多くの人が行きかう街です。
遥か昔のギリシア神話でも、「アルゴー号」という船が漂流しているときにようやっと見つけた海岸線に感動し「ヤロース」、海岸線、と叫んだんだそうですが、それが名前の由来なんだそうです。
黒海の真珠ヤルタ、一度は訪れてみる価値があります。
ウクライナの人たちは、底抜けに明るい気質の持ち主だそうですが、ツアー中感じたのは、お客様に楽しんでもらおう、ウクライナを知ってもらいたい、という暖かなホスピタリティ精神でした。
そんなあったかな国ウクライナの中でも特に暖かく、リゾート地として人気なのがヤルタ。
「黒海の真珠」と呼ばれ、ロシア人が愛してやまない街です。
タイトル画像はヤルタの町を遠望したもの。黒海は太陽の光でやや青みがかった色合いでとても神秘的でした。ではそんな美しいヤルタをご紹介いたします。
ヤルタは昔から別荘地、保養地として特にロシア人が愛した街でした。歴史の皮肉で、ソ連時代にウクライナ領となり、そのままウクライナとして、ソ連崩壊と同時に独立してしまいましたが、今でもロシア人が多数派です(国籍はウクライナでも)ので、クリミア半島だけでの独立も考えたんだそうです。
いろいろありまして、今はクリミア自治共和国となっているのだそうです。

さて、写真の断崖絶壁に残るこの建物は、20世紀初頭にドイツ人のオイル王が自分の愛したジプシー娘のために造った別荘だったそうですが、ジプシー娘には振られてしまったという、ちょっと悲しい別荘です。なぜこんなところにあるかは、現地でガイドさんの話を聞いていただけると幸いです。
いま私が話してしまうと、ヤルタのガイドさんに申し訳がないですしね。
そしてヤルタといえば、日本人なら絶対誰もが一度は(多分)耳にしたことがあるはずです。
そう、あのヤルタ会談が行われたところです。

というわけで、その会談が行われたリバディア宮殿へ訪れました。写真は、スターリンさんとルーズベルトさんが日本侵攻に関する密約を行った場所です。ここから、かの北方領土問題がうまれたのか〜と感慨深い思いになりました。

そして、3巨頭のひとりチャーチルさんが宿泊していたアルプカ宮殿にはいまもチャーチルさんがお休みでした。
このライオン像は、チャーチルさん自ら「私にそっくり」と大変お気に入りだったそうです。
この宮殿はお金持ちの貴族の別荘として造られましたけど、イギリスとアラブの様式がミックスされた、異国情緒あふれ出る建築で、訪れた人を魅了していました。


しかも、温室があるのですが、大理石の彫刻と緑の美しいコントラストに誰もが足を止めてしまいました。
ちなみにオクにある女の子の全身像の彫刻はイタリアのかの有名な彫刻家ベルニーニの作です。
そして、ダイニング。広々としてなんともまぁ開放的。
ヤルタは太陽の光があふれ、人々も陽気で、ロシア貴族たちがココへ訪れる気持ちがよくわかりました。
ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世も、リバディア宮殿を造ったのですけど、退位した後、この宮殿で隠遁生活をおくりたいと考えていたようです。
秋から春にかけて、お召し列車とボートでヤルタへ訪れた皇帝一家は、激動の時代にこの暖かい地でひと時の安らぎを求めていたのかもしれません。リバディア宮殿には皇帝一家が残した多くの写真の一部が残っています。
残念ながら、1914年の春を最後に、皇帝一家はヤルタへ戻ることはなく、銃殺されてしまったのですが…。
保養地として、リゾート地として美しいヤルタは人気があります。
また、交易の港としても栄えていました。
タタール人といわれる、モンゴル系の人々やトルコ系の人々、ウクライナ人にロシア人、多くの人が行きかう街です。
遥か昔のギリシア神話でも、「アルゴー号」という船が漂流しているときにようやっと見つけた海岸線に感動し「ヤロース」、海岸線、と叫んだんだそうですが、それが名前の由来なんだそうです。
黒海の真珠ヤルタ、一度は訪れてみる価値があります。