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旅倶楽部「こま通信」

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これまで三千日以上を旅してきて、より良い旅の為に《手造の旅》をはじめました。メンバーからの要望によって、一生モノの旅をつくっていきます。

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エディルネの古いモスク

2012/09/28 11:55
エスキモスク内部
エリア:
  • 中近東 > トルコ
テーマ:
  • 街中・建物・景色
  • / 歴史・文化・芸術
トルコの西の端、オスマン・トルコ二番目の首都だったエディルネには、2011年世界遺産に認定された16世紀のセリミエモスクがある。いかにも美しく洗練されたスタイル。
セリミエモスク遠景
建築家シナンの像もある。
シナン像

ここでご紹介するのは、それより百年以上前の15世紀はじめに建設されたエスキ・モスク。外観を比べると洗練度ではまったくかなわない。
エスキモスク外観
しかし、内部は一見の価値がある。

入口にはこの時代のモスクに特徴的なアラビア文字のカリギュラフィー(いわば習字)。入口右手に「アッラー」、左手に「ムハンマド(マホメット)」
入口二つのカリギュラフィ

窓が少ないからライトがついていなければ大分暗い空間だろう。
エスキモスク内部
これらの文字装飾は同じ時期に描かれたのではなく、それぞれ別の機会に書き足されていったのだそうだ。書体も様々だ。
クーファー体のアラビア文字

一角にイマム(イスラム教の説教者・導師)の座る高い椅子があり、その上にアラビア文字のトルコ語で説明書きがある。
ハッジ・バイラン・ヴェリの説教台

これは、ムラート2世がアンカラより招聘した徳のあるイマム、ハッジ・バイラン・ヴェリが説教した台。彼に敬意を評してほかのイマムはここを使わない。彼にはこんなエピソードがある。
★1432年にある日、ムラート2世はなかなか陥落しないコンスタンティノープルについて、バイラン・ヴェリに問うた。
「コンスタンチィノープルはいつ落とせましょうか?」
バイラン・ヴェリは答えた。
「あなたにそれはできますまい。私もまた生きてそれを見ることはできはせぬ。それができるのは、この子じゃ。」
かたわらにはムラート2世の三男メフメットがいた。
「わしの弟子のアクシェムヒディンもまた、それを見ることになるだろう。」弟子はメフメットの教師に任命された。

メッカの方向を示すミヒラブと説教段ミンバルの間の壁に、黒い石がはめこんである。
カーバ神殿の石
これについてはこちらに書きました。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20120924

★このモスクの建設がはじまった時のスルタンはバヤズィット1世。モスクの名前は皇位継承者の長男スレイマンの名前にちなんで「スレイマニエ・モスク」と命名されていた。
しかし、1402年アンカラの戦いでバヤズィットがチムールに捕らえられ、サマルカンドに護送される途上で死去すると、四人の兄弟のあいだで皇位継承争いがはじまった。
モスクの建設は中断。1414年に完成させたのは次男のメフメット1世。コンスタンティノープルを陥落させたメフメット2世の祖父にあたる人物である。

モスクの名前は変えられ、今は単にエスキ(古い)ジャミー(モスク)とだけ呼ばれている。
エスキモスク=古いモスク
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