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- セゴビアの知られざる中世フレスコ画
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エリア:
- ヨーロッパ>スペイン>セゴビア
- テーマ:街中・建物・景色 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2015/04/27 19:28
- コメント(0)
教会のドアを開けると、後陣の部分がライトアップされて、中世のフレスコ画がうかびあがっていた。
1960年代に漆喰の下から見つかったので、すばらしくよく保存されている。
これはユダの裏切りのシーン、右にはアダムとイブを誘惑する蛇。
マドリッドから日帰りで行ける、ローマ時代からの水道橋とアルカサールが有名なセゴビア。
このサンフスト教会は予想外の収穫だった。
旧市街の外、水道橋の続く少し丘になったところにある住宅街に位置している。
鐘楼をみると、少なくとも五回は建築や改築を施されているのが分かる。
この聖堂は十二世紀ごろに建造されたとされているが、イスラム時代以前、ヴィシ・ゴート時代にも建造物があったのかもしれない場所だ。
入口のローズ文様は幾何学的で古くならない装飾美。
★天井部分の天使が掲げるメダルには犠牲を意味する子羊
アーモンド形の中に全能のキリスト。周囲には預言者たち?が楽器を奏でながら祝福している
ユダの口づけのシーン、ペテロがひとり兵士に抵抗してナイフで耳を切っている
すぐ横に位置している窓にはやってくるローマ兵士らしき人物。下にはキリストの墓と目を赤く泣きはらしたヨハネ?
逆にある植物の文様は「家系図」と説明されたが、「エッサイの木」という主題だろうか?
左右には磔刑のキリストが描かれているが、右の十字架降下は未完成のまま。そして、マリアの頭の上のところに「もう描けない」と書かれている
いったいどんな事情がこのフレスコ画職人をおそったというのだろう…。
今は白くなってしまった壁だが、もとはすべてフレスコ画で飾られていたと考えられている。疫病が流行った時代、衛生的にするという観点からすべてのフレスコ画は白い漆喰の下に塗り込められてしまっていた。
1960年代に発見されるまで、後陣の部分以外は雨漏りなどで消失した。と、番人の男性は話してくれた。
彼が指さしているのは、同じく12世紀ごろと思われるロマネスク彫刻
冠をかぶった女性はコンスタンチヌス帝の母ヘレナ。エルサレムでキリストの墓を発見したとされている。右は祝福する天使。左の司教冠をかぶっているのはマカリウスだろう。当時ヴェヌス神殿になっていた場所がキリストの墓だと発見した人物。
現在エルサレムの聖墳墓教会になっている。
ビザンチン的に無表情ながら力強く表現されている
★「ガスコーニュのキリスト」と呼ばれる木彫は、伝説によるとフランスはガスコーニュからロバに引かれてやってきたが、この地でロバが倒れたことからここが像の行きたかった場所だとして奉納されたという。
実際にフランスからもたらされたものだというのはそうだろうが、伝説は眉唾もの。肘をはじめ関節部分が蝶番になっていて、人形としてよくできている。祭りの時に磔刑にされたりして使われていたのかもしれない。
今は後年になって追加されたバロック式の礼拝堂に安置されている
そのクーポラ部分がこちら
塔の下部は、かつては礼拝堂であったと考えられている。
Capilla del Santo Sepulcroとの解説もあったから、ここに真の十字架かなにかの聖遺物が安置されていたのかもしれない。
現在も信徒檀家によって守られている。これはその信徒会のマーク
1960年代に漆喰の下から見つかったので、すばらしくよく保存されている。
これはユダの裏切りのシーン、右にはアダムとイブを誘惑する蛇。
マドリッドから日帰りで行ける、ローマ時代からの水道橋とアルカサールが有名なセゴビア。
このサンフスト教会は予想外の収穫だった。
旧市街の外、水道橋の続く少し丘になったところにある住宅街に位置している。
鐘楼をみると、少なくとも五回は建築や改築を施されているのが分かる。
この聖堂は十二世紀ごろに建造されたとされているが、イスラム時代以前、ヴィシ・ゴート時代にも建造物があったのかもしれない場所だ。
入口のローズ文様は幾何学的で古くならない装飾美。
★天井部分の天使が掲げるメダルには犠牲を意味する子羊
アーモンド形の中に全能のキリスト。周囲には預言者たち?が楽器を奏でながら祝福している
ユダの口づけのシーン、ペテロがひとり兵士に抵抗してナイフで耳を切っている
すぐ横に位置している窓にはやってくるローマ兵士らしき人物。下にはキリストの墓と目を赤く泣きはらしたヨハネ?
逆にある植物の文様は「家系図」と説明されたが、「エッサイの木」という主題だろうか?
左右には磔刑のキリストが描かれているが、右の十字架降下は未完成のまま。そして、マリアの頭の上のところに「もう描けない」と書かれている
いったいどんな事情がこのフレスコ画職人をおそったというのだろう…。
今は白くなってしまった壁だが、もとはすべてフレスコ画で飾られていたと考えられている。疫病が流行った時代、衛生的にするという観点からすべてのフレスコ画は白い漆喰の下に塗り込められてしまっていた。
1960年代に発見されるまで、後陣の部分以外は雨漏りなどで消失した。と、番人の男性は話してくれた。
彼が指さしているのは、同じく12世紀ごろと思われるロマネスク彫刻
冠をかぶった女性はコンスタンチヌス帝の母ヘレナ。エルサレムでキリストの墓を発見したとされている。右は祝福する天使。左の司教冠をかぶっているのはマカリウスだろう。当時ヴェヌス神殿になっていた場所がキリストの墓だと発見した人物。
現在エルサレムの聖墳墓教会になっている。
ビザンチン的に無表情ながら力強く表現されている
★「ガスコーニュのキリスト」と呼ばれる木彫は、伝説によるとフランスはガスコーニュからロバに引かれてやってきたが、この地でロバが倒れたことからここが像の行きたかった場所だとして奉納されたという。
実際にフランスからもたらされたものだというのはそうだろうが、伝説は眉唾もの。肘をはじめ関節部分が蝶番になっていて、人形としてよくできている。祭りの時に磔刑にされたりして使われていたのかもしれない。
今は後年になって追加されたバロック式の礼拝堂に安置されている
そのクーポラ部分がこちら
塔の下部は、かつては礼拝堂であったと考えられている。
Capilla del Santo Sepulcroとの解説もあったから、ここに真の十字架かなにかの聖遺物が安置されていたのかもしれない。
現在も信徒檀家によって守られている。これはその信徒会のマーク
- アヴィラのサンヴィセンテ教会
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エリア:
- ヨーロッパ>スペイン>アビラ
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2015/04/25 11:20
- コメント(0)
マドリッドから北西に一時間半、中世の城壁が見事に残るアヴィラ。
この町で必見のロマネスク教会はサン・ヴィセンテだろう。
城壁のすぐ外に位置している。その理由は、城壁のすぐ外で処刑が行われていたからだ。
西暦4世紀はじめ(ディオクレティアヌスが303年に出したキリスト教徒への迫害令の時と言われる)、聖ヴィセンテとサビーナとクリステタの二人の妹がここで殉教した。正確なその場所は教会の奥・アプスの南側部分の地下に今も残る岩場だったとされている。
最初の小さな礼拝堂、その後の最初の教会はアラブ時代を経て荒れ果てていた。
12世紀後半、アヴィラ生まれのペドロ・デ・バルコという聖者の遺体をまつる場所を決めるとき、聖者の遺体を引く目隠ししたロバが、この教会にたどり着いて死んだ。この事から現在見られる大規模な教会へ改修されたのだという伝説。
三角の破風は13世紀に形成された、建物で一番新しい部分。
南側には列柱のポータルがあるが、これは巡礼たちのための場所か。新しい時代に設置されたもののように見える。
南側の門。シンプルなロマネスクのアーチの下に数体の彫刻がある。
向かって左側に、対話するような受胎告知
向かって右側「ダビデ王と聖女サビーナ」と題されている二体。
左のダビデ王は、実はアラブ人の手からこの町を取り戻したアルフォンソ六世の姿をうつし、その隣にすっくと立つ女性は聖女の姿を借りて後継者となった娘・ウラカの姿を彫ったと言われている。
西側のファサード
フランス南部のロマネスク教会と同じ雰囲気を感じさせる。
内部、奥右手にある、これぞ必見のロマネスクの記念棺。
上部は15世紀の木製装飾天蓋だが、下の石の部分は12世紀の末(=日本の平安の終わりから鎌倉時代にかけて)に製作されたもの。
これだけ美しく彩色が残っているものは、そうは多くない。
側面の彫刻を四つの場面に区切って紹介いたします
★聖ビセンテの生涯、その1
左:ディオクレティアヌスの前に引き出されるヴィセンテ
中:ジュピターへの礼拝を拒否するヴィセンテ
右の兵士が彼を動かそうとがんばっている。左の兵士がヴィセンテの足元が石のように固くなっている?のを指さしている=意志の強さを表す?
右:二人の妹がヴィセンテを訪ねてくる
★聖ヴィセンテの生涯 その2
左の王に報告する兵士、馬に乗せられる聖ヴィセンテと妹ふたりが右方向へひかれてゆく
★聖ヴィセンテの生涯 その3
左:着衣を脱がされる三人、
中:処刑される三人
右:頭をつぶされる三人(この図で赤い服を着ているのがユダヤ人エゼキエル。ヴィセンテを告発した人物とされている)
★聖ヴィセンテの生涯 その4
左:三人の遺体から巨大な蛇が現れ、エゼキエルに絡みつく。
エゼキエルは回心して神に祈りをささげる。
※大蛇は城外に晒された三人の遺体を野獣から守っていた
右:エゼキエルは三人の墓をつくる
現代の我々が見てもそのまま分かりやすく、力強い表現の彫刻であります。
この町で必見のロマネスク教会はサン・ヴィセンテだろう。
城壁のすぐ外に位置している。その理由は、城壁のすぐ外で処刑が行われていたからだ。
西暦4世紀はじめ(ディオクレティアヌスが303年に出したキリスト教徒への迫害令の時と言われる)、聖ヴィセンテとサビーナとクリステタの二人の妹がここで殉教した。正確なその場所は教会の奥・アプスの南側部分の地下に今も残る岩場だったとされている。
最初の小さな礼拝堂、その後の最初の教会はアラブ時代を経て荒れ果てていた。
12世紀後半、アヴィラ生まれのペドロ・デ・バルコという聖者の遺体をまつる場所を決めるとき、聖者の遺体を引く目隠ししたロバが、この教会にたどり着いて死んだ。この事から現在見られる大規模な教会へ改修されたのだという伝説。
三角の破風は13世紀に形成された、建物で一番新しい部分。
南側には列柱のポータルがあるが、これは巡礼たちのための場所か。新しい時代に設置されたもののように見える。
南側の門。シンプルなロマネスクのアーチの下に数体の彫刻がある。
向かって左側に、対話するような受胎告知
向かって右側「ダビデ王と聖女サビーナ」と題されている二体。
左のダビデ王は、実はアラブ人の手からこの町を取り戻したアルフォンソ六世の姿をうつし、その隣にすっくと立つ女性は聖女の姿を借りて後継者となった娘・ウラカの姿を彫ったと言われている。
西側のファサード
フランス南部のロマネスク教会と同じ雰囲気を感じさせる。
内部、奥右手にある、これぞ必見のロマネスクの記念棺。
上部は15世紀の木製装飾天蓋だが、下の石の部分は12世紀の末(=日本の平安の終わりから鎌倉時代にかけて)に製作されたもの。
これだけ美しく彩色が残っているものは、そうは多くない。
側面の彫刻を四つの場面に区切って紹介いたします
★聖ビセンテの生涯、その1
左:ディオクレティアヌスの前に引き出されるヴィセンテ
中:ジュピターへの礼拝を拒否するヴィセンテ
右の兵士が彼を動かそうとがんばっている。左の兵士がヴィセンテの足元が石のように固くなっている?のを指さしている=意志の強さを表す?
右:二人の妹がヴィセンテを訪ねてくる
★聖ヴィセンテの生涯 その2
左の王に報告する兵士、馬に乗せられる聖ヴィセンテと妹ふたりが右方向へひかれてゆく
★聖ヴィセンテの生涯 その3
左:着衣を脱がされる三人、
中:処刑される三人
右:頭をつぶされる三人(この図で赤い服を着ているのがユダヤ人エゼキエル。ヴィセンテを告発した人物とされている)
★聖ヴィセンテの生涯 その4
左:三人の遺体から巨大な蛇が現れ、エゼキエルに絡みつく。
エゼキエルは回心して神に祈りをささげる。
※大蛇は城外に晒された三人の遺体を野獣から守っていた
右:エゼキエルは三人の墓をつくる
現代の我々が見てもそのまま分かりやすく、力強い表現の彫刻であります。
1 - 2件目まで(2件中)