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- サンマリノ〜ドマニャーノの宝
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エリア:
- ヨーロッパ>サンマリノ共和国
- テーマ:観光地 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2013/09/26 08:13
- コメント(0)
サンマリノのど真ん中にある市立博物館をガイド説明付きで訪問。いつも前を通るだけだったけれど、けっこうおもしろいモノがある。いくつかご紹介いたします。
★ドマニャーノの宝
サンマリノ内の城塞地区・ドマニャーノから発見された五世紀末から六世紀はじめの装飾品。
埋葬地から発見され、同じデザインの一揃いが美しい。
西ローマ帝国滅亡直後、当時ラヴェンナを首都としたゴート族の王テオドリクスの時代のもので、その配下の高位の女性のものと推察されている。
金、ガーネット、緑色のガラス、真珠貝を使い、「クロワゾンネ」と呼ばれる七宝焼きの一方法で制作されている。
とても美しいが、上の写真のひとかけら以外はレプリカだった。
説明によると他の品々は、ロンドンの大英博物館、NYCのメトロポリタンに所蔵されているとのこと。よし、今回は最後にロンドンを訪れるから、そこで是非見つけよう!
大英博物館は所蔵していても常時公開していないモノも多いので心配したが、以前もすぐ前を通っていた場所にしっかり展示されていた。
これらが、それ。



1892年に発見され、1933年「購入」したと表示。
ロンドンでも全体の復元図があったが
当然ながらサンマリノでの展示の方が、愛情が感じられた。
サンマリノに本物を展示し、ロンドンにレプリカを贈るという方法はいかがでありましょう?(笑)遺跡からの発掘物は、基本的にはその場所に置かれる方がはるかに価値を理解させてくれるものだから。
★神域への奉納像

崖が集まってできたようなサンマリノの山腹に泉の湧き出す場所があり、そこが女神の神域になっていた。そこを発掘調査した時に出土した女神の小像である。
参拝者が奉納した小像は、岩の上に鉛で固定されていたそうだ。もしかしたら、これと似た本物の像が神殿内にあったのかもしれない。
★紋章石版
サンマリノの正門にあたるフランチェスコ門
この裏側にはめこまれた二つの紋章
だが、本物はここにあった

左右は現在同じように設置されているが、実は全く違う時期に制作されていた。
左の鷲は16世紀頃のもの。モンテフェルトロ家のシンボルで、サンマリノがウルビーノ公を支持する事をあらわす。近くのリミニを支配したマラテスタ家へ対抗していたのである。
右の三つの山の上の羽はサンマリノの国章。意外に新しく19世紀になってから出来たものだという。その証拠にリベルタ=「自由」と書かれた文字はラテン語ではなくイタリア語。字体もゴシック調の新しいデザイン。イタリアが統一した19世紀になってはじめてサンマリノは自国が共和国として独立することを自覚し、その自由を体現する紋章を決めたようである。
★ドマニャーノの宝
サンマリノ内の城塞地区・ドマニャーノから発見された五世紀末から六世紀はじめの装飾品。
埋葬地から発見され、同じデザインの一揃いが美しい。西ローマ帝国滅亡直後、当時ラヴェンナを首都としたゴート族の王テオドリクスの時代のもので、その配下の高位の女性のものと推察されている。
金、ガーネット、緑色のガラス、真珠貝を使い、「クロワゾンネ」と呼ばれる七宝焼きの一方法で制作されている。
とても美しいが、上の写真のひとかけら以外はレプリカだった。説明によると他の品々は、ロンドンの大英博物館、NYCのメトロポリタンに所蔵されているとのこと。よし、今回は最後にロンドンを訪れるから、そこで是非見つけよう!
大英博物館は所蔵していても常時公開していないモノも多いので心配したが、以前もすぐ前を通っていた場所にしっかり展示されていた。
これらが、それ。



1892年に発見され、1933年「購入」したと表示。
ロンドンでも全体の復元図があったが
当然ながらサンマリノでの展示の方が、愛情が感じられた。サンマリノに本物を展示し、ロンドンにレプリカを贈るという方法はいかがでありましょう?(笑)遺跡からの発掘物は、基本的にはその場所に置かれる方がはるかに価値を理解させてくれるものだから。
★神域への奉納像

崖が集まってできたようなサンマリノの山腹に泉の湧き出す場所があり、そこが女神の神域になっていた。そこを発掘調査した時に出土した女神の小像である。
参拝者が奉納した小像は、岩の上に鉛で固定されていたそうだ。もしかしたら、これと似た本物の像が神殿内にあったのかもしれない。
★紋章石版
サンマリノの正門にあたるフランチェスコ門
この裏側にはめこまれた二つの紋章
だが、本物はここにあった

左右は現在同じように設置されているが、実は全く違う時期に制作されていた。
左の鷲は16世紀頃のもの。モンテフェルトロ家のシンボルで、サンマリノがウルビーノ公を支持する事をあらわす。近くのリミニを支配したマラテスタ家へ対抗していたのである。
右の三つの山の上の羽はサンマリノの国章。意外に新しく19世紀になってから出来たものだという。その証拠にリベルタ=「自由」と書かれた文字はラテン語ではなくイタリア語。字体もゴシック調の新しいデザイン。イタリアが統一した19世紀になってはじめてサンマリノは自国が共和国として独立することを自覚し、その自由を体現する紋章を決めたようである。
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