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- ローマにおけるルネッサンスの終焉
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ローマ
- テーマ:歴史・文化・芸術
- 投稿日:2010/11/23 13:08
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ラファエロが急死して残された未完成の仕事はいちばん弟子のジュリオ・ロマーノが受け継いだ。バチカンの「アテネの学堂」のとなりに位置するコンスタンチヌス帝の間も、生きていればラファエロが別物を描いていただろう場所だ。※写真下
コンスタンチヌス帝が空に現れた十字架を見上げ、「これにて勝て」という啓示をうけている。
ローマ郊外のミルヴィオ橋でマクセンティウスに勝利するコンスタンチヌス。
これら壁に描かれた絵ばかりを見てしまいがちだが、天井にちょっと注目すべき絵がある。キリスト磔刑図の前に粉々になったギリシャの神像が倒れている。
これだけはジュリオ・ロマーノではなく、1585年にトンマーゾ・ラウレティというパレルモ出身の画家によって描かれていた。
見ての通り「キリスト教の異教に対する勝利」を表しているのだが、制作された時代から考えると、これはある種「ローマにおけるルネッサンスの終焉」を象徴しているのだと感じた。
ラファエロは1510年ごろとなりの部屋で「アテネの学堂」を描いた。そこでは学問・芸術・音楽などを象徴してギリシャの神々が美しく描かれている。現在の我々の眼からはもちろん何も違和感ない。
しかし、16世紀はじめにローマを訪れた若きマルチン・ルターにとってはおおいに違った。『キリスト教会の中枢であるバチカン宮殿に堂々とギリシャの神が描かれているとはなんたる事だ!』と憤慨した。
それが後にプロテスタントという分派がうまれる動機のひとつになっていたのだとしたら・・・カソリック教会はやはりルネッサンスを考え直さなくてはならないだろう。
1545年〜63年まで、北イタリアのトレントで断続的にひらかれたカソリック教会の会議において、教会の規律はきびしく引き締められた。粉々になったギリシャ神はまさに、この時期に描かれたものだった。
ラファエロがとなりの部屋に華やかに描いたギリシャ神たちは、壁から削られなかっただけでも幸運だったと言わねばなるまい。
コンスタンチヌス帝が空に現れた十字架を見上げ、「これにて勝て」という啓示をうけている。
ローマ郊外のミルヴィオ橋でマクセンティウスに勝利するコンスタンチヌス。
これら壁に描かれた絵ばかりを見てしまいがちだが、天井にちょっと注目すべき絵がある。キリスト磔刑図の前に粉々になったギリシャの神像が倒れている。
これだけはジュリオ・ロマーノではなく、1585年にトンマーゾ・ラウレティというパレルモ出身の画家によって描かれていた。
見ての通り「キリスト教の異教に対する勝利」を表しているのだが、制作された時代から考えると、これはある種「ローマにおけるルネッサンスの終焉」を象徴しているのだと感じた。
ラファエロは1510年ごろとなりの部屋で「アテネの学堂」を描いた。そこでは学問・芸術・音楽などを象徴してギリシャの神々が美しく描かれている。現在の我々の眼からはもちろん何も違和感ない。
しかし、16世紀はじめにローマを訪れた若きマルチン・ルターにとってはおおいに違った。『キリスト教会の中枢であるバチカン宮殿に堂々とギリシャの神が描かれているとはなんたる事だ!』と憤慨した。
それが後にプロテスタントという分派がうまれる動機のひとつになっていたのだとしたら・・・カソリック教会はやはりルネッサンスを考え直さなくてはならないだろう。
1545年〜63年まで、北イタリアのトレントで断続的にひらかれたカソリック教会の会議において、教会の規律はきびしく引き締められた。粉々になったギリシャ神はまさに、この時期に描かれたものだった。
ラファエロがとなりの部屋に華やかに描いたギリシャ神たちは、壁から削られなかっただけでも幸運だったと言わねばなるまい。
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