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旅倶楽部「こま通信」

~旅するように生きていこう~

旅倶楽部「こま通信」
旅するように生きていこう!
プロフィール

ニックネーム:
こまつうしん
居住地:
埼玉県
性別:
男性
年代:
60代
会社名:
旅倶楽部 こま通信
会社英字名:
会社所在地:
埼玉県
業種:
旅行業
自己紹介:
旅倶楽部「こま通信」代表

これまで三千日以上を旅してきて、より良い旅の為に《手造の旅》をはじめました。メンバーからの要望によって、一生モノの旅をつくっていきます。

《手造の旅》のご希望がありましたらご連絡ください。
komatsusin2@gmail.com

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アストルフォとアンセルム
モデナの北、ノナントラ修道院跡
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア
テーマ:街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2014/10/22 17:47
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イタリア中北部、モデナの北10キロに位置するノナントラ。今は田舎町だが、中世前期には大きなベネディクト派修道院があった場所。

その中心だった聖シルヴェストロ教会が残されている。
ノナントラ、シルヴェストロの教会
シンプルなファサードは、1913年から1920年の間に12世紀頃の姿に戻された。
修復以前はこんな風だった。窓や扉がちがっているのがわかる。
修復前のシルヴェストロ教会ファサード
いちばん重要なのは、入口の大理石浅浮彫。
シルヴェストロ教会入口の浅浮彫
モデナ大聖堂と同じ名工ヴィリジェルモとその一門の技。

この修道院の起源がこの部分。ロンゴバルド王アストルフォが義理の兄弟であるアンセルモに修道院建造を許可している。左の王冠を被った人物がアストルフォ王、右の僧衣を来た人物がアンセルモ司教。シンプルな構図のなかでも人物をちゃんと描き分け、ヴィリジェルモ一門のものとすぐにわかる特徴的な目の表現をもっている。もともとは目のところに色石がはまっていたと考えられる。
アストルフォとアンセルム
その二つ上のシーンでは、ローマから聖シルヴェストロの遺体を貰い受けるように法皇にお願いしている図。
ローマ法皇におねがい
当時、教会が聖人の遺骨を所有することでたくさんの巡礼を呼び寄せることが出来た。聖シルヴェストロは伝説ではコンスタンチヌス帝に洗礼を施した人物だから、全キリスト教徒にとって重要なのだ。
※実際にはローマから盗まれてノナントラへきたとか?

地下のクリプトには今も聖人の遺骨が置かれていた。
シルヴェストロ教会クリプト
ここの地下聖堂はモデナ大聖堂の二倍の広さがある。かつてはそれだけの修道院だったのだ。

博物館にはシルヴェストロのシンプルな石棺がある。
聖シルヴェストロの棺
よく見ると、756年から1912年までここに納められていた、と書かれている。
聖シルヴェストロの棺に刻まれた記録
書かれたのは当然1912年だろうが、納められたのが756年なのか確証はない。そういうもの。
この年につくられた新たな祭壇がこれ。現在は2012年の地震の後公開されていないようす。
聖シルヴェストロの新しい棺

入場予約をしておいたからか、案内のおじさんが、「三分だけだよ」と言って、教会の内部まで案内してくれた。2012年の地震はかなりひどかったらしく、足場もまだまだそのまま。
聖シルヴェストロ教会内部2014年

後陣外側も20世紀初期にかつての姿に戻されている。
聖シルヴェストロ教会アプス修復後
かつて、まったく似合わない四角い鐘楼が載せられていたなんて。
シルヴェストロ教会アプス修復前
写真をよく見ると、壁の下の方によりかかるように家があったのが見える。この家によって、かつてロマネスク時代のクリプトの窓が隠されていた。
当時クリプトはほとんど埋め込まれていたので窓なんて関係なかったのだが、修復によってクリプトが復活させられて、外側も美しい12世紀の雰囲気がよみがえった。

たぶん、12世紀以前の教会にあったのだろう石の浮彫が一部はめこまれている。
聖シルヴェストロ教会アプスに残る浮彫

一時間ほどの滞在で、付属博物館は見切れなかったが、ここの目玉の一つが、カール大帝直筆とされるサインがある羊皮紙。
カール大帝のサイン入り書状
常時展示されているのは複製品だが、Kの文字が見えるモノグラムがそれ。

ノナントラ、二回目の訪問で少しその価値が理解できてきた。

ティジェッレ古い型の使い方
ティジェッレ、いただきます
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア
テーマ:グルメ 歴史・文化・芸術 
投稿日:2014/10/22 14:20
コメント(0)
イタリア中北部、モデナ大聖堂前。
青空の日曜日でにぎわう広場においしそうな出店が出ている。
ティジェッレ売り場
「ティジェッレ」という。この地方のおいしそうなハムを挟んで、ひとつ三ユーロ。
ティジェッレ、プロシュート

小松はラルドとパルメザンチーズにて。
ティジェッレ、ラルドとパルメザン
ラルドは豚の背中脂肪を塩漬け香草味付たもので、ただの脂肪とはちがっている。日本では敬遠されそうだが、味わいはこちらをお勧めします。

イタリア人のドライバーさんにティジェッレの話をしたら、「もともとは、食べ物そのものではなくて、それをつくる石の型の名前だったんだよ」と教えてくれた。翌日訪れたバルサミコ工場の一角に置いてあったのを教えてくれた。
ティジェッレの古い型
ああ、これで分かった。きのう食べた時紙ナプキンに書かれていた絵はこれだったんだ。
ティジェッレ古い型の使い方
現代では下の写真のような型でつくるようだが、もともとは焼いた石の間に小麦粉で練ったものを挟んで重ねて圧縮した、ということか。
ティジェッレの現代の型

このティジェッレ、同じようなものが町々にあって、違う名前で呼ばれていてるようだ。「ボローニャではクレシェンティーナというんだよ」との事だったが、これは形が月に似ているところからきているのかしらん。

小さな町にいろいろあるこういった、いわば「B級グルメ」も《手造の旅》小都市めぐりの楽しみです(^^)

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