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エリア:
- 近畿 > 京都
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テーマ:
- 鑑賞・観戦
- / 書籍・CD・DVD
- / 歴史・文化・芸術
表題の作品を読みました。
以下にその感想です。
『名探偵(あるいは入舟家)の一族』伊吹亜門
名探偵の血筋を持つ一族がいて、各時代でその一族の人物が事件を解決するというので読んでみたが、面白いもののツッコミどころも満載であった。しかし、それでも本作は今年のベストテンに食い込んで来るだろう。
まず、私はこの入舟家というのは公的な名探偵一族で、その一族の人が時代を揺るがす謎を解くのかと思っていたのだが、そうではなかった。大体その人たちが名探偵の一族だとは誰も知らないし、作中の入船家の人も(最後の入舟清乃以外は)自分たちがそんな一族だという自覚はないだろう。これでは題名そのものが物語全体を貫くキーワードとしての意味を持つのか? と、思いきや、最終話で繋がって来る。
ただし「大洋を震わす」では入船清四郎は名探偵でも何でもない。単に当事者であったから隠れた事実を知っていただけである。これではタイトルの「看板に偽りあり」になってしまう。
さらにこの一族の探偵としての行為に連続性がない。「この一族が謎を解く」というのが縦糸として前面に出てこないのである。やはり題名から連想するのは時代の節目節目で起きる事件に入船家の人たちが介入して、その結果、歴史は我々が学校の教科書で習うようなものになって来たというものである。伊吹亜門氏の過去の作品から期待してしまうのはそういう作品である。なので、第四話まで読んでこれは大したことないと思ってしまった。
ところが、最後で全体が繋がる仕掛けが出る。最終話で出て来る入船家の人、入舟清乃は残された記録から自分は名探偵の一族であることを知っている。そして謎を解いた後は次回長編の予告で終わるのだ。
つまり本書は入舟家一族の年代記ではなく、これからシリーズの名探偵として活躍する入舟清乃を紹介するための作品だったわけなのだ。そう、一冊全てを費やした長大なプロローグだったのである。普通の作家なら探偵の紹介として一頁ぐらいで片付けるものを伊吹氏は一冊丸ごと使ったわけだ。題名の『名探偵(あるいは入舟家)の一族』というのは入舟清乃が入船家の一族であることを指している。物語はこれから始まるのである。
http://sealedroom.blog.jp
以下にその感想です。
『名探偵(あるいは入舟家)の一族』伊吹亜門
名探偵の血筋を持つ一族がいて、各時代でその一族の人物が事件を解決するというので読んでみたが、面白いもののツッコミどころも満載であった。しかし、それでも本作は今年のベストテンに食い込んで来るだろう。
まず、私はこの入舟家というのは公的な名探偵一族で、その一族の人が時代を揺るがす謎を解くのかと思っていたのだが、そうではなかった。大体その人たちが名探偵の一族だとは誰も知らないし、作中の入船家の人も(最後の入舟清乃以外は)自分たちがそんな一族だという自覚はないだろう。これでは題名そのものが物語全体を貫くキーワードとしての意味を持つのか? と、思いきや、最終話で繋がって来る。
ただし「大洋を震わす」では入船清四郎は名探偵でも何でもない。単に当事者であったから隠れた事実を知っていただけである。これではタイトルの「看板に偽りあり」になってしまう。
さらにこの一族の探偵としての行為に連続性がない。「この一族が謎を解く」というのが縦糸として前面に出てこないのである。やはり題名から連想するのは時代の節目節目で起きる事件に入船家の人たちが介入して、その結果、歴史は我々が学校の教科書で習うようなものになって来たというものである。伊吹亜門氏の過去の作品から期待してしまうのはそういう作品である。なので、第四話まで読んでこれは大したことないと思ってしまった。
ところが、最後で全体が繋がる仕掛けが出る。最終話で出て来る入船家の人、入舟清乃は残された記録から自分は名探偵の一族であることを知っている。そして謎を解いた後は次回長編の予告で終わるのだ。
つまり本書は入舟家一族の年代記ではなく、これからシリーズの名探偵として活躍する入舟清乃を紹介するための作品だったわけなのだ。そう、一冊全てを費やした長大なプロローグだったのである。普通の作家なら探偵の紹介として一頁ぐらいで片付けるものを伊吹氏は一冊丸ごと使ったわけだ。題名の『名探偵(あるいは入舟家)の一族』というのは入舟清乃が入船家の一族であることを指している。物語はこれから始まるのである。
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