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- イタリア ローマ / 7月16日、ヴァチカン美術館内「システィーナ礼拝堂」の見学時間、変更情報
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ローマ
- ヨーロッパ>バチカン市国
- テーマ:観光地
- 投稿日:2010/06/16 14:30
2010年7月16日(金)、ヴァチカン博物館内の「システィーナ礼拝堂」は14:00でクローズとなります。
但し同博物館のその他の部分は、通常通り16:00までオープンの予定です。
以上、同日にご旅行をご予定の方はご注意ください。
但し同博物館のその他の部分は、通常通り16:00までオープンの予定です。
以上、同日にご旅行をご予定の方はご注意ください。

- ミャンマー / ヤンゴン〜バガン間に新列車登場!
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エリア:
- アジア>ミャンマー>ヤンゴン
- アジア>ミャンマー>バガン
- テーマ:鉄道・乗り物
- 投稿日:2010/06/16 13:27
2010年4月より、ヤンゴン〜バガン間を走る新列車が登場いたしました。
同列車のスケジュールは、以下の通りです。
ヤンゴン出発 16:00 → バガン到着 08:00 (翌日)
バガン出発 16:30 → ヤンゴン到着 08:30 (翌日)
ヤンゴンからは、ラパンデン→シュエダガー→アウンラン→セットゥアー→タウントィンジー→チャーパダウン→バガンの順に停車いたします。
車輌は寝台車、グリーン車、普通車の3種類です。
観光客向け仕様の寝台車とグリーン車はエアコンも付いており列車内は快適ですが、線路のメンテナンスが十分に行き届いていないため、列車は相当揺れます。
またミャンマーの鉄道は、予約確保が乗車の2日前になります。
以上、ご利用の際は十分ご注意ください。
情報提供: エーペックスインターナショナル株式会社
同列車のスケジュールは、以下の通りです。
ヤンゴン出発 16:00 → バガン到着 08:00 (翌日)
バガン出発 16:30 → ヤンゴン到着 08:30 (翌日)
ヤンゴンからは、ラパンデン→シュエダガー→アウンラン→セットゥアー→タウントィンジー→チャーパダウン→バガンの順に停車いたします。
車輌は寝台車、グリーン車、普通車の3種類です。
観光客向け仕様の寝台車とグリーン車はエアコンも付いており列車内は快適ですが、線路のメンテナンスが十分に行き届いていないため、列車は相当揺れます。
またミャンマーの鉄道は、予約確保が乗車の2日前になります。
以上、ご利用の際は十分ご注意ください。
情報提供: エーペックスインターナショナル株式会社

- クロアチア / 「クルカ川」の古い城塞ご紹介
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エリア:
- ヨーロッパ>クロアチア
- テーマ:観光地
- 投稿日:2010/06/16 12:04
クルカ川は、イリリア民族のリブルニ族とダルマティ族の境があった古代、最初のクロアチア国家の中枢が誕生した中世、ベネチア共和国、ハプスブルグ家、オスマン帝国がこの土地をかけて戦っていた近代初頭と、どの時代においても重要な役割がありました。
クルカ川岸地域には広い範囲にわたり、12世紀からクロアチアの偉大なシュビッチ家やスヴァチッチ系のネリピッチ家が建てた中世の城塞の跡が残っています。クルカ川は彼らの領地の境目でした。
川の右側はシュビッチ家に属していて、ベネチアは彼らと直接交渉を交わしていたということから、その力の程がうかがえます。ブリビル、オストロヴィツァ、チュチェヴォ(トゥロシェニュ)、ログ、ウズダホゥ-クラ、1304年に城塞(カストルム)から都市としてのステイタスを得るためにパヴァオ・シュビッチ総督が一役買ったスクラディンなどが、シュビッチ家所有の城塞でした。
シュビッチ家の全盛期はパヴァオが総督を務めていた時期で、その時代には自信の権力をクロアチア内陸部、ダルマチア、そしてボスニアまで広げました。
■ ブリビル
スクラディンから北西に14km行った場所にあります。この一帯の歴史は発見された発掘品から、青銅器時代後期、古代、中世、そして近代と途絶えることなく続いてきたことがわかっています。
シュビッチ統治時代に、聖イヴァン教会、シュビッチ総督や他の家族も眠る聖マリア教会が併設するフランシスコ会修道院が建てられました。中世のブリビルは、オストゥロヴィツァ城塞と共にクニン-ザダル間の交通路を監視していたため、戦略的に重要な意味を持っていました。
この建物は、考古学的に、あるいは歴史上の意味から国宝に指定されています。
■ オストゥロヴィツァ
12世紀に名前が登場するオストゥロヴィツァは、シュビッチ家が2世紀の間支配しますが、その後1347年にはクロアチア・ハンガリー王の手に渡り、16世紀にはオスマントルコが獲得します。
■ ウズダホゥ-クラ
この城塞は、シュビッチ家がスクラディンとその後背地を結ぶ道を監視するため、そして1512年までは彼らの領地を守る目的で建てられたものですが、その後はトルコの手に落ち、牢獄として使われていました。
■ ログ
「ロゴヴォ」の名前でも有名なこの城塞は、古いクロアチアの町 カミチャクの反対側、ログ滝の上にあったルペ村に存在した城塞の一つです。その存在を証明するものはほとんどなくなりましたが、マテオ・パガノによる16世紀の地図には、小さなヴィソヴァツ島から見て上流にある向かい合った二つの城塞の一つとしてきちんと載っています。
■ チュチェヴォ (トゥロシェニュ)
考古学調査は行われていませんが、その城塞が建てられた時期については信頼できる記録が残っています。現在城塞の跡で見えるのは、部分的に高い壁が残りよく保存されている丸い塔と住居の建物の跡です。建てられた位置は、クルカ渓谷のちょうど端にあたります。
反対側には、1649年に崩れた吊り橋で繋がっていたネリピッチ家のネチュヴェン要塞があります。この城塞では古い時代(原始時代、青銅器時代、ローマ時代)からの発掘品も見つかっています。
■ スクラディン (スカルドナ)
古代都市がクルカ川に興りますが、7世紀にはクロアチア人がスクラディンという名前の新しい集落として修復し、拡大しました。ブリビルと同じように、スクラディンもブリビルの統治者(シュビッチ家)と深い関係がありました。パヴァオ総
督や家族のお気に入りの滞在地でした。1322年の敗北の後、政治力や経済力を失いました。
クルカの左岸では13世紀に他の権力者ネリピッチ家(スヴァチッチの家系)が登場し、ミリェヴァツ高原(シュビッチ家の反対側)やチコラの右岸沿いに自分たちの城塞を築いて行きます。ネリピッチ家が有していたのは、クルカ川の城塞(ネチュヴェン、ボゴチン、カミチャク)とチコラ川右岸にあったクリュチツァとグラディナ(ドゥルニシュ)でした。
■ グラディナ (ドゥルニシュ)
中世に肥沃なカルスト平野の端に建てられ、城塞の下には中世の集落が形成されましたが、それはドゥルニシュがトルコの征服(1522年)前から整備された集落として存在していたことを証明しています。
この一帯の発掘品は、原始時代、鉄器時代初期、古代、中世初期などのものです。
■ クリュチツァ
あるいはクリュチ(鍵)と呼ばれる都市は、チコラ川の断崖絶壁に建てられました。
しっかりした城塞で囲まれた町で、そこからは辺り一帯が見渡せるため、ここに城塞を建設するということは戦略的や政治的に重要な意味を持っていたのです。
考古学的には十分な調査は行われていませんが、14世紀前半にネリピッチ家によって建てられたことはわかっています。16世紀初頭にはトルコ軍に奪われますが、1648年には追い払い、それから城塞はその役目を果たしていません。
これまで紹介した城塞の中で最も美しく、最も保存状態の良い城塞です。
■ カミチャク (ラミツァ)
ミリェヴツィ(ブリシュタネ)一帯のクルカ川岸に建っています。南側からしか行くことができず、残っているのは僅かです。
そこはクロアチア最後の王ペタル・スヴァチッチが生まれた場所として有名です。
■ ボゴチン (ヴィリン・グラドゥ)
城塞は深淵(ボガティッチ-プロミンスキ)の上にぽつんと立つ岩に建てられました。その戦略的な重要性は、ツァリグラドゥ入り江と地元ではヴィリン・モストと呼ばれていた橋を監視することにありました。そこまで辿り着くには北東の道が一つあるだけで、吊り橋からしか入ることができません。
この城塞についての記録はごく僅かですが、パガノの地図(16世紀)に載っています。近くには古い墓地が残っています。城塞まで続いているその道の始めには、たくさんの石で造られた基盤に大きな十字架が立っています。
考古学調査はまだ行われていません。
■ ネチュヴェン
オクラユ村から5km程の場所にあるこの都市の歴史は非常に複雑なものです。
建設したのはネリピッチ家ですが、その後所有者が何回か変わり、1522年には1688年まで所有されることになるトルコの手に落ちます。トルコが去った後
ネチュヴェンは見放され、崩壊しました。
「ウスコツィ」のリーダーであったスティイエパン・ソリッチは、1647年にネチュヴェンをシュビッチ・トロシェニュが建つ反対岸と繋いでいたクルカ川の橋を破壊しました。
※詳細はこちら
シベニク-クニン州観光局
URL http://www.sibenikregion.com/ (クロアチア語、英語)
スクラディン市
URL http://www.skradin.hr/ (クロアチア語、英語他)
ドゥルニシュ市
URL http://www.drnis.hr/ (クロアチア語)


クルカ川岸地域には広い範囲にわたり、12世紀からクロアチアの偉大なシュビッチ家やスヴァチッチ系のネリピッチ家が建てた中世の城塞の跡が残っています。クルカ川は彼らの領地の境目でした。
川の右側はシュビッチ家に属していて、ベネチアは彼らと直接交渉を交わしていたということから、その力の程がうかがえます。ブリビル、オストロヴィツァ、チュチェヴォ(トゥロシェニュ)、ログ、ウズダホゥ-クラ、1304年に城塞(カストルム)から都市としてのステイタスを得るためにパヴァオ・シュビッチ総督が一役買ったスクラディンなどが、シュビッチ家所有の城塞でした。
シュビッチ家の全盛期はパヴァオが総督を務めていた時期で、その時代には自信の権力をクロアチア内陸部、ダルマチア、そしてボスニアまで広げました。
■ ブリビル
スクラディンから北西に14km行った場所にあります。この一帯の歴史は発見された発掘品から、青銅器時代後期、古代、中世、そして近代と途絶えることなく続いてきたことがわかっています。
シュビッチ統治時代に、聖イヴァン教会、シュビッチ総督や他の家族も眠る聖マリア教会が併設するフランシスコ会修道院が建てられました。中世のブリビルは、オストゥロヴィツァ城塞と共にクニン-ザダル間の交通路を監視していたため、戦略的に重要な意味を持っていました。
この建物は、考古学的に、あるいは歴史上の意味から国宝に指定されています。
■ オストゥロヴィツァ
12世紀に名前が登場するオストゥロヴィツァは、シュビッチ家が2世紀の間支配しますが、その後1347年にはクロアチア・ハンガリー王の手に渡り、16世紀にはオスマントルコが獲得します。
■ ウズダホゥ-クラ
この城塞は、シュビッチ家がスクラディンとその後背地を結ぶ道を監視するため、そして1512年までは彼らの領地を守る目的で建てられたものですが、その後はトルコの手に落ち、牢獄として使われていました。
■ ログ
「ロゴヴォ」の名前でも有名なこの城塞は、古いクロアチアの町 カミチャクの反対側、ログ滝の上にあったルペ村に存在した城塞の一つです。その存在を証明するものはほとんどなくなりましたが、マテオ・パガノによる16世紀の地図には、小さなヴィソヴァツ島から見て上流にある向かい合った二つの城塞の一つとしてきちんと載っています。
■ チュチェヴォ (トゥロシェニュ)
考古学調査は行われていませんが、その城塞が建てられた時期については信頼できる記録が残っています。現在城塞の跡で見えるのは、部分的に高い壁が残りよく保存されている丸い塔と住居の建物の跡です。建てられた位置は、クルカ渓谷のちょうど端にあたります。
反対側には、1649年に崩れた吊り橋で繋がっていたネリピッチ家のネチュヴェン要塞があります。この城塞では古い時代(原始時代、青銅器時代、ローマ時代)からの発掘品も見つかっています。
■ スクラディン (スカルドナ)
古代都市がクルカ川に興りますが、7世紀にはクロアチア人がスクラディンという名前の新しい集落として修復し、拡大しました。ブリビルと同じように、スクラディンもブリビルの統治者(シュビッチ家)と深い関係がありました。パヴァオ総
督や家族のお気に入りの滞在地でした。1322年の敗北の後、政治力や経済力を失いました。
クルカの左岸では13世紀に他の権力者ネリピッチ家(スヴァチッチの家系)が登場し、ミリェヴァツ高原(シュビッチ家の反対側)やチコラの右岸沿いに自分たちの城塞を築いて行きます。ネリピッチ家が有していたのは、クルカ川の城塞(ネチュヴェン、ボゴチン、カミチャク)とチコラ川右岸にあったクリュチツァとグラディナ(ドゥルニシュ)でした。
■ グラディナ (ドゥルニシュ)
中世に肥沃なカルスト平野の端に建てられ、城塞の下には中世の集落が形成されましたが、それはドゥルニシュがトルコの征服(1522年)前から整備された集落として存在していたことを証明しています。
この一帯の発掘品は、原始時代、鉄器時代初期、古代、中世初期などのものです。
■ クリュチツァ
あるいはクリュチ(鍵)と呼ばれる都市は、チコラ川の断崖絶壁に建てられました。
しっかりした城塞で囲まれた町で、そこからは辺り一帯が見渡せるため、ここに城塞を建設するということは戦略的や政治的に重要な意味を持っていたのです。
考古学的には十分な調査は行われていませんが、14世紀前半にネリピッチ家によって建てられたことはわかっています。16世紀初頭にはトルコ軍に奪われますが、1648年には追い払い、それから城塞はその役目を果たしていません。
これまで紹介した城塞の中で最も美しく、最も保存状態の良い城塞です。
■ カミチャク (ラミツァ)
ミリェヴツィ(ブリシュタネ)一帯のクルカ川岸に建っています。南側からしか行くことができず、残っているのは僅かです。
そこはクロアチア最後の王ペタル・スヴァチッチが生まれた場所として有名です。
■ ボゴチン (ヴィリン・グラドゥ)
城塞は深淵(ボガティッチ-プロミンスキ)の上にぽつんと立つ岩に建てられました。その戦略的な重要性は、ツァリグラドゥ入り江と地元ではヴィリン・モストと呼ばれていた橋を監視することにありました。そこまで辿り着くには北東の道が一つあるだけで、吊り橋からしか入ることができません。
この城塞についての記録はごく僅かですが、パガノの地図(16世紀)に載っています。近くには古い墓地が残っています。城塞まで続いているその道の始めには、たくさんの石で造られた基盤に大きな十字架が立っています。
考古学調査はまだ行われていません。
■ ネチュヴェン
オクラユ村から5km程の場所にあるこの都市の歴史は非常に複雑なものです。
建設したのはネリピッチ家ですが、その後所有者が何回か変わり、1522年には1688年まで所有されることになるトルコの手に落ちます。トルコが去った後
ネチュヴェンは見放され、崩壊しました。
「ウスコツィ」のリーダーであったスティイエパン・ソリッチは、1647年にネチュヴェンをシュビッチ・トロシェニュが建つ反対岸と繋いでいたクルカ川の橋を破壊しました。
※詳細はこちら
シベニク-クニン州観光局
URL http://www.sibenikregion.com/ (クロアチア語、英語)
スクラディン市
URL http://www.skradin.hr/ (クロアチア語、英語他)
ドゥルニシュ市
URL http://www.drnis.hr/ (クロアチア語)



- ドイツ / SLに乗って「モーリッツブルク宮殿」へ 〜ドレスデンから足をのばして
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エリア:
- ヨーロッパ>ドイツ>ドレスデン
- テーマ:街中・建物・景色 鉄道・乗り物
- 投稿日:2010/06/16 11:14
今年はドイツで鉄道が開通して175年です。この記念の年、ドイツ旅行に鉄道の要素を加えてみませんか。
例えば、ドレスデンの隣町のラーデボイル(Radebeul)から蒸気機関車に乗って「モーリッツブルク城」を訪ねてみるのはいかがでしょうか。
ラーデボイルはエルベ河畔に位置し、ヴィラの多いブドウ畑の広がる町です。このラーデボイル・オスト駅からラーデブルク(Radeburg)までの景観保養地域の中の16.5kmを、120年前から蒸気機関車が約50分で結んでいます。1日7本、通年の運行です。
SLの走行区間のちょうど中間点となるモーリッツブルク(Moritzburg)には、16世紀にザクセン公モーリッツが狩の城として建てたルネッサンス様式の優雅な宮殿「モーリッツブルク宮殿」があります。18世紀に入ってから、ザクセン王国のアウグスト強王がバロック様式に改築しました。
湖に面して建つ姿が大変美しいお城です。城の内部は見学でき、素晴らしい家具や磁器のコレクションを見ることができます。ドレスデンからの日帰り旅行におすすめです。
※モーリッツブルク城へのSLについてはこちら(英語)
URL http://news.germany.travel/ff/ch.php?cmd=go1212243511&vas=31437894
(PDFファイルが開きます)
情報提供:ドイツ観光局
例えば、ドレスデンの隣町のラーデボイル(Radebeul)から蒸気機関車に乗って「モーリッツブルク城」を訪ねてみるのはいかがでしょうか。
ラーデボイルはエルベ河畔に位置し、ヴィラの多いブドウ畑の広がる町です。このラーデボイル・オスト駅からラーデブルク(Radeburg)までの景観保養地域の中の16.5kmを、120年前から蒸気機関車が約50分で結んでいます。1日7本、通年の運行です。
SLの走行区間のちょうど中間点となるモーリッツブルク(Moritzburg)には、16世紀にザクセン公モーリッツが狩の城として建てたルネッサンス様式の優雅な宮殿「モーリッツブルク宮殿」があります。18世紀に入ってから、ザクセン王国のアウグスト強王がバロック様式に改築しました。
湖に面して建つ姿が大変美しいお城です。城の内部は見学でき、素晴らしい家具や磁器のコレクションを見ることができます。ドレスデンからの日帰り旅行におすすめです。
※モーリッツブルク城へのSLについてはこちら(英語)
URL http://news.germany.travel/ff/ch.php?cmd=go1212243511&vas=31437894
(PDFファイルが開きます)
情報提供:ドイツ観光局

- タヒチ / 「ストライキ」は終了いたしました
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エリア:
- 南太平洋>タヒチ
- テーマ:鉄道・乗り物 その他
- 投稿日:2010/06/16 10:03
タヒチ時間 2010年6月10日(日本時間 6月11日)より実施されております「ゼネラルストライキ」は、現地時間 6月15日 早朝、政府と組合との交渉で合意がなされた事を受け、終了いたしました。
現地 6月15日発のパペーテ発成田行 TN078便も無事に出発いたしました。
6月17日(木)には、現地発フライトは通常のスケジュールに戻るものとみられています。
これに伴い、今週末の成田発着便も予定通り運航される予定です。
どうぞ安心してお越しください。
現地 6月15日発のパペーテ発成田行 TN078便も無事に出発いたしました。
6月17日(木)には、現地発フライトは通常のスケジュールに戻るものとみられています。
これに伴い、今週末の成田発着便も予定通り運航される予定です。
どうぞ安心してお越しください。
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