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ユーラシアの旅ブログinトラベルコちゃん

~世界130ヶ国を舞台に活躍するユーラシア旅行社添乗員の生の声をブログでお届け! ※毎週火曜・木曜更新!各記事は当社サイト内の7つのブログから転載しております。~

株式会社ユーラシア旅行社
ユーラシア旅行社は世界130ヶ国を舞台に、遺跡、自然、伝統文化、芸術などさまざまなテーマで、お客様の知的好奇心を満たす旅を提案しています。
プロフィール

ニックネーム:
ユーラシア旅行社
居住地:
東京都
会社名:
株式会社ユーラシア旅行社
会社英字名:
Eurasia Travel Co.,Ltd,
会社所在地:
東京都
会社電話番号:
03-3265-1691
業種:
旅行業
自己紹介:
世界130ヶ国を舞台にテーマ性の深いツアーに添乗するユーラシア旅行社の添乗員のブログから抜粋した記事を毎週火曜・木曜更新!

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南極クルーズ
南極便り
エリア:
  • 北極・南極>南極>南極その他の都市
テーマ:クルーズ 自然・植物 
投稿日:2011/02/07 11:17
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1月8日からスター・プリンセス号で南極へ添乗に出ていた添乗員さんが帰国しました。

添乗員さんからのレポートが届きました。

「南極クルーズにおいて、様々な風景を楽しみました。」
おお、一帯どんな景色を楽しんできたのでしょうか。

「南極のキングジョージ島のジェンツーペンギンやアゴヒゲペンギン、マゼランペンギンの混載するルッカリー(営巣地)を眺めたり、あちらこちらで潮を吹き海面に姿をあわすザトウクジラやミンククジラを見ることが出来ました」
南極クルーズ

ペンギンとクジラ!いいですね〜。特にクジラは大型客船の周りを面白がって見学しに北のかもしれないくらいですね。

「午後になると、「氷山街道」の異名をとるアンタークティック・サウンドを航行しました。様々な卓上の氷山が次々と現れる様子を、お客様はデッキや暖かいラウンジ、バルコニー付のお部屋で楽しんだようです。」

「そうした氷山や氷にちゃっかり乗っかっているペンギンを多く、その愛らしさにシャッターを切るのを忘れてしまいました。残念」

南極クルーズ2

お客様もしっかりお楽しみ頂いていたようで一安心です。

「そんな中、船内ではジャクジーやフィットネスを楽しむ人も多かったです。何しろ景色が南極ですから、半端ではありません。気合も入るってものなのでしょう。ちなみに世界一の荒くれ海、ドレイク海峡の揺れは、大型客船ゆえか、さほど激しくはありませんでした」

船内アトラクションを楽しみつつ、外の壮大な世界を間近で見てきたなんて!なんて贅沢な船旅だったでしょう!



というわけでやはり、最後の締めは、プリンセスクルーズ名物シャンパンタワーです。


シャンパンタワー
<

沿岸から見たスプリット
煌きのアドリア海、宮殿が街になったスプリット
エリア:
  • ヨーロッパ>クロアチア>スプリット
テーマ:観光地 クルーズ 歴史・文化・芸術 
投稿日:2011/01/27 22:03
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アドリア海沿岸に輝く、クロアチアには古代から住み心地が良かったようです。

なぜかというと、美しい旧市街が多く残っているからです。

そんないくつもある都市で、女王のや真珠との異名を取るのはドブロブニクですが、今日は古代ローマ皇帝が別荘を建てて引退後の余生を過ごした古都スプリットをご案内します。


スプリットは、海に面した街です。背後に山が迫る街で、背後から敵に侵入されにくいらしいです。というと、なんとなく源頼朝のひらいた鎌倉幕府が鎌倉を選んだ理由のようにも聞かれますが…。

スプリットはそもそも、ローマ皇帝を退位して余生にのんびり?過ごそうと思って建てられた別荘が街の始まりです。


宮殿は岸辺に作られ、船から皇帝に届けられた数々の物資が、そのまま宮殿に運び込まれていた模様です。

「模様です」というのはですね、宮殿の全てが残っているわけではないからです。
ディオクレティアヌス帝という方は、キリスト教を弾圧した方ではありますが、混乱期のローマ帝国(A.D.3世紀)で国はがたがたでした。広大すぎる領土を何とか治めるため、皇帝を正帝と副帝二人ずつの制度をつくり、ローマ帝国の寿命を伸ばしたといわれています。

彼が有能な皇帝であったことは間違いなく、その証拠がこのスプリットなのです。
彼が生きた時代のローマ帝国はいわゆる「パックスロマーナ(ローマの平和)」が終わり、軍人皇帝時代と称された頃です。

軍人なんて聞きますと強い皇帝のイメージがありますが、これは兵士に支持されて帝位についた皇帝ということです。あっちの軍団で祭り上げられた皇帝やらこっちの皇帝に祭り上げられた皇帝やらで、大げさに言いますとローマ帝国は皇帝だらけ。
50年間に26人の皇帝がいました。
ひょっとしたらもっといたかもしれません。在位平均2年。ほぼ全員暗殺されているそうです。

ローマは「パンとサーカス」で有名なように、民衆の支持を得られてこそ「帝位」を保てるのでした。軍人皇帝時代は、簡単に言ってしまいますと、それがものすごく顕著に進んでしまった事態だったといえなくもありません。

こんなローマの状態をだれもが「当たり前」と受け入れていた頃、この悪循環を破壊したのがディオクレティアヌス帝でした。当時30代後半の男盛り?でした。

皇帝の地位を高め、議員が皇帝の前で寛ぐことを認めず、皇帝の下に国を一つにまとめようと試みたのです。
残念なことに、そのために皇帝を礼賛しないキリスト教徒を認めなかったのですね。

ローマを一時的だったにせよ立て直したディオクレティアヌスは、突然退位し、自分の生まれ故郷の近くの田舎に別荘を作ったのです。それがこのスプリットでした。

彼の死後、数世紀たち、近郊の町が敵に侵略されたということで町の人がスプリットへ逃げ込み、宮殿跡にそのまま街を作ってしまいました。
立派な宮殿でしたので資源再利用ですね。

中世には教会が立てられ、時にはバルカン半島の東からイスラム教徒がやってきて、時には近隣の王国の支配下に入り、時にはヴェネチアの支配下に入り、等々時代と共に支配者が変わり、そのたびに流行が変わり、様々な建築スタイルが受け入れられたのです。

いまスプリットの街を歩いていると、ディオクレティアヌス帝が姿を現したであろうテラスにはカフェが並び、よく見ると大聖堂と呼ぶには小さなカテドラルがあります。

ディオクレティアヌス帝宮殿跡

中世には宮殿の壁が城壁になったのがよくわかります。

様々な建築様式も楽しいですが、A.D.3世紀から現代までのときが全て凝縮しているこの中を歩くこと、そしてお買い物をすることがとても楽しいのです。

でも疲れたら、そこいらのカフェで一杯というのもいいですが、春から初夏に行くなら、ジェラートがお勧めです。

スプリットの街並みとジェラート

私のお気に入りはピスタチオとレモンです。
もちろんダブルも大丈夫です。

ドブロブニク 
アドリア海の女王、ドブロブニク
エリア:
  • ヨーロッパ>クロアチア>ドブロブニク
テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2011/01/15 13:59
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近年、ヨーロッパで人気の出てきたクロアチアツアー。

クロアチアでは美しい歴史ある街や食材、その歴史と文化に出会えます。

そんなクロアチアでヨーロッパ人観光客の中ではヨーロッパでもっとも美しい絶対にお勧めしたい街、ナンバー1がドブロブニクです。

ドブロブニクは中継貿易として栄え、発展し、共和国としての平和で豊かな国家を謳歌していました。同じくアドリア海の女王といわれたヴェネツィアと勢力を二分した15-18世紀、ドブロブニク都市国家は最盛期だったと思います。

又、白地に黒ぶちのダルメシアン犬の原産地といわれるダルマチア地方は昔からブラックワインと称される濃い赤ワインの産地としても有名です。フルーティーなワインは魚介類との愛称もよく、アドリア海から降り注ぐ太陽を沢山浴びて成長したワインは、飲みやすくて日本人にも好評です。

アドリア海を走ると、オレンジ色のかわいらしい屋根が連なっているのも見えてきました。宮崎駿アニメの「魔女の宅急便」の舞台といわれているクロアチアの町並みのでも世界遺産に登録されているドブロブニクは、内戦で65パーセントが壊されたといいます。

内戦終了後、市民の協力によりほぼ完全に修復されたという誇り高き世界遺産です。城壁の上からは、ユネスコが寄付した屋根瓦と、昔からの屋根瓦との色の違いが良くわかります。 内戦の傷跡を残しながら、美しい自然美とおいしいワインのクロアチア魅力たっぷりのクロアチアにきっと皆様も魅せられてしまうでしょう。


ドブロブニク旧市街

ヒマラヤの山々
ヒマラヤの間近に迫る〜ネパール〜
エリア:
  • アジア>ネパール>ポカラ
テーマ:観光地 ハイキング・登山 自然・植物 
投稿日:2011/01/05 21:05
コメント(0)
ネパールと聞いて何をイメージされますか。
「ヒマラヤの山々」と答える方が多いのではないかと思います。それもそのはず。世界には8000m級の山が14座ありますが、そのうちの、なんと8座がネパールにあり、まさにヒマラヤの国と言えるのです。
ヒマラヤといえば、今はやりの山ガールというわけではございませんが、登山を楽しむイメージが強いです。しかしながら実は山々をうんと近くで見ることが出来る遊覧飛行にトライしてきました。

遊覧飛行では、ホテルのお庭から、ハイキングで歩いている最中、下から見上げていたヒマラヤの山並みを目の高さ、もしくは眼下に臨む事が出来、スケールの大きな山並をたっぷりと楽しむことが出来ました。

アンナプルナの遊覧飛行は、ヒマラヤの懐の街ポカラから早朝に出発します。
薄暗い曇り空のため、天候が整うまでの間、空港にてしばし待機。この待ち時間の間、雲が晴れて山が見えるかどうか期待と不安で胸が高まりました。
いよいよ飛行機に乗り込み、いざ出発。プロペラは大きな音を立てて回り始め、その振動が体中に伝わると同時に高鳴る胸の鼓動が耳に聞こえるような気がしました。
飛行機が滑走路から飛び立ちポカラの大空へ!

ネパール遊覧飛行


----幾つかの雲を越えると、そこにはスカイブルーの空が広がっていました。ポカラの街が小さくなるにつれ、朝日に赤く照らされて輝くヒマラヤ山脈の頂が、どんどんと近付いてきます。
窓の外をのぞくと目の高さに、ダウラギリ(8167m)が。サンスクリット語で白い山という意味だそうですが、その名にふさわしい姿でした。
飛行機の窓には次々と白き山々の頂きが現れます。アンナプルナ?(8091m)や、魚の尻尾のような形をしているマチャプチャレ(6997m)、日本人によって初登頂されたマナスル(8156m)などの峰々を眼下に、そして間近に見ながら飛行機は進みます。
遊覧飛行の間、今回は順番に前方の窓を覗かせてもらうことが出来ました。フロントガラスからの視界は横の窓からとはまた違う光景が目の前に広がります。青い空と白い雪を湛えたヒマラヤの鮮やかなコントラスト。どこまでも続くその様は、確かに神々が座するといわれてもおかしくはありません。

約40分のフライトはあっという間に過ぎていき、我々はポカラへと降りていきました。後ろを振り返って見上げるとそこにあるヒマラヤの山々。ついさっきまであの近くを飛んでいたのに、いまやあんなに遠くに美しい姿で静かに座しているのが不思議で、そして離れるのが名残惜しい気持ちになりました。
お天気や場所、時間によって様々な表情を見せるヒマラヤ。何度見ても見飽きることのない壮大な光景は、フレームに収めるには大きすぎてしまうのです。神々の座す山はこの地に、世界中の人々を惹き付けてやまないかぐわしい花のようです。
神々の座する国ネパール。2月が近づくとネパールへ行きたくなります。
アンナプルナのハイキングコース

ヤルタ遠望
黒海の真珠ヤルタの魅力
エリア:
  • ヨーロッパ>ウクライナ>ヤルタ
テーマ:観光地 クルーズ 歴史・文化・芸術 
投稿日:2010/12/24 16:38
コメント(0)
2010年5月、ウクライナという黒海が南に面する旧ソ連の国へ行ってまいりました。

ウクライナの人たちは、底抜けに明るい気質の持ち主だそうですが、ツアー中感じたのは、お客様に楽しんでもらおう、ウクライナを知ってもらいたい、という暖かなホスピタリティ精神でした。

そんなあったかな国ウクライナの中でも特に暖かく、リゾート地として人気なのがヤルタ。
「黒海の真珠」と呼ばれ、ロシア人が愛してやまない街です。
タイトル画像はヤルタの町を遠望したもの。黒海は太陽の光でやや青みがかった色合いでとても神秘的でした。ではそんな美しいヤルタをご紹介いたします。

ヤルタは昔から別荘地、保養地として特にロシア人が愛した街でした。歴史の皮肉で、ソ連時代にウクライナ領となり、そのままウクライナとして、ソ連崩壊と同時に独立してしまいましたが、今でもロシア人が多数派です(国籍はウクライナでも)ので、クリミア半島だけでの独立も考えたんだそうです。

いろいろありまして、今はクリミア自治共和国となっているのだそうです。


ツバメの巣

さて、写真の断崖絶壁に残るこの建物は、20世紀初頭にドイツ人のオイル王が自分の愛したジプシー娘のために造った別荘だったそうですが、ジプシー娘には振られてしまったという、ちょっと悲しい別荘です。なぜこんなところにあるかは、現地でガイドさんの話を聞いていただけると幸いです。

いま私が話してしまうと、ヤルタのガイドさんに申し訳がないですしね。


そしてヤルタといえば、日本人なら絶対誰もが一度は(多分)耳にしたことがあるはずです。
そう、あのヤルタ会談が行われたところです。

ヤルタ会談で有名なリバディア宮殿


というわけで、その会談が行われたリバディア宮殿へ訪れました。写真は、スターリンさんとルーズベルトさんが日本侵攻に関する密約を行った場所です。ここから、かの北方領土問題がうまれたのか〜と感慨深い思いになりました。

アルプカ宮殿の庭


そして、3巨頭のひとりチャーチルさんが宿泊していたアルプカ宮殿にはいまもチャーチルさんがお休みでした。
このライオン像は、チャーチルさん自ら「私にそっくり」と大変お気に入りだったそうです。

この宮殿はお金持ちの貴族の別荘として造られましたけど、イギリスとアラブの様式がミックスされた、異国情緒あふれ出る建築で、訪れた人を魅了していました。

アルプカ宮殿の温室
アルプカ宮殿のダイニング

しかも、温室があるのですが、大理石の彫刻と緑の美しいコントラストに誰もが足を止めてしまいました。
ちなみにオクにある女の子の全身像の彫刻はイタリアのかの有名な彫刻家ベルニーニの作です。
そして、ダイニング。広々としてなんともまぁ開放的。

ヤルタは太陽の光があふれ、人々も陽気で、ロシア貴族たちがココへ訪れる気持ちがよくわかりました。


ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世も、リバディア宮殿を造ったのですけど、退位した後、この宮殿で隠遁生活をおくりたいと考えていたようです。

秋から春にかけて、お召し列車とボートでヤルタへ訪れた皇帝一家は、激動の時代にこの暖かい地でひと時の安らぎを求めていたのかもしれません。リバディア宮殿には皇帝一家が残した多くの写真の一部が残っています。

残念ながら、1914年の春を最後に、皇帝一家はヤルタへ戻ることはなく、銃殺されてしまったのですが…。

保養地として、リゾート地として美しいヤルタは人気があります。
また、交易の港としても栄えていました。
タタール人といわれる、モンゴル系の人々やトルコ系の人々、ウクライナ人にロシア人、多くの人が行きかう街です。

遥か昔のギリシア神話でも、「アルゴー号」という船が漂流しているときにようやっと見つけた海岸線に感動し「ヤロース」、海岸線、と叫んだんだそうですが、それが名前の由来なんだそうです。

黒海の真珠ヤルタ、一度は訪れてみる価値があります。

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