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エリア:
- ヨーロッパ > イタリア
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テーマ:
- 世界遺産
- / 歴史・文化・芸術
オルビエートに巨大な地下通路があるという話はきいていた。
しかし、それが実際どんな穴なのか?納得のいく解説を聞いたり読んだりした事がなかった。やっぱり自分で行ってみるしかない。
オルビエートに宿泊するツアーをつくり、一日に何度か行われるガイドツアーに参加した。集合場所はこの美しい大聖堂前のツーリスト・インフォメーション。
ここから二百メートルほど歩いて、崖に面した公園の一角にある入り口から地下に入る。 まず、説明版にて、オルビエート全体で一千以上の数の地下道が確認されているという事実に驚いた。下の写真は大聖堂付近で確認されている洞窟を赤い線で示した地図。
そこらじゅう穴だらけだというのがよく分かる。
上は入ってすぐの広くなった場所。入り口から一階分降りた程度の場所。
実際穴はそれほど深くはない。オリーブを絞る古い装置もある。
これらの穴がいったい何の為に掘られたのか?いちばんの理由は水を得る為である。オルビエートは丘の上の街で、古代から水の供給に苦労してきた。
十六世紀には法王クレメンス七世が深さ62メートルにもなる「サン・パトリツィオの井戸」を掘らせている。
もちろん古代ローマ人も、それ以前のエトルリア人達も苦労し、考えた。
誰でも考えつくのは雨水をためる事。この地下には貯水槽がたくさんある。
下の写真はそのひとつ。
テラコッタの導管がここへ雨水を誘導していた跡がたくさんあった。
家から貯水槽へ降りてくる階段もあちこちにあった。
この貯水槽の上に彫られたたくさんの穴が何か?分かるだろうか。
なんと、ここで鳩を飼って食料にしていたのだそうだ。
崖際の家だから出来た工夫である。
さらに、これらの水がより地下深くまで染み通って濾過されたところへ井戸が掘られている。
井戸深さは25メートルほど。下にはまだ水がある。
写真で井戸の真上に開けられた穴が何か分かるだろうか?下が拡大写真。
これは、なんと、それぞれの家から直接井戸辺へ降りてくる岩に削られたはしごである。
家から直接長い長い紐にバケツをくっつけて水を汲むことも出来る。
※これってナポリの地下「ソッタネラータ・ナポリ」見学ツアーで見た光景と同じ。
さて、こんなに掘ったら上の建物が危なくないのか?と誰でも思う。
その答えが下の写真。
トゥーフォと呼ばれる凝灰岩の台地は、掘りやすいがゆえに崩落の危険も大きいのでこうやって巨大な柱で支えているのである。
実際、市内の多くの穴は現在埋め戻されている。
また、この洞窟は現代に発見されたときにはゴミや瓦礫でいっぱいになっていて、すぐとなりに上部までいっぱいになった穴が見えていた。これなら「埋め戻す」よりも、掘らなければ大丈夫?
*
今回もぐったオルビエートの地下通路は、我々が巡った場所で最大地下四階程度。トルコ中部にあるカッパドキアの地下都市のような深さはない。
そして、それぞれが連結した「都市」としての役割を持っているわけではないようである。ゆえに「地下都市」と表現している本もあるが、表現として妥当ではないように思う。
冒頭の地下道地図を見ても、赤い地下道はそれぞれ独立して存在いるのが分かる。
オルビエートの地下通路は、カッパドキアのような地下都市ではなく、フランスのシャンパーニュにあるカーヴのような機能を持ったこともなく(第一次大戦時のランス周辺では都市ごと地下のワインカーヴへ避難したことがあった。ここオルビエートの洞窟も第二次大戦時には避難壕としてつかわれた場所はあったが、規模も運用も違いすぎる)、ジブラルラルやルクセンブルグのように大砲をすえつけて軍事的に利用した場所でもなかった。
それは、オルビエートに暮らす人々がエトルリアの昔から現代に至るまで共通した悩み=水の供給に必要な方法として考え出した知恵だったのである。
しかし、それが実際どんな穴なのか?納得のいく解説を聞いたり読んだりした事がなかった。やっぱり自分で行ってみるしかない。
オルビエートに宿泊するツアーをつくり、一日に何度か行われるガイドツアーに参加した。集合場所はこの美しい大聖堂前のツーリスト・インフォメーション。
ここから二百メートルほど歩いて、崖に面した公園の一角にある入り口から地下に入る。 まず、説明版にて、オルビエート全体で一千以上の数の地下道が確認されているという事実に驚いた。下の写真は大聖堂付近で確認されている洞窟を赤い線で示した地図。
そこらじゅう穴だらけだというのがよく分かる。
上は入ってすぐの広くなった場所。入り口から一階分降りた程度の場所。
実際穴はそれほど深くはない。オリーブを絞る古い装置もある。
これらの穴がいったい何の為に掘られたのか?いちばんの理由は水を得る為である。オルビエートは丘の上の街で、古代から水の供給に苦労してきた。
十六世紀には法王クレメンス七世が深さ62メートルにもなる「サン・パトリツィオの井戸」を掘らせている。
もちろん古代ローマ人も、それ以前のエトルリア人達も苦労し、考えた。
誰でも考えつくのは雨水をためる事。この地下には貯水槽がたくさんある。
下の写真はそのひとつ。
テラコッタの導管がここへ雨水を誘導していた跡がたくさんあった。
家から貯水槽へ降りてくる階段もあちこちにあった。
この貯水槽の上に彫られたたくさんの穴が何か?分かるだろうか。
なんと、ここで鳩を飼って食料にしていたのだそうだ。
崖際の家だから出来た工夫である。
さらに、これらの水がより地下深くまで染み通って濾過されたところへ井戸が掘られている。
井戸深さは25メートルほど。下にはまだ水がある。
写真で井戸の真上に開けられた穴が何か分かるだろうか?下が拡大写真。
これは、なんと、それぞれの家から直接井戸辺へ降りてくる岩に削られたはしごである。
家から直接長い長い紐にバケツをくっつけて水を汲むことも出来る。
※これってナポリの地下「ソッタネラータ・ナポリ」見学ツアーで見た光景と同じ。
さて、こんなに掘ったら上の建物が危なくないのか?と誰でも思う。
その答えが下の写真。
トゥーフォと呼ばれる凝灰岩の台地は、掘りやすいがゆえに崩落の危険も大きいのでこうやって巨大な柱で支えているのである。
実際、市内の多くの穴は現在埋め戻されている。
また、この洞窟は現代に発見されたときにはゴミや瓦礫でいっぱいになっていて、すぐとなりに上部までいっぱいになった穴が見えていた。これなら「埋め戻す」よりも、掘らなければ大丈夫?
*
今回もぐったオルビエートの地下通路は、我々が巡った場所で最大地下四階程度。トルコ中部にあるカッパドキアの地下都市のような深さはない。
そして、それぞれが連結した「都市」としての役割を持っているわけではないようである。ゆえに「地下都市」と表現している本もあるが、表現として妥当ではないように思う。
冒頭の地下道地図を見ても、赤い地下道はそれぞれ独立して存在いるのが分かる。
オルビエートの地下通路は、カッパドキアのような地下都市ではなく、フランスのシャンパーニュにあるカーヴのような機能を持ったこともなく(第一次大戦時のランス周辺では都市ごと地下のワインカーヴへ避難したことがあった。ここオルビエートの洞窟も第二次大戦時には避難壕としてつかわれた場所はあったが、規模も運用も違いすぎる)、ジブラルラルやルクセンブルグのように大砲をすえつけて軍事的に利用した場所でもなかった。
それは、オルビエートに暮らす人々がエトルリアの昔から現代に至るまで共通した悩み=水の供給に必要な方法として考え出した知恵だったのである。