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エリア:
- ヨーロッパ > イタリア > アッシジ
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テーマ:
- 街中・建物・景色
- / 世界遺産
- / 歴史・文化・芸術
アッシジの聖フランチェスコ大聖堂の奥、修道院部分のテラス回廊。
通常の大人数ではなかなか入れてもらう事が出来ない場所だが、今回ご一緒したお二人のたってのご希望により神父さんにお願いできた。
観光客のざわめきから隔絶された、ウンブリアの平原を見張らせる静かな空間。
アジア人の顔をした修道士の方があったので話しかけてみると、中国語がかえってきた。
アッシジの町の全体を遠くから見ると、その左端に圧倒的な大きさを見せているフランチェスコ大聖堂。 下の写真で見える長いテラスのいちばん左部分に入れていただいたという事。
ここは、一般の方でもそれ相応の理由を申告できれば、何ヶ月かは修道僧生活をさせていただけるのだそうだ。
少し教会側に戻り、大聖堂すぐ下にある修道院の回廊部分。
回廊から見上げる、大聖堂の「上の教会」の後陣部分。
☆上の教会の出口をでたところにある「T=タウ」の文字と「PAX=平和」の植え込み。この「タウ」の文字はフランチェスコ会のシンボルだけれど、それが何故シンボルとなっているのか、地元の詳しいガイドさんからはじめて説明してもらう事ができた。
ここで「タウ」はギリシャ・アルファベットでは、ない。
ヘブライ文字としての「タウ」である。
同じに見えるこの二つ「タウ」はギリシャ語では十九番目のアルファベットだが、ヘブライ語では最後の文字となる。
『我先に救いを求めるのが人というものだが、私は神に救われる最後の人間でよい』そういうフランチェスコの謙譲の気持ちを象徴しているのだ。
**
この日の小松の動き
終日徒歩でのアッシジ観光を企画。
朝9時、アッシジのコムーネ広場すぐ近くのホテルよりスタート。
聖ルフィーノ大聖堂を見学。
フランチェスコが洗礼をうけた洗礼盤があるが、これはフランチェスコの時代にはマジョーレ教会にあったものである。
町の上の方にある円形劇場跡へ。
この遺構を利用しその上に造られたフランチェスコ派の修道院だった建物を改装してNUN SPA MUSEUMというのが出来ている。それが、今回紹介した施設。この名前をきいただけでは実際どんな施設なのか想像がつかない。
ベテランの地元ガイド氏が中の遺跡を案内しようと交渉してくれてはじめて内部の様子がわかった。
ここはホテルやレストランも併設されていて(SPAが併設されている、と言うのが適切なのかもしれませんが)、こちらも見学する事ができた。
それで、同日夕方のこの「入浴」を決めたのである。
レストランで出された食事も秀逸で、これもまた別の日に紹介したい。
再び下へ降りて、聖キアラ聖堂見学。ここはフランチェスコが生きていた頃には聖ジョルジョ教会という別の小さな教会があった。フランチェスコが死後すぐに葬られた場所だが、その面影はどこにあるのだろう。
さらに町の下のほうへ降りていく。
フランチェスコの最初の弟子ベルナルド・クィンタヴァッレの家の前を通り、サン・ピエトロ教会へ至る。
この教会はフランチェスコを助けたベネディクト会に今も属している。建物は13世紀のまま現代に残された貴重なもの。
内部には以前は入った事があったが、今回地元ガイド氏に教えられてはじめて知ったことがある。主祭壇の真上に丸い穴が開いているのだ。これは採光のためだろうけれど、実におもしろい。ちょっと古代の雰囲気・あのパンテオンを思い出してしまうのは小松だけだろうか。
近くで軽くピッツァの昼食。
いよいよサンフランチェスコ大聖堂へ入る。
上の教会のジォットとその弟子作のフランチェスコの生涯を描いたフレスコ画が有名だが、小松はむしろ下の教会のフレスコ画の方に面白さを感じる。
特にシモーネ・マルティーニの描いた聖マルタンの生涯が面白い。
ガイド氏はそこを通り過ぎようとしたので、「行きましょう」とひきとどめる。たくさんある見所からどれを選ぶかは、ガイドによって違うのである。
下の聖堂の奥まで来た時、ガイド氏が修道士に話をしてくれて僧坊のある回廊へ入れてもらうことが出来た。団体では絶対入れてくれない。
観光客のざわめきから隔絶された静かな空間。暗い聖堂からウンブリアの平原を見渡せる明るい回廊へ出た時、こここそがフランチェスコ大聖堂の精神性を感じさせてくれる場所だと思えた。
しばらくの後、再び大聖堂へ戻り、今度は上の教会へ入る。ジォットの作品群は何度も見ているが、やはり時代を動かしていった職人だった事が分かる。
上の教会を出てホテルへ戻ったのは16時前。
今日の夕方のスパの為に水着を買いに行ったり。
18時にオープンするSPAの後、20時スタートのレストランへ。
お客は我々だけだったので、「まだ新しいから閑古鳥なのかなぁ」と思っていたら、21時半をまわったぐらいにはすべての席が埋まっていた。
料理は最高。
値段もリーズナブル。
お客は観光客のように見える人はおらず、地元のビジネスユーズという雰囲気であった。
夕食がおわったのは22時半。
日本人にはこの時間はきびしいかもしれないが、是非また行ってみたいレストランである。
通常の大人数ではなかなか入れてもらう事が出来ない場所だが、今回ご一緒したお二人のたってのご希望により神父さんにお願いできた。
観光客のざわめきから隔絶された、ウンブリアの平原を見張らせる静かな空間。
アジア人の顔をした修道士の方があったので話しかけてみると、中国語がかえってきた。
アッシジの町の全体を遠くから見ると、その左端に圧倒的な大きさを見せているフランチェスコ大聖堂。 下の写真で見える長いテラスのいちばん左部分に入れていただいたという事。
ここは、一般の方でもそれ相応の理由を申告できれば、何ヶ月かは修道僧生活をさせていただけるのだそうだ。
少し教会側に戻り、大聖堂すぐ下にある修道院の回廊部分。
回廊から見上げる、大聖堂の「上の教会」の後陣部分。
☆上の教会の出口をでたところにある「T=タウ」の文字と「PAX=平和」の植え込み。この「タウ」の文字はフランチェスコ会のシンボルだけれど、それが何故シンボルとなっているのか、地元の詳しいガイドさんからはじめて説明してもらう事ができた。
ここで「タウ」はギリシャ・アルファベットでは、ない。
ヘブライ文字としての「タウ」である。
同じに見えるこの二つ「タウ」はギリシャ語では十九番目のアルファベットだが、ヘブライ語では最後の文字となる。
『我先に救いを求めるのが人というものだが、私は神に救われる最後の人間でよい』そういうフランチェスコの謙譲の気持ちを象徴しているのだ。
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この日の小松の動き
終日徒歩でのアッシジ観光を企画。
朝9時、アッシジのコムーネ広場すぐ近くのホテルよりスタート。
聖ルフィーノ大聖堂を見学。
フランチェスコが洗礼をうけた洗礼盤があるが、これはフランチェスコの時代にはマジョーレ教会にあったものである。
町の上の方にある円形劇場跡へ。
この遺構を利用しその上に造られたフランチェスコ派の修道院だった建物を改装してNUN SPA MUSEUMというのが出来ている。それが、今回紹介した施設。この名前をきいただけでは実際どんな施設なのか想像がつかない。
ベテランの地元ガイド氏が中の遺跡を案内しようと交渉してくれてはじめて内部の様子がわかった。
ここはホテルやレストランも併設されていて(SPAが併設されている、と言うのが適切なのかもしれませんが)、こちらも見学する事ができた。
それで、同日夕方のこの「入浴」を決めたのである。
レストランで出された食事も秀逸で、これもまた別の日に紹介したい。
再び下へ降りて、聖キアラ聖堂見学。ここはフランチェスコが生きていた頃には聖ジョルジョ教会という別の小さな教会があった。フランチェスコが死後すぐに葬られた場所だが、その面影はどこにあるのだろう。
さらに町の下のほうへ降りていく。
フランチェスコの最初の弟子ベルナルド・クィンタヴァッレの家の前を通り、サン・ピエトロ教会へ至る。
この教会はフランチェスコを助けたベネディクト会に今も属している。建物は13世紀のまま現代に残された貴重なもの。
内部には以前は入った事があったが、今回地元ガイド氏に教えられてはじめて知ったことがある。主祭壇の真上に丸い穴が開いているのだ。これは採光のためだろうけれど、実におもしろい。ちょっと古代の雰囲気・あのパンテオンを思い出してしまうのは小松だけだろうか。
近くで軽くピッツァの昼食。
いよいよサンフランチェスコ大聖堂へ入る。
上の教会のジォットとその弟子作のフランチェスコの生涯を描いたフレスコ画が有名だが、小松はむしろ下の教会のフレスコ画の方に面白さを感じる。
特にシモーネ・マルティーニの描いた聖マルタンの生涯が面白い。
ガイド氏はそこを通り過ぎようとしたので、「行きましょう」とひきとどめる。たくさんある見所からどれを選ぶかは、ガイドによって違うのである。
下の聖堂の奥まで来た時、ガイド氏が修道士に話をしてくれて僧坊のある回廊へ入れてもらうことが出来た。団体では絶対入れてくれない。
観光客のざわめきから隔絶された静かな空間。暗い聖堂からウンブリアの平原を見渡せる明るい回廊へ出た時、こここそがフランチェスコ大聖堂の精神性を感じさせてくれる場所だと思えた。
しばらくの後、再び大聖堂へ戻り、今度は上の教会へ入る。ジォットの作品群は何度も見ているが、やはり時代を動かしていった職人だった事が分かる。
上の教会を出てホテルへ戻ったのは16時前。
今日の夕方のスパの為に水着を買いに行ったり。
18時にオープンするSPAの後、20時スタートのレストランへ。
お客は我々だけだったので、「まだ新しいから閑古鳥なのかなぁ」と思っていたら、21時半をまわったぐらいにはすべての席が埋まっていた。
料理は最高。
値段もリーズナブル。
お客は観光客のように見える人はおらず、地元のビジネスユーズという雰囲気であった。
夕食がおわったのは22時半。
日本人にはこの時間はきびしいかもしれないが、是非また行ってみたいレストランである。