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旅倶楽部「こま通信」

~旅するように生きていこう~

旅倶楽部「こま通信」
旅するように生きていこう!
プロフィール

ニックネーム:
こまつうしん
居住地:
埼玉県
性別:
男性
年代:
60代
会社名:
旅倶楽部 こま通信
会社英字名:
会社所在地:
埼玉県
業種:
旅行業
自己紹介:
旅倶楽部「こま通信」代表

これまで三千日以上を旅してきて、より良い旅の為に《手造の旅》をはじめました。メンバーからの要望によって、一生モノの旅をつくっていきます。

《手造の旅》のご希望がありましたらご連絡ください。
komatsusin2@gmail.com

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ムスティエのシンボル
ムスティエ・サン・マリー〜「フランスの美しい村」
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>フランスその他の都市
テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2013/03/08 14:59
コメント(2)
フランスのグランドキャニオンと言われるヴェルドン渓谷のすぐ北に、「フランスの美しい村」のひとつ、ムスティエ・サン・マリーがある。
N.D.du.Beauboirへ上がる道
近くにはローマ遺跡のある街もあるが、この町の確かな起源は西暦454年にマキシムス司教がやってきて小さな庵と礼拝堂をつくった事にあるとされる。

旧市街中心の広場から見上げると、険しい山が深く切れ込んだところに滝が流れ落ちていて、その傍らに当時の遺構の残るというノートルダム・ド・ボーボワール教会が見えている。
旧市街中心部、ロマネスクの塔

谷を渡して220mの長さの鎖が渡され、そこに金色の星が吊り下げられているのが見えるだろうか。
谷にかかる200メートルの鎖が見える?

この鎖にまつわる伝説★
十字軍に行ったこの町出身の騎士が聖地で異教徒に囚われた。「無事に故郷へ帰れたなら聖母マリアに星を捧げる」と誓いを立て、それが実行されたというもの。これは19世紀末のプロバンス作家ミストラルが書いて知られるようになったのだが。

星を拡大してみよう
ムスティエのシンボル
大きさは1メートル17センチ。現在のモノは1954年に前のものが老朽化したのを機につくりなおされた。はじめのはじめがいつだったのかは、分からない。

だが、街の紋章になっているのだから、相当に古い時代からあるものなのだろう。
ムスティエ紋章

街全体の絵地図、一番上に星が画かれている。
ムスティエ絵地図

車が止められるところからしばらく歩いて旧市街へ
村中心への道

村の真ん中を流れ落ちてくる川を渡り、中心の広場へ。
旧市街中心部、ロマネスクの塔

公共洗濯場はきっと百年ぐらい前までは現役だっただろう
洗濯場

この鐘楼は12世紀のものとされるが、1970年代の改修の際に8世紀の部分がみつかったと現地の本に解説されていた。
小川を挟んで向こうに見えるロマネスク塔
5世紀に隠者の住んだ後に修道院が出来、この町の名前の由来はそれに由来する。しかし中世の時代に何度も異民族の侵入で破壊されたので、正確な歴史はわからない。

●今日のお昼ごはん。カモのテリーヌ
カモのテリーヌ
三種類のファルシ
ファルシ三種

昼食の後、はるか上に見えたノートルダム・ド・ボーボワール教会へ登って行こう。今日の青空ならきっと美しい景色が見晴らせるだろう。


谷の川を渡る古い橋
N.D.du.Beauboirへの古い橋
曲がりながら続いていく道
N.D.du.Beauboirへの道
かなり急
N.D.du.Beauboirへの階段2
教会への入り口がみえた
N.D.du.Beauboirへの階段1

入口横には古い時代の居住跡と見える穴もあった
N.D.du.Beauboir入口
ポータル入口の木製彫刻は15世紀末のものだとか
N.D.du.Beauboirポータル
美しいロマネスクのアーチが迎えてくれる
N.D.du.Beauboir内部

今日は晴れの日
アグリジェントのアーモンド祭
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>アグリジェント
テーマ:観光地 お祭り・イベント 
投稿日:2013/02/13 00:44
コメント(0)
二月の第二週、シチリアの南岸アグリジェントではすでにアーモンドの花が盛りだった。アーモンド祭りは今年で68回を迎える。
アーモンド祭看板
同時に「国際フォークロア・フェスティバル」は58回目。
今日は旧市街でパレードが開催され、世界中からのパフォーマンスが見られた。

まずは露払いの軍楽隊
露払いの軍楽隊

地元の一番手のグループ
地元一番手のチーム
「アグリジェントには四つもフォークロア・グループがあるんだ」と、地元ガイドさん。このグループは太鼓の皮に描かれた聖カロージェロの名前が冠されている。

太鼓の聖人を見よ

十字軍兵士登場!
サービス精神旺盛(笑)
我十字軍の兵士なり十字軍兵士と記念写真

次の地元のグループは中世風の装い
グループ1

みぃんなおしゃれして晴れ着
今日は晴れの日

カターニャ近くから参加のグループが旗のパフォーマンス
中世の旗振り

狭い中世の通りだからベランダからよく見えます
ベランダから

インドから
グループ8

フランスから
グループ7

エジプトから
グループ5

中南米からの参加
グループ8
グループ6

韓国から※他にアジアからの参加は見当たらなかった
グループ4

地元グループが大騒ぎしながらやってくる
グループ2
案内してくれたガイドさん曰く「このグループで踊ってたんだよ、日本にも行って帝国ホテルに泊まったんだ二十年前」

この旧市街にはドイツからグランド・ツアーにやってきたゲーテも泊まっていた。その記念プレートがぼろぼろになった由緒ある建物に設置してある。
ゲーテ滞在記念プレート
今は朝食とベッドだけの簡易ホテルになっているそうだ。
ゲーテが滞在した館

祭り行列の最後には、シチリアらしい装飾された馬車の隊列。

馬車
馬車細部

アルベルト・ジャコメッティのネコのしっぽ
あれもネコ、これもネコ
エリア:
  • 北米>アメリカ東部>ニューヨーク
テーマ:歴史・文化・芸術 
投稿日:2013/01/15 15:43
コメント(0)
ニューヨーク、メトロポリタン美術館でこんなネコに出会った。
スイス100フラン札の顔にもなった彫刻家アルベルト・ジャコメッティの作品。彼のいつもの手法で細くひきのばされている。
アルベルト・ジャコメッティのネコ


説明版に「弟ディエゴのネコを覚えていてその光の筋のようなしなやかさと捕食動物としての動きをとらえた」とある。

大胆にデフォルメされてはいるが、かんたんに制作されたのではない。その弟ディエゴが同じように制作した下のネコを見ると「あれれ?」と思いませんか?
ディエゴ・ジャコメッティのネコ
同じように細くデェフォルメされているのに、その表現力の差は歴然である。

※弟ディエゴのために付記しておくと、彼はもっとコマーシャルな商業作品的なネコで人気がある。
http://www.blog.dcart.com.au/?p=287

★バルセロナ旧市街には下のような巨大ネコが
フェルナンド・ボテロのネコ
こちらは1939年南米コロンビア生まれのフェルナンド・ボテロの作品。ジャコメッティとは対照的に、彼はなんでも太らせて表現するのである。

真逆ではあるが、こちらもまたネコらしさがしっかり表現されている。

この彫刻は少々大きすぎるせいか、バルセロナ市内でも二度場所を移動させられた。しかし、美術館ではなく街の中にこうしてあるほうが、より「ねこらしい」。ジャコメッティの作品を巨大にしてチューリヒの街に設置してくれたら、楽しいでしょうねぇ(笑)

パンプキンスープ
ツェルマットの隠れリゾートでディナーを
エリア:
  • ヨーロッパ>スイス>ツェルマット
テーマ:ホテル・宿泊 グルメ 
投稿日:2012/11/07 23:47
コメント(0)
十月下旬、観光客の少ない静かなツェルマット。
昼間、白銀のマッターホルンを堪能した夜、こんなホテルのダイニングでのディナーはいかが?
オムニアホテルはここにある
ホテルの名前「OMNIA」と書かれているのが読める。ツェルマットの中心から遠くはない。岩をくりぬいて、ここまで上がってくる専用のエレベーターがあるので便利。通常のパッケージ団体は入ってこないホテルである。

我々旅倶楽部で秋のスイスを企画し、ツェルマットに二泊することにしたが、正直この時期には多くの観光客相手のレストランは閉めてしまっていた。
現地のガイドさんが、「以前一度行って気になっているホテルがあるのです」とお勧めくださり、コンタクトして夕食をアレンジできた特別な今回である。

まずはアミューズ
アミューズ
ローストビーフと薄い揚げた生地にクリームを巻き込んだもの、だったと記憶している。

パン
このどっしりしっかりした石のテーブルが素晴らしい。このテーブルを四つ組み合わせて、我々十六人がちょうどゆったり座れるテーブルをつくってくれていた。前日の下見の時には「ちょっとむずかしいですね」と言われていたので、さらに嬉しくなった。
パンは六種類ぐらいあった。黒いものはゴマ?と訊いたら、「タコです」と言われた。

●前菜は三つのコース共違ったものが出された。
○二種類のチキン、この緑色のソースはなんだと思われます?
チキン二種前菜
わさびとRas el Hanout(ラ・エル・アヌゥ/ラゼラヌゥ)スパイス⇒(アラビア語。これ自体三十種類のスパイスを混ぜたもの)を混ぜたもの。

○パンプキンスープとオレンジのラビオリ
パンプキンスープ
メニューを見ても、どんなものが出てくるのか想像できなかった。見ても、どんな味か想像できなかった。
ラビオリの生地を軽く揚げたものには、たぶんオレンジの皮が練りこんである。オレンジの香りと味わいが、甘すぎないパンプキンのスープと実によく合っている。
個人的にはパンプキンスープはどれも味が想像できてしまうようで好きでもなかったが、これは、この皿は、今夜の一番だったかもしれない。

●タルボット(ヒラメ)にフォアグラ乗せ
タルボット
日本語でヒラメというとこんな身ではないが、英語でタルボットになると、体長五十センチにもなる巨大・肉厚な魚を指している。淡白な白身とこってりのフォアグラのコンビです。

●イノシシ肉と季節の野菜
イノシシ
●シカ肉とトリュフ、秋野菜
鹿肉と季節野菜

ジビエの季節。これらはやっぱり赤ワインと一緒に楽しむと、より美味しくなる。

●洋梨を薄くスライスして洋梨のムースにさしてある
洋梨

●スイスチョコレート盛り合わせ
チョコ盛り合わせ

●ベリーとアイスクリーム
木苺
お皿はカンバスですね

最後にお茶と一緒に、こんな楽しいお楽しみがついてきた。
お茶と一緒に


事前に担当者とよく打ち合わせをしてメニューを決め、それをゆっくり残さず食べる用意(お腹減らしておくこと)をしてくる事。この静かなホテルの雰囲気に溶け込んで、雪のツェルマットでの美味しい夜でした。

クリストフォロス像の頭部本物
ベルン駅の巨大クリストフォロス像
エリア:
  • ヨーロッパ>スイス>ベルン
テーマ:街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/11/06 20:14
コメント(0)
スイスの首都・ベルン中央駅地下で、突然巨大な顔に出会った。
ベルン駅の置かれたレプリカ
十九世紀に駅が建設されるまでこの場所には下図のように城壁があった。黄色が城壁。灰色が現在の駅である。左に後述する教会がある。かつての門と現在の駅の関係図

その城壁を守っていた木造の頭部がこれなのだ。
頭だけでこんなに大きい、全身10メートルに達したと言われている。

14世紀に建設された城壁は15世紀に増強され、この場所にはクリストッフェル塔と呼ばれる高さ55メートルに達する城門が出現した。
1818年頃の様子を再現した図↓
1818年頃のクリストフォロス門内側から
ここにはめ込まれていたのがこの巨像。
クリストフォロス巨像はこんなふうだった
この巨人は何者か?もともとはラインの渡し守・聖人クリストフォロスとしてつくられた。肩にキリストを載せて川を渡ったという逸話から手には杖を持っていた。再現した像がベルン歴史博物館にある。
クリストフォロス像復元図
上記二つの再現図・再現像の肩にキリストが居ないのはなぜか?
それは、1528年の宗教改革による。華美な装飾を罪悪とみなしたプロテスタントは、大聖堂内の30にも及ぶ祭壇を破壊。
カソリックの「聖人」というものを敵視し、このクリストフォロスも旧約聖書に登場するゴリアテとみなされた。ま、この時破壊されなかっただけ幸運ではある。

その後、この木造の像は三百五十年もの年月を生き延びていた。鉄道駅建設によって塔と共に破壊されるのを惜しんだベルンの人々は多かった。投票の結果はしかし、415対411で、取り壊し賛成派が勝利。

取り壊し直前1865年の様子が写真に残されている。これはクリストッフェル門を外側から写している。逆側を撮っていればクリストフォロスが写っていただろうに、残念。1865年のクリストフォロス門を外側から
この写真左端に写っている精霊教会を市内方向から写すとこんなかんじ現在の門への目抜き通り


巨像はその顔の部分と足先・手の先だけを博物館に残し、全身は貧しい人々へ薪として与えられたという。博物館へいくと、真っ先に出迎えてくれた。
クリストフォロス像の頭部本物
色は風雪で全く失くなっているけれど、本物の迫力はすごい。
南ドイツ後期ゴシックの名匠リーメンシュナイダーの影響をうけた、ニュルンベルグのアルブレヒトという人物の手になると言われている。
足の部分は地下階へ降りたところにある。
クリストフォロスの足先こちらの方には色がしっかり付いているのは何故なのだろう?

ニュルンベルグのアルブレヒトは、15世紀後半から16世紀にかけて、ベルンを代表する彫刻家の一人と言われたそうだ。大聖堂の洗礼盤はかわいいライオンちゃんが覗いている。
洗礼盤
拡大図はこちらから
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20121103

上を見上げた。このゴシック天井のキーストーンの一つに、アルブレヒトが刻んだという聖アンドレがあると教会の説明にあるのですが・・・ちょっと見えません。
宗教改革で破壊された祭壇にあったとされる司教像の頭部が、大聖堂のテラスを発掘して見つかった。んんん、なるほおど、アルブレヒトが卓越したニュルンベルクの石工マイスターたちの伝統を受け継いでいるのがよくわかる。
アルブレヒト作「司教の頭部」

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