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旅倶楽部「こま通信」

~旅するように生きていこう~

旅倶楽部「こま通信」
旅するように生きていこう!
プロフィール

ニックネーム:
こまつうしん
居住地:
埼玉県
性別:
男性
年代:
60代
会社名:
旅倶楽部 こま通信
会社英字名:
会社所在地:
埼玉県
業種:
旅行業
自己紹介:
旅倶楽部「こま通信」代表

これまで三千日以上を旅してきて、より良い旅の為に《手造の旅》をはじめました。メンバーからの要望によって、一生モノの旅をつくっていきます。

《手造の旅》のご希望がありましたらご連絡ください。
komatsusin2@gmail.com

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キャンディを歩く
エリア:
  • アジア>スリランカ>キャンディ
テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2015/02/08 23:01
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スリランカ最後の王朝の町、キャンディは高原で人造の小さな湖がある美しい街である。かつて王宮はなくなってしまったが、スリランカの仏教徒の精神的支柱である「仏歯」を納めた寺がおなじ敷地に健在。
busshiji_hiru
今回、我々の宿泊したクイーンズホテルは、当時の大臣の住居があった場所にたてられたのである。
queenshotel
ペラデニア植物園はかつての王の庭園がもとになっているそうである。
rose
セイロンと呼ばれた時代19世紀後半にはじめて紅茶が植えられたのもキャンディの近く。紅茶博物館を見学に行った。teafactory
★紅茶博物館と植物園の話はこちらに書きました↓
http://blog.goo.ne.jp/komatsusin/e/5fe7623d6b6dfa9fec28081e120e225e
南米から、マラカスのもとになった木
marakasu
この実に種を入れてシャカシャカふったわけですな。そのまま楽器だ。
marakasu2
**
王宮の近くには歴史的なモニュメントがいくつもある。
muddama
このあたりの話は下記に書きました。
http://blog.goo.ne.jp/komatsusin/e/ce99c822f8e804e59b9cea7042e3f679

一日三回御開帳される仏歯をめあてに、たくさんの人があつまる。
puja
王宮と仏歯寺についてはこちらを↓
http://blog.goo.ne.jp/komatsusin/e/7ab689720b819504d254152928085b34
http://blog.goo.ne.jp/komatsusin/e/7d6020eca9e7f0bc0f8dcf6337d01625

**
★キャンディの市場
入口
market_entrance
これはバナナの花!
banana

卵は日本と同じ蔵の値段・・・ということは、こちらではかなり高い食材なのだ。eggs

肉やさんというのは世界ではだいたいこんな感じなのです
nikuya

バティック布地屋さん
batik

キリテという甘いミルク・ティをつくってもらう
kirite

市場はどこも活気がありますね
market2

魚屋さん
sakana

****
イギリスとそっくりの赤いポスト
post

ゴール旧市街俯瞰
スリランカの城塞都市、ゴールを歩く
エリア:
  • アジア>スリランカ>ゴール
テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2015/02/07 17:18
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スリランカの南西海岸は日本の冬場にちょうど乾季。
城壁に囲まれたゴールの町は、俯瞰写真をひと目見たときから訪れたいと思っていた。伝説では、紀元前10世紀ソロモン王が交易していたタルシシュの港がここだともいう。
ゴール旧市街俯瞰
この町で、いやスリランカでも屈指の最高のホテルアマンガラへチェックインし、夕方までまだ間がある午後の町を歩き始めた。※アマンガラについてはまた別のところに書きます。

日が良いらしく、そこここで新婚さんが写真撮影をしているのにであう。
ゴールの城壁のカップル
スター要塞からのパノラマ
ゴール城壁からのパノラマ
新市街の巨大な市庁舎と19世紀あたりとおぼしき教会
ゴールの市庁舎と教会白い建物はオランダ時代の火薬工場・倉庫で、現在は軍の管理下にある建物だとか
ゴール旧火薬倉庫イギリスが建設した時計塔
ゴール城壁の時計塔
バスに乗ってすぐにフラッグ要塞に着く。イギリスの建設した灯台があるユトレヒト要塞もすぐ近く。
ゴール、イギリスの建設した灯台ここで客待ちをしていた刺青いっぱいの男性が「2000Rpでここから飛び込むよ」と売り込みにきた。
ゴール、海へ突き出したバスティオン

観光化したといっても、まだまだ素朴な美しい街並みが残っている。こういう雰囲気があるうちに来られてよかった(^^)
ゴール、旧市街の街並み18世紀オランダ語のプレートがはまった壊れた倉庫?も
ゴール、オランダ時代の建物

ポルトガル時代からの広場にやってきた。この巨木はそのころからあるのかしらんゴール、広場の大木隅のブラック・フォート=現在の警察署の古い城壁がポルトガル時代1589年に建設されたものだそうだ。ゴール、ポルトガル時代の城壁

昔の旧市街の正門。オランダ・東インド会社の紋章は現代になってから復元してとりつけられたものにちがいないゴール、オランダ時代の紋章外側にはイギリスの紋章
ゴール、イギリスの紋章

夕方、ひっそりしたアマンガラのプールでひと泳ぎゴール、アマンガラのプール

**翌朝の散歩、夕方とはまたちがう美しいインド洋
ゴール、朝の城壁散歩きのう夕方には閉じていた夜にだけ咲くという「サガリバナ」もまだ花をつけていたゴール、サガリバナバスで通り過ぎたところも、歩けばまた新しい発見がある。これは「イスラム・センター」と看板があったゴール、イスラムセンターオランダ時代の病院だった建物は、2014年にショッピングアーケードとレストランがはいって改装されたゴール、オランダ時代の病院
よく晴れた朝の光で撮影をする新婚さんに、きのうにもましてたくさん出会ったゴール、朝の新婚さん

アマンガラ・ホテルのすぐまえでもゴール、朝の晴れ着

英国教会
ゴール、英国教会
オランダ教会
ゴール、オランダ教会とアマンガラすぐ向こうに見えている建物がアマンガラ・ホテルである。小さな建物だけれどそれをむしろ快適だと感じさせてくれる。
入ってすぐの光と風が心地よく入ってくるテラスで朝食。
スリランカの定番朝食アーッパ=HOPPERもいただきます(^^)
アーッパ=HOPPER

福音者ヨハネ教会の天上、コレッジョの絵拡
パルマ、コレッジョが描いた二つのドーム天井、パルミジャニーノは見ていただろう
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>パルマ
テーマ:観光地 歴史・文化・芸術 
投稿日:2014/10/26 23:16
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イタリア、中北部の町パルマはハムやチーズが有名だが、町自体も訪れる価値がある。
大聖堂付属の八角形のロマネスク様式の八角形の洗礼堂が路地の向こうにみえた。これは12世紀末から13世紀はじめにかけてつくられた当時のかたちを今に伝えている。
パルマ洗礼堂が路地の向こうに見える鐘楼は昨年から修復がまだ終わらないようだ。
大聖堂と洗礼堂、鐘楼は2014年秋修復中むこうに見える大聖堂本体はあとで入ることにして、まずは洗礼堂へパルマ大聖堂の洗礼堂
入口のティンパヌムに刻まれた彫刻がおもしろい。下のものは、左が太陽で右が月を表しているようだが、まるでギリシャ神話の太陽神アポロが馬車を走らせているようだ
洗礼堂入口のひとつこの洗礼堂は入場料をとるだけのものである。入るとその豊かな装飾に目を奪われる。洗礼堂内部2天上のフレスコは14世紀ごろと思われる。
洗礼堂の天井壁のフレスコ画も天上より百年ほどあとのものと推察されるそうな
洗礼堂内部
ティンパヌムのひとつに13世紀初めの聖家族エジプトへの旅の彩色彫刻がある。星空を背景に進む聖家族と、それをいざなう現代的な羽をもった天使!
この美しい作品は洗礼堂が建設された当初からのもので13世紀初めのもの。フレスコ画よりずっと前からあったのだ。
洗礼堂のティンパヌムのひとつ

**
外へ出て大聖堂のすぐ後ろに位置する「福音者ヨハネ教会」へ向かう。

途中で大聖堂の後陣外側がロマネスクの美しいふくらみを見せている。
大聖堂後陣

「福音者ヨハネ教会」入口福音者ヨハネ教会
この位置から右を見ると、こんな美しい門構えの店がある。ヨハネ教会付きの薬局であった建物
薬局入口

内部へ入り、十字架廊交差部にたってドームを仰ぎ見ると、コレッジョの傑作が見下ろしている。

コレッジョはパルマの近くのコレッジョ村出身だったのでこのあだ名で呼ばれるが本名はアントニオ・アレグリという。1489年頃の生まれとされる。
パルマへ出てきて修道院の一室の天井画を見事に仕上げたことによって、1519年に完成したばかりの、この福音者ヨハネ教会の仕事を得た。

最初に画いたのは小さなこのルネッタ。
コレッジョの「福音者ヨハネ」
これが気に入られ、次に注文を受けたのがこのドームの天井画
福音者ヨハネ教会の天井
ここでは福音者ヨハネが黙示録の幻想を見ている場面が描かれている。
福音者ヨハネ教会の天上、コレッジョの絵拡
説教壇に立つ司教の位置からならば画面の端に座って幻想におののくヨハネが見えるというよく考えられた構図。

最後にアプス(教会一番奥の上部)に、「聖母マリアの戴冠」。
福音者ヨハネ教会アプス全体
※この作品だけは1586年に教会の改修工事の時に壊され、現在はそのあとに模写された作品となっている。本物も一部だけ美術館に保存されている。

コレッジョがこれらのフレスコ画を描いているのを、十四、五才年下の少年が見ていたはずだ。パルマ出身なので後にパルミジャニーノと呼ばれることなるジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラは、別の師匠が受けて途中になっていた礼拝堂の一つを仕上げていた。
教会にはいってすぐ左にある礼拝堂の入り口アーチの部分がそれ。
パルミジャニーノの描いた礼拝堂入口
この天使のお尻を描いたとき、マルミジャニーノはたった十五六歳だったと推察されている。

福音者ヨハネ教会の仕事は街で評判になっていったらしく、コレッジョは街を代表する大聖堂の天井画も描くことになった。

今まで以上に気合を入れて、大きな大聖堂のドームにたくさんの人物を描き込む構図にした。「聖母マリアの昇天」だが、中央は天からマリアを迎えに降りてくるキリスト。
コレッジョの画いた「聖母被昇天」
大好きなマンテーニャゆずりの短縮法をもちいた群像でいっぱい。渦巻くような雲が実際以上にドームを高く見せている。
コレッジョの「聖母被昇天」拡大
現代ではコレッジョの「傑作」のひとつに数えられているのだが・・・大聖堂はこの作品の仕上がりを見て、その他の部分を描く契約を破棄してしまった。

現在大聖堂はフレスコで埋め尽くされているが、これらを描いたのはコレッジョではない。
大聖堂を入ると

★大聖堂側の言い分「足ばかりが天井に飛び交っていて、肝心のマリアがどこにいるのか探さないとわからない。降りてくるキリストも足ばかりで顔が見えない」
・・・小松も、大聖堂側の言い分、もっともだと思う。

いかに絵画的に優れていると現代の美術研究家が賞賛しようと、教会を使う司祭や一般の人々にははっきり分かりやすい図像のである方が重要なはずだ。

コレッジョが描いた二つのドームの絵。
ガイドブックや美術書の記述に惑わされず、自分自身でどちらがこの場にふさわしいかを判断してほしい。

絵画に限らず、どんなに「すばらしい」と言われる作品でも、置かれている場所に合っていなければ、その価値を発揮できないのである。

カルピのサッカーチーム紋章
モデナの北、カルピの街
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア
テーマ:街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2014/10/24 20:27
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イタリア中北部、エミリア・ロマーニャ州。
カルピの街は1909年創立のサッカーチームもあって、これがそのエンブレム。
カルピのサッカーチーム紋章
赤と白はこの地を長く治めたピオ家の家紋から。

木の上の鳥の由来はこうだ。

紀元後八世紀、この地を支配していたロンゴバルド族の王アストルフォが鷹狩の途中落馬。その拍子にお気に入りの鷹が逃げ出してしまった。

アストルフォ王が探し回ったあげく、一本のシデ(学名carpinus)の上にいるのを見つけた。そしてそこがこのカルピの街になったというのである。

**
2014年10月、モデナの案内をしてくれたガイドさんがカルピから来ているとわかったので、帰りにちょっと案内してもらう事にした。人口七万でモデナ県ではモデナの次に大きな街だそうだ。

閑静な住宅街の向こうに高い鐘楼がみえた。
カルピ到着

広場へ出てみると、鐘楼に比べて教会がずいぶん小さい。
サグラ教会と鐘楼
このサグラ教会は前述のアストルフォ王の時代には建設されていた古い教会の跡地に12世紀から13世紀には建設されていたとされる。
現在の教会ファサード
もとの教会で横の入り口だったポータルを、現在の中央入口ポータルとして再利用している。

「16世紀に小さくされる前まではここまであったのよ」と、ガイドさんが地面のレンガで示された四角い線に注意を促す。
ここまでが元の教会の位置
なるほど、言われてはじめて気づいた。もとは現在の三倍ぐらいの大きさがあったのだ。これが、その当時を再現したという絵。宮殿の向こうに現在の姿に短縮されたサグラ教会が確認できる。
縮小前の教会
実際中に入って天井を見上げると、19世紀に当時はあったアーチ天井の下から見つかったというフレスコ画があった。

何故、教会を縮小したのだろう?

16世紀初め、この地を治めるピオ家の当主となったアルベルト三世は、もっと大きな広場を宮殿の逆側につくる事に決めた。
今も当時からの宮殿がそのまま残っている。
宮殿
当時、宮殿の逆側は堀があったのが、分かる。
掘が合った時代のカルピ

それを埋めて新たにつくられた大きな広場は、現在「マルティリ(殉教者)広場」と呼ばれている。上の絵図と比べていただくと、時計塔は跳ね橋のあった入口の上に付け加えられた事がわかる。その左側に画かれている斜めの塔は現存していて、写真に写っている。ということは、時計塔が真ん中になるように、建物が増築されているのだ。
マルティリ広場よりみた宮殿
ここで言う「殉教者」とは、第二次大戦中、ドイツの支配時代ここで射殺された十六人を指しているのだそうだ。

カルピのすぐ北にあるフォッソリの街は、アウシュビッツへ輸送される前にユダヤ人たちを集めた強制収容所の一つがあった。
それを記憶する為に、宮殿の一角には「ユダヤ博物館」がある。
ユダヤ博物館
開館した当時の写真
ユダヤ博物館開館時の写真

**
マルティリ広場は、長さ220m、幅60mの、当時イタリア屈指の広さを誇る広場だったそうだ。

周辺の建物は、現在つきあたりの大聖堂を含め、修復中。
マルティリ広場、大聖堂、修復中
2012年5月、二度の強烈な地震によって大きな被害をうけた。

広場にある19世紀の劇場。
カルピの劇場
ここにも、最初に言及したカルピの紋章が掲げられている。
カルピの紋章

アストルフォとアンセルム
モデナの北、ノナントラ修道院跡
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア
テーマ:街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2014/10/22 17:47
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イタリア中北部、モデナの北10キロに位置するノナントラ。今は田舎町だが、中世前期には大きなベネディクト派修道院があった場所。

その中心だった聖シルヴェストロ教会が残されている。
ノナントラ、シルヴェストロの教会
シンプルなファサードは、1913年から1920年の間に12世紀頃の姿に戻された。
修復以前はこんな風だった。窓や扉がちがっているのがわかる。
修復前のシルヴェストロ教会ファサード
いちばん重要なのは、入口の大理石浅浮彫。
シルヴェストロ教会入口の浅浮彫
モデナ大聖堂と同じ名工ヴィリジェルモとその一門の技。

この修道院の起源がこの部分。ロンゴバルド王アストルフォが義理の兄弟であるアンセルモに修道院建造を許可している。左の王冠を被った人物がアストルフォ王、右の僧衣を来た人物がアンセルモ司教。シンプルな構図のなかでも人物をちゃんと描き分け、ヴィリジェルモ一門のものとすぐにわかる特徴的な目の表現をもっている。もともとは目のところに色石がはまっていたと考えられる。
アストルフォとアンセルム
その二つ上のシーンでは、ローマから聖シルヴェストロの遺体を貰い受けるように法皇にお願いしている図。
ローマ法皇におねがい
当時、教会が聖人の遺骨を所有することでたくさんの巡礼を呼び寄せることが出来た。聖シルヴェストロは伝説ではコンスタンチヌス帝に洗礼を施した人物だから、全キリスト教徒にとって重要なのだ。
※実際にはローマから盗まれてノナントラへきたとか?

地下のクリプトには今も聖人の遺骨が置かれていた。
シルヴェストロ教会クリプト
ここの地下聖堂はモデナ大聖堂の二倍の広さがある。かつてはそれだけの修道院だったのだ。

博物館にはシルヴェストロのシンプルな石棺がある。
聖シルヴェストロの棺
よく見ると、756年から1912年までここに納められていた、と書かれている。
聖シルヴェストロの棺に刻まれた記録
書かれたのは当然1912年だろうが、納められたのが756年なのか確証はない。そういうもの。
この年につくられた新たな祭壇がこれ。現在は2012年の地震の後公開されていないようす。
聖シルヴェストロの新しい棺

入場予約をしておいたからか、案内のおじさんが、「三分だけだよ」と言って、教会の内部まで案内してくれた。2012年の地震はかなりひどかったらしく、足場もまだまだそのまま。
聖シルヴェストロ教会内部2014年

後陣外側も20世紀初期にかつての姿に戻されている。
聖シルヴェストロ教会アプス修復後
かつて、まったく似合わない四角い鐘楼が載せられていたなんて。
シルヴェストロ教会アプス修復前
写真をよく見ると、壁の下の方によりかかるように家があったのが見える。この家によって、かつてロマネスク時代のクリプトの窓が隠されていた。
当時クリプトはほとんど埋め込まれていたので窓なんて関係なかったのだが、修復によってクリプトが復活させられて、外側も美しい12世紀の雰囲気がよみがえった。

たぶん、12世紀以前の教会にあったのだろう石の浮彫が一部はめこまれている。
聖シルヴェストロ教会アプスに残る浮彫

一時間ほどの滞在で、付属博物館は見切れなかったが、ここの目玉の一つが、カール大帝直筆とされるサインがある羊皮紙。
カール大帝のサイン入り書状
常時展示されているのは複製品だが、Kの文字が見えるモノグラムがそれ。

ノナントラ、二回目の訪問で少しその価値が理解できてきた。

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