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- パウル・クレー・センターで昼食を
-
エリア:
- ヨーロッパ>スイス>ベルン
- テーマ:グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2012/10/29 13:52
- コメント(2)
ベルンからトラムで十分ぐらいの郊外に「パウル・クレー・センター」がある。モダンな美しい建物だが、今日の目的はそこに付属したレストラン。

建物入口の紅葉した楓に反応してしまうのは日本人だけではないでしょうね。波打った緑色のデザインがこのセンターのシンボルになっている。

ドアを入るとKOMA-Tsusin Swiss Autumn Tour 9daysと案内版があった。

今日のメニュー

ナプキンもこのセンターのシンボルがはいってしゃれている。
●アミューズは牛肉のタルタル(ユッケ風生肉)イタリアン・パセリ乗せ。

赤いのはバラのソース。下にひかれた黒い線は「ソイソース・カラメル」と説明された。「日本風なんですね」と反応すると、「皆さんは日本からなんですね」とにっこり。遠来の客をゆっくりもてなしてくれようとする雰囲気が嬉しい。
●前菜はFreiland Nusslisalatオミナエシのサラダ〜器にもびっくり

バイオ卵を65℃で半熟に、パルメザンチーズ、黒い○はビゴール産豚のベーコンをパリパリにしたもの。ビネガー風味のドレッシングがからめてある。これらを合わせての食感と味わいは絶妙。
●主菜はGreyerzer Poularde鶏肉だが、付け合せの野菜も充分主役。この色とりどりの美しさはさすが美術館のレストラン。

ニンジンが赤も黄色も甘い。丸いのはラディッシュ、トマト・ピューレ、セロリのムース、リコッタ・チーズのスフレ。鶏肉にはスペインのハムとセージが挟み込んであった。
●デザートの前菜〜メニューにはなかったチョコレート料理三種

右から、シャーベットをチョコでコーティングしてカルア・ミルクの泡をのせたもの、センターのシンボルが入ったカネロニ風コーヒー味、プラリネのコーヒー味。
●デザート主菜はTatinリンゴですね。

手前はサワークリーム。スポイトに入ったカラメルソースを好みでかける。
退出の時、ひとりひとりに黄色い箱に入ったお土産を手渡してくれた。

中身は小さなお菓子四種類。夕飯はこれをつまめば充分かしらん。

建物入口の紅葉した楓に反応してしまうのは日本人だけではないでしょうね。波打った緑色のデザインがこのセンターのシンボルになっている。

ドアを入るとKOMA-Tsusin Swiss Autumn Tour 9daysと案内版があった。

今日のメニュー

ナプキンもこのセンターのシンボルがはいってしゃれている。
●アミューズは牛肉のタルタル(ユッケ風生肉)イタリアン・パセリ乗せ。

赤いのはバラのソース。下にひかれた黒い線は「ソイソース・カラメル」と説明された。「日本風なんですね」と反応すると、「皆さんは日本からなんですね」とにっこり。遠来の客をゆっくりもてなしてくれようとする雰囲気が嬉しい。
●前菜はFreiland Nusslisalatオミナエシのサラダ〜器にもびっくり

バイオ卵を65℃で半熟に、パルメザンチーズ、黒い○はビゴール産豚のベーコンをパリパリにしたもの。ビネガー風味のドレッシングがからめてある。これらを合わせての食感と味わいは絶妙。
●主菜はGreyerzer Poularde鶏肉だが、付け合せの野菜も充分主役。この色とりどりの美しさはさすが美術館のレストラン。

ニンジンが赤も黄色も甘い。丸いのはラディッシュ、トマト・ピューレ、セロリのムース、リコッタ・チーズのスフレ。鶏肉にはスペインのハムとセージが挟み込んであった。
●デザートの前菜〜メニューにはなかったチョコレート料理三種

右から、シャーベットをチョコでコーティングしてカルア・ミルクの泡をのせたもの、センターのシンボルが入ったカネロニ風コーヒー味、プラリネのコーヒー味。
●デザート主菜はTatinリンゴですね。

手前はサワークリーム。スポイトに入ったカラメルソースを好みでかける。
退出の時、ひとりひとりに黄色い箱に入ったお土産を手渡してくれた。

中身は小さなお菓子四種類。夕飯はこれをつまめば充分かしらん。

- 雨と霧のグリムゼル峠へ、そして美味しいおもてなし
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エリア:
- ヨーロッパ>スイス>マイリンゲン
- テーマ:ホテル・宿泊 グルメ 自然・植物
- 投稿日:2012/07/04 01:17
- コメント(0)
グリンデルヴァルドからポストバスを乗り継いで峠を越えた。グループ旅行でこんなルートを行くのは《手造の旅》ぐらいのものだろう。なにせ一般車両でさえも入れないルートなのである。
マイリンゲンからグリムゼル峠へ向かう道へ入り、途中にあるハンデックホテルで昼食にした。ポストバスから降りる我々15人をポストバスの運転手さんもめずらしそうに、心配そうに、バスから降りて見送ってくれた。


ハンデックホテルには今回の昼食のためにわざわざ下見に行っていただいた。その今回の旅にかける想いは、ホテル側に伝わっていたといって良い。最初に出されたサラダは、雨に降られた疲れも忘れさせるような美しい花のサラダだった!そしてメニューカードの言葉★皆様がお食事を楽しんでくださること、そしてこのハンデックでの時間が忘れられないものとなるよう願いを込めて★
●第一の皿*色彩豊かなサラダとアルプスのハーブ、自家製山岳チーズとフレッシュチーズのドレッシング

チーズはホテルのすぐ裏でつくっている。ドレッシングもそのチーズをつかったここだけのもの。花は皿に塗った蜂蜜の上にデザインされていて、これをパンでぬぐって食べる。すべて、食べられる美しくて美味しいサラダなのです。
●第二の皿*子牛のクリームソース・チューリヒ風、クリスピーなバターレシュティ(ハッシュドポテト)と本日仕入れた野菜

メインコースはスイスでよく出される肉料理にきのこソースだが、付け合せの野菜がどれも秀逸。アスパラ、ズッキーニ、これらはその味だけでたべさせてくれている。
●第三の皿*フレッシュいちごとバニラクォーク(成熟させていない若いチーズ)マイリンゲン産メレンゲ

デザートは近くのマイリンゲンの町が発祥といわれる「メレンゲ」をつかった一皿。フレッシュなイチゴとさくさくの甘いメレンゲ。
**
さぁ、食事がおわったら裏にある絶景のアトラクションへ行こう。道にはここで飼われているぶたちゃん。

そしてその先を登っていくと・・・おお!今日はこの長さ70メートルの吊り橋、行方は霧の中。

高さも70メートルあるこのゆれる橋、企画段階では渡れない人が出るかもしれないと心配していたのだが、この霧のおかげで下が見えず、全員ほいほいと渡りきることができたのだった(笑)

この橋も面白いけれど、これを渡りに来たのではない。この先にあるヨーロッパで最も急勾配をあがっていく乗り物が目的。
ゲルマーバーンは最大斜度106%!角度にして45度を超えているのです。

実際に乗っていると背中から真上に吊り上げられるような感覚に襲われる。足の下の霧の中へ転げ落ちそうに感じる。

この乗り物はもともと電力会社がゲルマーダム建設のために建設した。作業員を運ぶ輸送機関だったのである。
KWOというその電力開発私企業のロゴが車体にプリントしてある。

★このゲルマーバーンからは晴れた日には絶景が見えるのだが、本日は全くの霧の中。
ゲルマーバーンを降り、ハンデックホテル前から峠に上がる最終のポストバスに乗り、ダムサイトに一軒だけ建てられたホテルへ到着。
峠のホテル、グリムゼルホスピッツに到着する頃に、雨はもう嵐と呼んで良い状態になってたのだった。

〜翌日の旅行記に続く
マイリンゲンからグリムゼル峠へ向かう道へ入り、途中にあるハンデックホテルで昼食にした。ポストバスから降りる我々15人をポストバスの運転手さんもめずらしそうに、心配そうに、バスから降りて見送ってくれた。


ハンデックホテルには今回の昼食のためにわざわざ下見に行っていただいた。その今回の旅にかける想いは、ホテル側に伝わっていたといって良い。最初に出されたサラダは、雨に降られた疲れも忘れさせるような美しい花のサラダだった!そしてメニューカードの言葉★皆様がお食事を楽しんでくださること、そしてこのハンデックでの時間が忘れられないものとなるよう願いを込めて★
●第一の皿*色彩豊かなサラダとアルプスのハーブ、自家製山岳チーズとフレッシュチーズのドレッシング

チーズはホテルのすぐ裏でつくっている。ドレッシングもそのチーズをつかったここだけのもの。花は皿に塗った蜂蜜の上にデザインされていて、これをパンでぬぐって食べる。すべて、食べられる美しくて美味しいサラダなのです。
●第二の皿*子牛のクリームソース・チューリヒ風、クリスピーなバターレシュティ(ハッシュドポテト)と本日仕入れた野菜

メインコースはスイスでよく出される肉料理にきのこソースだが、付け合せの野菜がどれも秀逸。アスパラ、ズッキーニ、これらはその味だけでたべさせてくれている。
●第三の皿*フレッシュいちごとバニラクォーク(成熟させていない若いチーズ)マイリンゲン産メレンゲ

デザートは近くのマイリンゲンの町が発祥といわれる「メレンゲ」をつかった一皿。フレッシュなイチゴとさくさくの甘いメレンゲ。
**
さぁ、食事がおわったら裏にある絶景のアトラクションへ行こう。道にはここで飼われているぶたちゃん。

そしてその先を登っていくと・・・おお!今日はこの長さ70メートルの吊り橋、行方は霧の中。

高さも70メートルあるこのゆれる橋、企画段階では渡れない人が出るかもしれないと心配していたのだが、この霧のおかげで下が見えず、全員ほいほいと渡りきることができたのだった(笑)

この橋も面白いけれど、これを渡りに来たのではない。この先にあるヨーロッパで最も急勾配をあがっていく乗り物が目的。
ゲルマーバーンは最大斜度106%!角度にして45度を超えているのです。

実際に乗っていると背中から真上に吊り上げられるような感覚に襲われる。足の下の霧の中へ転げ落ちそうに感じる。

この乗り物はもともと電力会社がゲルマーダム建設のために建設した。作業員を運ぶ輸送機関だったのである。
KWOというその電力開発私企業のロゴが車体にプリントしてある。

★このゲルマーバーンからは晴れた日には絶景が見えるのだが、本日は全くの霧の中。
ゲルマーバーンを降り、ハンデックホテル前から峠に上がる最終のポストバスに乗り、ダムサイトに一軒だけ建てられたホテルへ到着。

峠のホテル、グリムゼルホスピッツに到着する頃に、雨はもう嵐と呼んで良い状態になってたのだった。

〜翌日の旅行記に続く

- ブータン料理は辛いか
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エリア:
- アジア>ブータン
- テーマ:グルメ
- 投稿日:2012/01/29 08:01
- コメント(0)
「唐辛子は野菜です」
この国を代表する料理と言えるエマ・ダッツィ(唐辛子のチーズ煮込)は、もちろん辛い。

シー・カム・パー(脂肪・干した・スライスした)と紹介された郷土料理も唐辛子が効いていた。※別の呼び方もある料理のようです

マーケットではどの店も唐辛子をふんだんに売っている。

しかし、辛い料理が辛いのは日本でも同じ。辛くないものを食べようと思えば、特に我々ツーリストには充分なものが用意されている。
下はブータン料理店のバッフェでもりつけたもの。

上は赤米(日本でももともとはこのような米が主流だったのかもしれない)。その右側黄色く見えるのがもろこし系穀物、右側に先ほどのシーカムパー(豚の脂肪を乾燥させてスライスした高カロリー食品・赤唐辛子やイモと共に炒めてある)。
下のイモはマスタードとソテーされているがさほど辛くはない。じゃがいもはどれもとても美味しい。
最後に左に見える緑色のものが先のエマ・ダッツィ(唐辛子のチーズ煮込み)で、これは辛い。右上には川海苔のスープ。
旅行客向けの食事は充分に辛くなくおいしいと思えた。
★注意しなくてはならいのは、本来は辛くない料理である。たとえば、ネパールでもよくだされるモモという餃子。ネパールでは味噌ソースと食べるのが通例だが、こちらブータンでは生の唐辛子を刻んでコリアンダーと混ぜた「エゼ」と呼ばれる調味料と共に食べる。
これもまぁ「辛いかもなぁ」と加減しながら食べるから大丈夫だったが...
★★街歩きで出会った全く洋風のベーカリーで意表を突かれた。中へ入ってこの実に普通のショー・ウィンドウのお店。
マッシュルームのパンを選んだ。日本でも具入りのパンはよくある。
45ヌルタムは2012年1月現在75円程度。
温めなおしてお皿に載せてフォークと共に渡され、ナンの警戒心もなくがぶっと噛みついたのだが・・・三秒の後「辛!」はぁ〜っと息を出してびっくりして断面を見ると・・・赤い唐辛子がたくさん刻み込まれていた。
なるほど、ブータン人がどれだけ辛いものを好んでいるのか、よく分かりました。
**
首都ティンプーの市場「ザブジ・バザール」の風景を少しご紹介。

近在から新鮮な野菜を売りに来る人々が集まるここは近年二階建てになったそうな。「野菜」セクションなど、商品によって一応の区分がされているが、同じ店で色々な種類を売っていたりもする。なかには観光客目当てのような商品がぽつぽつあって、これからここにも観光客目当ての店が出てくるのかもしれないと思わされた。
米は「シリアル」セクションで売られていた。

ひと口に赤米というけれど、いくつかの種類があって色に濃淡がある。朝のおかゆで気に入ったので
少し買っていこうとおもってきいてみる。
「どっちの赤米がおいしいの?」店の子供たちは大人たちよりも英語が達者である。
すると「そのまま炊くならこっちの色の薄いのがいいけれど、濃い赤色のものを白米と混ぜるのもイイよ」とアドバイスしてくれた。
「じゃ、混ぜて一キロちょうだい」とオーダー。
するとそれぞれを一キロずつ入れようとしているので「いや、両方あわせて一キロにして」というと、「一番小さい分銅が一キロしかないの」と困った顔をする。
「じゃ、適当に混ぜて一キロで良いから」と言ってひと皿に盛り始めたのがこの写真。
計り終わって、ふいに緑の薄いポリ袋が私の手に空で渡された。どうしていいか分からずきょとんとしていると、口をひらいて米を受けろという。ああ、ここではこうやって米を渡す事になっているのか。計りの皿から、私の手のポリ袋にざざっと一キロ分の米が入れられた。
この国を代表する料理と言えるエマ・ダッツィ(唐辛子のチーズ煮込)は、もちろん辛い。

シー・カム・パー(脂肪・干した・スライスした)と紹介された郷土料理も唐辛子が効いていた。※別の呼び方もある料理のようです

マーケットではどの店も唐辛子をふんだんに売っている。

しかし、辛い料理が辛いのは日本でも同じ。辛くないものを食べようと思えば、特に我々ツーリストには充分なものが用意されている。
下はブータン料理店のバッフェでもりつけたもの。

上は赤米(日本でももともとはこのような米が主流だったのかもしれない)。その右側黄色く見えるのがもろこし系穀物、右側に先ほどのシーカムパー(豚の脂肪を乾燥させてスライスした高カロリー食品・赤唐辛子やイモと共に炒めてある)。
下のイモはマスタードとソテーされているがさほど辛くはない。じゃがいもはどれもとても美味しい。
最後に左に見える緑色のものが先のエマ・ダッツィ(唐辛子のチーズ煮込み)で、これは辛い。右上には川海苔のスープ。
旅行客向けの食事は充分に辛くなくおいしいと思えた。
★注意しなくてはならいのは、本来は辛くない料理である。たとえば、ネパールでもよくだされるモモという餃子。ネパールでは味噌ソースと食べるのが通例だが、こちらブータンでは生の唐辛子を刻んでコリアンダーと混ぜた「エゼ」と呼ばれる調味料と共に食べる。
これもまぁ「辛いかもなぁ」と加減しながら食べるから大丈夫だったが...★★街歩きで出会った全く洋風のベーカリーで意表を突かれた。中へ入ってこの実に普通のショー・ウィンドウのお店。

マッシュルームのパンを選んだ。日本でも具入りのパンはよくある。
45ヌルタムは2012年1月現在75円程度。温めなおしてお皿に載せてフォークと共に渡され、ナンの警戒心もなくがぶっと噛みついたのだが・・・三秒の後「辛!」はぁ〜っと息を出してびっくりして断面を見ると・・・赤い唐辛子がたくさん刻み込まれていた。

なるほど、ブータン人がどれだけ辛いものを好んでいるのか、よく分かりました。
**
首都ティンプーの市場「ザブジ・バザール」の風景を少しご紹介。

近在から新鮮な野菜を売りに来る人々が集まるここは近年二階建てになったそうな。「野菜」セクションなど、商品によって一応の区分がされているが、同じ店で色々な種類を売っていたりもする。なかには観光客目当てのような商品がぽつぽつあって、これからここにも観光客目当ての店が出てくるのかもしれないと思わされた。
米は「シリアル」セクションで売られていた。

ひと口に赤米というけれど、いくつかの種類があって色に濃淡がある。朝のおかゆで気に入ったので
少し買っていこうとおもってきいてみる。「どっちの赤米がおいしいの?」店の子供たちは大人たちよりも英語が達者である。
すると「そのまま炊くならこっちの色の薄いのがいいけれど、濃い赤色のものを白米と混ぜるのもイイよ」とアドバイスしてくれた。
「じゃ、混ぜて一キロちょうだい」とオーダー。
するとそれぞれを一キロずつ入れようとしているので「いや、両方あわせて一キロにして」というと、「一番小さい分銅が一キロしかないの」と困った顔をする。
「じゃ、適当に混ぜて一キロで良いから」と言ってひと皿に盛り始めたのがこの写真。
計り終わって、ふいに緑の薄いポリ袋が私の手に空で渡された。どうしていいか分からずきょとんとしていると、口をひらいて米を受けろという。ああ、ここではこうやって米を渡す事になっているのか。計りの皿から、私の手のポリ袋にざざっと一キロ分の米が入れられた。

- ギリシャ料理はおいしい!
-
エリア:
- ヨーロッパ>ギリシャ
- テーマ:グルメ
- 投稿日:2011/06/01 00:15
- コメント(2)
●タコのウゾー煮 これはギリシャでなければ食べられない料理である。

「ギリシャ料理っておいしい!」と目からウロコをとってくれた料理であった。
タコ、オリーブ、トマト、たまねぎ。それにオレンジの甘さがアクセントになっている。そして決め手はウゾーの風味。
ウゾーはギリシャに典型的な蒸留酒。原料はぶどうなどをつぶしたもので、簡単にはワインの搾りかすを蒸留したものだそうだが、その実かなりのバラエティがある。日本酒のように千差万別の味わいだ。
ウゾーは柑橘系の甘さによくあうと聞いたことがある。グレープフルーツジュースをいれてカクテルにもする。
●エビのメタクサソース 焼いたエビの上に、ギリシャのブランデーであるメタクサを使ったソースがかかっていた。
これもまたギリシャでなくては味わえない。
ヨーロッパ料理のなかで、「ギリシャ料理」というとどんなイメージだろう?「イタリア料理」や「フランス料理」「スペイン料理」というとすぐに浮かんでくる料理があり、=おいしい、という印象を持っている日本人が多いのに比べ、「ギリシャ料理」は=おいしい、というイメージでは語られてないように思える。実にもったいない。おざなりなツアーメニューからもう少し踏み込めば、そこにはギリシャでなくては味わえないおいしさがちゃんとあるのだ。
ギリシャ在住の日本人の友人は「ギリシャ料理は新鮮な食材をいかすだけでよい」と言った。●新鮮なエビ はこんなふうに焼くだけで実においしい。

魚は日本のように焼くだけで充分。パトモス島の港から奥に少し入ったレストランで出された名前もよく分からない魚だけれど、ジューシーな身であった。
「うまいだろ?今朝、俺が漁ってきたんだ」と、運んできてくれたいかにもたくましいお兄さんが言った。
●黒鯛のグリル 醤油をかけると日本風になるな、と思った。もちろんかけなくておいしかったけれど。
そう、そこで気付いた。
「素材を生かす」というのは、どの国の料理でも重要な事。「ギリシャらしさ」を感じさせてくれるのは、その国に定番の匂いや基礎になる味。日本なら醤油や味噌、出汁の味にある。
「ギリシャ的な料理のポイントは何?」との質問に、現地で暮らす人は「オリーブオイル」とか「レモン」とか答えてくれたが、それは地中海全域に共通している。
ギリシャでなくては無い風味というのは、冒頭のタコ料理につかわれていたウゾーであり、エビ料理のソースに使われたメタクサのようなものではないか、と、これは個人的な感想ですが・・・。
さらに、MASTIC(=乳香樹脂)というのも、注意しているとよくよく使われている。
下は●野菜のグリル 素材も抜群においしかったけれど、そこに添えられたソースに使われていたのは⇒マスタード、バルサミコ、オリーブオイル、そしてMASTICが決定的なギリシャ的個性を演出していた。

●鱈の身をふわふわにほぐして軽くコロッケのようにしたものだが、白く見えるソースの材料はヨーグルトとクリーム、それにMASTICだった。
★美味しかったギリシャ料理に共通して感じ取れたこのMASTICが、自分の中では象徴的に「ギリシャ料理の香り」として認識されている。しかし、MASTICそのものの味はまったく好きではない小松です。
以下に、まだまだあるある、美味しかったギリシャ料理を。
●ラムチョップはデルフィのお気に入りのお店にて。本数でなくキロ単位で注文するシロモノ。
●ズッキーニのコロッケ 新鮮なズッキーニの味わいがしっかり。
●イェミスタ くりぬいたトマトやパプリカの中に調理した米を詰めたもの。中身が分かるように拡大。
●「ハルミチーズ」を茄子で巻いてあげたもの
●「ハルミチーズ」はキプロスのチーズ。おなじく茄子で巻いてあるが、さらにドライトマトとハーブのソースで味付けされていて、より洗練された雰囲気。
●レモンの皮の蜂蜜漬け パトモス島のレストランで出してくれた、お手製のひと品。
ああ、写真で味は伝わりません(笑)

「ギリシャ料理っておいしい!」と目からウロコをとってくれた料理であった。
タコ、オリーブ、トマト、たまねぎ。それにオレンジの甘さがアクセントになっている。そして決め手はウゾーの風味。
ウゾーはギリシャに典型的な蒸留酒。原料はぶどうなどをつぶしたもので、簡単にはワインの搾りかすを蒸留したものだそうだが、その実かなりのバラエティがある。日本酒のように千差万別の味わいだ。
ウゾーは柑橘系の甘さによくあうと聞いたことがある。グレープフルーツジュースをいれてカクテルにもする。
●エビのメタクサソース 焼いたエビの上に、ギリシャのブランデーであるメタクサを使ったソースがかかっていた。

これもまたギリシャでなくては味わえない。
ヨーロッパ料理のなかで、「ギリシャ料理」というとどんなイメージだろう?「イタリア料理」や「フランス料理」「スペイン料理」というとすぐに浮かんでくる料理があり、=おいしい、という印象を持っている日本人が多いのに比べ、「ギリシャ料理」は=おいしい、というイメージでは語られてないように思える。実にもったいない。おざなりなツアーメニューからもう少し踏み込めば、そこにはギリシャでなくては味わえないおいしさがちゃんとあるのだ。
ギリシャ在住の日本人の友人は「ギリシャ料理は新鮮な食材をいかすだけでよい」と言った。●新鮮なエビ はこんなふうに焼くだけで実においしい。

魚は日本のように焼くだけで充分。パトモス島の港から奥に少し入ったレストランで出された名前もよく分からない魚だけれど、ジューシーな身であった。
「うまいだろ?今朝、俺が漁ってきたんだ」と、運んできてくれたいかにもたくましいお兄さんが言った。
●黒鯛のグリル 醤油をかけると日本風になるな、と思った。もちろんかけなくておいしかったけれど。そう、そこで気付いた。
「素材を生かす」というのは、どの国の料理でも重要な事。「ギリシャらしさ」を感じさせてくれるのは、その国に定番の匂いや基礎になる味。日本なら醤油や味噌、出汁の味にある。
「ギリシャ的な料理のポイントは何?」との質問に、現地で暮らす人は「オリーブオイル」とか「レモン」とか答えてくれたが、それは地中海全域に共通している。
ギリシャでなくては無い風味というのは、冒頭のタコ料理につかわれていたウゾーであり、エビ料理のソースに使われたメタクサのようなものではないか、と、これは個人的な感想ですが・・・。
さらに、MASTIC(=乳香樹脂)というのも、注意しているとよくよく使われている。
下は●野菜のグリル 素材も抜群においしかったけれど、そこに添えられたソースに使われていたのは⇒マスタード、バルサミコ、オリーブオイル、そしてMASTICが決定的なギリシャ的個性を演出していた。

●鱈の身をふわふわにほぐして軽くコロッケのようにしたものだが、白く見えるソースの材料はヨーグルトとクリーム、それにMASTICだった。

★美味しかったギリシャ料理に共通して感じ取れたこのMASTICが、自分の中では象徴的に「ギリシャ料理の香り」として認識されている。しかし、MASTICそのものの味はまったく好きではない小松です。
以下に、まだまだあるある、美味しかったギリシャ料理を。
●ラムチョップはデルフィのお気に入りのお店にて。本数でなくキロ単位で注文するシロモノ。

●ズッキーニのコロッケ 新鮮なズッキーニの味わいがしっかり。

●イェミスタ くりぬいたトマトやパプリカの中に調理した米を詰めたもの。中身が分かるように拡大。

●「ハルミチーズ」を茄子で巻いてあげたもの

●「ハルミチーズ」はキプロスのチーズ。おなじく茄子で巻いてあるが、さらにドライトマトとハーブのソースで味付けされていて、より洗練された雰囲気。

●レモンの皮の蜂蜜漬け パトモス島のレストランで出してくれた、お手製のひと品。

ああ、写真で味は伝わりません(笑)

- シャンパンの街エペルネとオーヴィレール村
-
エリア:
- ヨーロッパ>フランス>ランス
- テーマ:グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2011/05/10 00:26
- コメント(0)
大聖堂で有名なランスから車で四十分ほど、シャンパン製造の中心地エペルネの町がある。2011年5月2日、雨のシャルトルを朝9時に出発、三時間半ほどでエペルネの駅近くに到着。まずは、このレストランで軽くフォーミュールの昼食。
そして13時にモエ・エ・シャンドン社の見学へ。ここは「フランスで一番地価が高い」という説明もあったシャンパン通りにある。
ここは日本のグループもたくさん見学に来るので、事前にリクエストしておけば日本語で説明してくれるガイドさんもおられる。
入り口にはかの有名なドン・ペリニョンさんの像
こんな風に置かれているとドン・ペリニョンさんがモエ・エ・シャンドン社とゆかりある人物のように見えるが、そんな深い結びつきはない。彼が所属した元修道院の敷地が現在モエ社の所有になっているという理由である。

簡単なビデオを見た後、地下のカーヴへ案内される。そこは全長二十キロ以上に及ぶ古くからのセラーとなっており、けっこうなスピードで輸送カートが走ってくる。
それぞれにいつどこの畑から収穫されたものかを表す札がつけられているが、それは従業員にしか分からない、いわば符丁で書かれている。
ブレンドされ、二次醗酵してゆく過程でたまってゆく澱(おり)。これを取り出すには先端にためて、その部分を液体窒素で凍らせて抜き出す。実に手の混んだ造り方が長い年月で編み出されてきたのだ。
見学の後、試飲。そしてもちろん売店がある。ご一緒した愛好家の方によると、値段は日本でもこのぐらいの値段なら充分手に入るという程度であるそうな。
ロビーにあったナポレオンがモエを訪れる版画が目に留まった。
ナポレオンは9歳でシャンパーニュ地方の王立陸軍幼年学校に入学、ここでモエ社の三代目にあたるジャン・レミー・モエとで会っている。モエはナポレオンより十一才年長だったが、その後生涯の友人となった。
ナポレオンとの交流はモエ社の発展にもちろん寄与した。その敗北によってロシア軍がモエのシャンパンを大量に略奪していった事さえも、後年ロシアに愛好者を増やすという「シャンパンの勝利」につながった。
**
エペルネの街から少し離れ、ワイン畑の中「オーヴィレール」という標識にしたがって走る。
ひっそりとした村にはたくさんの小規模なシャンパンメーカーがある。
葡萄の木をまたいで動く専用の車をたくさん見かける。
一様に見えるブドウ畑だが、こうしたモエ社の印のある畑もあれば、そのほかの小規模農家の畑も混在している。シャンパン用の葡萄を作ると認定されれば、その土地の価値は十倍にも跳ね上がるときいた。

村の端に高い塀で囲まれた閉ざされた敷地がある。この塀の向こうが、かのドン・ペリニョンが過ごしたベネディクト派修道院。現在はモエ社が迎賓館の様に使用している。某日本の有名人の結婚パーティも行われたそうであります。

修道院の壁に沿って曲がり階段を登ると、さっき見えていた修道院の教会にたどり着く。
この修道院は七世紀末にメロビング朝の王キルデリク二世の義理兄弟だった聖ニヴァルドによって創設されたとされる。
四世紀にキリスト教を公認したコンスタンチヌス帝の母へレナゆかりの聖遺物が入れられていた箱が鎮座しているが、中身はフランス革命の時に略奪されてしまったそうだ。

ルイ十四世と全く同年に生まれ、死んだドン・ペリニョン。彼は、三十歳の時にこの修道院の会計係として赴任。荒れ果てていた葡萄畑を復活させて最上のワインをつくりだした。
現地での解説看板によれば、ドン・ペリニョンにはワイン作りに五つの功績があるそうな。?別々の畑から最上のヴィンテージをつくる?早朝に葡萄を摘み、すみやかにやさしく絞る?厚いガラスを使ったボトルを利用して醗酵の泡をコントロールする?コルクで栓をする?カーヴで一定の温度を保ち何年もかけて熟成させる。
当時は「失敗」とされたワインの二次醗酵による泡をコントロールする事を考え始めたのは彼だったのか。しかし、それが「シャンパン」と呼ばれるものに発展するのはまだ後世の事。当時ドン・ペリニョンがつくっていたのはあくまで最上のブレンドワインだったというのがおおよそ正しい事実の様である。※白水社刊「シャンパン歴史物語」参照し、現地でのドン・ペリニョンについての解説を読んでの推察であります。
彼の墓は正面祭壇のすぐ前に位置しているので、すぐに分かる。この場所は修道院長クラスの人物でなければ葬られない場所であるが、それだけの貢献をしたとの敬意を持って葬られたのであろう。

そして13時にモエ・エ・シャンドン社の見学へ。ここは「フランスで一番地価が高い」という説明もあったシャンパン通りにある。

ここは日本のグループもたくさん見学に来るので、事前にリクエストしておけば日本語で説明してくれるガイドさんもおられる。
入り口にはかの有名なドン・ペリニョンさんの像

こんな風に置かれているとドン・ペリニョンさんがモエ・エ・シャンドン社とゆかりある人物のように見えるが、そんな深い結びつきはない。彼が所属した元修道院の敷地が現在モエ社の所有になっているという理由である。

簡単なビデオを見た後、地下のカーヴへ案内される。そこは全長二十キロ以上に及ぶ古くからのセラーとなっており、けっこうなスピードで輸送カートが走ってくる。
それぞれにいつどこの畑から収穫されたものかを表す札がつけられているが、それは従業員にしか分からない、いわば符丁で書かれている。
ブレンドされ、二次醗酵してゆく過程でたまってゆく澱(おり)。これを取り出すには先端にためて、その部分を液体窒素で凍らせて抜き出す。実に手の混んだ造り方が長い年月で編み出されてきたのだ。

見学の後、試飲。そしてもちろん売店がある。ご一緒した愛好家の方によると、値段は日本でもこのぐらいの値段なら充分手に入るという程度であるそうな。
ロビーにあったナポレオンがモエを訪れる版画が目に留まった。
ナポレオンは9歳でシャンパーニュ地方の王立陸軍幼年学校に入学、ここでモエ社の三代目にあたるジャン・レミー・モエとで会っている。モエはナポレオンより十一才年長だったが、その後生涯の友人となった。ナポレオンとの交流はモエ社の発展にもちろん寄与した。その敗北によってロシア軍がモエのシャンパンを大量に略奪していった事さえも、後年ロシアに愛好者を増やすという「シャンパンの勝利」につながった。
**
エペルネの街から少し離れ、ワイン畑の中「オーヴィレール」という標識にしたがって走る。

ひっそりとした村にはたくさんの小規模なシャンパンメーカーがある。
葡萄の木をまたいで動く専用の車をたくさん見かける。
一様に見えるブドウ畑だが、こうしたモエ社の印のある畑もあれば、そのほかの小規模農家の畑も混在している。シャンパン用の葡萄を作ると認定されれば、その土地の価値は十倍にも跳ね上がるときいた。

村の端に高い塀で囲まれた閉ざされた敷地がある。この塀の向こうが、かのドン・ペリニョンが過ごしたベネディクト派修道院。現在はモエ社が迎賓館の様に使用している。某日本の有名人の結婚パーティも行われたそうであります。

修道院の壁に沿って曲がり階段を登ると、さっき見えていた修道院の教会にたどり着く。

この修道院は七世紀末にメロビング朝の王キルデリク二世の義理兄弟だった聖ニヴァルドによって創設されたとされる。
四世紀にキリスト教を公認したコンスタンチヌス帝の母へレナゆかりの聖遺物が入れられていた箱が鎮座しているが、中身はフランス革命の時に略奪されてしまったそうだ。

ルイ十四世と全く同年に生まれ、死んだドン・ペリニョン。彼は、三十歳の時にこの修道院の会計係として赴任。荒れ果てていた葡萄畑を復活させて最上のワインをつくりだした。
現地での解説看板によれば、ドン・ペリニョンにはワイン作りに五つの功績があるそうな。?別々の畑から最上のヴィンテージをつくる?早朝に葡萄を摘み、すみやかにやさしく絞る?厚いガラスを使ったボトルを利用して醗酵の泡をコントロールする?コルクで栓をする?カーヴで一定の温度を保ち何年もかけて熟成させる。
当時は「失敗」とされたワインの二次醗酵による泡をコントロールする事を考え始めたのは彼だったのか。しかし、それが「シャンパン」と呼ばれるものに発展するのはまだ後世の事。当時ドン・ペリニョンがつくっていたのはあくまで最上のブレンドワインだったというのがおおよそ正しい事実の様である。※白水社刊「シャンパン歴史物語」参照し、現地でのドン・ペリニョンについての解説を読んでの推察であります。
彼の墓は正面祭壇のすぐ前に位置しているので、すぐに分かる。この場所は修道院長クラスの人物でなければ葬られない場所であるが、それだけの貢献をしたとの敬意を持って葬られたのであろう。
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