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- レンソイス白砂漠(ブラジル)
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エリア:
- 中南米>ブラジル
- テーマ:観光地 旅行準備
- 投稿日:2010/06/10 18:41
- コメント(0)
以前日本のテレビにて世界の絶景100選の第2位に選ばれたレンソイス白砂漠をご存知ですか??2008年にNHKで放映されたのを見た方も多いかもしれません。現地のブラジル人いわく、世界中からレンソイス白砂漠の映像を撮りにテレビ局や記者が訪れるそうですが、日本のNHKが一番長く滞在して、一番詳しくレンソイスを紹介していると。なんだか日本人として嬉しいですね。
さて、レンソイス国立公園の正式名称は「レンソイス・マラニャンセス国立公園」。レンソイスとはポルトガル語でシーツを意味します。つまり真っ白なシーツを広げたような白い砂漠ということ。
大レンソイスと小レンソイスの2つのパートに分かれていて、大レンソイスの方は、大きさ南北約50キロ、東西約90キロの面積で東京23区よりも広いそうです。ブラジルのマラニャン州に位置していて、大西洋に面しています。白砂漠と言う名の大きな大きな白砂ビーチ、と言ったところでしょうか。真っ白な砂の成分は石英で、よーく目を近付けるとキラキラと輝く結晶が分かります。そして何と言っても、見所はその白砂漠に点在するエメラルドグリーンの湖です。12月頃から4月頃までの雨季の間に雨が降り続け、砂の谷間に残ったラグーンが乾季の見所です。しかしこのラグーンは雨水が溜まっただけではなく、地下からの湧き水も混ざっています。今も1メートル〜2メートル掘ると水が出てくるそう。
現地ではガイドさんがいろいろな事を教えてくれました。
サンルイスというマラニャン州の州都から約260キロ東に位置する白砂漠、約10年前に出来たサンルイスからの舗装道で知名度は徐々に上がってきましたが、以前は馬で4日間かけて移動するしか手段が無かったとか・・・。また世界の砂漠と同じように、毎年20メートルずつ広がっているそうです。
そしてこの白い砂漠はどこから来たのでしょうか。約3000年前に出来た川が運んで堆積した砂の集まりだという人も、10000年前から存在していたという人も居ます。NHKのドキュメンタリーを見た方はご存知かと思いますが、この砂漠にあるラグーンには小魚がたくさんいます。雨季の間はラグーン同士が繋がり、魚は白砂漠を自由に泳ぎまわります。ラグーンに足を入れると、垢を食べに!?寄ってきます。透明度が高いので、無数の小魚を見られます。
訪れる方へのご注意
1)サングラスは必需品
マラニャン州は赤道に近く、ここに住む人々は目の病気になる確率が高いそうです。そしてレンソイス白砂漠はまるで北海道のゲレンデのよう。毎日訪れるガイドさんは雪目になってしまうそうです。
2)カメラに気をつけて!
石英の粒はとても硬く、そして細かいため、精密機器の敵です。私もデジタルカメラを落としてしまい、ズームの部分に粒が入ってしまい壊してしまいました。またボールペンを落としただけでも、隙間に砂が入り込み、使い物にならなくなってしまいました
3)お手洗いはラグーンから離れて
国立公園なので、ラグーンに棲む生物もいるのでお手洗いはラグーンから最低3メートル離れてくださいとのこと。ちなみに、木々がところどころ生えているので、陰で用を足す事は容易に出来るのご心配なく!
まだまだ調査段階で、分かっていないことも多いらしいレンソイス国立公園。解明されていないことが多いそうですが、何も知らなくても、何もわからなくても感動する砂漠なのです。
訪れた添乗員が1番感動した!と叫んで帰国してきます。(坂岸)
【ブログ:ぶらり秘境探検隊より】http://bit.ly/bXSvq8
さて、レンソイス国立公園の正式名称は「レンソイス・マラニャンセス国立公園」。レンソイスとはポルトガル語でシーツを意味します。つまり真っ白なシーツを広げたような白い砂漠ということ。
大レンソイスと小レンソイスの2つのパートに分かれていて、大レンソイスの方は、大きさ南北約50キロ、東西約90キロの面積で東京23区よりも広いそうです。ブラジルのマラニャン州に位置していて、大西洋に面しています。白砂漠と言う名の大きな大きな白砂ビーチ、と言ったところでしょうか。真っ白な砂の成分は石英で、よーく目を近付けるとキラキラと輝く結晶が分かります。そして何と言っても、見所はその白砂漠に点在するエメラルドグリーンの湖です。12月頃から4月頃までの雨季の間に雨が降り続け、砂の谷間に残ったラグーンが乾季の見所です。しかしこのラグーンは雨水が溜まっただけではなく、地下からの湧き水も混ざっています。今も1メートル〜2メートル掘ると水が出てくるそう。
現地ではガイドさんがいろいろな事を教えてくれました。
サンルイスというマラニャン州の州都から約260キロ東に位置する白砂漠、約10年前に出来たサンルイスからの舗装道で知名度は徐々に上がってきましたが、以前は馬で4日間かけて移動するしか手段が無かったとか・・・。また世界の砂漠と同じように、毎年20メートルずつ広がっているそうです。
そしてこの白い砂漠はどこから来たのでしょうか。約3000年前に出来た川が運んで堆積した砂の集まりだという人も、10000年前から存在していたという人も居ます。NHKのドキュメンタリーを見た方はご存知かと思いますが、この砂漠にあるラグーンには小魚がたくさんいます。雨季の間はラグーン同士が繋がり、魚は白砂漠を自由に泳ぎまわります。ラグーンに足を入れると、垢を食べに!?寄ってきます。透明度が高いので、無数の小魚を見られます。
訪れる方へのご注意
1)サングラスは必需品
マラニャン州は赤道に近く、ここに住む人々は目の病気になる確率が高いそうです。そしてレンソイス白砂漠はまるで北海道のゲレンデのよう。毎日訪れるガイドさんは雪目になってしまうそうです。
2)カメラに気をつけて!
石英の粒はとても硬く、そして細かいため、精密機器の敵です。私もデジタルカメラを落としてしまい、ズームの部分に粒が入ってしまい壊してしまいました。またボールペンを落としただけでも、隙間に砂が入り込み、使い物にならなくなってしまいました
3)お手洗いはラグーンから離れて
国立公園なので、ラグーンに棲む生物もいるのでお手洗いはラグーンから最低3メートル離れてくださいとのこと。ちなみに、木々がところどころ生えているので、陰で用を足す事は容易に出来るのご心配なく!
まだまだ調査段階で、分かっていないことも多いらしいレンソイス国立公園。解明されていないことが多いそうですが、何も知らなくても、何もわからなくても感動する砂漠なのです。
訪れた添乗員が1番感動した!と叫んで帰国してきます。(坂岸)
【ブログ:ぶらり秘境探検隊より】http://bit.ly/bXSvq8
- タグ:
- ブラジル 旅行 白砂漠

- デルフィ(デルフォイ)、ギリシャ
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エリア:
- ヨーロッパ>ギリシャ>ギリシャその他の都市
- テーマ:観光地 世界遺産
- 投稿日:2010/06/08 10:47
- コメント(0)
ギリシャ中部、名峰パルナッソス(海抜2,547m)の山腹にデルフィ(デルフォイ)と呼ばれる古代ギリシャ随一の聖地があります。デルフィの聖地は音楽や芸術の神アポロンに捧げられ、ギリシャはおろか、古代地中海の様々な国から巡礼者がやってきたと言われています。その理由は主にアポロンの神託を聞くためでした。
古代ギリシャ悲劇の傑作「オイディプス」の話でデルフィの神託は重要な役割を担っています。また、実世界においてもアレクサンドロス(アレキサンダー)大王を始め、数多くの古代の著名人がこの地を訪れました。ペルシャ戦争においてテルモピュレの防衛線(スパルタ王レオニダスの憤死。映画「300」の舞台)が破られ、追い詰められたアテネもデルフィの神託によって海で戦う道を選び、結果としてサラミスの海戦で強大なペルシャを打ち破る事に成功しました。礼拝者が多いので、デルフィには各地のポリス(都市)が宝庫と呼ばれる出張所のような役割を果たしていた建物を参道沿いに建てた程でした。
そんなデルフィもローマ帝国台頭後のギリシャの衰退やキリスト教の登場で聖地としての地位を失い、次第に打ち捨てられてゆきました。
それから約二千年の時が過ぎましたが、幸いこの一帯は近代化の波に飲まれる事もなく、今日のデルフィの遺跡は、二千年前とそう変わらないであろう風景に囲まれて静かにパルナッソス山の山腹に佇んでいます。
遺跡の入り口から各都市の宝庫が並ぶ参道を抜けて行くと、かつて神託が行われていたアポロンの聖域があります。かつてこの場所でお香を焚き、特別な存在であったデルフィの巫女達がそのお香を吸って一種のトランス状態になって奇声を上げ、祭祀がその言葉を訳して参拝者に伝えたと言われています。焚かれていたお香は現代では一種の麻薬のような物であったのでしょう。
このアポロンの聖域のすぐ上には、今日でも立派に残る劇場があり、かつては芸術の神アポロンに捧げた舞台芸術が行われていました。この劇場の位置からはアポロンの聖域と遺跡の下の谷のパノラマが絶景です。また、この劇場からさらに登って行くと、古代競技場の跡があります。オリンピックの語源となったオリンピア程有名ではありませんが、古代ギリシャではオリンピアと並んで四大オリンピックの一つに数えられ、オリンピアの競技場よりも幾分か修復されているので、かつての姿が想像しやすいかもしれません。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】http://bit.ly/ayG16f
古代ギリシャ悲劇の傑作「オイディプス」の話でデルフィの神託は重要な役割を担っています。また、実世界においてもアレクサンドロス(アレキサンダー)大王を始め、数多くの古代の著名人がこの地を訪れました。ペルシャ戦争においてテルモピュレの防衛線(スパルタ王レオニダスの憤死。映画「300」の舞台)が破られ、追い詰められたアテネもデルフィの神託によって海で戦う道を選び、結果としてサラミスの海戦で強大なペルシャを打ち破る事に成功しました。礼拝者が多いので、デルフィには各地のポリス(都市)が宝庫と呼ばれる出張所のような役割を果たしていた建物を参道沿いに建てた程でした。
そんなデルフィもローマ帝国台頭後のギリシャの衰退やキリスト教の登場で聖地としての地位を失い、次第に打ち捨てられてゆきました。
それから約二千年の時が過ぎましたが、幸いこの一帯は近代化の波に飲まれる事もなく、今日のデルフィの遺跡は、二千年前とそう変わらないであろう風景に囲まれて静かにパルナッソス山の山腹に佇んでいます。
遺跡の入り口から各都市の宝庫が並ぶ参道を抜けて行くと、かつて神託が行われていたアポロンの聖域があります。かつてこの場所でお香を焚き、特別な存在であったデルフィの巫女達がそのお香を吸って一種のトランス状態になって奇声を上げ、祭祀がその言葉を訳して参拝者に伝えたと言われています。焚かれていたお香は現代では一種の麻薬のような物であったのでしょう。
このアポロンの聖域のすぐ上には、今日でも立派に残る劇場があり、かつては芸術の神アポロンに捧げた舞台芸術が行われていました。この劇場の位置からはアポロンの聖域と遺跡の下の谷のパノラマが絶景です。また、この劇場からさらに登って行くと、古代競技場の跡があります。オリンピックの語源となったオリンピア程有名ではありませんが、古代ギリシャではオリンピアと並んで四大オリンピックの一つに数えられ、オリンピアの競技場よりも幾分か修復されているので、かつての姿が想像しやすいかもしれません。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】http://bit.ly/ayG16f
- タグ:
- ギリシャ

- カルタジローネ(イタリア/シチリア島)
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア
- テーマ:街中・建物・景色 世界遺産
- 投稿日:2010/06/03 20:39
- コメント(0)
「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々」
シチリアの南島部にはこの名前が冠せられた世界遺産があります。町々と言うのは合計8つの町で構成されている為ですが、その8つの町の中でも特に名が高いのが、ラグーサ、ノートと今回ご紹介するカルタジローネです。
カルタジローネは人口僅か数万人の小さな町ですが、他の7つの町と同様に後期バロック様式による調和の取れた建築が並ぶ町並みが印象的です。そしてこの町には他の町にはない特別な物があります。陶芸です。
実はカルタジローネ周辺から採れる粘土は、陶器向きで非常に良質な事で知られています。古くは紀元前の時代から古代ギリシア人達も利用していたという話もあるぐらいです。中世の時代にはスペインから伝わったマヨルカ焼きの技法が取り入れられ、今日の色鮮やかな陶器の源流が形成されました。
この陶芸の技術が生かされているのが町の名所サンタ・マリア・デル・モンテの大階段です。この階段は全部で142段あり、下から眺めると壮観です。しかし、この階段の本当のみどころは遠くから眺める事ではありません。近くから眺める事です。それと言うのもこの大階段の蹴り上げの部分に一段一段異なる142通りの装飾が施されているのです。それも陶芸の技術を生かしたマヨルカ焼きのタイルで。
ツアーで立ち寄った場合、上からは行けないので通常下側から階段を見上げるポイントにご案内します。その後出来る限り自由時間もお取りしておりますので、少々きついですが一番上まで登ってみても良いでしょう。もちろん蹴り上げ部分の装飾を楽しみながら。最上部にはこの階段の名前の由来となっているサンタ・マリア・デル・モンテ教会が静かに佇んでいます。上部から下を見下ろすと、大階段が滑らかな斜面のように見えて結構面白いです。
一般的にはあまり立ち寄らないカルタジローネは実は魅惑一杯の宝箱のような隠れたシチリアの名所です。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】http://bit.ly/ayG16f
シチリアの南島部にはこの名前が冠せられた世界遺産があります。町々と言うのは合計8つの町で構成されている為ですが、その8つの町の中でも特に名が高いのが、ラグーサ、ノートと今回ご紹介するカルタジローネです。
カルタジローネは人口僅か数万人の小さな町ですが、他の7つの町と同様に後期バロック様式による調和の取れた建築が並ぶ町並みが印象的です。そしてこの町には他の町にはない特別な物があります。陶芸です。
実はカルタジローネ周辺から採れる粘土は、陶器向きで非常に良質な事で知られています。古くは紀元前の時代から古代ギリシア人達も利用していたという話もあるぐらいです。中世の時代にはスペインから伝わったマヨルカ焼きの技法が取り入れられ、今日の色鮮やかな陶器の源流が形成されました。
この陶芸の技術が生かされているのが町の名所サンタ・マリア・デル・モンテの大階段です。この階段は全部で142段あり、下から眺めると壮観です。しかし、この階段の本当のみどころは遠くから眺める事ではありません。近くから眺める事です。それと言うのもこの大階段の蹴り上げの部分に一段一段異なる142通りの装飾が施されているのです。それも陶芸の技術を生かしたマヨルカ焼きのタイルで。
ツアーで立ち寄った場合、上からは行けないので通常下側から階段を見上げるポイントにご案内します。その後出来る限り自由時間もお取りしておりますので、少々きついですが一番上まで登ってみても良いでしょう。もちろん蹴り上げ部分の装飾を楽しみながら。最上部にはこの階段の名前の由来となっているサンタ・マリア・デル・モンテ教会が静かに佇んでいます。上部から下を見下ろすと、大階段が滑らかな斜面のように見えて結構面白いです。
一般的にはあまり立ち寄らないカルタジローネは実は魅惑一杯の宝箱のような隠れたシチリアの名所です。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】http://bit.ly/ayG16f

- エジンバラのミリタリー・タトゥー
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エリア:
- ヨーロッパ>イギリス>エジンバラ
- テーマ:お祭り・イベント
- 投稿日:2010/06/01 12:57
- コメント(0)
先日ロンドンに行って来た知人がバッキンガム宮殿の衛兵交代式を見逃した事をしきりに悔やんでいる話を聞きました。ロンドンの近郊に1年ちょっと住みながら一度も衛兵交代式を見に行った事もなかった私にとってその悔やむ原因がイマイチ分かりませんでしたが、落胆しているようなのでとりあえず「日はまた昇る」という迷言で慰めときました。
私が一度も衛兵交代式を見に行かなかった理由は、スコットランドのミリタリー・タトゥーを見たからです。その時冗談がきついドイツ人の友人が、「これを見たらバッキンガムの茶番では満足出来なくなるだろう」と言っていました。それを間に受けた訳ではありませんが、なんとなく足が遠のいてしまったのかもしれません・・・。
さて、そのミリタリー・タトゥーとは一体どういうものでしょうか。
英国北部のスコットランドが過ごしやすい気候になる毎年夏、世界有数の芸術祭であるエジンバラ・フェスティバルが開かれます。そのエジンバラ・フェスティバルの目玉の一つがこのミリタリー・タトゥーです。タトゥーと言うと刺青を想像する方もいるだろうが、ここでは軍楽隊の音楽を指して用いられています。
第一回は1950年に開催され、今年で60周年を迎えるイベントです。ミリタリータトゥーの公式サイト(英語)には、色々な自慢があるので一部列挙してみると、
・現在は約3週間に渡って開催されているが、1989年以来催しのチケットは完売している。
・毎年21〜22万人がこのイベントに駆けつけ、通算で約1200万人が見学している。その約半分が海外から来るそうだ。
・実会場とは別に、毎年約100万人がテレビでミリタリー・タトゥーを視聴している。
・2009年はチケットオフィスの売上だけで、6億円を越えたそうだ。
実際その迫力はすごいです。何よりいいのが、趣きあるエジンバラ城を背景にパレードが行われる事。会場は、実は普段エジンバラ城の駐車場ですが、ミリタリー・タトゥーの開催中は世界の名劇場にも見劣らない最高のステージに変貌します。夏とは言え、夜は冷えてくるので少し厚着して観客席からゆっくり楽しむのがお勧めです。
夏の英国は全国的にベストシーズンなので、ロンドンだけ行った方には英国再訪の旅の余興としていいと思います。落胆していた知人にもいい薬になるでしょう・・・。
【ブログ:倶楽部ユーラシアより】http://bit.ly/4mfB0e
私が一度も衛兵交代式を見に行かなかった理由は、スコットランドのミリタリー・タトゥーを見たからです。その時冗談がきついドイツ人の友人が、「これを見たらバッキンガムの茶番では満足出来なくなるだろう」と言っていました。それを間に受けた訳ではありませんが、なんとなく足が遠のいてしまったのかもしれません・・・。
さて、そのミリタリー・タトゥーとは一体どういうものでしょうか。
英国北部のスコットランドが過ごしやすい気候になる毎年夏、世界有数の芸術祭であるエジンバラ・フェスティバルが開かれます。そのエジンバラ・フェスティバルの目玉の一つがこのミリタリー・タトゥーです。タトゥーと言うと刺青を想像する方もいるだろうが、ここでは軍楽隊の音楽を指して用いられています。
第一回は1950年に開催され、今年で60周年を迎えるイベントです。ミリタリータトゥーの公式サイト(英語)には、色々な自慢があるので一部列挙してみると、
・現在は約3週間に渡って開催されているが、1989年以来催しのチケットは完売している。
・毎年21〜22万人がこのイベントに駆けつけ、通算で約1200万人が見学している。その約半分が海外から来るそうだ。
・実会場とは別に、毎年約100万人がテレビでミリタリー・タトゥーを視聴している。
・2009年はチケットオフィスの売上だけで、6億円を越えたそうだ。
実際その迫力はすごいです。何よりいいのが、趣きあるエジンバラ城を背景にパレードが行われる事。会場は、実は普段エジンバラ城の駐車場ですが、ミリタリー・タトゥーの開催中は世界の名劇場にも見劣らない最高のステージに変貌します。夏とは言え、夜は冷えてくるので少し厚着して観客席からゆっくり楽しむのがお勧めです。
夏の英国は全国的にベストシーズンなので、ロンドンだけ行った方には英国再訪の旅の余興としていいと思います。落胆していた知人にもいい薬になるでしょう・・・。
【ブログ:倶楽部ユーラシアより】http://bit.ly/4mfB0e
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