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旅倶楽部「こま通信」

~旅するように生きていこう~

旅倶楽部「こま通信」
旅するように生きていこう!
プロフィール

ニックネーム:
こまつうしん
居住地:
埼玉県
性別:
男性
年代:
60代
会社名:
旅倶楽部 こま通信
会社英字名:
会社所在地:
埼玉県
業種:
旅行業
自己紹介:
旅倶楽部「こま通信」代表

これまで三千日以上を旅してきて、より良い旅の為に《手造の旅》をはじめました。メンバーからの要望によって、一生モノの旅をつくっていきます。

《手造の旅》のご希望がありましたらご連絡ください。
komatsusin2@gmail.com

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記事一覧

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崖の上の家拡大
崖の上のボニファシオ
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>フランスその他の都市
テーマ:観光地 クルーズ 
投稿日:2011/07/18 13:39
コメント(0)
クルーズ船シルーバ・スピリット号は、コルシカ島の最南端、ボニファシオの沖に停泊。朝、デッキに出てみると、崖の上の旧市街の町が目の前にそびえていた。
海からボニファッショ旧市街
旧市街を海からパノラマで
テンダーボートで港へ向かうあいだも、この崖がボニファシオを要塞の町にした事を体感する。港に着くと厚い城壁が今も町を取り巻いているのが分かる。
港から見上げる旧市街

ボニファシオの観光案内の多くが海から町を眺める事を勧めている。なるほどこの雰囲気は町に入ってしまっては分からない。あらためて、小さな船での一時間クルーズに乗ってみることにした。クルーズルート
この旧市街は、一方がこの写真のように港に面し、もう一方が外海の崖の上といういわば半島状の地形になっているのが分かる。
城壁
近づいて航行すると、長く切れ込んだ入り江の両側に、かつては大砲や銃が狙っていた堡塁築かれているのが分かる。要塞化される入り江の入り口
ここが入り江の入り口。
湾への入り口
崖を右手に航行してゆくと、十分ほどで深く切れ込んだ洞窟が見えてくる。遊覧船はそのまま中へ入っていく。水の色がどんどん蒼くなってゆく。洞窟への入り口洞窟
そして、静かな洞の天井からも光がおちてくる。
洞窟内部
さらに進むと、奇妙な岩の頂上に十字架が掲げられているのが見えてくる。船内の英語アナウンスがで道院があると知る。岩の向こうは修道院
海岸にはたくさんのプライベートボートが止まり、夏の海を楽しんでいる。このあたりの岸辺に行くには道路よりもボートの方が簡単なのだ。

船は方向を変えて、ボニファシオの旧市街の方向へ。日当たりの良い所が好みの欧米人
欧米人はほんとに陽のあたるところが大好き。
対して、日本勢は全員が船内の日陰から撮影。日陰が好みの日本人
ナポレオンの帽子
ナポレオンの帽子
いよいよ旧市街のすぐ下にやってきた。崖の上の家拡大
間際までぎっしり建てられた家々、「落ちないの?」と思う。いや、ほんとに崩落した家もあるのだそうです。

そして、圧巻はこの「アラゴン階段」。80メートルの崖の中を斜め45度にて百八十七段の階段を掘りぬいているのだ。アラゴン階段建造は確かに1420年頃と、どの解説も一致する。しかし、伝説は様々。★アラゴン王がボニファシオを征服しようと包囲した際、突入口として秘かに掘らせたが発覚した?★アラゴンに包囲されたボニファシオ側が、ジェノバからの援軍・物資を市内に運び入れる為に一夜で掘り抜いた?

この階段の下には泉が湧き出しており、それを汲みに行く為の道として建設されたというのがもともとの理由のようだ。戦時にそれが利用されることはもちろんあったに違いないが。

旧市街から入場料を払って降り、登り、することが出来る。アラゴン階段入り口

朝の花々
ピラトゥス山頂、エーゼル峰の夜明け
エリア:
  • ヨーロッパ>スイス
テーマ:ハイキング・登山 ホテル・宿泊 
投稿日:2011/07/06 11:21
コメント(0)
ピラトゥス山頂のホテルに宿泊しなければ見られない夜明けの絶景。
エーゼル峰から朝日を見る人人
朝、五時半、ベルビューホテルの窓から見る空には夜の名残の月が出ていた。
夜明けの空の月
すぐ裏のイーゼル峰頂上までは、ホテルのすぐ後ろの階段を十分上がれば着く。エーゼル峰への上り口
登る途上で振り返ると、丸い形が新しいベルビューホテル、遠景が1890年創業・ヴィクトリア女王も訪れたピラトゥス・クルムホテル。
エーゼル峰からホテルを見下ろす
上りきると、数人の先客の影が見えた。いずれもホテルの宿泊客。エーゼル峰頂上
眼下のフィアヴァルトシュテッテ湖から朝日が昇り始める。
通称ルツェルン湖を見下ろす
エーゼル峰から朝日を見る人人
振り返ると谷を挟んだ遠景にユングフラウの山々に朝日があたっている。きのうの夜夕陽を見たトムリス峰の頂上にも陽があたりはじめている。遠景ユングフラウからトムリス峰まで
ユングフラウ方向ユングフラウ方向
中央の白く高く見えるのがメンヒ峰、そのすぐ右がアイガー、そして少し離れて右がユングフラウ。よくツアーで団体写真を撮影するクライネシャイディックとは違う角度なのでメンヒ峰がアイガーよりも左に見えているのだ。ユングフラウ峰、メンヒ峰、
きのう夕陽を見たピラトゥスの最高峰トムリスは陽のあたっているいちばん向こうの尖ったところの少し先となる。エーゼル峰からトムリス峰を見る
すっかり太陽が昇りホテルに戻る階段横で、小さな高原の花が朝日をいっぱいにあびて楽しそうに見えた。朝の花々

トムリスホルン頂上からの夕陽
ピラトゥス最高峰からの夕陽
エリア:
  • ヨーロッパ>スイス
テーマ:ハイキング・登山 
投稿日:2011/06/30 13:07
コメント(0)
ピラトゥス山頂のホテルに宿泊するからこそ楽しめる夕陽がある。トムリスホルン頂上から夕焼けピラトス
最後のゴンドラや山岳列車が終わると二つしかない小さなホテルの宿泊客しかいなくなる。静かになった山頂駅から最高峰のトムリスホルンを目指した。
ピラトゥス峰は三つのピークから構成されている。
ピラトゥス頂上の絵地図
いちばん左側がトムリスホルン峰標高2132メートル。ここまで地元の標識では40分と出ているが、のんびり歩く我々には一時間程度というところか。※下の写真靴マーク?の看板
トムリスホルンへの標識40分
ホテルのある場所がすでに二千メートルを超えているから道は比較的平坦である。もちろんアップダウンはあるけれど、眼下にすばらしい景色を見張らす道。
トムリスホルンへの道眼下に湖近くの湖がルツェルンの面するフィアー・ヴァルト・シュテッテ湖、向こうに見えるのがツーク湖。
突然鹿に出会う。距離は十メートルほど。こちらよりもあちらのほうがびっくりしている様子。岩の上からじっとこちらを見ている。
トムリスホルンへの道若い鹿
尾根の上に出ると夕陽があたる。
トムリスホルンへ陽のあたる尾根
さらに急な斜面に入ると、今度は素晴らしい角のシュタインボックのシルエットが二つ!とっさにカメラを向けるが、ピントがしっかり合う時間まではなかった。シュタインボックに突然出会う

谷向こうという雰囲気でユングフラウなどおなじみの峰峰が連なっている。トムリスホルンより遠方のユングフラウ

この道はトムリスホルンへだけ続くのではない。頂上へ上がるこの標識を見落とさないで上がっていく。トムリスホルンへの分かれ道標識
すでに今日2011年6月26日の日の入り時間21時30分になろうとしている。
トムリスホルン頂上からのパノラマ
ここまで歩いてきた尾根が夕陽に染まっている。
トムリスホルン頂上から夕焼けピラトス


トムリスホルン頂上からの夕陽ピラトゥスの山頂ホテルに泊まり、さらにこれだけの好天に恵まれなければ見られない360度の天体ショー。まちがいなく一生モノの瞬間。
ピラトゥス最高峰トムリスホルン頂上

野菜のグリル
ギリシャ料理はおいしい!
エリア:
  • ヨーロッパ>ギリシャ
テーマ:グルメ 
投稿日:2011/06/01 00:15
コメント(2)
●タコのウゾー煮 これはギリシャでなければ食べられない料理である。
タコのウゾー煮
「ギリシャ料理っておいしい!」と目からウロコをとってくれた料理であった。
タコ、オリーブ、トマト、たまねぎ。それにオレンジの甘さがアクセントになっている。そして決め手はウゾーの風味。
ウゾーはギリシャに典型的な蒸留酒。原料はぶどうなどをつぶしたもので、簡単にはワインの搾りかすを蒸留したものだそうだが、その実かなりのバラエティがある。日本酒のように千差万別の味わいだ。
ウゾーは柑橘系の甘さによくあうと聞いたことがある。グレープフルーツジュースをいれてカクテルにもする。

●エビのメタクサソース 焼いたエビの上に、ギリシャのブランデーであるメタクサを使ったソースがかかっていた。エビのメタクサソース
これもまたギリシャでなくては味わえない。

ヨーロッパ料理のなかで、「ギリシャ料理」というとどんなイメージだろう?「イタリア料理」や「フランス料理」「スペイン料理」というとすぐに浮かんでくる料理があり、=おいしい、という印象を持っている日本人が多いのに比べ、「ギリシャ料理」は=おいしい、というイメージでは語られてないように思える。実にもったいない。おざなりなツアーメニューからもう少し踏み込めば、そこにはギリシャでなくては味わえないおいしさがちゃんとあるのだ。

ギリシャ在住の日本人の友人は「ギリシャ料理は新鮮な食材をいかすだけでよい」と言った。●新鮮なエビ はこんなふうに焼くだけで実においしい。
エビグリル
魚は日本のように焼くだけで充分。パトモス島の港から奥に少し入ったレストランで出された名前もよく分からない魚だけれど、ジューシーな身であった。パトモスの新鮮焼き魚「うまいだろ?今朝、俺が漁ってきたんだ」と、運んできてくれたいかにもたくましいお兄さんが言った。
スナッパーグリル●黒鯛のグリル 醤油をかけると日本風になるな、と思った。もちろんかけなくておいしかったけれど。

そう、そこで気付いた。
「素材を生かす」というのは、どの国の料理でも重要な事。「ギリシャらしさ」を感じさせてくれるのは、その国に定番の匂いや基礎になる味。日本なら醤油や味噌、出汁の味にある。

「ギリシャ的な料理のポイントは何?」との質問に、現地で暮らす人は「オリーブオイル」とか「レモン」とか答えてくれたが、それは地中海全域に共通している。
ギリシャでなくては無い風味というのは、冒頭のタコ料理につかわれていたウゾーであり、エビ料理のソースに使われたメタクサのようなものではないか、と、これは個人的な感想ですが・・・。
さらに、MASTIC(=乳香樹脂)というのも、注意しているとよくよく使われている。
下は●野菜のグリル 素材も抜群においしかったけれど、そこに添えられたソースに使われていたのは⇒マスタード、バルサミコ、オリーブオイル、そしてMASTICが決定的なギリシャ的個性を演出していた。
野菜のグリル

●鱈の身をふわふわにほぐして軽くコロッケのようにしたものだが、白く見えるソースの材料はヨーグルトとクリーム、それにMASTICだった。鱈のふわふわコロッケ
★美味しかったギリシャ料理に共通して感じ取れたこのMASTICが、自分の中では象徴的に「ギリシャ料理の香り」として認識されている。しかし、MASTICそのものの味はまったく好きではない小松です。

以下に、まだまだあるある、美味しかったギリシャ料理を。
●ラムチョップはデルフィのお気に入りのお店にて。本数でなくキロ単位で注文するシロモノ。絶品ラムチョップ
●ズッキーニのコロッケ 新鮮なズッキーニの味わいがしっかり。ズッキーニのコロッケ
●イェミスタ くりぬいたトマトやパプリカの中に調理した米を詰めたもの。中身が分かるように拡大。イエミスタ
●「ハルミチーズ」を茄子で巻いてあげたものハルミチーズ那須巻き揚げ
●「ハルミチーズ」はキプロスのチーズ。おなじく茄子で巻いてあるが、さらにドライトマトとハーブのソースで味付けされていて、より洗練された雰囲気。ハルミチーズの茄子巻き
●レモンの皮の蜂蜜漬け パトモス島のレストランで出してくれた、お手製のひと品。レモンの皮の蜂蜜漬け

ああ、写真で味は伝わりません(笑)

シャガールの画くクロービスの聖別
ランス大聖堂とサン・レミ聖堂
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>ランス
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2011/05/11 01:22
コメント(0)
フランス屈指のランス大聖堂。現在見られる三代目が着工されたのが1211年とされているので、今年はちょうどその八百周年にあたる年。
大聖堂建立八百周年
前回2007年に訪れた時にはまだ真っ黒だった聖堂が、今回はほぼ白く洗われていた。ランス大聖堂ファサード
正面左の扉の左側にあるランスの象徴「微笑みの天使」もこのようにきれいになり、羽にあった銃弾の跡もほぼきれいに修復されていた。
微笑みの天使正面の彫刻の中には、実はもう一体の微笑む天使があるのだが、何故こちらの天使だけがランスの象徴のように言われるのか?

それは、爆撃の後、無残に首だけが落ちてしまっていたのを、丹念な修復の結果よみがえった事実に由来する。

★最初の聖堂は紀元5世紀のはじめに聖ニケーズが、ローマ浴場の跡を選んで造営した。現在の三分の一の長さもないバジリカ式のものだった。
浴場跡を利用したのは、その建物が堅牢だったので砦としても利用できると考えた為。

伝説は語る。紀元407年12月14日、異民族に包囲され住民が教会に逃げ込んだ。ニケーズは侵入しようとする敵を阻止しようとしたが、首を切られてしまう。ところが、ニケーズは切られた首を手に持ち、そのまま聖句をとなえながら首自身を祭壇へ捧げるという奇跡を起こした。
これを見た敵は恐れをなして退却し、街は救われた。その奇跡を記念した像やレリーフが各所に見られる。
聖ニケーズ

★その約百年後、496年(別年号説あり)フランク族の王のひとりクロービスは、戦いに勝ったことに感謝。熱心なキリスト教者であった妻クロチルドの勧めもあり、三千人の部下と共にキリスト教に改宗。聖レミより洗礼をうけた。

聖レミ聖堂のファサードレミ聖堂ファサード

下は聖レミ聖堂にある、クロービス洗礼の図である。
クロービス王洗礼の図

この時あまりに教会が人でいっぱいになり、王を聖別するための香油がなかなかレミ司教の手元に届かなかった。それを精霊の化身である鳩がくわえて運んでいくという奇跡が起きた。
これにより、フランス歴代の王はこの香油を使って聖別されてこそ戴冠できるとされていたのである。

聖レミ聖堂に安置されたレミの棺にはこの香油が入っており、歴代の王はそこから少し借用しては自分の聖別式に使う油と混ぜていたのだそうだ。フランス革命でこの墓も荒らされて紛失してしまったと思われていたが、戦後に「実は私が避難させていました」と名のる修道士があらわれ、現在はトー宮殿の方に保管されているそうである。聖レミの墓

聖レミの眠る聖堂の起源は大聖堂よりも古く、10世紀ごろと想定されるロマネスク部分の厚い壁と、その後のゴシックらしいスタイルとがよく分かる。※聖レミ聖堂内部↓
レミ聖堂内部

ここも大聖堂同様、第一次大戦では屋根が落ちて悲惨な状態であった。爆撃で屋根の落ちたレミ聖堂

**
一方、大聖堂内のステンドグラスは必見である。
特に有名なのはシャガールのデザインしたこの作品。シャガールがデザインしたステンドグラしかし、ステンドグラス自体を制作する事は画家であるシャガールには出来るはずもない。そこには17世紀から続くステンドグラスの職人一族が手を貸している。

1974年に設置されたシャガールのステンドグラスを制作したのはシャルル・マルクという職人だった。
クロービス王の戴冠式
シャガールの画くクロービスの聖別
シャルル七世の戴冠、ジャンヌ・ダルクが右に立つ。
シャガールの画くジャンヌダルク

このステンドグラスのあった場所にはもともと別の古いステンドグラスがあったのだが、わざわざ移動させて、シャガールの作品を入れ込んだ。

制作職人シャルル・マルクの義理の父、ジャック・シモンは1640年から続くステンドグラス一族の10代目である。彼が1954年に制作したシャンパン製造のステンドグラスがすぐ近くにある。
いろいろな畑からとれたワインをブレンドして、シャンパンの元になるものをつくってゆくドン・ペリニョン※下写真の上半分ブレンド、動瓶ワインに出来る澱を集める為の「動瓶」を手でやる僧侶。※現在では機械で自動でできるのだそうだ。※上写真の下半分

加える糖分はかつてカリブ海からのサトウキビから採られていた。※ナポレオン以降砂糖大根(ビーツ)を使う方法が発明された。※下写真の上右
コルクによって栓をするという方法も新たに考案された。※下写真の上左がコルクの木をはいでいる図サトウキビをつくる、ボトルをつくる泡の圧力に負けない厚い丈夫な瓶を使用することで、シャンパン製造の技術が発展していった。※上写真の下半分

聖レミ聖堂には娘のブリジットが制作したモダンな美しいステンドグラスがある。レミ聖堂の新しいステンドグラス

そして、ランス大聖堂で最も新しいステンドグラスが2011年の八百周年を記念して除幕を待っていた。全体が見られなくて残念、次回には見られるだろう。このデザインはドイツ人のアーチストの手になるもをつかい、フランスの職人ブノワ・マルク(シャルル・マルクの息子で第12代)が制作。ドイツとフランスの融和を現すための作品である。
最新ステンドグラス
ドイツとの国境に近いランスは、20世紀に何度も戦火に巻き込まれてきた土地でもある。

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大聖堂内その他
★1901年制作の静かなジャンヌダルクの立像が目に留まった1901年のジャンヌダルク像
★ラ・サールの像
1651年ランス生まれ。
上流階級に対するラテン語教育を「教育」と読んでいた時代に、一般にむけてフランス語での教育をはじめた。27歳で初めてのミサをこの場所で行ったのを記念して、後年この像が設置された。ラ・サール
★中世時代の大聖堂には床に巨大な迷路が描かれていたことが分かっている。真実に至る迷路をあらわす。かつて床にあったMAZEフランスの歴史文化財を現す標識マークにこの迷図マークが使われている。

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