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- ドゥワリカホテル「クリシュナルパン」にて本格ネパール料理
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エリア:
- アジア>ネパール
- テーマ:街中・建物・景色 ホテル・宿泊 グルメ
- 投稿日:2010/12/12 17:34
- コメント(0)
カトマンズ市内の喧騒は、このレストランのあるドゥワリカホテルの門をくぐったとたんにぴたりと止む。まさに、別世界が待っている。

これらの建物は伝統的なネワール様式で、特にそこにはめこまれた木彫りは設立者のドゥワリカ・ダス・シュレスタ氏が1970年代から収集していたものだった。当時これらのものは朽ちはててゆくのを放置されていた。

最も古いものは13世紀というこれらの木彫。しかし、ただ集めたものを建物にはめ込むだけでこれだけのものは完成しない。現代のコンクリートの建物に木彫をはめ込むわけにはいかない。
ドゥワリカ氏はこれら木彫がはめ込まれていたかつての建物を再現しようとした。何百年も前の建築に使われていたレンガはすでに生産されなくなっていたので、わざわざ手造りで再現させたものだそうだ。
この雰囲気ある中庭を歩いていくと「クリシュナルパン」レストランが見えてくる。
靴を脱いで板の間にあがり、座椅子のように腰掛ける。アジア風の食卓で落ち着いた雰囲気。
テーブルにはそのゲストそれぞれの名前と品書きを入れたメニューカードが置かれている。

食器の中に見慣れない葉っぱのかたちの小皿があった。食べ物がくると、クリシュナ神の為に少量だけ取り分けて捧げおく。これを店の名前「クリシュナルパン」と呼ぶのだ。

前菜
左はレンズマメをハーブとあわせたもの。下はお米なのだが、クリスピーな食感で周囲の「おかず」とあわせて楽しむ。右はマイルドなカレー味

アチャール(漬物)
左はプラム、確かに梅干のような味わいもかんじられる。
右はコロハ、薬の原料になるのがわかる味

タルカリ(野菜)スープ

大豆を主体にした甘くないお汁粉のようなスープは他のところでも飲んだことがあったが、こちらは各種スパイスで上手に味付けしてある。
チャタマリ(ツァタマリ)

ネパール風ライス・クレープと説明してあったが、それでは想像つきますまい味。中身は鶏肉の身をマヨネーズ風味にしてあった。
モモ(餃子)は特製のたれ(トマト、玉ねぎ、ヨーグルト、しょうが・にんにく、ターメリック、チリパウダーなど入り)にて

おなじみダールバートももちろん

ビールはゴルカ

これにデザートのさつまいもプリンがでてきて全6コース。ここではいちばん簡単なコース。最大は全22コースまであった。
最後にお土産の手造りレンガを手渡してくれる。

この絵柄はひとつひとつ違う。
ネワールの文化を守ろうとしたドゥワリカ氏が復興させた手造りレンガである。ドゥワリカ氏は1992年に他界したが、今はその娘が後を継ぎ、このホテルとレストランを仕切っている。
入り口には、かつての皇子ディペンドラが来店した際に、彼女と写っている写真が掲げられていた。※king王と書かれているが、2001年の「あの王宮の事件」の後、瀕死のまま王弟ギャネンドラに即位させられた、とされているからである。

これらの建物は伝統的なネワール様式で、特にそこにはめこまれた木彫りは設立者のドゥワリカ・ダス・シュレスタ氏が1970年代から収集していたものだった。当時これらのものは朽ちはててゆくのを放置されていた。

最も古いものは13世紀というこれらの木彫。しかし、ただ集めたものを建物にはめ込むだけでこれだけのものは完成しない。現代のコンクリートの建物に木彫をはめ込むわけにはいかない。
ドゥワリカ氏はこれら木彫がはめ込まれていたかつての建物を再現しようとした。何百年も前の建築に使われていたレンガはすでに生産されなくなっていたので、わざわざ手造りで再現させたものだそうだ。
この雰囲気ある中庭を歩いていくと「クリシュナルパン」レストランが見えてくる。

靴を脱いで板の間にあがり、座椅子のように腰掛ける。アジア風の食卓で落ち着いた雰囲気。
テーブルにはそのゲストそれぞれの名前と品書きを入れたメニューカードが置かれている。

食器の中に見慣れない葉っぱのかたちの小皿があった。食べ物がくると、クリシュナ神の為に少量だけ取り分けて捧げおく。これを店の名前「クリシュナルパン」と呼ぶのだ。

前菜
左はレンズマメをハーブとあわせたもの。下はお米なのだが、クリスピーな食感で周囲の「おかず」とあわせて楽しむ。右はマイルドなカレー味

アチャール(漬物)
左はプラム、確かに梅干のような味わいもかんじられる。
右はコロハ、薬の原料になるのがわかる味

タルカリ(野菜)スープ

大豆を主体にした甘くないお汁粉のようなスープは他のところでも飲んだことがあったが、こちらは各種スパイスで上手に味付けしてある。
チャタマリ(ツァタマリ)

ネパール風ライス・クレープと説明してあったが、それでは想像つきますまい味。中身は鶏肉の身をマヨネーズ風味にしてあった。
モモ(餃子)は特製のたれ(トマト、玉ねぎ、ヨーグルト、しょうが・にんにく、ターメリック、チリパウダーなど入り)にて

おなじみダールバートももちろん

ビールはゴルカ

これにデザートのさつまいもプリンがでてきて全6コース。ここではいちばん簡単なコース。最大は全22コースまであった。
最後にお土産の手造りレンガを手渡してくれる。

この絵柄はひとつひとつ違う。
ネワールの文化を守ろうとしたドゥワリカ氏が復興させた手造りレンガである。ドゥワリカ氏は1992年に他界したが、今はその娘が後を継ぎ、このホテルとレストランを仕切っている。
入り口には、かつての皇子ディペンドラが来店した際に、彼女と写っている写真が掲げられていた。※king王と書かれているが、2001年の「あの王宮の事件」の後、瀕死のまま王弟ギャネンドラに即位させられた、とされているからである。

- パタンに八つの不思議が起こる時
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エリア:
- アジア>ネパール
- テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2010/12/10 10:26
- コメント(0)
カトマンズ盆地の美しい世界遺産都市のひとつパタン。その王宮には今でも伝説が生きている。
17世紀はじめの王がいつ帰ってきてもよいように、ベッドメイクが毎日行われているのだとか。右側の建物がその王宮。そこへ向かって建てられた石の柱がみつかるだろうか。

柱の上には合掌する17世紀の王の姿がある。

シッディ・ナラシンハ・マッラ王(在位1618〜1661年)
日本なら徳川家光の治世の頃、この王は信仰厚い良き王としてパタンを統治していた。カトマンズとは別の王朝としてこの王宮を建築スタートした。

黄金で飾られた窓から顔をだされていたそうな。
王宮に面して建築したクリシュナ・マンディール寺院は創建当時21の黄金の針が立っていたとか、今でも精緻な石の彫刻が見られる。

貧しき人人の為には当時で二千四百人を収容できる住宅を建設。母の為には今もパタン動物園の中にある池と邸宅を。
国民の信望を集めていた王はしかし、四十年以上の治世の後、自ら巡礼へ旅立つ決心をした。
彼がいつ戻っていいように、王宮では毎日ベッドメイクが続けられる、王朝がかわり、2008年には王制自体が廃止された今日に至っても…。
王は言い置いていた、パタンに八つの不思議が起こるときが来るだろう・・・
それは
?王の坐像の後ろにとまっている鳥がさえずる
?王の合掌した手が開き、そこに鳥が巣をつくる
?石の象が歩き出す

?こま犬が鳴く

?あずまやの軒下から黄金が降ってくる

?ヒティ(共用井戸)からミルクが出る
?(今は失われた)石の鉄砲が火を噴く

?ガルーダが金の卵を産む

そうして、私は自分が死んだ事を皆に知らせるだろう。
17世紀はじめの王がいつ帰ってきてもよいように、ベッドメイクが毎日行われているのだとか。右側の建物がその王宮。そこへ向かって建てられた石の柱がみつかるだろうか。

柱の上には合掌する17世紀の王の姿がある。

シッディ・ナラシンハ・マッラ王(在位1618〜1661年)
日本なら徳川家光の治世の頃、この王は信仰厚い良き王としてパタンを統治していた。カトマンズとは別の王朝としてこの王宮を建築スタートした。

黄金で飾られた窓から顔をだされていたそうな。
王宮に面して建築したクリシュナ・マンディール寺院は創建当時21の黄金の針が立っていたとか、今でも精緻な石の彫刻が見られる。

貧しき人人の為には当時で二千四百人を収容できる住宅を建設。母の為には今もパタン動物園の中にある池と邸宅を。
国民の信望を集めていた王はしかし、四十年以上の治世の後、自ら巡礼へ旅立つ決心をした。
彼がいつ戻っていいように、王宮では毎日ベッドメイクが続けられる、王朝がかわり、2008年には王制自体が廃止された今日に至っても…。
王は言い置いていた、パタンに八つの不思議が起こるときが来るだろう・・・
それは
?王の坐像の後ろにとまっている鳥がさえずる
?王の合掌した手が開き、そこに鳥が巣をつくる
?石の象が歩き出す

?こま犬が鳴く

?あずまやの軒下から黄金が降ってくる

?ヒティ(共用井戸)からミルクが出る
?(今は失われた)石の鉄砲が火を噴く

?ガルーダが金の卵を産む

そうして、私は自分が死んだ事を皆に知らせるだろう。
セビリアから一時間もかからない場所にあるカルモナという小さな美しい町。この街のパラドールに泊まるのなら、日暮れ前に是非散歩したい。日暮れ前の一時間の散歩がカルモナの価値であるとさえ思う。
パラドールはこの街の城であった建物。

14世紀半ばのペロド一世王ゆかりといわれる。
入り口はイスラム風のムデハル様式。

パラドールになっているのはごく一部で、背後には巨大な城の廃墟が残されている。
カルモナの表玄関は要塞化されたセビリア門。
傾きかけた太陽の光が赤く染め始めている。

街の中心サン・フェルナンド広場

城壁沿いに歩くと白い壁に夕陽


教会がぽつんとあらわれる

セビリア門と反対側コルドバ門

外は地平線

ローマ時代の城壁にこの門をとりつけ補強した

空の色が蒼く変わりはじめ街頭がぽつり

お気に入りの教会の十字架にはまだカンテラが灯っていなかった…

十分ほど待つとようやく点灯、やはりぽっと暖かくなる


★★★
朝、パラドールのテラスから地平線に朝日がゆっくりのぼってくるのが見える。


朝食の場所は太陽でいっぱいになる

おいしくて食べ過ぎてしまったら…中庭のあるロビーでゆっくりしましょう
パラドールはこの街の城であった建物。

14世紀半ばのペロド一世王ゆかりといわれる。
入り口はイスラム風のムデハル様式。

パラドールになっているのはごく一部で、背後には巨大な城の廃墟が残されている。

カルモナの表玄関は要塞化されたセビリア門。
傾きかけた太陽の光が赤く染め始めている。

街の中心サン・フェルナンド広場

城壁沿いに歩くと白い壁に夕陽


教会がぽつんとあらわれる

セビリア門と反対側コルドバ門

外は地平線

ローマ時代の城壁にこの門をとりつけ補強した

空の色が蒼く変わりはじめ街頭がぽつり

お気に入りの教会の十字架にはまだカンテラが灯っていなかった…

十分ほど待つとようやく点灯、やはりぽっと暖かくなる


★★★
朝、パラドールのテラスから地平線に朝日がゆっくりのぼってくるのが見える。


朝食の場所は太陽でいっぱいになる

おいしくて食べ過ぎてしまったら…中庭のあるロビーでゆっくりしましょう

- ガウディのバッリョ邸
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エリア:
- ヨーロッパ>スペイン>バルセロナ
- テーマ:歴史・文化・芸術 街中・建物・景色 世界遺産
- 投稿日:2010/11/13 21:34
- コメント(0)
入場料ユーロ17.80は安くない。しかし、その価値を充分に感じさせてくれるバッリョ邸(日本の解説書の多くはバトリョ邸となっているが、現地の発音により近く表記いたします)。
入り口から二階への階段からすでに幻想的。

暖炉はまるできのこの様。

この建物が面するグラシア大通りは1877年ごろには建物が出来ていた。
バッリョ家は1900年に所有する事になり、1904年になってガウディに増改築を注文した。「はじめからガウディの設計になるものに比べて彼の個性が現れていないのでは?」いえいえ、むしろ人の器を使ったほうが個性が生きているように思われる。

この十字架と煙突の林立する空間は、ガウディの付け加えた五階部分の上にあたる。周辺の建物からアタマひとつ飛び出し、確実に違法建築なのだが、市に顔のきくバッリョ家が認可を出させたそうな。

お客が集まり人々が集う二階のサロン。道行く人々を眺め、また屋内の人も外から見られるショーケースである。

天井のこの渦巻きは巨大な目の様。

もう一階上の家族用居間の天井。

最上階は使用人たちが洗濯を干す為の乾燥室なのだが、ここにも圧倒的なガウディ的空間を見ることができる。

★光の井戸
地上階まで自然光を建物内に導く空間が貫かれている。

一見上部から下まで同じ色のタイルで装飾されているように感じさせるが、実は違う、近寄って見よう。

グラデーションのように見えるだろう。もっと近づいて見る。
上部の青色が濃く、下に行くほど白が多く使われているのがわかる。

これは、上部の方が自然光の白さを多く反射させて見えるのでより濃い色にしてあるという事。このグラデーションがあってはじめて、下から見上げた時に均質な青色が見上げられる※邸内の日本語音声ガイドによる。
その結果、なんだか水の中にいるような気分だということで、エレベーターのガラスもこんな水中の雰囲気になっているのだった。

日本語音声ガイドも充実していて、€17.80は見終わった後なら充分価値を感じさせてくれる場所であった。充分見学の時間を取れる時に訪問いたしましょう。
入り口から二階への階段からすでに幻想的。

暖炉はまるできのこの様。

この建物が面するグラシア大通りは1877年ごろには建物が出来ていた。
バッリョ家は1900年に所有する事になり、1904年になってガウディに増改築を注文した。「はじめからガウディの設計になるものに比べて彼の個性が現れていないのでは?」いえいえ、むしろ人の器を使ったほうが個性が生きているように思われる。

この十字架と煙突の林立する空間は、ガウディの付け加えた五階部分の上にあたる。周辺の建物からアタマひとつ飛び出し、確実に違法建築なのだが、市に顔のきくバッリョ家が認可を出させたそうな。

お客が集まり人々が集う二階のサロン。道行く人々を眺め、また屋内の人も外から見られるショーケースである。

天井のこの渦巻きは巨大な目の様。

もう一階上の家族用居間の天井。

最上階は使用人たちが洗濯を干す為の乾燥室なのだが、ここにも圧倒的なガウディ的空間を見ることができる。

★光の井戸
地上階まで自然光を建物内に導く空間が貫かれている。

一見上部から下まで同じ色のタイルで装飾されているように感じさせるが、実は違う、近寄って見よう。

グラデーションのように見えるだろう。もっと近づいて見る。
上部の青色が濃く、下に行くほど白が多く使われているのがわかる。

これは、上部の方が自然光の白さを多く反射させて見えるのでより濃い色にしてあるという事。このグラデーションがあってはじめて、下から見上げた時に均質な青色が見上げられる※邸内の日本語音声ガイドによる。
その結果、なんだか水の中にいるような気分だということで、エレベーターのガラスもこんな水中の雰囲気になっているのだった。

日本語音声ガイドも充実していて、€17.80は見終わった後なら充分価値を感じさせてくれる場所であった。充分見学の時間を取れる時に訪問いたしましょう。

- トレド大聖堂の天井に開けられた穴
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エリア:
- ヨーロッパ>スペイン>トレド
- テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2010/11/12 03:04
- コメント(0)
スペインの教会中第一の地位を占めるトレド大聖堂。その天井には、建設後二百年を経て開けられたひとつの美しい穴がある。

大聖堂の屋根が完成したのは1493年とされている。まさにコロンブスの新大陸到達の翌年の事。この穴は1721年から32年の十年をかけて開けられた。
一度出来上がった大聖堂の屋根に穴を開けるのは非常に危険な事。ゴシックアーチのバランスを破壊すれば、屋根が落ちてきかねないのだ。そんな危険を侵してまでなぜこの穴を開けたのか?
真っ暗な教会中央の祭壇。心臓部にあるサンティッシモ・サクラメント礼拝堂に外部からの光を直接取り込みたいという我がままな希望。
ミサを行う時、「そこにあたかも神の様な光が射し込むのは感動的ではないか」とディエゴ・アストルガ大司教は思ったのだろう。
この難しい工事は、バジャドリド大学のファサードを装飾して評価を上げたナルシソ・トメという31歳の建築家に発注された。
バロック・ロココの派手な装飾だけでなく、建築的に難しい工事は十年の歳月をかけて完成。この作品「エル・トランスパレンテ」は、後世の我々にナルシソ・トメの代表作として記憶される事になったのである。

天井から落ちてきた光はこの複雑な装飾を通過して裏側の礼拝堂に届いているそうな。(我々は入る事ができませぬ)
彼以前にあったゴシック・ルネサンス風の壁に、バロックの「エル・トランスパルテ」が喰い込む如く接合されている。

我がままな、しかしなかなか効果的な大聖堂改造を注文した大司教ディエゴ・アストルガは、この「エル・トランスパルテ」のすぐ足元に葬られている。

大聖堂の屋根が完成したのは1493年とされている。まさにコロンブスの新大陸到達の翌年の事。この穴は1721年から32年の十年をかけて開けられた。
一度出来上がった大聖堂の屋根に穴を開けるのは非常に危険な事。ゴシックアーチのバランスを破壊すれば、屋根が落ちてきかねないのだ。そんな危険を侵してまでなぜこの穴を開けたのか?
真っ暗な教会中央の祭壇。心臓部にあるサンティッシモ・サクラメント礼拝堂に外部からの光を直接取り込みたいという我がままな希望。
ミサを行う時、「そこにあたかも神の様な光が射し込むのは感動的ではないか」とディエゴ・アストルガ大司教は思ったのだろう。
この難しい工事は、バジャドリド大学のファサードを装飾して評価を上げたナルシソ・トメという31歳の建築家に発注された。
バロック・ロココの派手な装飾だけでなく、建築的に難しい工事は十年の歳月をかけて完成。この作品「エル・トランスパレンテ」は、後世の我々にナルシソ・トメの代表作として記憶される事になったのである。

天井から落ちてきた光はこの複雑な装飾を通過して裏側の礼拝堂に届いているそうな。(我々は入る事ができませぬ)
彼以前にあったゴシック・ルネサンス風の壁に、バロックの「エル・トランスパルテ」が喰い込む如く接合されている。

我がままな、しかしなかなか効果的な大聖堂改造を注文した大司教ディエゴ・アストルガは、この「エル・トランスパルテ」のすぐ足元に葬られている。
26 - 30件目まで(34件中)



