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旅倶楽部「こま通信」

~旅するように生きていこう~

旅倶楽部「こま通信」
旅するように生きていこう!
プロフィール

ニックネーム:
こまつうしん
居住地:
埼玉県
性別:
男性
年代:
60代
会社名:
旅倶楽部 こま通信
会社英字名:
会社所在地:
埼玉県
業種:
旅行業
自己紹介:
旅倶楽部「こま通信」代表

これまで三千日以上を旅してきて、より良い旅の為に《手造の旅》をはじめました。メンバーからの要望によって、一生モノの旅をつくっていきます。

《手造の旅》のご希望がありましたらご連絡ください。
komatsusin2@gmail.com

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31 - 34件目まで(34件中)

教会のバロック天井
メルク修道院のバロック
エリア:
  • ヨーロッパ>オーストリア>メルク
テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2010/10/18 22:53
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ドナウ川ヴァッハウ渓谷クルーズの乗り場としても知られる、オーストリア屈指の大修道院がこのシュティフト・メルク。シュティフトとは大きな捧げ物を意味する。
メルクの教会外観
ドナウ川を見下ろす崖の上に18世紀から建つ教会。

多くのツアーは外からの写真で過ぎてゆくけれど、内部見学ツアーはなかなか見ごたえがある。女帝マリア・テレジアも何度も訪れた場所で、入り口の豪華な階段を登るとハプスブルグ家、その前の支配者バーベンベルグ家の肖像画が掲げてあるが、主としてはベネディクト派の僧院としての歴史展示である。

まずは聖ベネディクトがお出迎え。
ベネディクトの「聞け」
HOREとはベネディクト派教本のはじめの言葉。「聞け」という意味になる。
彼らのモットーは「学ぶ事」「祈る事」「耕す事」であった。
これは13世紀イタリアで制作された羊皮紙の会則本。
ベネディクト派教本
修道院いちばんのお宝は1040年に奉納された「聖十字架」の断片。
これにまつわる伝説についての祭壇画が残されている。
聖十字架伝説
盗難にあってしまった「聖十字架」がヴィーンで発見され、その帰属をめぐりメルクと争いになる。
ドナウ川に浮かべて流れていった方の所有にしようというヴィーン側の陰謀テイアン。しかし、十字架は流れに逆らってメルクに到着したという話。

再利用するお棺
1780年代に私用された「棺桶再利用」システムのつけられたお棺。埋葬されると遺体だけそこから土の中に置いて棺桶は再利用のさめに引き上げられたのである。

モーツァルトが亡くなったのもまさにこの「節約志向」の時代。それによって、彼の遺体もまた共同墓地へはいることになってしまった。
節約志向を命令した皇帝曰く「人間が死んだからといって木が死ぬ事はない」。

メルク村
途中、ドナウ川を見下ろすテラスに出られる。

このテラスを挟んでシンメトリーにつくられた長方形の大広間がひとつのみどころ。
ベネディクト派教則本
こちらはそのひとつで、修道院の心臓部とも言える図書室である。
8万冊の蔵書があるそうな。こられの書物の背表紙が同じデザインになっている事に常々不思議を感じていたが、これは所有者がそろえるのだそうだ。
現代の図書感覚とは全く違う。

そして、ユニークな螺旋階段を下りて本堂へ。
階段2
階段
教会の天上には聖ベネディクトの生涯が美しく描かれている。
教会のバロック天井

ゴシック柱
ザルツブルグの美しいゴシック教会
エリア:
  • ヨーロッパ>オーストリア>ザルツブルク
テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2010/10/16 20:59
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バロック装飾がめだつザルツブルグの教会の中で、この現フランチェスコ派の修道院教会だけは、美しいゴシックの天井と柱で他とは一味違う雰囲気を持っている。

下はホーエン・ザルツブルグ城から見たところ。
城から見たザルツブルグ
ひときわ目立つ丸い後陣は大聖堂。その左上に黒い三角にとがった屋根と塔を持っているのがこのフランチェスコ派の教会だ。

もっとも、ここがフランチェスコ派に任されたのは1635年からの事にすぎないのだけれど。

もともと八世紀にはこの場所に教会があり、11世紀頃かと想像されるロマネスク構造は入り口の方のアーチにそのスタイルを留めている。
教会内部
ロマネスクのアーチの向こうに、より高く明るいゴシックの後陣が見えてくる。

そして後陣入り口に立って見上げると、五本の柱に支えられた華麗なゴシック天井が見る人を圧倒する。
ゴシック柱
この後陣部分は1223年に火災の後立て直されたので、それ以前のロマネスクと違う構造になったというわけだ。

1139年には教区教会に昇格し、1490年代には両開きのもっと大きな祭壇が造られていたそうである。 理由は分からないが、残念ながらその祭壇は解体されて、その一部を利用して1561年制作の現在の中央祭壇となる。
中央祭壇

ひときわ目をひく中央のマリヤ像。
パッハーのマドンナ
これはミヒャエル・パッハーが1495〜98年までかけて制作した旧祭壇の為の像を再利用してここに設置されたもの。

まわりの教会が当時はやりのバロックに改装されていく中、この教会だけはゴシックとそれ以前のロマネスクの雰囲気を保ちながら現代まで受け継がれてきた。

ゴシックの柱には15世紀終わりごろのフレスコ画がまだはっきりと見られる。

フレスコ画

修道院部分テラス
フランチェスコ大聖堂のテラスより
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>アッシジ
テーマ:街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 世界遺産 
投稿日:2010/09/21 01:04
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アッシジの聖フランチェスコ大聖堂の奥、修道院部分のテラス回廊。

通常の大人数ではなかなか入れてもらう事が出来ない場所だが、今回ご一緒したお二人のたってのご希望により神父さんにお願いできた。
修道院テラスパノラマ


観光客のざわめきから隔絶された、ウンブリアの平原を見張らせる静かな空間。
修道院部分テラス
アジア人の顔をした修道士の方があったので話しかけてみると、中国語がかえってきた。

アッシジの町の全体を遠くから見ると、その左端に圧倒的な大きさを見せているフランチェスコ大聖堂。 下の写真で見える長いテラスのいちばん左部分に入れていただいたという事。
フランチェスコ大聖堂遠景
ここは、一般の方でもそれ相応の理由を申告できれば、何ヶ月かは修道僧生活をさせていただけるのだそうだ。
テラス


少し教会側に戻り、大聖堂すぐ下にある修道院の回廊部分。
修道院中庭

回廊から見上げる、大聖堂の「上の教会」の後陣部分。
大聖堂上の教会アプス

☆上の教会の出口をでたところにある「T=タウ」の文字と「PAX=平和」の植え込み。この「タウ」の文字はフランチェスコ会のシンボルだけれど、それが何故シンボルとなっているのか、地元の詳しいガイドさんからはじめて説明してもらう事ができた。
大聖堂前の「タウ」
ここで「タウ」はギリシャ・アルファベットでは、ない。
ヘブライ文字としての「タウ」である。

同じに見えるこの二つ「タウ」はギリシャ語では十九番目のアルファベットだが、ヘブライ語では最後の文字となる。

『我先に救いを求めるのが人というものだが、私は神に救われる最後の人間でよい』そういうフランチェスコの謙譲の気持ちを象徴しているのだ。

**
この日の小松の動き
終日徒歩でのアッシジ観光を企画。
朝9時、アッシジのコムーネ広場すぐ近くのホテルよりスタート。

聖ルフィーノ大聖堂を見学。
フランチェスコが洗礼をうけた洗礼盤があるが、これはフランチェスコの時代にはマジョーレ教会にあったものである。

町の上の方にある円形劇場跡へ。
この遺構を利用しその上に造られたフランチェスコ派の修道院だった建物を改装してNUN SPA MUSEUMというのが出来ている。それが、今回紹介した施設。この名前をきいただけでは実際どんな施設なのか想像がつかない。
ベテランの地元ガイド氏が中の遺跡を案内しようと交渉してくれてはじめて内部の様子がわかった。

ここはホテルやレストランも併設されていて(SPAが併設されている、と言うのが適切なのかもしれませんが)、こちらも見学する事ができた。
それで、同日夕方のこの「入浴」を決めたのである。
レストランで出された食事も秀逸で、これもまた別の日に紹介したい。

再び下へ降りて、聖キアラ聖堂見学。ここはフランチェスコが生きていた頃には聖ジョルジョ教会という別の小さな教会があった。フランチェスコが死後すぐに葬られた場所だが、その面影はどこにあるのだろう。

さらに町の下のほうへ降りていく。
フランチェスコの最初の弟子ベルナルド・クィンタヴァッレの家の前を通り、サン・ピエトロ教会へ至る。
この教会はフランチェスコを助けたベネディクト会に今も属している。建物は13世紀のまま現代に残された貴重なもの。

内部には以前は入った事があったが、今回地元ガイド氏に教えられてはじめて知ったことがある。主祭壇の真上に丸い穴が開いているのだ。これは採光のためだろうけれど、実におもしろい。ちょっと古代の雰囲気・あのパンテオンを思い出してしまうのは小松だけだろうか。

近くで軽くピッツァの昼食。

いよいよサンフランチェスコ大聖堂へ入る。

上の教会のジォットとその弟子作のフランチェスコの生涯を描いたフレスコ画が有名だが、小松はむしろ下の教会のフレスコ画の方に面白さを感じる。
特にシモーネ・マルティーニの描いた聖マルタンの生涯が面白い。
ガイド氏はそこを通り過ぎようとしたので、「行きましょう」とひきとどめる。たくさんある見所からどれを選ぶかは、ガイドによって違うのである。

下の聖堂の奥まで来た時、ガイド氏が修道士に話をしてくれて僧坊のある回廊へ入れてもらうことが出来た。団体では絶対入れてくれない。

観光客のざわめきから隔絶された静かな空間。暗い聖堂からウンブリアの平原を見渡せる明るい回廊へ出た時、こここそがフランチェスコ大聖堂の精神性を感じさせてくれる場所だと思えた。

しばらくの後、再び大聖堂へ戻り、今度は上の教会へ入る。ジォットの作品群は何度も見ているが、やはり時代を動かしていった職人だった事が分かる。

上の教会を出てホテルへ戻ったのは16時前。
今日の夕方のスパの為に水着を買いに行ったり。

18時にオープンするSPAの後、20時スタートのレストランへ。
お客は我々だけだったので、「まだ新しいから閑古鳥なのかなぁ」と思っていたら、21時半をまわったぐらいにはすべての席が埋まっていた。

料理は最高。
値段もリーズナブル。
お客は観光客のように見える人はおらず、地元のビジネスユーズという雰囲気であった。

夕食がおわったのは22時半。
日本人にはこの時間はきびしいかもしれないが、是非また行ってみたいレストランである。

ティベリオ筆在モンテファルコのフォルトゥ
ウンブリアのテラス=モンテファルコと美しいフレスコ画
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア
テーマ:街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2010/09/20 23:35
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イタリア中部ウンブリア州のテラスと呼ばれる丘の上の街、モンテ・ファルコ。その中心広場は丘の頂上に冠のようにまるくつくられたこの広場である。
モンテファルコ市庁舎周辺パノラマ
13世紀に建設された市庁舎を中心にしたサイド。

モンテファルコ、山の頂上の広場
その逆側。建物の切れ目から丘の向こうに広がる空間が見える。

アッシジも見える。
モンテファルコよりアッシジを望む

モンテ・ファルコ=鷹の山、という名前は1249年にここを征服したフェデリコ二世が鷹狩りをした事に由来する。

それ以前、おそらく古代からと思われる旧名はCoccorone=コッコローネ。これはローマの元老議員Marco Curione=マルコ・キュリオーネからきているという説。またはギリシャ語のOros=英語でOrographic=山岳が語源とされる。

この町でいちばん見学しておくべきと思われる場所は、旧フランチェスコ教会だろう。現在すばらしフレスコ画群を楽しめる美術館になっている。
フランチェスコ教会後陣天井
これは1452年にベンノッツォ・ゴッツォリより制作された後陣の天井部分。1997年の地震被害はさほどでもなかったが、先立つ1832年の地震、落雷、長年の雨漏りにより近年までひどい保存状態だったそうだ。

下の写真で左下端に写っている地元ガイド氏曰く「四十年程前に来た時は屋根が落ちて廃屋状態だった。扉が閉まっていたので近くの家をまわってカギの持ち主を探し、開けてもらったんだ」と話してくれた。こんな風に修復されていったのは1990年代の事なのである。
※このフレスコ画はペルジーノの作品です。
ペルジーノ作品

ベンノッツォ・ゴッツォリは、後陣いっぱいに描いたフレスコ画の端に自分の名前を書きこんだ。全文の要約は「聖人たちよ、フィレンツェ人ベノティウス(自分の事)がこの礼拝堂を描くのに力をお貸し下さい。これらを見た人々が私を思い起こしてくれますように」というもの。
ベンノッツォ・ゴッツォリは1447年にモンテファルコを訪れた法王ニコラス5世の推薦により、この町へ招聘された。1450年にフラ・アントニオの要請によりサン・フォルトゥナート教会に画き、その二年後にこちらを手がけた。その時ベンノッツォはおよそ32歳頃と想定される。
ベノティウス
逆サイドにはこのフレスコ画を注文した僧ヤコポの言葉がある。「モンテファルコのヤコポの小さな願いとして」と読める?※ラテン語表記、正確な読み取りに習熟したいです。
フラヤコポ
ベンノッツォにこのフレスコ画を注文した僧・ヤコポが下の絵に登場している。ひざまづく人物のうしろから二人目がそれ。
僧・ヤコポ
これはフランチェスコがモンテ・ファルコの町を祝福する図。後ろに大きく描かれた町がモンテ・ファルコ。その左に小さく描かれているのはスポレート。


ベンノッツォがこのフランチェスコ教会の二年前に描いたフレスコ画が見たくて、町のすぐ外に位置するサン・フォルトゥナート教会を訪れた。

教会の壁に描かれた聖母子などは見ることが出来たが、回廊の部屋の扉は閉まっていた。破れた窓から中を覗くとそこにも下のような鮮やかなフレスコ画が見えた。
「アッシジのティベリオが描いたものだよ」と前出の老ガイド氏。
ティベリオ筆在モンテファルコのフォルトゥ
二人の天使に手をひかれたフランチェスコが見える。

何気なく撮影しておいたこの写真だが、二日後にこれと全く同じものにアッシジで出会う事になるとは、思ってもみなかった。
それが、下の絵、細部を比べてみていただきたい。
ティベリオ筆在アッシジのアンジェリ教会
アッシジの町を降りた、S.M.アンジェリ教会内、フランチェスコが煩悩に克つため自らを鞭打っていたと伝えられる場所につくられた部屋にある。

両者はフランチェスコが手に花を持っているかいないかなど違いはあるものの、同じ下絵をつかって描かれた事は疑いの余地はない。

これを見て、はっきり分かった事。
この時代の絵描きとはアーティストであるよりもアルチザンであった。唯一無二のゲージツ作品を描くというよりも、常に高度な水準の商品を注文主に供給する事が最大の目的だったのである。

それが作品であろうと商品であろうと、美しいフレスコ画であることに何の違いがあるだろうか。

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