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エリア:
- 近畿 > 京都 > 洛北(上賀茂・比叡)
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テーマ:
- 観光地
- / 鑑賞・観戦
- / 歴史・文化・芸術
【今日、京響】第710回定期演奏会(4月11日)
※プログラム※
指揮:沖澤のどか(京響常任指揮者)
独創:堤剛(チェロ)
<曲目>
R・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
矢代秋雄:チェロ協奏曲
(休憩)
R・シュトラウス:家庭交響曲
沖澤さんのR・シュトラウスは昨年「英雄の生涯」を聴かせてもらったが、今年は「ドン・ファン」と家庭交響曲である。この2つで日本の現代音楽をサンドイッチにするという、ユニークなプログラムであった。もちろん本日のチケットは完売である。
最初の交響詩「ドン・ファン」は冒頭などもっと迫力があっても良いのではないかと思ったのだが、まあ最初から飛ばし過ぎて後で息切れしてもいけない。抑制のきいた力強い演奏だった。(これはちょっと矛盾か?)
矢代秋雄のチェロ協奏曲はもうバリバリの現代音楽。
チェロの独創で始まるがこれが意外と長い。オーケストラが入ってからも色々な楽器が散発的に鳴る感じで、こういうのは各楽器の演奏者も却って緊張するのではないかと思ったりする。
客席では熟睡している方々もおられたが、私は最後まで聴けた。しかし、堤剛さんはもう83歳のはずだが、年齢に応じた渋味のある演奏で味わい深かった。
ご高齢の演奏家を評するときは何も考えずに「年齢を感じさせない」と言っておけば誰からも文句は出ないが、堤さんの場合は「枯淡の境地」と言う方が良いと思う。
アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV 1009より V. Bourree I-II
休憩を挟んでの家庭交響曲は期待どおりの名演。とにかくスケールが大きい。これはもう「家庭」といってもかなりの豪邸ではないかと思わせる。
約45分の長丁場を最後まで一気に演奏したわけだが、中だるみなど無かった。どこかで少し肩の力を抜いてフィナーレに備えることもなく、最後までパワー全開であった。
曲の締めくくりで、これで終わりかと思ったらまだ続き、今度こそ終わりかと思ったらまた続き、どこまで続くのかと思ったらようやく終ったのだが、過去に実演でも聴いたし録音でも幾つか聴いているが、今日の演奏を聴いて「これはこういう曲だったのか」と初めて分かった。目からうろこが落ちた。
本当に、今迄に聴いた家庭交響曲は一体何だったのかと思わせる凄さがあった。
※プログラム※
指揮:沖澤のどか(京響常任指揮者)
独創:堤剛(チェロ)
<曲目>
R・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
矢代秋雄:チェロ協奏曲
(休憩)
R・シュトラウス:家庭交響曲
沖澤さんのR・シュトラウスは昨年「英雄の生涯」を聴かせてもらったが、今年は「ドン・ファン」と家庭交響曲である。この2つで日本の現代音楽をサンドイッチにするという、ユニークなプログラムであった。もちろん本日のチケットは完売である。
最初の交響詩「ドン・ファン」は冒頭などもっと迫力があっても良いのではないかと思ったのだが、まあ最初から飛ばし過ぎて後で息切れしてもいけない。抑制のきいた力強い演奏だった。(これはちょっと矛盾か?)
矢代秋雄のチェロ協奏曲はもうバリバリの現代音楽。
チェロの独創で始まるがこれが意外と長い。オーケストラが入ってからも色々な楽器が散発的に鳴る感じで、こういうのは各楽器の演奏者も却って緊張するのではないかと思ったりする。
客席では熟睡している方々もおられたが、私は最後まで聴けた。しかし、堤剛さんはもう83歳のはずだが、年齢に応じた渋味のある演奏で味わい深かった。
ご高齢の演奏家を評するときは何も考えずに「年齢を感じさせない」と言っておけば誰からも文句は出ないが、堤さんの場合は「枯淡の境地」と言う方が良いと思う。
アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV 1009より V. Bourree I-II
休憩を挟んでの家庭交響曲は期待どおりの名演。とにかくスケールが大きい。これはもう「家庭」といってもかなりの豪邸ではないかと思わせる。
約45分の長丁場を最後まで一気に演奏したわけだが、中だるみなど無かった。どこかで少し肩の力を抜いてフィナーレに備えることもなく、最後までパワー全開であった。
曲の締めくくりで、これで終わりかと思ったらまだ続き、今度こそ終わりかと思ったらまた続き、どこまで続くのかと思ったらようやく終ったのだが、過去に実演でも聴いたし録音でも幾つか聴いているが、今日の演奏を聴いて「これはこういう曲だったのか」と初めて分かった。目からうろこが落ちた。
本当に、今迄に聴いた家庭交響曲は一体何だったのかと思わせる凄さがあった。


