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- クロアチア / クロアチアの最南端「コナヴレ」
-
エリア:
- ヨーロッパ>クロアチア>ツァバタット
- ヨーロッパ>クロアチア>ドブロブニク
- ヨーロッパ>クロアチア>クロアチアその他の都市
- テーマ:街中・建物・景色 観光地 その他
- 投稿日:2010/02/15 11:48
コナヴレ地方はクロアチアの最南端、現在のドブロブニクリヴィエラの南東に位置しますが、その地方を15世紀に購入したのはドブロブニク共和国で、その土地を手に入れて自分のテリトリーを固めました。
コナヴレという名称はラテン語の「カナレ」、「カナリス」、地元では「コナリ」、「カナリ」と言っていた言葉から付いたもので、それはローマ時代にヴォドヴァジャからエピダウルス、つまり現在のツァヴタットに水を供給していた給水設備に関係しています。コナヴレでは独特の自然美とコントラストが交じり合っていて、丘と平野、山岳地帯とカルスト地帯、青と緑、コナヴレの住民風に言うと「上の線と下の線」に分かれます。
コナヴレの丘で区切られている北方から、そしてアドリア海がある南方から東はボココトル湾とプレヴラカ半島まで続いています。西はツァヴタットとオボドの穏やかな入り江に繋がります。中心地はやはり肥沃なコナヴレ台地です。
よく保存されている自然、他では見られなく価値の高い田舎の建築物、この地域の1000年以上の歴史を物語る多くの遺跡、フォークロールを通して1000年間守り抜いてきた伝統、珍しいコナヴレの民族衣装や刺繍、人間と自然の調和の取れた生活、これら全てがコナヴレを特徴的で比類の無い土地としている理由です。
コナヴレ自治体の中心地は中世の小さな町ツァヴタットで、ドブロブニクから19kmの場所にあります。古代のエピダウルムはこの一帯において重要なローマの植民地でしたが、スラブ人とアヴァール人の侵略によって破壊されました。
そこの住民は、現在のドブロブニクと成った近くの集落「ラウス・ラヴェ・ラグサ」に逃げ込みました。歴史・文化遺産で溢れるドブロブニクから近いことや多様な観光内容により、ツァヴタットはアドリア海で最も興味を惹かれる場所の一つとなっています。
訪れる価値が高い観光名所は、ヴラホ・ブコヴァッツァの生家、そしてクロアチアの最も有名な画家の1人である彼の美術館、アテリエ、ギャラリー、彫刻家イヴァン・メシュトロヴィッチの傑作である聖ロク墓地のラチッチ家の霊廟、価値の高い教会の宝物が保管されてある聖ニコラ教区教会のギャラリー、グラフィック、貨幣、希少価値の本、絵画、家具などが並ぶバルタザル・ボギシッチのコレクションです。街中では多くの館やローマ時代の遺跡、そしてヴィラ・ルスティカ劇場や城壁の跡が見られます。
ツァヴタットには9件のホテルがあり、その内5ツ星のホテルは「ホテル・クロアチア」、4ツ星が2軒、他は3ツ星となります。ツァヴタットから南に20kmほど行った場所に位置する小さな漁村で観光地でもあるモルントには、4つの車キャンプ場があり、手付かずの自然の中で休暇を楽しむことが出来ます。
ツァヴタットとモルントの海中は、ダイバー達にとって非常に魅力がある場所です。ツァヴタットの島々、ムルカン、ボバラ、スペタルの直ぐ傍にはアドリア海最大で最も興味深い古代遺跡発掘所があり、それは地中海全体でも大きなものに入ります。紀元前1世紀から紀元2世紀のアンフォラやピトス容器が1,800個見つかった非常に価値の高い発掘所です。ツァヴタットの海中は高いところで100mある美しい海中の壁、海中の洞穴、そして古代から現代にかけて沈んだ沈没船などで溢れています。
コナヴレ地方のセンターであるチリピは、観光客がコナヴレの伝統や特徴的な絹の刺繍が付いた民族衣装を鑑賞出来るそのフォークロールショーで有名です。コナヴレの民族衣装と刺繍は、クロアチア国内外で既によく知られているこの地域一帯のシンボルです。民族衣装はコナヴレの住民の中でも特に女性に関しては、経済的な、あるいは社会におけるステイタスを表すものでした。コナヴレの刺繍は女性の民族衣装の装飾の中でも基本的な要素で、胸元と腕に付けられていたものです。元々その刺繍は、どこの家でも栽培していた桑で作る絹糸を自然の色で染めたもので施されていたのです。
チリピにはコナヴレの「ザヴィチャイナ・クチャ」(典型的な小屋)という博物館があり、そこではその地域の豊かな民族コレクションが保管されています。自然愛好家のお客様には、チリピとツァヴタットの間に固有種の植物や保護されている貴重な動物などが見られる散歩道とサイクリングロードがあります。
コナヴレ最高峰のスニェジュニッツァ山(1,234m)の傾斜下にあるプリドヴォリェ村には、15世紀に建てられた貴族の館があります。コヴァウレ・ドヴォリは、リュタ川の水源と上流に沿った保護されている景観で、川沿いにはドブロブニク共和国時代からある多くの水車小屋や製粉機があります。1550年を過ぎると「ドニ・ムリノヴィ」システムが作られ、それは現在でも見る事が出来、保護下にある文化遺産として紹介されています。
ボスニアの後背地に向かう丘の峠には、同じくドブロブニク共和国時代のソコル、又はソコグラドと呼ばれる要塞があります。要塞は修復され、そこからは美しいコナヴレ地方全体を見渡す事が出来ます。ボカコトル湾への入口を塞いでいるプレヴラカ半島は、その自然価値や微気候のため、特別な保護を受けています。オシュトロ岬の要塞は19世紀中頃に作られたもので、クロアチアの海岸線において最も重要なオーストリア時代の要塞の一つです。
コナヴレ地方ではアクティブな休暇を過ごされたいお客様のために、全て併せると全長約60kmにもなる3つのサイクリングロードを用意しました。冒険心が強い方たちも、それぞれ自分に合ったものが見つかるはずです。というのも、ミハニッチとプリドヴォリェの村の上にはフリークライミングの岩が整備されており、コナヴレにはジープサファリ、ATVサファリ、ポポヴィッチではレクリエーションの乗馬プログラムも用意しています。

※詳細はこちら
ドブロブニク-ネレトヴァ州観光協会
URL http://www.tzdubrovnik.hr/ (クロアチア語、英語)
コナヴレ自治体観光協会
URL http://www.tzcavtat-konavle.hr/ (クロアチア語、英語)
コナヴレ自治体
URL http://www.opcinakonavle.hr/ (クロアチア語)
チリピ文化芸術協会
URL http://www.cilipifolklor.hr/ (クロアチア語、英語等)
コナヴレという名称はラテン語の「カナレ」、「カナリス」、地元では「コナリ」、「カナリ」と言っていた言葉から付いたもので、それはローマ時代にヴォドヴァジャからエピダウルス、つまり現在のツァヴタットに水を供給していた給水設備に関係しています。コナヴレでは独特の自然美とコントラストが交じり合っていて、丘と平野、山岳地帯とカルスト地帯、青と緑、コナヴレの住民風に言うと「上の線と下の線」に分かれます。
コナヴレの丘で区切られている北方から、そしてアドリア海がある南方から東はボココトル湾とプレヴラカ半島まで続いています。西はツァヴタットとオボドの穏やかな入り江に繋がります。中心地はやはり肥沃なコナヴレ台地です。
よく保存されている自然、他では見られなく価値の高い田舎の建築物、この地域の1000年以上の歴史を物語る多くの遺跡、フォークロールを通して1000年間守り抜いてきた伝統、珍しいコナヴレの民族衣装や刺繍、人間と自然の調和の取れた生活、これら全てがコナヴレを特徴的で比類の無い土地としている理由です。
コナヴレ自治体の中心地は中世の小さな町ツァヴタットで、ドブロブニクから19kmの場所にあります。古代のエピダウルムはこの一帯において重要なローマの植民地でしたが、スラブ人とアヴァール人の侵略によって破壊されました。
そこの住民は、現在のドブロブニクと成った近くの集落「ラウス・ラヴェ・ラグサ」に逃げ込みました。歴史・文化遺産で溢れるドブロブニクから近いことや多様な観光内容により、ツァヴタットはアドリア海で最も興味を惹かれる場所の一つとなっています。
訪れる価値が高い観光名所は、ヴラホ・ブコヴァッツァの生家、そしてクロアチアの最も有名な画家の1人である彼の美術館、アテリエ、ギャラリー、彫刻家イヴァン・メシュトロヴィッチの傑作である聖ロク墓地のラチッチ家の霊廟、価値の高い教会の宝物が保管されてある聖ニコラ教区教会のギャラリー、グラフィック、貨幣、希少価値の本、絵画、家具などが並ぶバルタザル・ボギシッチのコレクションです。街中では多くの館やローマ時代の遺跡、そしてヴィラ・ルスティカ劇場や城壁の跡が見られます。
ツァヴタットには9件のホテルがあり、その内5ツ星のホテルは「ホテル・クロアチア」、4ツ星が2軒、他は3ツ星となります。ツァヴタットから南に20kmほど行った場所に位置する小さな漁村で観光地でもあるモルントには、4つの車キャンプ場があり、手付かずの自然の中で休暇を楽しむことが出来ます。
ツァヴタットとモルントの海中は、ダイバー達にとって非常に魅力がある場所です。ツァヴタットの島々、ムルカン、ボバラ、スペタルの直ぐ傍にはアドリア海最大で最も興味深い古代遺跡発掘所があり、それは地中海全体でも大きなものに入ります。紀元前1世紀から紀元2世紀のアンフォラやピトス容器が1,800個見つかった非常に価値の高い発掘所です。ツァヴタットの海中は高いところで100mある美しい海中の壁、海中の洞穴、そして古代から現代にかけて沈んだ沈没船などで溢れています。
コナヴレ地方のセンターであるチリピは、観光客がコナヴレの伝統や特徴的な絹の刺繍が付いた民族衣装を鑑賞出来るそのフォークロールショーで有名です。コナヴレの民族衣装と刺繍は、クロアチア国内外で既によく知られているこの地域一帯のシンボルです。民族衣装はコナヴレの住民の中でも特に女性に関しては、経済的な、あるいは社会におけるステイタスを表すものでした。コナヴレの刺繍は女性の民族衣装の装飾の中でも基本的な要素で、胸元と腕に付けられていたものです。元々その刺繍は、どこの家でも栽培していた桑で作る絹糸を自然の色で染めたもので施されていたのです。
チリピにはコナヴレの「ザヴィチャイナ・クチャ」(典型的な小屋)という博物館があり、そこではその地域の豊かな民族コレクションが保管されています。自然愛好家のお客様には、チリピとツァヴタットの間に固有種の植物や保護されている貴重な動物などが見られる散歩道とサイクリングロードがあります。
コナヴレ最高峰のスニェジュニッツァ山(1,234m)の傾斜下にあるプリドヴォリェ村には、15世紀に建てられた貴族の館があります。コヴァウレ・ドヴォリは、リュタ川の水源と上流に沿った保護されている景観で、川沿いにはドブロブニク共和国時代からある多くの水車小屋や製粉機があります。1550年を過ぎると「ドニ・ムリノヴィ」システムが作られ、それは現在でも見る事が出来、保護下にある文化遺産として紹介されています。
ボスニアの後背地に向かう丘の峠には、同じくドブロブニク共和国時代のソコル、又はソコグラドと呼ばれる要塞があります。要塞は修復され、そこからは美しいコナヴレ地方全体を見渡す事が出来ます。ボカコトル湾への入口を塞いでいるプレヴラカ半島は、その自然価値や微気候のため、特別な保護を受けています。オシュトロ岬の要塞は19世紀中頃に作られたもので、クロアチアの海岸線において最も重要なオーストリア時代の要塞の一つです。
コナヴレ地方ではアクティブな休暇を過ごされたいお客様のために、全て併せると全長約60kmにもなる3つのサイクリングロードを用意しました。冒険心が強い方たちも、それぞれ自分に合ったものが見つかるはずです。というのも、ミハニッチとプリドヴォリェの村の上にはフリークライミングの岩が整備されており、コナヴレにはジープサファリ、ATVサファリ、ポポヴィッチではレクリエーションの乗馬プログラムも用意しています。

※詳細はこちら
ドブロブニク-ネレトヴァ州観光協会
URL http://www.tzdubrovnik.hr/ (クロアチア語、英語)
コナヴレ自治体観光協会
URL http://www.tzcavtat-konavle.hr/ (クロアチア語、英語)
コナヴレ自治体
URL http://www.opcinakonavle.hr/ (クロアチア語)
チリピ文化芸術協会
URL http://www.cilipifolklor.hr/ (クロアチア語、英語等)

- オランダ アムステルダム / 4月30日「クイーンズ・デイ」に伴う影響
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エリア:
- ヨーロッパ>オランダ>アムステルダム
- テーマ:街中・建物・景色 お祭り・イベント 鉄道・乗り物
- 投稿日:2010/01/27 13:34
2010年4月30日(金)は、オランダの祝日「クイーンズ・デイ」(女王の日)にあたります。
これを受けアムステルダムでは、前日4月29日(木)の夜から30日にかけて交通規制が敷かれ、市内中心部へのアクセス、および観光に大きな影響が生ずる事が予想されます。
以上、同日にご旅行をご予定の方はご注意ください。
これを受けアムステルダムでは、前日4月29日(木)の夜から30日にかけて交通規制が敷かれ、市内中心部へのアクセス、および観光に大きな影響が生ずる事が予想されます。
以上、同日にご旅行をご予定の方はご注意ください。

- イタリア イェージ / 2010年は「ペルゴレージ 生誕300年祭」
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>イタリアその他の都市
- テーマ:街中・建物・景色 お祭り・イベント 鑑賞・観戦
- 投稿日:2010/01/22 11:19
2010年は、18世紀にオペラ・ブッファ様式を完成させ、後生のモーツァルトと並ぶほどの才能をもちながら26歳で夭折した作曲家「ペルゴレージ」(Giovanni Battista Pergolesi)の生誕300年にあたり、生誕の町 マルケ州「イェージ」(Jesi)では、様々な記念公演が開催されます。
上演の少ないペルゴレージ作品を鑑賞するには、絶好の機会です。

ペルゴレージは日本では知名度は高くありませんが、オペラ「誇り高き囚人」(I Prigionier Superbo)の幕間劇作品として音楽史上劇的な成功を収めた重要な作品「奥様女中」(La Serva Padrona)や、モーツァルトの宗教作品に匹敵する傑作とされる「悲しみの聖母」(Stabat Mater)等の作曲で有名です。
ペルゴレージ・スポンティーニ財団はイェージ市内で下記のような生誕300年を記念公演を予定しています
■ 生誕300年 記念公演概要 (2010〜11年)
* ペルゴレージ記念コンサート
期間: 3月16日
会場: サン・セッティモ聖堂(Cattedrale di San Settimo)
* ペルゴレージ・春季フェスティバル (Pergolesi Festival di primavera)
期間: 6月04〜13日
会場: ペルゴレージ劇場(Teatro G.B. Pergolesi) 他
* 第10回 ペルゴレージ・スポンティーニ・フェスティバル (Pergolesi Spontini Festival)
期間: 9月03〜25日
会場: ペルゴレージ劇場 (Teatro G.B. Pergolesi) 他
備考: 9月25日には、クラウディオ.アバード指揮で「悲しみの聖母 スタバート・マーテル」を上演いたします。
* ペルゴレージ・冬季フェスティバル (Pergolesi Festival d'inverno)
期間: 12月27日〜2011年1月15日
会場: ペルゴレージ劇場 (Teatro G.B. Pergolesi) 他
備考: 12月17・19日には「誇り高き囚人」(幕間劇「奥様女中」)が上演されます。
※お問い合わせ・詳細
ペゴレージ・スポンティーニ財団 (Fondazione Pergolesi Spontini)
住所: Teatro G.B. Pergolesi, Via Mazzini 14 - 60035 JESI (Italia)
TEL: 0731-215643
URL: http://www.fondazionepergolesispontini.com/ (イタリア語、英語他)
★イェージ(Jesi)の町は、ローマから260km、アンコーナから32km。
行き方: ローマからアンコーナ行きの特急で最速2時間半、普通列車で3時間半。
町の歴史は古く、14世紀に築かれた城壁などの見どころもあります。
12世紀には、フェデリコ2世もここで誕生。
〔詳細〕
イェージの観光案内はマルケ州の日本語ホームページで。
URL http://italy-marche.info/jp/omona_an/jesi.html

上演の少ないペルゴレージ作品を鑑賞するには、絶好の機会です。

ペルゴレージは日本では知名度は高くありませんが、オペラ「誇り高き囚人」(I Prigionier Superbo)の幕間劇作品として音楽史上劇的な成功を収めた重要な作品「奥様女中」(La Serva Padrona)や、モーツァルトの宗教作品に匹敵する傑作とされる「悲しみの聖母」(Stabat Mater)等の作曲で有名です。
ペルゴレージ・スポンティーニ財団はイェージ市内で下記のような生誕300年を記念公演を予定しています
■ 生誕300年 記念公演概要 (2010〜11年)
* ペルゴレージ記念コンサート
期間: 3月16日
会場: サン・セッティモ聖堂(Cattedrale di San Settimo)
* ペルゴレージ・春季フェスティバル (Pergolesi Festival di primavera)
期間: 6月04〜13日
会場: ペルゴレージ劇場(Teatro G.B. Pergolesi) 他
* 第10回 ペルゴレージ・スポンティーニ・フェスティバル (Pergolesi Spontini Festival)
期間: 9月03〜25日
会場: ペルゴレージ劇場 (Teatro G.B. Pergolesi) 他
備考: 9月25日には、クラウディオ.アバード指揮で「悲しみの聖母 スタバート・マーテル」を上演いたします。
* ペルゴレージ・冬季フェスティバル (Pergolesi Festival d'inverno)
期間: 12月27日〜2011年1月15日
会場: ペルゴレージ劇場 (Teatro G.B. Pergolesi) 他
備考: 12月17・19日には「誇り高き囚人」(幕間劇「奥様女中」)が上演されます。
※お問い合わせ・詳細
ペゴレージ・スポンティーニ財団 (Fondazione Pergolesi Spontini)
住所: Teatro G.B. Pergolesi, Via Mazzini 14 - 60035 JESI (Italia)
TEL: 0731-215643
URL: http://www.fondazionepergolesispontini.com/ (イタリア語、英語他)
★イェージ(Jesi)の町は、ローマから260km、アンコーナから32km。
行き方: ローマからアンコーナ行きの特急で最速2時間半、普通列車で3時間半。
町の歴史は古く、14世紀に築かれた城壁などの見どころもあります。
12世紀には、フェデリコ2世もここで誕生。
〔詳細〕
イェージの観光案内はマルケ州の日本語ホームページで。
URL http://italy-marche.info/jp/omona_an/jesi.html


- クロアチア ストン / 修復されたストンの城壁、ヨーロッパ最長の要塞システム
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エリア:
- ヨーロッパ>クロアチア>クロアチアその他の都市
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 その他
- 投稿日:2010/01/18 11:26
ストンの城壁はヨーロッパで最も長い要塞システムで、世界においても万里の長城に次いで2番目の長さを誇りますが、長い歳月をかけた修復が終わり、最近公に開放されました。

これはクロアチアの文化遺産修復の中でも最も膨大な作業でした。
というのも、城壁の最初の修復作業を約50年前に始めたのはドゥブロヴニクの保護主義者で歴史家のルクシャ・バリティッチ(1889〜1969)で、長く続いた修復が徹底的に行われるようになったのは2003年のことでした。
修復作業が遅い理由はその方法にあり、城壁が造られたときと同じような手法、つまり石を削るという石工技術で修復されているのです。1953年からは「ドゥブロヴニク遺産友好協会」が城壁の管理を行っており、毎年300万から500万クーナを修復に出資しています。
ストンの城壁の修復後は、観光客にとって非常に興味深いこの城壁の維持やさらなる修復のため、あるいはストンの文化や観光業の発展のために入場料を徴収することになります。
ストンの城壁は、1334年にドゥブロヴニク共和国がペリェシャツ半島を手に入れた後、14世紀に造られました。それを保護する目的で、その当時要塞・都市計画の作業としてはヨーロッパ最大であったこの壮大な防衛システム「ヴェリキ・ズィドゥ」(大きな城壁)が建てられました。
まず最初に、防衛壁が半島の片側から反対へ敷かれました。そして計画的に2つの小さな要塞都市、南のストンと北のマリ・ストンが作られました。ペリェシャツ半島は全長5.5kmの城壁によって本島と離されました。今日では5kmとなりましたが、それは17世紀と20世紀に起こった地震の際に無くなってしまったのです。城壁は約40の塔と5つの要塞でさらに強固なものとなりました。マリ・ストンの大きなコルナ要塞で始まり、ストンの同じく大きなヴェリキ・カシュティオ要塞で終わります。
最も有名、かつ最も壮大な要塞は、ストンの上の丘に建っているバルトロメオです。
古いドゥブロヴニクの年代記によれば、ヴェリキ・ズィドゥの建設は18ヵ月かかったということです。ストンの城壁内には4つの住宅地区、館、公の建物(旧総督邸、ドゥブロヴニク共和国のオフィス、中央警備の建物、1581年のストンの水道設備の噴水)、聖ヴラホ教会、司教の館とフランシスコ会修道院などがあります。
マリ・ストンはストンの城壁の北側のマロ・モレ沿岸(小さな海)にあり、ストンと同じようにドゥブロヴニク歴史公文書に保管されてある1335年と1358年の都市計画の図面によって建てられました。これはヨーロッパに残る最古の都市計画の図面です。防波堤のある港、塩の倉庫、武器倉庫、教区教会、教区司祭館、時計塔、そしてマリ・ストンで最も重要な建築物である壮大なコルナ要塞が見られます。
文化省は、ストンの城壁、ストン、マリ・ストン、そしてストンの塩田を一つにして、最近では7つのクロアチアの文化遺産が登録されてあるユネスコ世界文化遺産リストに立候補させることを明らかにしています。
※詳細はこちら
ドゥブロヴニク-ネレトゥヴァ州観光局
URL http://www.visitdubrovnik.hr/ (クロアチア語、英語他)
ストン観光局
URL http://www.ston.hr/ (クロアチア語、英語)
文化省
URL http://www.min-kulture.hr/ (クロアチア語、英語)

これはクロアチアの文化遺産修復の中でも最も膨大な作業でした。
というのも、城壁の最初の修復作業を約50年前に始めたのはドゥブロヴニクの保護主義者で歴史家のルクシャ・バリティッチ(1889〜1969)で、長く続いた修復が徹底的に行われるようになったのは2003年のことでした。
修復作業が遅い理由はその方法にあり、城壁が造られたときと同じような手法、つまり石を削るという石工技術で修復されているのです。1953年からは「ドゥブロヴニク遺産友好協会」が城壁の管理を行っており、毎年300万から500万クーナを修復に出資しています。
ストンの城壁の修復後は、観光客にとって非常に興味深いこの城壁の維持やさらなる修復のため、あるいはストンの文化や観光業の発展のために入場料を徴収することになります。
ストンの城壁は、1334年にドゥブロヴニク共和国がペリェシャツ半島を手に入れた後、14世紀に造られました。それを保護する目的で、その当時要塞・都市計画の作業としてはヨーロッパ最大であったこの壮大な防衛システム「ヴェリキ・ズィドゥ」(大きな城壁)が建てられました。
まず最初に、防衛壁が半島の片側から反対へ敷かれました。そして計画的に2つの小さな要塞都市、南のストンと北のマリ・ストンが作られました。ペリェシャツ半島は全長5.5kmの城壁によって本島と離されました。今日では5kmとなりましたが、それは17世紀と20世紀に起こった地震の際に無くなってしまったのです。城壁は約40の塔と5つの要塞でさらに強固なものとなりました。マリ・ストンの大きなコルナ要塞で始まり、ストンの同じく大きなヴェリキ・カシュティオ要塞で終わります。
最も有名、かつ最も壮大な要塞は、ストンの上の丘に建っているバルトロメオです。
古いドゥブロヴニクの年代記によれば、ヴェリキ・ズィドゥの建設は18ヵ月かかったということです。ストンの城壁内には4つの住宅地区、館、公の建物(旧総督邸、ドゥブロヴニク共和国のオフィス、中央警備の建物、1581年のストンの水道設備の噴水)、聖ヴラホ教会、司教の館とフランシスコ会修道院などがあります。
マリ・ストンはストンの城壁の北側のマロ・モレ沿岸(小さな海)にあり、ストンと同じようにドゥブロヴニク歴史公文書に保管されてある1335年と1358年の都市計画の図面によって建てられました。これはヨーロッパに残る最古の都市計画の図面です。防波堤のある港、塩の倉庫、武器倉庫、教区教会、教区司祭館、時計塔、そしてマリ・ストンで最も重要な建築物である壮大なコルナ要塞が見られます。
文化省は、ストンの城壁、ストン、マリ・ストン、そしてストンの塩田を一つにして、最近では7つのクロアチアの文化遺産が登録されてあるユネスコ世界文化遺産リストに立候補させることを明らかにしています。
※詳細はこちら
ドゥブロヴニク-ネレトゥヴァ州観光局
URL http://www.visitdubrovnik.hr/ (クロアチア語、英語他)
ストン観光局
URL http://www.ston.hr/ (クロアチア語、英語)
文化省
URL http://www.min-kulture.hr/ (クロアチア語、英語)

- パラグアイ アスンシオン / 首都「アスンシオン」名所案内
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エリア:
- 中南米>パラグアイ>アスンシオン
- テーマ:観光地 街中・建物・景色
- 投稿日:2010/01/15 13:32
パラグアイ共和国の首都 アスンシオン(Asuncion)は、パラグアイ川とピルコマージョ川の合流地点、パラグアイ川の左岸に位置する人口約85万人のパラグアイ第一の都市です。
正式名称は「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオン」(Nuestra Senora de la Asuncion)といいますが、長いため通常は「アスンシオン」と呼ばれています。
1537年にスペインのエスピノサ隊長によって設立されたアスンシオンは、南米の他の都市に探検家を送り出す拠点となっていた事から「母なる都市」とも呼ばれている、南米で最も古い都市の一つです。
約500年の歴史の流れの中で緩やかな発展を遂げてきたこの町は、平和と厳しい戦争の時代を交互に経験しながらも、人々は人情味に溢れた穏やかな性格を失うことはありませんでした。
この町の特徴としては、19世紀初頭のコロニアル風の建物と美しい花を咲かす木々に覆われた公園、そして静かな住宅街が混在している点でしょう。
アスンシオンは、訪れた誰もが「のんびり」とする事が出来る町です。
■ アスンシオンの主な名所
* 英雄霊廟
パリのアンバリッド(ナポレオンの墓があります)を模して造られたドーム型霊廟で、英雄広場の一角にあります。国家の英雄達が祀られているパラグアイ唯一の霊廟で、入口には正装したパラグアイ軍の衛兵が警護しています。(衛兵交代式あり)


* 大統領官邸
アスンシオン湾に面して建つ「大統領官邸」は、19世紀の後半にフランスのルーブル宮殿(美術館)を模して建築されました。
多くの光が取り入れられるようU字型に設計され、正面出入口は柱廊で覆われています。
建物の外観はイタリア式、内部の装飾はフランス式が採用されています。

* 独立の家博物館
1772年に建てられたコロニアル風の建物で、1811年5月15日、ここで独立が宣言されました。
現在は、当時の高官が使用した家具や調度品、衣服等が展示されています。
* 大聖堂
17世紀の半ばに建造された「大聖堂」は、中央と側面は柱廊で覆われ、正面には鐘堂が見えます。
主祭壇には、イエズス会とフランシス会から贈られた聖マリアが祀られ、今も多くの人が礼拝でここを訪れます。
* メルカド4(クアトロ)
ペティロッシ通りを中心に、小さな商店や露天商が集まっているエリアが「メルカド4」です。
ここでは食品の他、衣類や花、携帯電話、DVD、家具など、様々なものが販売されています。軽食が食べられる屋台も出ており、いつも多くの人でにぎわっています。
アクセスは市内バス No.10、20、26、40等々をご利用ください。セントロから約10分で到着します。(運賃 2,100グァラニ:Gs)
* ランバレの丘
丘の頂上には、平和の勝利記念塔があり、アスンシオンの市街地、パラグアイ川と対岸のアルゼンチンが見渡せる、パラグアイ有数の眺望スポットです。
アクセスはタクシーで、セントロから約20分で到着します。(運賃 9,000グァラニ:Gs 程度)
【追伸】
● パラグアイ観光情報番組のお知らせ
* 番組名: 「パラグアイ絶景の旅」
* 放送局: BSジャパン (BS7チャンネル)
* 放送日時: 2月07日(日) 21:00〜23:00(2時間番組)
* 内容:
パラグアイの手つかずの自然、動植物、鳥の生態、蝶の乱舞、伝統文化、工芸、グアラニィ族の生活風景等々を中心に、約1ヵ月をかけてパラグアイ各地を取材した番組が放送されます。
パラグアイのよく知られていない一面を知る観光情報になると思われます。是非ご覧ください。
正式名称は「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオン」(Nuestra Senora de la Asuncion)といいますが、長いため通常は「アスンシオン」と呼ばれています。
1537年にスペインのエスピノサ隊長によって設立されたアスンシオンは、南米の他の都市に探検家を送り出す拠点となっていた事から「母なる都市」とも呼ばれている、南米で最も古い都市の一つです。
約500年の歴史の流れの中で緩やかな発展を遂げてきたこの町は、平和と厳しい戦争の時代を交互に経験しながらも、人々は人情味に溢れた穏やかな性格を失うことはありませんでした。
この町の特徴としては、19世紀初頭のコロニアル風の建物と美しい花を咲かす木々に覆われた公園、そして静かな住宅街が混在している点でしょう。
アスンシオンは、訪れた誰もが「のんびり」とする事が出来る町です。
■ アスンシオンの主な名所
* 英雄霊廟
パリのアンバリッド(ナポレオンの墓があります)を模して造られたドーム型霊廟で、英雄広場の一角にあります。国家の英雄達が祀られているパラグアイ唯一の霊廟で、入口には正装したパラグアイ軍の衛兵が警護しています。(衛兵交代式あり)


* 大統領官邸
アスンシオン湾に面して建つ「大統領官邸」は、19世紀の後半にフランスのルーブル宮殿(美術館)を模して建築されました。
多くの光が取り入れられるようU字型に設計され、正面出入口は柱廊で覆われています。
建物の外観はイタリア式、内部の装飾はフランス式が採用されています。

* 独立の家博物館
1772年に建てられたコロニアル風の建物で、1811年5月15日、ここで独立が宣言されました。
現在は、当時の高官が使用した家具や調度品、衣服等が展示されています。
* 大聖堂
17世紀の半ばに建造された「大聖堂」は、中央と側面は柱廊で覆われ、正面には鐘堂が見えます。
主祭壇には、イエズス会とフランシス会から贈られた聖マリアが祀られ、今も多くの人が礼拝でここを訪れます。
* メルカド4(クアトロ)
ペティロッシ通りを中心に、小さな商店や露天商が集まっているエリアが「メルカド4」です。
ここでは食品の他、衣類や花、携帯電話、DVD、家具など、様々なものが販売されています。軽食が食べられる屋台も出ており、いつも多くの人でにぎわっています。
アクセスは市内バス No.10、20、26、40等々をご利用ください。セントロから約10分で到着します。(運賃 2,100グァラニ:Gs)
* ランバレの丘
丘の頂上には、平和の勝利記念塔があり、アスンシオンの市街地、パラグアイ川と対岸のアルゼンチンが見渡せる、パラグアイ有数の眺望スポットです。
アクセスはタクシーで、セントロから約20分で到着します。(運賃 9,000グァラニ:Gs 程度)
【追伸】
● パラグアイ観光情報番組のお知らせ
* 番組名: 「パラグアイ絶景の旅」
* 放送局: BSジャパン (BS7チャンネル)
* 放送日時: 2月07日(日) 21:00〜23:00(2時間番組)
* 内容:
パラグアイの手つかずの自然、動植物、鳥の生態、蝶の乱舞、伝統文化、工芸、グアラニィ族の生活風景等々を中心に、約1ヵ月をかけてパラグアイ各地を取材した番組が放送されます。
パラグアイのよく知られていない一面を知る観光情報になると思われます。是非ご覧ください。
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