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エリア:
- ヨーロッパ > フランス > マルセイユ
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テーマ:
- 観光地
- / 街中・建物・景色
- / グルメ
ランチにパエリアでも作ろうかと夫に話したら、「だったら、マルセイユ式本物パエリアを食べに行こうよ」という話になり、早速出かけることにした。
日曜日でしかも予約なども入れたりしていたわけではなかったので、どのレストランが開いているのかさえも定かではなかったが、とにかく旧港の辺りまで行ってみようということになった。
太陽の光が惜しげもなく燦々と降り注ぐ快晴で、ミストラルもそこまできつくないことから気温も比較的高く、まさに昼下がりの散歩にはもってこいの天候だった。
フランスでは、人がいるところはどこもかしこも犬の糞だらけである。フランス人はペットの糞尿の始末についてはペットのみならず甚く我が身に対しても甘いようである。犬も歩けば棒にあたるじゃないが、人間も歩けば犬の糞尿につまずく状態である。
驚くのは、時として、横断歩道の真ん中に幾重にもトグロを巻いた犬のウンチがドッテーンと放置されていることである。車の往来が少ない夜間に放出されたものなのかもしれないが、それにしても、横断歩道の真ん中でやるとは大した度胸だと舌を巻いてしまう。この信じられない集中力とどこでもリラックスできる適応力はどこから来るのか・・・。
もしかしたら、グラフィティと同じように、描く場所が難しく困難であるほど評価されるという基準がペットの放尿においても通用するのかもしれない。大通りにある横断歩道のド真ん中ぐらい糞尿放出場所として危険かつ困難な場所はないだろう。そうであれば、飼い主も俄然頑張ってしまうのかもしれない。
市街の中心地であるカナビネに近づくと人通りが増える。昔と比較するとアラブ人の割合が俄然増えたことは一目瞭然だ。
パリではマルチニックなどの海外領土やアフリカの元植民地出身の黒人を多く見かけるが、マルセイユでは対岸のマグレブ地域出身のアラブ人の比率が高い。
移民の問題はフランスが抱える頭痛の種だ。待ったなしの対応を迫られているのだが、改善策どころか建設的な議論さえなされていない。大統領選挙を数ヵ月後の5月に控え、それぞれの候補者から改善策が示されてもよさそうなものだが、目ぼしいものは何一つない。どこの政治家も臭い物には蓋をしたいのだろう・・・。
カナビネ大通りを真っ直ぐに歩いていくと、旧港へ出る。旧港は多くの観光客や地元の人々で賑わいを見せるマルセイユの中心地だ。冬場はそうでもないが、これが夏場となるとビーチと並んで観光客でごったがえす。
旧港は、冬場にも関わらずめくるめーくとまではいかなくとも燦々と降り注ぐ太陽の下でコバルト・ブルーに輝いていた。船がズラーッと何重にも所狭しと並んでいたが、以前と比較してその数は激減しているとのことだ。フランス経済の停滞は、こんなところにもしっかりと影を落としている。
国家経済の他にも、あまり触れられることはないが、この国の政治制度にも問題があることは明らかだ。
フランスの内政は首都を中心とする中央集権体制の下にあり、ほぼ全ての意思決定はパリでなされる。地方の政治・経済でさえもパリの意向や決定に大きく左右されることから、地元の状況や意向というものは軽視される傾向にある。
マルセイユでも至る所でこの体制の弊害が見られ、街全体が斜陽にあるという印象を与える。シャッターを閉じたままの店が立ち並ぶ閑散とした商店街も見かける。東京一点主義によって取り残される日本の地方と同じ状態だ。
旧港付近では、北アフリカから吹いてくるミストラルの直撃を受けるせいか、市内の他の場所と比べて体感気温が優に3度は下がる。寒さに縮こまりながらも、ここからずーっと先に泳いでいけば北アフリカに到着するんだな・・・などとぼんやり考えた。
日本からアフリカは遠いが、ヨーロッパからはとても近い。地理的な近さというのではなくて、もっと感覚的なものだ。歴史的、商業的な繋がりにもまして、人間同士の繋がりの幅と深さがこの違いを作り出すのだと思う。
旧港に面した一角に、「Les Marseilles」という看板を上げたレストランがあり、店の前に展示されていたメニューを見て、夫がここにしようと言った。高級ではないが、昔からある老舗で、味は信頼できるということだった。
とにかく寒さを脱することができたと喜び勇んで中に入ると、年季が入った内装の店内で、これまた年季の入った年配の給仕が迎えてくれた。地方の伝統料理を食べるにはもってこいの臨場感が溢れていた。
パエリアはスペイン料理の一種ではあるが、今ではマルセイユの伝統料理として定着しているそうだ。陸続きで、かつ同じ海に面しているのだから、どちらの所有だと厳密に言い合っても仕方ないのだろう。
パエリアでも数種類用意されていたが、全てがぶち込まれたのを注文した。30分ぐらいかかりますよと言われて、これは待たされる・・・と思ったが、案の定、1時間は待たされた。しかし、チーズのサラダなど前菜を食べ、東京とパリとどっちが住み易いかについて夫と議論しているとあっという間だった。
待ちに待ったパエリア。
そのスケールと大雑把さには改めて度肝を抜かれた。東京ではどう転んでもこんなダイナミックなパエリアにはお目にかかれない。取り皿に取ろうと混ぜ食ってみると、出てくる、出てくる、信じられない量の各種海の幸がそこに埋め込まれていたのだ!
サフランの風味がしっかり出ており、それにシーフードのエキスが豊かに絡まって絶妙な味を出していた。お味は最高だった。
店に入ったのが1時半頃で、食べ終えたのは4時前だったが、店内は入れ替わり立ち替わりで、お客の流れが絶えることはなかった。もちろん、真昼間から大量のパエリアを食べる客は我々ぐらいだったが・・・。料理の質といい、お客の流れといい、地元にも固定客を持つ手堅いレストランなのだと思った。
しかし、このような中間層に位置するレストランは苦境に喘いでいるとのことだ。サルコジ政権以来、フランス全土で貧富の差が目に見えて拡大し、ミドルクラスの没落が激しいからだという。
上流層は超高級レストランに行き、下層階級はクイックなどのファーストフードや安手のブラッセリーなどで食事をする。ミドルクラスは、財布の膨れ具合によってそのどちらかに行くとのことだが、昨今では財布が膨らむことはまずなく、よって後者の選択に流れる傾向にあるとのことだ。
以前と比較すればお客の流れは減ったのかもしれない。それでもまあ、それなりにやって行っているのは、やはり、良質で美味しい料理を納得の価格で提供しているからだろう。
不況においてビジネスを維持することは大変難しい。でも、そこを乗り切ることができるビジネスはやはり本物のサービスなり、製品なりを提供するものなのだ。
古びた内装が依然として放置されていることからも状況は決して楽ではないと見た。しかし、給仕の年季の入って落ち着いた対応、途絶えることのない客の流れ、そしてこの納得の味からも、この店も本物を提供するレストランだということを確信した。
日曜日でしかも予約なども入れたりしていたわけではなかったので、どのレストランが開いているのかさえも定かではなかったが、とにかく旧港の辺りまで行ってみようということになった。
太陽の光が惜しげもなく燦々と降り注ぐ快晴で、ミストラルもそこまできつくないことから気温も比較的高く、まさに昼下がりの散歩にはもってこいの天候だった。
フランスでは、人がいるところはどこもかしこも犬の糞だらけである。フランス人はペットの糞尿の始末についてはペットのみならず甚く我が身に対しても甘いようである。犬も歩けば棒にあたるじゃないが、人間も歩けば犬の糞尿につまずく状態である。
驚くのは、時として、横断歩道の真ん中に幾重にもトグロを巻いた犬のウンチがドッテーンと放置されていることである。車の往来が少ない夜間に放出されたものなのかもしれないが、それにしても、横断歩道の真ん中でやるとは大した度胸だと舌を巻いてしまう。この信じられない集中力とどこでもリラックスできる適応力はどこから来るのか・・・。
もしかしたら、グラフィティと同じように、描く場所が難しく困難であるほど評価されるという基準がペットの放尿においても通用するのかもしれない。大通りにある横断歩道のド真ん中ぐらい糞尿放出場所として危険かつ困難な場所はないだろう。そうであれば、飼い主も俄然頑張ってしまうのかもしれない。
市街の中心地であるカナビネに近づくと人通りが増える。昔と比較するとアラブ人の割合が俄然増えたことは一目瞭然だ。
パリではマルチニックなどの海外領土やアフリカの元植民地出身の黒人を多く見かけるが、マルセイユでは対岸のマグレブ地域出身のアラブ人の比率が高い。
移民の問題はフランスが抱える頭痛の種だ。待ったなしの対応を迫られているのだが、改善策どころか建設的な議論さえなされていない。大統領選挙を数ヵ月後の5月に控え、それぞれの候補者から改善策が示されてもよさそうなものだが、目ぼしいものは何一つない。どこの政治家も臭い物には蓋をしたいのだろう・・・。
カナビネ大通りを真っ直ぐに歩いていくと、旧港へ出る。旧港は多くの観光客や地元の人々で賑わいを見せるマルセイユの中心地だ。冬場はそうでもないが、これが夏場となるとビーチと並んで観光客でごったがえす。
旧港は、冬場にも関わらずめくるめーくとまではいかなくとも燦々と降り注ぐ太陽の下でコバルト・ブルーに輝いていた。船がズラーッと何重にも所狭しと並んでいたが、以前と比較してその数は激減しているとのことだ。フランス経済の停滞は、こんなところにもしっかりと影を落としている。
国家経済の他にも、あまり触れられることはないが、この国の政治制度にも問題があることは明らかだ。
フランスの内政は首都を中心とする中央集権体制の下にあり、ほぼ全ての意思決定はパリでなされる。地方の政治・経済でさえもパリの意向や決定に大きく左右されることから、地元の状況や意向というものは軽視される傾向にある。
マルセイユでも至る所でこの体制の弊害が見られ、街全体が斜陽にあるという印象を与える。シャッターを閉じたままの店が立ち並ぶ閑散とした商店街も見かける。東京一点主義によって取り残される日本の地方と同じ状態だ。
旧港付近では、北アフリカから吹いてくるミストラルの直撃を受けるせいか、市内の他の場所と比べて体感気温が優に3度は下がる。寒さに縮こまりながらも、ここからずーっと先に泳いでいけば北アフリカに到着するんだな・・・などとぼんやり考えた。
日本からアフリカは遠いが、ヨーロッパからはとても近い。地理的な近さというのではなくて、もっと感覚的なものだ。歴史的、商業的な繋がりにもまして、人間同士の繋がりの幅と深さがこの違いを作り出すのだと思う。
旧港に面した一角に、「Les Marseilles」という看板を上げたレストランがあり、店の前に展示されていたメニューを見て、夫がここにしようと言った。高級ではないが、昔からある老舗で、味は信頼できるということだった。
とにかく寒さを脱することができたと喜び勇んで中に入ると、年季が入った内装の店内で、これまた年季の入った年配の給仕が迎えてくれた。地方の伝統料理を食べるにはもってこいの臨場感が溢れていた。
パエリアはスペイン料理の一種ではあるが、今ではマルセイユの伝統料理として定着しているそうだ。陸続きで、かつ同じ海に面しているのだから、どちらの所有だと厳密に言い合っても仕方ないのだろう。
パエリアでも数種類用意されていたが、全てがぶち込まれたのを注文した。30分ぐらいかかりますよと言われて、これは待たされる・・・と思ったが、案の定、1時間は待たされた。しかし、チーズのサラダなど前菜を食べ、東京とパリとどっちが住み易いかについて夫と議論しているとあっという間だった。
待ちに待ったパエリア。
そのスケールと大雑把さには改めて度肝を抜かれた。東京ではどう転んでもこんなダイナミックなパエリアにはお目にかかれない。取り皿に取ろうと混ぜ食ってみると、出てくる、出てくる、信じられない量の各種海の幸がそこに埋め込まれていたのだ!
サフランの風味がしっかり出ており、それにシーフードのエキスが豊かに絡まって絶妙な味を出していた。お味は最高だった。
店に入ったのが1時半頃で、食べ終えたのは4時前だったが、店内は入れ替わり立ち替わりで、お客の流れが絶えることはなかった。もちろん、真昼間から大量のパエリアを食べる客は我々ぐらいだったが・・・。料理の質といい、お客の流れといい、地元にも固定客を持つ手堅いレストランなのだと思った。
しかし、このような中間層に位置するレストランは苦境に喘いでいるとのことだ。サルコジ政権以来、フランス全土で貧富の差が目に見えて拡大し、ミドルクラスの没落が激しいからだという。
上流層は超高級レストランに行き、下層階級はクイックなどのファーストフードや安手のブラッセリーなどで食事をする。ミドルクラスは、財布の膨れ具合によってそのどちらかに行くとのことだが、昨今では財布が膨らむことはまずなく、よって後者の選択に流れる傾向にあるとのことだ。
以前と比較すればお客の流れは減ったのかもしれない。それでもまあ、それなりにやって行っているのは、やはり、良質で美味しい料理を納得の価格で提供しているからだろう。
不況においてビジネスを維持することは大変難しい。でも、そこを乗り切ることができるビジネスはやはり本物のサービスなり、製品なりを提供するものなのだ。
古びた内装が依然として放置されていることからも状況は決して楽ではないと見た。しかし、給仕の年季の入って落ち着いた対応、途絶えることのない客の流れ、そしてこの納得の味からも、この店も本物を提供するレストランだということを確信した。
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