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エリア:
- ヨーロッパ > フランス > パリ
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テーマ:
- 観光地
- / 街中・建物・景色
- / 歴史・文化・芸術
パリからマルセイユまでTGVでたったの3時間・・・・南仏が随分と近くなったな・・・。
以前、両親と一緒に南仏を旅する計画を立てていた時に、父がポロッと漏らした言葉だ。
日本の国土の優に2倍はあるヘキサゴンを横断するのに要する時間が3時間だなんて、私達の両親が若かった時代には考えられなかったことだ。
(パリ・リヨン駅)
あれから20-30年という月日が経つわけだが、パリと南仏だけに限らず、地球全体が本当に「狭く」なったとつくづく感じる。
今では外国に行っても、「異文化」を体験するということがメッキリ少なくなったような気がする。異国へ旅立つことで、自分が慣れ親しんだ生活や友達など全てをあとに残し、いわゆる人生の「断絶」「いちからのスタート」というものをドラスチックに経験することが無くなった。
理由は二つ考えられる。
ひとつは、グローバル化によって世界全体が大なり小なり「均一化」し、相当な僻地へ行かないかぎり日々の生活において大した違いがなくなったということ。
そしてもうひとつは、インターネットの発明、今ではソーシャル・メディアの普及により、異国に住む家族や世界中の友人・知人と常に繋がっていることができるからだろう。
私が子供の頃でもまだ「異文化」は世界各地に残っていた。
まず、私が覚えている限りでは、80年代では日本から欧州への直行便は飛んでいなかった。行きは必ずモスクワのシェレメチエボ空港で乗り継がなければならなかった。
共産主義ソビエトの窓口ともいえるシェレメチエボは、西側の反共教育にどっぷり漬かって育った子供が連想する「共産主義国家」の予想を裏切ることは無かった。
空港には、免税にする必要があるのかどうか定かではないマトリオーシカなどソ連のお土産を売る小さな免税店がひとつある以外は他に何も無く、旅行客も日航ジャンボ機から降りてきた日本人を除けば両手の指で数えられるぐらいの数しか見当たらない。
成田やケネディ、SDGなどの例から、子供心に首都空港は忙しいものだと相場が決まっていた。そのため、ここまで閑散とした首都空港にはいつも心地悪い違和感を抱いた。「ああ共産主義の国に生まれなくてよかった。やっぱり共産主義は良くないんだ」と強く思ったものだ。
また、閑散としているだけならともかく、侘しさに拍車をかけるように空港内は見渡す限り極端に薄暗く、お化け屋敷同然の薄気味悪さが漂っていた。
共産主義国家が得意とする5ヵ年計画だのが破綻して電力不足に陥ったのか、それとも人民に煌々と輝く電灯は必要ないと「中央」で下された決定なのか知らないが、あんなに薄暗い公共施設は見たことがなかった。
いずれにせよ、ソ連の威信を世界に向けて発信する窓口の割には、あまりにもお粗末な首都空港だったといえる。
その中で唯一景気がよかったのは、軍の存在だった。カラシニコフのような小銃を肩に持った兵士が空港全体に一定の間隔を置いて整然と立っていたのを今でも鮮明に覚えている。
ひたすら空虚な眼差しで空を見つめ、表情に欠けるその顔は、揃いも揃って男前であったにもかかわらず人間味が感じられなかった。国家統制によって人間の心まで統制され、画一化され、ロボットのように精密ではあるものの無機質になってしまったのか・・・・。共産主義の下で生きる人達は我々西側の人間とは確実に違う・・・とただ漠然とではあったものの強く思ったのを覚えている。
そして、我々旅行客がセキュリティを通り、たまたまメタル探知機が作動して音を出すと、その時になってはじめて彼らが動く人間であることが証明される。しかし、動きに個性は全くみられず、統制され機械化されたものであることはいうまでもない。
どのように証明されたかというと、近辺の兵士が一斉に探知機を作動させた旅行者へと銃を向けるのだ。一瞬の遅れもなく、また一糸乱れぬ整然さでもって。
私も一度この探知機を鳴らしたことがある。私の無害この上ないベルトに反応したらしかった。しかし、そんな事情にはお構いなく、その時も、近辺に立つ兵士が一斉に銃を向けてきた。
ドキッとしたのと同時に、ヒューマニティのかけらもない共産主義の一面を垣間見たと子供ながらに思った。たとえ子供であろうとも、人間の挙動よりも機械の性能のほうを信頼するというロボティックで反人間的な世界観というものを恐ろしいものだと感じた。
この時はモスクワ経由でローマへ行くところだった。ローマの空港でも同じくメタル探知機が作動した。しかし、対応は月とすっぽんのごとく異なるものであったことは言うまでも無い。
鳴ってから間もなくして、プクプクと太った人の良さそうなセキュリティ担当の女性がガムをかみながら近寄ってきて、「メタル?」と尋ねながら手に持った別の探知機で私のベルト辺りを触り、「OK」と笑顔で一言、行ってよいというサインを送ってくれただけだった。
この時は、心から「西側っていいな!」と思ったのを覚えている。このおおらかさ、人間に対する信頼、改めて自由主義は共産主義にない全てのクオリティを兼ね備えた体制だと子供ながらに確信し、それに対する信頼を新たにしたものだった。
と、このように、シェレメチエボやフューミチーノ(当時はダビンチ空港という名前だったと記憶しいてる)に限ったことではないが、昔は自分達の文化や価値観とは異なるもの、また似ているものが各地で体験でき、それを比較したり、評価したりする機会がふんだんにあったわけだ。
あれからかれこれ20年はなるだろうが、90年の始めあたりから日本と欧州の間を直行便が飛ぶようになり、途中でシェレメチエボを詣でることも無くなり、私達がモスクワに降り立つこともなくなった。
以来、どんなに変わっていることだろう・・・・と時々思いを馳せてみることがある。民営化が進んで以来まだ行ったことがないが、現代ロシアは激動を経て、今では当時の面影など全く無くなってしまったことだろう。それこそ、一見するだけでは、成田やCDGなどと何ら変わることがないかもしれない。いつか機会があれば是非とも行ってみたいものである。
話をフランスに戻すが、パリと南仏の差もTGVの登場によって激減したような気がする。確かに、パリのと南仏の間には人の気質や天候に差があることは明らかだが、それだからと言って「異文化」だと騒ぎ立てるようなものでは決してない。街の規模こそ異なれど、そこで営まれている個人の生活やビジネスなどはパリと全く変わることはない。
パリとマルセイユがTGVで3時間となったことも踏まえて、全く別世界に行く!という幻想をもてあそぶことは既に不可能なこととなった。サマセット・モームなどが描き出す南仏などそこにはもう存在しない。
便利になったぶん、なんども味気ない世の中になったものだ・・・と嘆かわしく思う。かといって、インターネットによって世界中のありとあらゆる情報にアクセスできる利便性やソーシャルメディアが可能にする「世界と繋がっている」感覚を手放すことはもはや不可能だ。
パリのリヨン駅で乗車し、3時間後の午後6時過ぎにはマルセイユのサン・シャルル駅に到着していた。なだらかに延々と続く穏やかな丘陵、その単調さを時々破るように登場する農場や小さな村などをボーっと眺めていると、アビニヨン、エクサン・プロヴァンス、そしてもうマルセイユに到着した。
マルセイユのサン・シャルル駅からは、遠方にマルセイユの守り神であるノートルダム・ド・ラ・ギャルドを望むことができる。
因みに、TGVは一等席と二等席から成っており、早めに予約を入れると(2日前ぐらいまで)かなりの割引が利く。一等席など半額の値段で購入することが可能になる。インターネットで早めの購入を試みてください!
以前、両親と一緒に南仏を旅する計画を立てていた時に、父がポロッと漏らした言葉だ。
日本の国土の優に2倍はあるヘキサゴンを横断するのに要する時間が3時間だなんて、私達の両親が若かった時代には考えられなかったことだ。
(パリ・リヨン駅)
あれから20-30年という月日が経つわけだが、パリと南仏だけに限らず、地球全体が本当に「狭く」なったとつくづく感じる。
今では外国に行っても、「異文化」を体験するということがメッキリ少なくなったような気がする。異国へ旅立つことで、自分が慣れ親しんだ生活や友達など全てをあとに残し、いわゆる人生の「断絶」「いちからのスタート」というものをドラスチックに経験することが無くなった。
理由は二つ考えられる。
ひとつは、グローバル化によって世界全体が大なり小なり「均一化」し、相当な僻地へ行かないかぎり日々の生活において大した違いがなくなったということ。
そしてもうひとつは、インターネットの発明、今ではソーシャル・メディアの普及により、異国に住む家族や世界中の友人・知人と常に繋がっていることができるからだろう。
私が子供の頃でもまだ「異文化」は世界各地に残っていた。
まず、私が覚えている限りでは、80年代では日本から欧州への直行便は飛んでいなかった。行きは必ずモスクワのシェレメチエボ空港で乗り継がなければならなかった。
共産主義ソビエトの窓口ともいえるシェレメチエボは、西側の反共教育にどっぷり漬かって育った子供が連想する「共産主義国家」の予想を裏切ることは無かった。
空港には、免税にする必要があるのかどうか定かではないマトリオーシカなどソ連のお土産を売る小さな免税店がひとつある以外は他に何も無く、旅行客も日航ジャンボ機から降りてきた日本人を除けば両手の指で数えられるぐらいの数しか見当たらない。
成田やケネディ、SDGなどの例から、子供心に首都空港は忙しいものだと相場が決まっていた。そのため、ここまで閑散とした首都空港にはいつも心地悪い違和感を抱いた。「ああ共産主義の国に生まれなくてよかった。やっぱり共産主義は良くないんだ」と強く思ったものだ。
また、閑散としているだけならともかく、侘しさに拍車をかけるように空港内は見渡す限り極端に薄暗く、お化け屋敷同然の薄気味悪さが漂っていた。
共産主義国家が得意とする5ヵ年計画だのが破綻して電力不足に陥ったのか、それとも人民に煌々と輝く電灯は必要ないと「中央」で下された決定なのか知らないが、あんなに薄暗い公共施設は見たことがなかった。
いずれにせよ、ソ連の威信を世界に向けて発信する窓口の割には、あまりにもお粗末な首都空港だったといえる。
その中で唯一景気がよかったのは、軍の存在だった。カラシニコフのような小銃を肩に持った兵士が空港全体に一定の間隔を置いて整然と立っていたのを今でも鮮明に覚えている。
ひたすら空虚な眼差しで空を見つめ、表情に欠けるその顔は、揃いも揃って男前であったにもかかわらず人間味が感じられなかった。国家統制によって人間の心まで統制され、画一化され、ロボットのように精密ではあるものの無機質になってしまったのか・・・・。共産主義の下で生きる人達は我々西側の人間とは確実に違う・・・とただ漠然とではあったものの強く思ったのを覚えている。
そして、我々旅行客がセキュリティを通り、たまたまメタル探知機が作動して音を出すと、その時になってはじめて彼らが動く人間であることが証明される。しかし、動きに個性は全くみられず、統制され機械化されたものであることはいうまでもない。
どのように証明されたかというと、近辺の兵士が一斉に探知機を作動させた旅行者へと銃を向けるのだ。一瞬の遅れもなく、また一糸乱れぬ整然さでもって。
私も一度この探知機を鳴らしたことがある。私の無害この上ないベルトに反応したらしかった。しかし、そんな事情にはお構いなく、その時も、近辺に立つ兵士が一斉に銃を向けてきた。
ドキッとしたのと同時に、ヒューマニティのかけらもない共産主義の一面を垣間見たと子供ながらに思った。たとえ子供であろうとも、人間の挙動よりも機械の性能のほうを信頼するというロボティックで反人間的な世界観というものを恐ろしいものだと感じた。
この時はモスクワ経由でローマへ行くところだった。ローマの空港でも同じくメタル探知機が作動した。しかし、対応は月とすっぽんのごとく異なるものであったことは言うまでも無い。
鳴ってから間もなくして、プクプクと太った人の良さそうなセキュリティ担当の女性がガムをかみながら近寄ってきて、「メタル?」と尋ねながら手に持った別の探知機で私のベルト辺りを触り、「OK」と笑顔で一言、行ってよいというサインを送ってくれただけだった。
この時は、心から「西側っていいな!」と思ったのを覚えている。このおおらかさ、人間に対する信頼、改めて自由主義は共産主義にない全てのクオリティを兼ね備えた体制だと子供ながらに確信し、それに対する信頼を新たにしたものだった。
と、このように、シェレメチエボやフューミチーノ(当時はダビンチ空港という名前だったと記憶しいてる)に限ったことではないが、昔は自分達の文化や価値観とは異なるもの、また似ているものが各地で体験でき、それを比較したり、評価したりする機会がふんだんにあったわけだ。
あれからかれこれ20年はなるだろうが、90年の始めあたりから日本と欧州の間を直行便が飛ぶようになり、途中でシェレメチエボを詣でることも無くなり、私達がモスクワに降り立つこともなくなった。
以来、どんなに変わっていることだろう・・・・と時々思いを馳せてみることがある。民営化が進んで以来まだ行ったことがないが、現代ロシアは激動を経て、今では当時の面影など全く無くなってしまったことだろう。それこそ、一見するだけでは、成田やCDGなどと何ら変わることがないかもしれない。いつか機会があれば是非とも行ってみたいものである。
話をフランスに戻すが、パリと南仏の差もTGVの登場によって激減したような気がする。確かに、パリのと南仏の間には人の気質や天候に差があることは明らかだが、それだからと言って「異文化」だと騒ぎ立てるようなものでは決してない。街の規模こそ異なれど、そこで営まれている個人の生活やビジネスなどはパリと全く変わることはない。
パリとマルセイユがTGVで3時間となったことも踏まえて、全く別世界に行く!という幻想をもてあそぶことは既に不可能なこととなった。サマセット・モームなどが描き出す南仏などそこにはもう存在しない。
便利になったぶん、なんども味気ない世の中になったものだ・・・と嘆かわしく思う。かといって、インターネットによって世界中のありとあらゆる情報にアクセスできる利便性やソーシャルメディアが可能にする「世界と繋がっている」感覚を手放すことはもはや不可能だ。
パリのリヨン駅で乗車し、3時間後の午後6時過ぎにはマルセイユのサン・シャルル駅に到着していた。なだらかに延々と続く穏やかな丘陵、その単調さを時々破るように登場する農場や小さな村などをボーっと眺めていると、アビニヨン、エクサン・プロヴァンス、そしてもうマルセイユに到着した。
マルセイユのサン・シャルル駅からは、遠方にマルセイユの守り神であるノートルダム・ド・ラ・ギャルドを望むことができる。
因みに、TGVは一等席と二等席から成っており、早めに予約を入れると(2日前ぐらいまで)かなりの割引が利く。一等席など半額の値段で購入することが可能になる。インターネットで早めの購入を試みてください!
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