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エリア:
- ヨーロッパ > フランス > パリ
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テーマ:
- 観光地
- / 留学・長期滞在
- / 歴史・文化・芸術
物書きをする人のことをフランス語で「エクリヴァン」という。エクリヴァンは、フランスにおいて、日本では考えられないほどの高い評価を受けている職業だ。
フランスでは、哲学と文学が学問の最高峰として今だ幅を利かせている。なんたって、知性の尺度は個人の文筆力によって判断されるなどという、18-9世紀の基準が今だ通用するお国柄である。
そのせいか、第五共和制になって以来、フランスの歴代大統領は、サルコジ氏を除いて、揃いも揃って文学に造詣が深い。
ジスカール・デスタンは文学者であり、ミッテランは確か小説家でもあったはずだ。シラクは文学者ではないが、東洋文化への造詣が深く、これに関連する著書を幾つか著している。
大統領に限らず、文芸に秀でた政治家はフランスの歴史を通じて数多く存在する。
身近な例で、シラク時代の元外務大臣、元首相(現在は、大統領候補)のド・ヴィルパンは、ナポレオンに関する歴史の専門家で、専門書を幾つも著している。余談だが、彼が所有するナポレオン関連の蔵書には目が飛び出るほどの値段が付いている・・・・。
フランスで「できる」とされる人材になるには、文芸の才能と実績が欠かせないということが分かる。
そして、このように「できる」男は、もちろん、モテる。
哲学者とスーパー・モデルの恋だって、普通に起こってしまう国である。
カルラ・ブルーニィ・サルコジの昔の恋人は哲学者で、彼女はその息子(息子も哲学者)ともやがて恋に落ち、オーレリアンという息子を産んだ。
哲学者とスーパーモデルが恋愛するだなんて、日本やアメリカで考えられない・・・。しかし、フランスでは、普通に有り得る愛の形なのだった・・・・。
と、ここまでフランスの文筆家フェチについて色々見てきたわけだが、そこで疑問に思うのは、エクリヴァンの何がそこまで人を惹きつけ、かつ尊敬に値するものと思わせるのかということだ。
私には今だに謎である。もちろん、様々な説明は思いつく。でも、どれも納得のいくものではない。
フランスは、とても貧しい国だ。何の生活の足しにもならないような文筆にかまけているような余裕はない。それでもかまけるのが、フランスのフランスたる所以で、文化大国としての誇りだといわれればそれまでだが。
しかし、それにしては国民の知的水準はあまりにも低く、教養のない人間が犇いているのはどうしたことか・・・。
もしかしたら、余裕のある富裕層や知識階級だけに支持されているのを、フランス全体が支持しているかのごとく言っているだけのことかもしれない。
であれば、理解できないこともなり。富裕層の余暇は常に文学と供にあり、知識階級の存在意義は文筆力にあることは歴史が雄弁に物語っている。
いずれにせよ、この疑問を解くには更なる研究と観察が必要となりそうだ・・・。
では、最後に、「エクリヴァン」フェチに関する私的な経験を開陳して終わりとしよう。
先日、観光関連の集まりがあって、そこで自己紹介する際に、自分の職業をエクリヴァンであると伝えたのだが、その反響は予想した以上にすごかった。
しがないライターの端くれでしかない私が、こんな公の場所で「エクリヴァン」などと言っていいものか・・と一瞬戸惑ったが、他に適切な言葉も見つからず、最も手っ取り早い言葉で間に合わせた。
などというのは大きな嘘で、最初からこの「エクリヴァン」がもたらす効果を予期しながら、あえてこの身に余るタイトルを利用させてもらったのだ!
日本では馴染みもないし、推奨もされないだろうが、アメリカでは、できないことでもできますと主張することが良しとされている。なぜなら、そこで何とかできるように持って行くのがチャンスを掴むということであり、成功への第一歩を歩みだしたと見なされるからだ。
もちろん、できると言ったからには、何としてもできなければならない。できなければ、単なる嘘つきだ。
しかし、人は境地に追いやられると途方もない威力を発揮するもので、必死にやればできないことでもできるようになる。つまり、人の成長を促すのにまたとない方法で、かつ出世にも結びつくダブル・ウインが期待できる成長戦略として働くわけだ。
私も過去に何度もできないことをできると主張し、実際にできるようにしてきた。おかしなもので、やりますと宣言すると、とたんに途方もないやる気が沸いてきて、どんどんできるようになる。ポジティブなエネルギーが当たり一面に噴出するせいか、「できなくて嘘つきっていわれたらどうしよう・・」などという心配が入り込む余地はない。
このように、人のエネルギーと可能性は限界だということを何度も経験したことから、今回も、確かに「エクリヴァン」と胸を張っていうには、現時点では少々憚られる・・・良心が若干痛む・・・・が、先手を打って宣言することにしたのだった。
これでフランスでも仕事が入ってくれば御の字だ。「エクリヴァン」として成長するまたとないチャンスとなり、上手く行けば成功への早道となる。
とまあ、こんな下心に駆り立てられ、野心をプンプン匂わせながら「エクリヴァン」を口にしたわけだが、これ以降、私のアイデンティティは全て「エクリヴァン」一色で統一されることとなった。名前は覚えていなくても、「エクリヴァン」だということだけは覚えてもらっている。
しかし、焦ったのは、会議後の懇親会の時だった。新参者で、しかもこの業界での経験も浅い私など、自分で人ににじり寄ってでも行かないかぎり、パッシングされて当たり前。それが、「エクリヴァン」であると分かったことから、私と話したい人達が引けを切らない・・・・。
あたし、かっこよすぎ!と思ったのは束の間で、どんなものをお書きになるの?という最も触れられたくない趣旨の質問攻撃に遭うこと2時間・・・・・。ここに集うインテリ・フランス人の好奇心を満たすようなジャンルを思いつき、1を100ぐらいに誇張して説明することで、何とか苦境を切り抜けた・・・・。
一番苦労したけど、過激に面白かったのは、「アラフォー」を対象とした美容や健康に関する記事執筆の仕事について説明だ。説明しながら、自分でも何度か噴出しそうになってしまった・・・。
まず、フランスでは目新しい「アラフォー」のコンセプチュアルな説明からはじめ、記事の内容や寄稿先についてもっともらしく説明した。
フランス人には、「アラフォー」という名に隠されたこの年代特有の価値観や行動パターンなど珍しかったらしく、多くの人が興味津々で耳を傾けてくれたのには感動した。フランスではこのようにカテゴリー分けされたり、特別な意味を付与されたりすることはまずない。
自分がレギュラーで面白可笑しく執筆している各種記事を綿密な研究と深遠なる分析の結果導き出された考察を元にして、日本社会に登場しつつある新たな新人類について論じる記事であるかのごとく説明した。そして、寄稿先はといえば、「アラフォー」を主たる対象とする数多いウェブサイトのひとつなのに、日本で高い評価を受けかつ幅広く支持される代表的な電子メディアであるかのように説明したのだった。
誇張というよりも、誇大妄想の極地において説明したと言っても過言ではなく、でもおかしなもので、途中から自分でもその気になり、記事のアイデアのみならず、新たなサイトのコンセプトまで沸いてきた・・・。
自分の言葉や論旨に酔うことができるようになれば、イッパシの「エクリヴァン」と言えるかもしれない・・・。
とまあ、ようやく最後のほうになって自分が展開する誇大妄想にも慣れ、リラックスして話しができるようになったわけだが・・・しかしそれでも、何しろ1を100ぐらいに話すわけだから冷や汗のかきっぱなしで、せっかく期待していた素敵なお料理もどこに入ったのかわからないで終わってしまった。
まあ、自分の宣伝料だと思えば、安いものなのだが・・・・。
私の個人的な宣伝は横に置くとしても、今夜の話で日本文化の重層性についてフランス人の理解が深まっていれば幸いである。
日本には素晴らしい文学者がいる一方で、サブカルチャーを代表する爆発的人気のアニメが世界を沸かせ、その間を「アラフォー」のような新たなトレンドを作り出す現象が所狭しと犇いている。この重層性と多様性は、世界広しといえど、日本ぐらいのものではないだろうか。
ここ10年程の間ではあるが、日本の国際社会における地位上昇は目覚しい。90年代より日本経済が斜陽に傾くなかで、日本のピークは既に過去のものと誰もが信じていた。それが、2000年代に突入する頃からだと思うが、日本ブランドに文化大国としてのプレミエが付き始めた。
そして今や、日本は、文化大国の意味を書き換えつつある。どのような意味なのか、まだ不確定だが・・。
長らく文化の成長を牽引していたハイカルチャーが、逆にサブ・カルチャーやその中間に横たわるポテンシャル・カルチャーに影響されることで新たな発展の機を見つけたり、世界に紹介されるチャンスを得たりするようになっている。流れが逆になっているのだ。
この流れがどのような意味をもたらすのか、まだ確かなことは言えないと思う。
これからの発展が楽しみだ。
そして、「エクリヴァン」もサブカルチャーの中から登場するようになるのかもしれない・・・。いや、もう既に続々と登場しているか・・・。
そして、私も実はそのうちのひとりで、文化大国としての日本を担っていると自負している!
フランスでは、哲学と文学が学問の最高峰として今だ幅を利かせている。なんたって、知性の尺度は個人の文筆力によって判断されるなどという、18-9世紀の基準が今だ通用するお国柄である。
そのせいか、第五共和制になって以来、フランスの歴代大統領は、サルコジ氏を除いて、揃いも揃って文学に造詣が深い。
ジスカール・デスタンは文学者であり、ミッテランは確か小説家でもあったはずだ。シラクは文学者ではないが、東洋文化への造詣が深く、これに関連する著書を幾つか著している。
大統領に限らず、文芸に秀でた政治家はフランスの歴史を通じて数多く存在する。
身近な例で、シラク時代の元外務大臣、元首相(現在は、大統領候補)のド・ヴィルパンは、ナポレオンに関する歴史の専門家で、専門書を幾つも著している。余談だが、彼が所有するナポレオン関連の蔵書には目が飛び出るほどの値段が付いている・・・・。
フランスで「できる」とされる人材になるには、文芸の才能と実績が欠かせないということが分かる。
そして、このように「できる」男は、もちろん、モテる。
哲学者とスーパー・モデルの恋だって、普通に起こってしまう国である。
カルラ・ブルーニィ・サルコジの昔の恋人は哲学者で、彼女はその息子(息子も哲学者)ともやがて恋に落ち、オーレリアンという息子を産んだ。
哲学者とスーパーモデルが恋愛するだなんて、日本やアメリカで考えられない・・・。しかし、フランスでは、普通に有り得る愛の形なのだった・・・・。
と、ここまでフランスの文筆家フェチについて色々見てきたわけだが、そこで疑問に思うのは、エクリヴァンの何がそこまで人を惹きつけ、かつ尊敬に値するものと思わせるのかということだ。
私には今だに謎である。もちろん、様々な説明は思いつく。でも、どれも納得のいくものではない。
フランスは、とても貧しい国だ。何の生活の足しにもならないような文筆にかまけているような余裕はない。それでもかまけるのが、フランスのフランスたる所以で、文化大国としての誇りだといわれればそれまでだが。
しかし、それにしては国民の知的水準はあまりにも低く、教養のない人間が犇いているのはどうしたことか・・・。
もしかしたら、余裕のある富裕層や知識階級だけに支持されているのを、フランス全体が支持しているかのごとく言っているだけのことかもしれない。
であれば、理解できないこともなり。富裕層の余暇は常に文学と供にあり、知識階級の存在意義は文筆力にあることは歴史が雄弁に物語っている。
いずれにせよ、この疑問を解くには更なる研究と観察が必要となりそうだ・・・。
では、最後に、「エクリヴァン」フェチに関する私的な経験を開陳して終わりとしよう。
先日、観光関連の集まりがあって、そこで自己紹介する際に、自分の職業をエクリヴァンであると伝えたのだが、その反響は予想した以上にすごかった。
しがないライターの端くれでしかない私が、こんな公の場所で「エクリヴァン」などと言っていいものか・・と一瞬戸惑ったが、他に適切な言葉も見つからず、最も手っ取り早い言葉で間に合わせた。
などというのは大きな嘘で、最初からこの「エクリヴァン」がもたらす効果を予期しながら、あえてこの身に余るタイトルを利用させてもらったのだ!
日本では馴染みもないし、推奨もされないだろうが、アメリカでは、できないことでもできますと主張することが良しとされている。なぜなら、そこで何とかできるように持って行くのがチャンスを掴むということであり、成功への第一歩を歩みだしたと見なされるからだ。
もちろん、できると言ったからには、何としてもできなければならない。できなければ、単なる嘘つきだ。
しかし、人は境地に追いやられると途方もない威力を発揮するもので、必死にやればできないことでもできるようになる。つまり、人の成長を促すのにまたとない方法で、かつ出世にも結びつくダブル・ウインが期待できる成長戦略として働くわけだ。
私も過去に何度もできないことをできると主張し、実際にできるようにしてきた。おかしなもので、やりますと宣言すると、とたんに途方もないやる気が沸いてきて、どんどんできるようになる。ポジティブなエネルギーが当たり一面に噴出するせいか、「できなくて嘘つきっていわれたらどうしよう・・」などという心配が入り込む余地はない。
このように、人のエネルギーと可能性は限界だということを何度も経験したことから、今回も、確かに「エクリヴァン」と胸を張っていうには、現時点では少々憚られる・・・良心が若干痛む・・・・が、先手を打って宣言することにしたのだった。
これでフランスでも仕事が入ってくれば御の字だ。「エクリヴァン」として成長するまたとないチャンスとなり、上手く行けば成功への早道となる。
とまあ、こんな下心に駆り立てられ、野心をプンプン匂わせながら「エクリヴァン」を口にしたわけだが、これ以降、私のアイデンティティは全て「エクリヴァン」一色で統一されることとなった。名前は覚えていなくても、「エクリヴァン」だということだけは覚えてもらっている。
しかし、焦ったのは、会議後の懇親会の時だった。新参者で、しかもこの業界での経験も浅い私など、自分で人ににじり寄ってでも行かないかぎり、パッシングされて当たり前。それが、「エクリヴァン」であると分かったことから、私と話したい人達が引けを切らない・・・・。
あたし、かっこよすぎ!と思ったのは束の間で、どんなものをお書きになるの?という最も触れられたくない趣旨の質問攻撃に遭うこと2時間・・・・・。ここに集うインテリ・フランス人の好奇心を満たすようなジャンルを思いつき、1を100ぐらいに誇張して説明することで、何とか苦境を切り抜けた・・・・。
一番苦労したけど、過激に面白かったのは、「アラフォー」を対象とした美容や健康に関する記事執筆の仕事について説明だ。説明しながら、自分でも何度か噴出しそうになってしまった・・・。
まず、フランスでは目新しい「アラフォー」のコンセプチュアルな説明からはじめ、記事の内容や寄稿先についてもっともらしく説明した。
フランス人には、「アラフォー」という名に隠されたこの年代特有の価値観や行動パターンなど珍しかったらしく、多くの人が興味津々で耳を傾けてくれたのには感動した。フランスではこのようにカテゴリー分けされたり、特別な意味を付与されたりすることはまずない。
自分がレギュラーで面白可笑しく執筆している各種記事を綿密な研究と深遠なる分析の結果導き出された考察を元にして、日本社会に登場しつつある新たな新人類について論じる記事であるかのごとく説明した。そして、寄稿先はといえば、「アラフォー」を主たる対象とする数多いウェブサイトのひとつなのに、日本で高い評価を受けかつ幅広く支持される代表的な電子メディアであるかのように説明したのだった。
誇張というよりも、誇大妄想の極地において説明したと言っても過言ではなく、でもおかしなもので、途中から自分でもその気になり、記事のアイデアのみならず、新たなサイトのコンセプトまで沸いてきた・・・。
自分の言葉や論旨に酔うことができるようになれば、イッパシの「エクリヴァン」と言えるかもしれない・・・。
とまあ、ようやく最後のほうになって自分が展開する誇大妄想にも慣れ、リラックスして話しができるようになったわけだが・・・しかしそれでも、何しろ1を100ぐらいに話すわけだから冷や汗のかきっぱなしで、せっかく期待していた素敵なお料理もどこに入ったのかわからないで終わってしまった。
まあ、自分の宣伝料だと思えば、安いものなのだが・・・・。
私の個人的な宣伝は横に置くとしても、今夜の話で日本文化の重層性についてフランス人の理解が深まっていれば幸いである。
日本には素晴らしい文学者がいる一方で、サブカルチャーを代表する爆発的人気のアニメが世界を沸かせ、その間を「アラフォー」のような新たなトレンドを作り出す現象が所狭しと犇いている。この重層性と多様性は、世界広しといえど、日本ぐらいのものではないだろうか。
ここ10年程の間ではあるが、日本の国際社会における地位上昇は目覚しい。90年代より日本経済が斜陽に傾くなかで、日本のピークは既に過去のものと誰もが信じていた。それが、2000年代に突入する頃からだと思うが、日本ブランドに文化大国としてのプレミエが付き始めた。
そして今や、日本は、文化大国の意味を書き換えつつある。どのような意味なのか、まだ不確定だが・・。
長らく文化の成長を牽引していたハイカルチャーが、逆にサブ・カルチャーやその中間に横たわるポテンシャル・カルチャーに影響されることで新たな発展の機を見つけたり、世界に紹介されるチャンスを得たりするようになっている。流れが逆になっているのだ。
この流れがどのような意味をもたらすのか、まだ確かなことは言えないと思う。
これからの発展が楽しみだ。
そして、「エクリヴァン」もサブカルチャーの中から登場するようになるのかもしれない・・・。いや、もう既に続々と登場しているか・・・。
そして、私も実はそのうちのひとりで、文化大国としての日本を担っていると自負している!
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