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エリア:
- ヨーロッパ > フランス > マルセイユ
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テーマ:
- 買物・土産
- / 留学・長期滞在
- / グルメ
昨晩、フランスに来てから長らく夢にまで見た、卵とじうどんを作った。マルセイユに来てから作った初めての「本格派」日本料理だ。(写真に掲載しているのは、卵なしのバージョンです。卵とじについては撮り忘れました・・)
我が家では最も底が深い西洋スープ皿の中で、溶き卵が柔らかな薄黄色の光を放ち、その下には、うどんが渋色のだし汁のなかでゆったりと揺蕩っている。卵やうどんの間に見え隠れするワカメを見ながら、その引き締まった食感が埋もれていた記憶の中から引き出される。一瞬にして、私は日本食の世界に埋没してしまった・・・。
だしは、遠路遥々日本より私と一緒に旅してきた逸品で、驚くなかれ幻の「東マルのうどんスープ」を使った。ねぎはなかったが、これまた日本から持参して特別な時(ひとりで自分のために料理をする時という意味)だけホンノ少し使うカット・ワカメをトッピングした。ついでに言えば、七味もなかったが、そこは私が創作にかけた汗と喜びの涙に含まれるスパイスが補填してくれているはずだ。
本当は、一昨日の夕食に焼きうどんを作ったので、これを本格派日本料理のプレミエ・イン・マルセイユと呼ぶこともできる。しかし、醤油の代わりにバーベキューソースを使用し、鰹節やしょうがなどのトッピングを欠いていたことから、「日本料理」と命名することは憚られる。しかも、きのこ類がマッシュルームときた・・・。
余談だが、このバーベキューソースで味付けをし、玉ねぎ、ニンニク、グリーン・ペパー、マッシュルームと一緒に炒めた「焼きうどん」は意外にも夫に受け、次回のホームパーティーで出したらどうかとまで言われた。え・・・(汗)、このまがい物の日本料理を・・・・・?と一瞬焦ったが、これは意外にもウケルまくるまもしれない♪と思い始めた。
しかし考えてみると、だしと醤油とみりんという日本料理のいわば三種の神器をフル活用して作った「本格派」にひとっ飛びするよりも、まずは慣れ親しんだ味で作る日本料理で地ならしをし、徐々に本格派に近づくのも、ゲストに日本食について理解し親しんでもらうための一つの手かと思ったりする。
ここ十年の間に、健康志向が高まる欧米で日本食レストランが雨後の竹の子のように各地で出現し始めた。空前の日本食ブームにより、パリでも街を歩けば日本食レストランが目に入る。
少々余談だが、日本食レストランの氾濫は、なんちゃって日本食やレストランを生み出す結果となっている。ヌテラを具とした手巻き寿司のデリバリ屋が出現したり、ラオス人シェフが作るラオス版ヌーベル・日本食のようなものまで登場したりと枚挙に暇が無い。涙ぐましいことに、これらが全てフランス人の間で好評を博しているのだ。
確かに、マヨネーズやアヴォガド入りの「カリフォルニア・ロール」が今や手巻き寿司の定番としての位置を確立してしまっていることからすれば、ヌテラが欧州発の改革版手巻き寿司としてその地位を不動のものとする日もそう遠い将来のことではないかもしれない。
しかし、この日本文化に対する名誉毀損ともいうべき実態を前にして、日本政府も負けてはいなかった。正式な日本料理店として承認されるための試験や認定証を導入することで改善を試みている。しかし、問題は、強制ではなく任意のものであることから足蹴りにされてしまった状態にあるということだ・・・・。
ということで、玉石混交の状態が続いており、友人やグルメの専門家などを通じて聞き取り調査をするなど事前調査をしてからでないと、これだ!と思える日本料理店に出会うことは難しくなりつつある。
勿論、定評ある店に行けば問題ないのであろうが、未知への探究心に優れる我々人類は同じ店にばかり行っているわけにもいかない。ある程度足繁く通うと、そろそろ次の新しい店へ・・・と浮気心がムクムクと沸いてくる・・・。
夫曰く、その店が本格派かどうか見極めるには、シェフが日本人であるかどうかが決め手になるということだ。しかし、日本人についてよく知らず、他の北東アジア人との見分けがつかないフランス人には難しい注文だ・・。
話は戻るが、首都のパリに限らず、地方都市のマルセイユでさえも日本食レストランの進出は破竹の勢いで、長らくアジア料理の覇権を握っていた中華料理も片隅に追いやられ、風前の灯火のごとくだ。
しかし、外国に進出している日本料理店の殆どは「寿司」や「てんぷら」、ちょっと頑張って「鉄板焼き」の店であり、我々日本人がグッとくる手の「本格派」日本料理を提供する店は殆どない。
断っておくが、「本格派」とは懐石料理などの高級日本料理のことを差すのではない。ここでいう「本格派」とは、日本人が普段から食べなれた料理で、おふくろの味などという贅沢は言わずとも、家庭でも作ることができて、海外に住むと無性に懐かしくなる味であり料理のことだ。どこの国の料理にも大なり小なり言えることかもしれないが、少なくとも日本料理については、寿司やてんぷらなど一部の普遍化した料理のみでは簡単に把握できないほど奥が深く、材料や味覚において多様性に富むものであるといえるだろう。
長年に渡り外部からの影響を柔軟に取り入れ、日本食の一部として改良を重ね、その過程において日本食それ自体も変革を遂げ、その奥行きと幅を広げてきたと言える。そのため、自分を含む日本人の味覚の幅は他の民族と比較して非常に広いと感じる。つまり、日本人は「美味しい」と感じる味覚が多いということである。小さな頃から、日本食に取り込まれ日本化してしまっている西洋料理や中華料理、各種エスニック料理をフンダンに食していることから、特別な僻地にでも行かない限り世界中どこに行っても食事で苦労することはない。
そのため、逆に、味覚の幅が比較的狭いと思われる外国人には、本格的な日本料理を堪能することができない。私も含む今時の日本人は、毎日ヴァゲットとチーズとワインで暮らしなさいと言われれば、栄養価についての心配は別にして、これといった問題もなくやり過ごすことができるだろう。しかし、フランス人を含む一般的な欧米人に、白米と味噌汁と漬物で毎日暮らすようお願いしても、それは出来ない注文で3日で平常心を失うに違いない。中国人や韓国人などは、主食が重なる部分が多いことから、欧米人とは比較にならないほどすんなり日本食を受け入れることができるだろうが、それでも、日本人が韓国料理や中華料理を受け入れる容易さに勝ることはないだろう。
以上のことから、私は「本格的」日本料理にひとっ飛びするよりも、「なんちゃって」レベルから始めて、徐々に「本格派」を紹介していけばよいかな、などと思ったりするようになったわけである。
今回作った卵とじうどんを夫は甚く堪能したように見せかけているが、一昨日の「焼きうどん」と比較して評価するとすれば、後者の方に高得点をつけることは明らかだ。彼の味覚の幅と日本料理に対する理解(自身では相当な日本食通を任じているのではあるが・・・・)からすれば、それは仕方のないことでもある。
しかし、夫を含む多くの外国人が多種多様な日本食を理解しようとしているのを見ると、長い道のりが待ってるぞ・・・と思いながらも、日本食をこよなく愛し、栄養価や味覚の観点からも世界最高級だと絶賛している私としてはまんざらでもないと思う。食事が文化の一部であることから鑑みれば、日本食の隠れた価値を理解してもらう良い機会になる。
夫や子供については、本格派を愛するには至らなくとも、食べる回数を増やすことで、日々の食事の一部として抵抗なく食べることができるようになるだろう。毎日食べるということで、日本食の威力は最も発揮されると言える。味覚の幅を広げることのみならず、栄養価の高い食事を大した努力をすることなく毎日取ることができるようになる。
今回作った卵とじうどんにしても、確かに、炭水化物が多いという点は否めないが、栄養価の点からすれば抜群だ。卵のたんぱく質、だし汁の(インスタントではなくて、昆布や煮干から取れば)カルシウムやミネラル、ワカメのカルシウム、ヴィタミン、繊維、ねぎを入れればヴィタミンや解毒作用、七味唐辛子による代謝・消化作用などがある。外国の料理において、単純な一品でここまで幅の広い栄養価を提供するものがあるだろうか?
ということで、今回は夫が会社の帰りに買ってきてくれたうどんと豆腐、そしてマルセイユの家にある数少ない日本食材で料理をすることを試みた。私が「食べたいな・・・」と何度かつぶやいたのを聞いてて、彼が気を利かせて買ってきてくれたのだった。マルセイユでは、アジア食料品店は郊外に一軒しかなく(私達が知る限り)、車でしか行くことができない。「アジア・スーパー」という看板を挙げるだけあって、かなり大きなスーパーらしく、アジア料理に関する物は全て揃っているようだ。
夫は、うどんや豆腐を美味しく「本格的」に食べるためには、豆腐やうどんの他に各種たしや調味料がいるということまでは気が回らなかった。当たり前のことだし、私もそこまで期待してはいない。むしろ、そこまで気が回ると逆に気持ちが悪い・・・・。
満面の笑みを浮かべながら帰宅して、「今日は君が大喜びするサプライズがあるよ!」と言いながら手に持っていたスーパーの袋からうどんや豆腐を出して私に渡した。私は、もちろん、予期せぬ日本料理の到来に驚き、喜んだ。
「君には、ブランドの洋服や宝石よりも、日本食の食材のほうが喜ばれると思ったよ」と笑いながら言う夫を見ながら、こいつは私のことを本当に良く理解していると改めて実感した。そうだ、カルティエのリングやエルメスのバッグは私の虚栄心を満足させてくれることはあっても、私が本当に必要とし望んでいる家族の健康とより良い生活を与えてくれることはない。昨晩、うどんと豆腐を買ってきてもらった時の喜びは、私の大切な人達を幸せにできる心からの喜びだった。
来週から再来週末には、「アジア・スーパー」買出しに出かけて、もっと美味しい日本食を作り、もっとともっと多くの幸せを家族にもたらすことができればと思う・・・・。
我が家では最も底が深い西洋スープ皿の中で、溶き卵が柔らかな薄黄色の光を放ち、その下には、うどんが渋色のだし汁のなかでゆったりと揺蕩っている。卵やうどんの間に見え隠れするワカメを見ながら、その引き締まった食感が埋もれていた記憶の中から引き出される。一瞬にして、私は日本食の世界に埋没してしまった・・・。
だしは、遠路遥々日本より私と一緒に旅してきた逸品で、驚くなかれ幻の「東マルのうどんスープ」を使った。ねぎはなかったが、これまた日本から持参して特別な時(ひとりで自分のために料理をする時という意味)だけホンノ少し使うカット・ワカメをトッピングした。ついでに言えば、七味もなかったが、そこは私が創作にかけた汗と喜びの涙に含まれるスパイスが補填してくれているはずだ。
本当は、一昨日の夕食に焼きうどんを作ったので、これを本格派日本料理のプレミエ・イン・マルセイユと呼ぶこともできる。しかし、醤油の代わりにバーベキューソースを使用し、鰹節やしょうがなどのトッピングを欠いていたことから、「日本料理」と命名することは憚られる。しかも、きのこ類がマッシュルームときた・・・。
余談だが、このバーベキューソースで味付けをし、玉ねぎ、ニンニク、グリーン・ペパー、マッシュルームと一緒に炒めた「焼きうどん」は意外にも夫に受け、次回のホームパーティーで出したらどうかとまで言われた。え・・・(汗)、このまがい物の日本料理を・・・・・?と一瞬焦ったが、これは意外にもウケルまくるまもしれない♪と思い始めた。
しかし考えてみると、だしと醤油とみりんという日本料理のいわば三種の神器をフル活用して作った「本格派」にひとっ飛びするよりも、まずは慣れ親しんだ味で作る日本料理で地ならしをし、徐々に本格派に近づくのも、ゲストに日本食について理解し親しんでもらうための一つの手かと思ったりする。
ここ十年の間に、健康志向が高まる欧米で日本食レストランが雨後の竹の子のように各地で出現し始めた。空前の日本食ブームにより、パリでも街を歩けば日本食レストランが目に入る。
少々余談だが、日本食レストランの氾濫は、なんちゃって日本食やレストランを生み出す結果となっている。ヌテラを具とした手巻き寿司のデリバリ屋が出現したり、ラオス人シェフが作るラオス版ヌーベル・日本食のようなものまで登場したりと枚挙に暇が無い。涙ぐましいことに、これらが全てフランス人の間で好評を博しているのだ。
確かに、マヨネーズやアヴォガド入りの「カリフォルニア・ロール」が今や手巻き寿司の定番としての位置を確立してしまっていることからすれば、ヌテラが欧州発の改革版手巻き寿司としてその地位を不動のものとする日もそう遠い将来のことではないかもしれない。
しかし、この日本文化に対する名誉毀損ともいうべき実態を前にして、日本政府も負けてはいなかった。正式な日本料理店として承認されるための試験や認定証を導入することで改善を試みている。しかし、問題は、強制ではなく任意のものであることから足蹴りにされてしまった状態にあるということだ・・・・。
ということで、玉石混交の状態が続いており、友人やグルメの専門家などを通じて聞き取り調査をするなど事前調査をしてからでないと、これだ!と思える日本料理店に出会うことは難しくなりつつある。
勿論、定評ある店に行けば問題ないのであろうが、未知への探究心に優れる我々人類は同じ店にばかり行っているわけにもいかない。ある程度足繁く通うと、そろそろ次の新しい店へ・・・と浮気心がムクムクと沸いてくる・・・。
夫曰く、その店が本格派かどうか見極めるには、シェフが日本人であるかどうかが決め手になるということだ。しかし、日本人についてよく知らず、他の北東アジア人との見分けがつかないフランス人には難しい注文だ・・。
話は戻るが、首都のパリに限らず、地方都市のマルセイユでさえも日本食レストランの進出は破竹の勢いで、長らくアジア料理の覇権を握っていた中華料理も片隅に追いやられ、風前の灯火のごとくだ。
しかし、外国に進出している日本料理店の殆どは「寿司」や「てんぷら」、ちょっと頑張って「鉄板焼き」の店であり、我々日本人がグッとくる手の「本格派」日本料理を提供する店は殆どない。
断っておくが、「本格派」とは懐石料理などの高級日本料理のことを差すのではない。ここでいう「本格派」とは、日本人が普段から食べなれた料理で、おふくろの味などという贅沢は言わずとも、家庭でも作ることができて、海外に住むと無性に懐かしくなる味であり料理のことだ。どこの国の料理にも大なり小なり言えることかもしれないが、少なくとも日本料理については、寿司やてんぷらなど一部の普遍化した料理のみでは簡単に把握できないほど奥が深く、材料や味覚において多様性に富むものであるといえるだろう。
長年に渡り外部からの影響を柔軟に取り入れ、日本食の一部として改良を重ね、その過程において日本食それ自体も変革を遂げ、その奥行きと幅を広げてきたと言える。そのため、自分を含む日本人の味覚の幅は他の民族と比較して非常に広いと感じる。つまり、日本人は「美味しい」と感じる味覚が多いということである。小さな頃から、日本食に取り込まれ日本化してしまっている西洋料理や中華料理、各種エスニック料理をフンダンに食していることから、特別な僻地にでも行かない限り世界中どこに行っても食事で苦労することはない。
そのため、逆に、味覚の幅が比較的狭いと思われる外国人には、本格的な日本料理を堪能することができない。私も含む今時の日本人は、毎日ヴァゲットとチーズとワインで暮らしなさいと言われれば、栄養価についての心配は別にして、これといった問題もなくやり過ごすことができるだろう。しかし、フランス人を含む一般的な欧米人に、白米と味噌汁と漬物で毎日暮らすようお願いしても、それは出来ない注文で3日で平常心を失うに違いない。中国人や韓国人などは、主食が重なる部分が多いことから、欧米人とは比較にならないほどすんなり日本食を受け入れることができるだろうが、それでも、日本人が韓国料理や中華料理を受け入れる容易さに勝ることはないだろう。
以上のことから、私は「本格的」日本料理にひとっ飛びするよりも、「なんちゃって」レベルから始めて、徐々に「本格派」を紹介していけばよいかな、などと思ったりするようになったわけである。
今回作った卵とじうどんを夫は甚く堪能したように見せかけているが、一昨日の「焼きうどん」と比較して評価するとすれば、後者の方に高得点をつけることは明らかだ。彼の味覚の幅と日本料理に対する理解(自身では相当な日本食通を任じているのではあるが・・・・)からすれば、それは仕方のないことでもある。
しかし、夫を含む多くの外国人が多種多様な日本食を理解しようとしているのを見ると、長い道のりが待ってるぞ・・・と思いながらも、日本食をこよなく愛し、栄養価や味覚の観点からも世界最高級だと絶賛している私としてはまんざらでもないと思う。食事が文化の一部であることから鑑みれば、日本食の隠れた価値を理解してもらう良い機会になる。
夫や子供については、本格派を愛するには至らなくとも、食べる回数を増やすことで、日々の食事の一部として抵抗なく食べることができるようになるだろう。毎日食べるということで、日本食の威力は最も発揮されると言える。味覚の幅を広げることのみならず、栄養価の高い食事を大した努力をすることなく毎日取ることができるようになる。
今回作った卵とじうどんにしても、確かに、炭水化物が多いという点は否めないが、栄養価の点からすれば抜群だ。卵のたんぱく質、だし汁の(インスタントではなくて、昆布や煮干から取れば)カルシウムやミネラル、ワカメのカルシウム、ヴィタミン、繊維、ねぎを入れればヴィタミンや解毒作用、七味唐辛子による代謝・消化作用などがある。外国の料理において、単純な一品でここまで幅の広い栄養価を提供するものがあるだろうか?
ということで、今回は夫が会社の帰りに買ってきてくれたうどんと豆腐、そしてマルセイユの家にある数少ない日本食材で料理をすることを試みた。私が「食べたいな・・・」と何度かつぶやいたのを聞いてて、彼が気を利かせて買ってきてくれたのだった。マルセイユでは、アジア食料品店は郊外に一軒しかなく(私達が知る限り)、車でしか行くことができない。「アジア・スーパー」という看板を挙げるだけあって、かなり大きなスーパーらしく、アジア料理に関する物は全て揃っているようだ。
夫は、うどんや豆腐を美味しく「本格的」に食べるためには、豆腐やうどんの他に各種たしや調味料がいるということまでは気が回らなかった。当たり前のことだし、私もそこまで期待してはいない。むしろ、そこまで気が回ると逆に気持ちが悪い・・・・。
満面の笑みを浮かべながら帰宅して、「今日は君が大喜びするサプライズがあるよ!」と言いながら手に持っていたスーパーの袋からうどんや豆腐を出して私に渡した。私は、もちろん、予期せぬ日本料理の到来に驚き、喜んだ。
「君には、ブランドの洋服や宝石よりも、日本食の食材のほうが喜ばれると思ったよ」と笑いながら言う夫を見ながら、こいつは私のことを本当に良く理解していると改めて実感した。そうだ、カルティエのリングやエルメスのバッグは私の虚栄心を満足させてくれることはあっても、私が本当に必要とし望んでいる家族の健康とより良い生活を与えてくれることはない。昨晩、うどんと豆腐を買ってきてもらった時の喜びは、私の大切な人達を幸せにできる心からの喜びだった。
来週から再来週末には、「アジア・スーパー」買出しに出かけて、もっと美味しい日本食を作り、もっとともっと多くの幸せを家族にもたらすことができればと思う・・・・。
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