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今年の暖冬は東京に限らず香港でもしかりで、クリスマスシーズンも連日20度前後で小春日和の快晴続きだった。
香港で気が付くのが、パリはいうまでもなく、東京と比較しても、カフェの少なさ。中華レストランをはじめ飲茶は沢山あるが、相当目を凝らして探さないと、一服できるカフェが見つからない。
香港に来るたびに、カフェの不在をあるまじき文化的欠損の最たる例とばかりに嘆く夫を横目に、むしろ、カフェなど文化的頽廃の最たる例とばかりに勤労に勤しむ香港人に私は偉大なる敬意を寄せる。
しかしながら、クリスマスから年末にかけてのシーズンは例外のようで、香港が誇る豪華ホテル「ザ・ペニンシュラ香港」のアフタヌーン・ティは連日の満席となり、日本人も顔負けの長蛇の列ができる。現地の人々はもちろんのこと、観光客の間でも有名だ。
昨今では、ヴィクトリア・ハーバーを一望する格好のロケーションをインターコンチネンタルに奪われたかたちになってしまっているが、ペニンシュラホテルは、単なる5つ星ホテルというよりも、英国統治の面影を現在に引き継ぐ貴重な存在としてある。スタッフの対応、話す英語、物腰なども格別であり、アフタヌーン・ティも伝統的な作法に則ってサーブされる。歴史の断片を生きる臨場感を味わうことができる場所、それがペニンシュラの醍醐味だ。
シーズンには、クリスマスツリーの後方にブラスバンドが設置され、生演奏を堪能しながら、優雅な午後のひと時を過ごすことができる。ティを楽しむお客様の邪魔にならない配慮がなされており、長打の列は会場から若干離れた見えない場所で延々と伸びている。間違っても、回転率を上げて繁忙期の利益率を最大化しようという野心は決して表立っては表現されない・・・。
一昔前までは、欧米人の多かったが、ここ数年でめっきりアジア系の顔も増えた。これはなにもペニンシュラに限ったことではないが、街を歩いていても、中国本土からやってくる中国人が増えたという印象を受ける。
1997年を境に一時、香港の威光に陰りが見られ、それと同時に同地の銀座通りといわれるネイザン・ロードを闊歩する人々の数も激減した。以前と比べてまばらになったストリートを歩きながら、もの悲しさを感じたのは私だけではないはずだ。
しかし、香港がついに斜陽に傾くかと杞憂されたのも束の間、逃げ出した欧米人に代わって、移動規制の緩和に従い、大陸の人々が押し寄せ始めた。お金持ちは人口の10%などといっても、10億人口の10%が1億人であることからも、日本の人口と同じだけのお金持ちが大挙して押し寄せれば、出て行った欧米人などno longer missedである。
タクシーに乗っても、以前は英語で十分通じたのが、大陸から移住してきた人がドライバーの主流になりつつあるのか、英語はおろか、アルファベットさえも読めない人が多くなった。だから、場所を示す場合には、グーグルマップで広東語に翻訳された地名を示さねばならない・・・。
中国の巨大都市の1つと化しつつある香港。だからこそ、大英帝国の時代の香りが残るペニンシュラが際立つのだろう。
シーズンは待ち時間が長いので、是非ともオフのシーズンに、ザ・ペニンシュラのThe Lobbyにあるアフタヌーン・ティを訪れてみてください。
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- クリスマス アフタヌーン ティ 香港 5つ星ホテル ヴィクトリアハーバー
- クロアチアきっての高級リゾート:オパティア
-
エリア:
- ヨーロッパ>クロアチア>オパティア
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 ホテル・宿泊
- 投稿日:2012/02/13 21:57
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写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-10963776405.html
クロアチアきっての高級リゾート地オパティアは、「クロアチアの貴婦人」とも呼ばれ、ヨーロッパを中心に世界各地の人々を惹きつけて止みません。
オパティアとはクロアチア語で「僧院」という意味らしく、この地の始まりは、15世紀に建てられたベネディクト会の修道院のまわりに集まってできた海辺の集落だったとのこと。
オパティアに流れるゆったりとした時間に身を任せ、ビーチ沿いに繰り広げられる華やかな夜の歓楽を満喫すれば、ここがひと昔前まで僧院を中心として発達した集落だったことが嘘のようです。
こんなにも俗世間に染まってしまって・・・と、人間の煩悩のなせる業を嘆く一方で、よくぞここまで潔く変貌を遂げたなと、これまた人間の意思の力に脱帽してしまう次第です。
現在では、19世紀に建てられた瀟洒なヴィラが海岸沿いに立ち並び、その多くはホテルとして使われています。
昔は、ウィーンからも近いことから、ハプスブルグの貴族達がこの温暖な海岸に別荘を建ててヴァカンスを楽しんだといいます。
19世紀から20世紀初頭にかけて、オーストリア皇帝のプランツ・ヨーゼフ、ドイツのヴィルヘルム2世、イタリアの作曲家のプッチーニ、オーストリア作曲家のマーラー、ロシアの作家チェーホフなど数多くの貴族や各界の著名人が訪れています。
ここで有名なホテルといえば、「ホテル・インペリアル」「「ヴィラ・マリア」「ヴィラ・アンジョリーナ」というところでしょうか。
私達が宿泊したのは「ホテル・ベルヴィユ」です。角部屋をもらえたのはよかったのですが、バルコニーへのドアを開けることはできたものの、もうひとつの窓を開けた状態にしておく方法は見つかりませんでした。窓を上に押し上げて解放した状態におくことができなかったのです。
苦肉の策として、部屋にあった椅子を窓に挟み、解放状態を確保することができました・・・・(汗)。翌朝、部屋に入ってきたメイドさんは窓に挟まれた椅子を見て、人が窓から飛び降り自殺をしたのではないかと焦ったはずです。
夜はカメラを持ち歩かなかったので、残念ながら写真を撮ることができませんでした・・ごめんなさい。言葉でお伝えするとすれば、以下になります。
南国の太陽に光り輝く昼間の姿とは全く異なり、間接照明の幻想的な光のなかで、浮き立つように輝く夜のオパティアの夜は格別だったということです。
さすがは、「クロアチアの貴婦人」と呼ばれるだけあり、単なる一律的な美しさを誇るだけではありません。
私の「貴婦人」の理解は若干斜に構えたものかもしれませんが、貴婦人とは、表面的な美しさに限らず、内面から溢れ出る知性と自由で開けた精神により、多彩かつ精緻な魅力を放つ高貴な女性のことをいうのだと思います。
しかるに、先ほど述べたように、朝と夜で異なる顔を持ち、多彩な輝きを発することで世界中の人々を魅了するオパティアは、貴婦人の美しさを湛える街だと思われるのです。
話は変わりますが、クロアチアはヌゥーディスト・ビーチのメッカとして知られています。オパティアが位置するイストラ半島にも名の知られたヌゥーディスト・ビーチが幾つか点在しており、オパティアからも船で行くことができます。もっとも今では、ヌゥーディストではなくて、ナチュラリスト・ビーチと呼ぶようですが。
実際に、イストラ半島には、ナチュラリストが3000人から5000人ほど滞在できるキャンプ場やヴァンガローなどの施設が十ヶ所、数百人用が3ヶ所、クルヴァネル湾には、ツレス島、クルク島、バグ島など八ヶ所にキャンプ場やビーチがあります。
日本人にはあまりなじみのないナチュラリスト・ビーチですが、一度だまされたと思って行ってみると面白いかもしれません。
生まれたままの肢体を惜しげもなく曝け出し、ノビノビと太陽と海の自然を満喫している人達の全てが「モデル・ボディ」の持ち主であるわけではありません。色といい、形といい、サイズといい各種様々ですが、全てに共通することは、生まれたままの姿でノビノビとヴァカンスを楽しんでいるということです。
我々の遠い祖先はみんな、裸同然でジャングルの中を駆け回っていたことを思い出してください。また、身近な例でも、小さな子供は裸で駆け回るのが大好きです。私の4歳になる甥っ子も、お風呂に入った後は、裸で飛び出して家の中を嬉々として駆け回り、一度得た最高に気持ちがよい「真っ裸」の状態を容易にあきらめようとはしません。
真っ裸でビーチを歩いてみたら、我々の祖先が感じたインスピレーションが蘇り、素晴らしい発想ができるかもしれません!
オパティアを立つ日は、陸路でトリエステまで行き、正午発のローマ便をキャッチする必要があったので、出発は早朝となりました。オパティアからトリエステまでは車で約3時間ほどかかり、クロアチアからスロベニア、スロベニアからイタリアと国境を2回通過しなりません。
朝早くでホテルのブレックファストが開いてなかったので、近くの開いているカフェに行き、コーヒーを注文しました。もちろん、コーヒーはなくて、エスプレッソしかなかったので、それをダブルでお願いしました。
朝早くでどこも開いておらず、掃除をしているおばさんに尋ねて漸く開いている店を見つけることができました。そこぐらいしか開いているカフェがないのか、朝6時ごろだったにも関わらず、お客さんが何人かいてエスプレッソをすすっていました。
ヴァカンスにきて早起きするとは・・・と一瞬驚きましたが、年配の風貌からみて、普段からゆっくりしたリズムで暮らしている人達のようで、6時にカフェでコーヒーをすすることも日課なのかもしれません。
トリエステの空港ではクロアチアワインの各種が展示されていました。モダンな展示の仕方に感銘を受け、シャッターをパチリ、パチリ。
この展示を見て、クロアチアのワインに賭ける熱い思いを理解することができました。実際に、クロアチアのワインは値段が安い割りには質が良いと評判で、ファンが軒並み増えているという話も聞きます。アドリア海に浮かぶ観光立国でありながら、それに甘んじることなく、産業の多角化を狙うクロアチアのアンビションを垣間見ることができたような気がします。
先の旧ユーゴ戦争終結から20年・・・戦争の傷跡が癒えることはありませんが、この国が新たな飛躍に向けて挑戦しているのが感じられました。
クロアチアの発展と輝かしい未来に乾杯!
クロアチアきっての高級リゾート地オパティアは、「クロアチアの貴婦人」とも呼ばれ、ヨーロッパを中心に世界各地の人々を惹きつけて止みません。
オパティアとはクロアチア語で「僧院」という意味らしく、この地の始まりは、15世紀に建てられたベネディクト会の修道院のまわりに集まってできた海辺の集落だったとのこと。
オパティアに流れるゆったりとした時間に身を任せ、ビーチ沿いに繰り広げられる華やかな夜の歓楽を満喫すれば、ここがひと昔前まで僧院を中心として発達した集落だったことが嘘のようです。
こんなにも俗世間に染まってしまって・・・と、人間の煩悩のなせる業を嘆く一方で、よくぞここまで潔く変貌を遂げたなと、これまた人間の意思の力に脱帽してしまう次第です。
現在では、19世紀に建てられた瀟洒なヴィラが海岸沿いに立ち並び、その多くはホテルとして使われています。
昔は、ウィーンからも近いことから、ハプスブルグの貴族達がこの温暖な海岸に別荘を建ててヴァカンスを楽しんだといいます。
19世紀から20世紀初頭にかけて、オーストリア皇帝のプランツ・ヨーゼフ、ドイツのヴィルヘルム2世、イタリアの作曲家のプッチーニ、オーストリア作曲家のマーラー、ロシアの作家チェーホフなど数多くの貴族や各界の著名人が訪れています。
ここで有名なホテルといえば、「ホテル・インペリアル」「「ヴィラ・マリア」「ヴィラ・アンジョリーナ」というところでしょうか。
私達が宿泊したのは「ホテル・ベルヴィユ」です。角部屋をもらえたのはよかったのですが、バルコニーへのドアを開けることはできたものの、もうひとつの窓を開けた状態にしておく方法は見つかりませんでした。窓を上に押し上げて解放した状態におくことができなかったのです。
苦肉の策として、部屋にあった椅子を窓に挟み、解放状態を確保することができました・・・・(汗)。翌朝、部屋に入ってきたメイドさんは窓に挟まれた椅子を見て、人が窓から飛び降り自殺をしたのではないかと焦ったはずです。
夜はカメラを持ち歩かなかったので、残念ながら写真を撮ることができませんでした・・ごめんなさい。言葉でお伝えするとすれば、以下になります。
南国の太陽に光り輝く昼間の姿とは全く異なり、間接照明の幻想的な光のなかで、浮き立つように輝く夜のオパティアの夜は格別だったということです。
さすがは、「クロアチアの貴婦人」と呼ばれるだけあり、単なる一律的な美しさを誇るだけではありません。
私の「貴婦人」の理解は若干斜に構えたものかもしれませんが、貴婦人とは、表面的な美しさに限らず、内面から溢れ出る知性と自由で開けた精神により、多彩かつ精緻な魅力を放つ高貴な女性のことをいうのだと思います。
しかるに、先ほど述べたように、朝と夜で異なる顔を持ち、多彩な輝きを発することで世界中の人々を魅了するオパティアは、貴婦人の美しさを湛える街だと思われるのです。
話は変わりますが、クロアチアはヌゥーディスト・ビーチのメッカとして知られています。オパティアが位置するイストラ半島にも名の知られたヌゥーディスト・ビーチが幾つか点在しており、オパティアからも船で行くことができます。もっとも今では、ヌゥーディストではなくて、ナチュラリスト・ビーチと呼ぶようですが。
実際に、イストラ半島には、ナチュラリストが3000人から5000人ほど滞在できるキャンプ場やヴァンガローなどの施設が十ヶ所、数百人用が3ヶ所、クルヴァネル湾には、ツレス島、クルク島、バグ島など八ヶ所にキャンプ場やビーチがあります。
日本人にはあまりなじみのないナチュラリスト・ビーチですが、一度だまされたと思って行ってみると面白いかもしれません。
生まれたままの肢体を惜しげもなく曝け出し、ノビノビと太陽と海の自然を満喫している人達の全てが「モデル・ボディ」の持ち主であるわけではありません。色といい、形といい、サイズといい各種様々ですが、全てに共通することは、生まれたままの姿でノビノビとヴァカンスを楽しんでいるということです。
我々の遠い祖先はみんな、裸同然でジャングルの中を駆け回っていたことを思い出してください。また、身近な例でも、小さな子供は裸で駆け回るのが大好きです。私の4歳になる甥っ子も、お風呂に入った後は、裸で飛び出して家の中を嬉々として駆け回り、一度得た最高に気持ちがよい「真っ裸」の状態を容易にあきらめようとはしません。
真っ裸でビーチを歩いてみたら、我々の祖先が感じたインスピレーションが蘇り、素晴らしい発想ができるかもしれません!
オパティアを立つ日は、陸路でトリエステまで行き、正午発のローマ便をキャッチする必要があったので、出発は早朝となりました。オパティアからトリエステまでは車で約3時間ほどかかり、クロアチアからスロベニア、スロベニアからイタリアと国境を2回通過しなりません。
朝早くでホテルのブレックファストが開いてなかったので、近くの開いているカフェに行き、コーヒーを注文しました。もちろん、コーヒーはなくて、エスプレッソしかなかったので、それをダブルでお願いしました。
朝早くでどこも開いておらず、掃除をしているおばさんに尋ねて漸く開いている店を見つけることができました。そこぐらいしか開いているカフェがないのか、朝6時ごろだったにも関わらず、お客さんが何人かいてエスプレッソをすすっていました。
ヴァカンスにきて早起きするとは・・・と一瞬驚きましたが、年配の風貌からみて、普段からゆっくりしたリズムで暮らしている人達のようで、6時にカフェでコーヒーをすすることも日課なのかもしれません。
トリエステの空港ではクロアチアワインの各種が展示されていました。モダンな展示の仕方に感銘を受け、シャッターをパチリ、パチリ。
この展示を見て、クロアチアのワインに賭ける熱い思いを理解することができました。実際に、クロアチアのワインは値段が安い割りには質が良いと評判で、ファンが軒並み増えているという話も聞きます。アドリア海に浮かぶ観光立国でありながら、それに甘んじることなく、産業の多角化を狙うクロアチアのアンビションを垣間見ることができたような気がします。
先の旧ユーゴ戦争終結から20年・・・戦争の傷跡が癒えることはありませんが、この国が新たな飛躍に向けて挑戦しているのが感じられました。
クロアチアの発展と輝かしい未来に乾杯!
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