記事一覧
- 前のページ
- 6
26 - 27件目まで(27件中)
パリの人達はコーヒー好きです。我が家の夫もご多分に漏れずカフェ好きで、カフェ無しに人生は立ち行かず、少なくとも1日に3杯は飲んでいるようです。もちろん、エスプレッソであることは言うまでもありません。

フランスでコーヒーといえばエスプレッソになります。味音痴、邪道と貶されようともアメリカン・コーヒーをこよなく愛する私としては、このカフェ=エスプレッソのあり方にどうしても馴染むことができません。健康面からも生活の豊かさの観点からも受け入れられないのです・・・。
あそこまで濃いと胃に負担がかかるし、しかもすぐに飲み干してしまうため、コーヒーを飲むという行為から得られるゆったりと落ち着いたひと時を満喫することさえできません。
しかしながら、心強いことに昨今ではパリでも「スターバックス」が出現し、カーラ大統領夫人をはじめとして絶大なる支持を受けるようになっています。絶大という部分は、私が勝手な主観による判断の域を出ない可能性もあります
しかしそれでも、マクドナルドのように悪しきアメリカの食文化、フランス文明を破壊する資本主義経済の急先鋒として誹謗中傷されることもありません。これは、フランス社会での受け入れが着実に進んでいる証拠だといえます。
実際に、最寄のスターバックスはいつも混んでおり、繁盛しているのは傍目にも明らかです。もちろん、全ての客が私のようにレギュラー・コーヒーを購入しているわけではありません。多くがスターバックスが独自に開発する「装飾がかったカフェ」を注文していることは確かです。彼らの殆どはエスプレッソとは別にスウィーツとしてスターバックスの各種商品を消費しているようです。
このような状態を見るにつけ、カフェ=エスプレッソ文化の根強さを思い知らされます。我が家においても、コーヒー・メーカーはフランスでの居住開始とともにエスプレッソ・マシーンに変身しました。夫が最も拘って購入した家電製品がこのマシーンであったことは言うまでもありません。
余談にはなりますが、一方でインスタント・コーヒーというものもフランスでは健在です。アメリカン・コーヒーを愛する人間に対するフランス人の軽蔑感がドリップ式のコーヒー・メーカーの不在とインスタント・コーヒーのスーパーにおける氾濫に見て取れます。
そうです、アメリカン・コーヒー愛好家は、自宅ではインスタント・コーヒーに甘んじるしかないのです。フランスでは、エスプレッソとインスタントの中間を行くポジショニングは選択不可といっても過言ではありません。
スターバックスのような新参カフェの対極にあるのが昔ながらの古き良きフランスのカフェです。とされていますが、私には歴史の重み以外に双方の間に横たわると言われる違いがよく理解できません。

提供する商品が少々異なるのみで、その存在意義は今も昔も変わらないからです。カフェでやることは食事や飲み物を堪能する他は、たわいもない話に花を咲かせたり、議論に熱中したり、仕事や書き物に集中したり、あるいは、ひとりで道行く人を眺めながら思索に耽るゆったりとした時間を過ごしたりと様々ですが、共通することは、人生を豊かにするための場を求めて時間を過ごすということです。
パリにも伝説のカフェは数多く存在しますが、その代表格として挙げられるのが、サンジェルマン・デ・プレにあるカフェ・ドゥ・マゴとカフェ・フレールです。


サルトルやボーボワールを中心に20世紀を代表するフランスの知識人や芸術家が集い、日夜に渡って哲学・文学・芸術談義に花を咲かせ、創作活動に没頭した場所として有名です。サルトルやボーボワールは、このカフェを仕事場として利用し、毎日通ったと言われています。実際に、彼らの名を刻んだプレートが当時席を占めていたという場所に打ち付けてあるのが見えます。

サルトルとボーボワールは深い愛と絆で結ばれ、互いを尊敬し思いやる素晴らしいカップルであったことは有名です。しかし、そうであったがために、結婚することなく生涯独身を貫きました。結婚は互いの依存を助長し、人間の存在にとって欠かせない自由の精神を蝕むことになるからということでした。一緒に時間を過ごしながらも各自のプライベートには望まれない限り干渉しないというスタイルは、理念としては神々しいばかりに立派でも、日常において実践するのは容易いわけではなかったようです。
それでも二人はこの関係を貫き、カフェで毎日会い、一緒に議論し、創作することで、20世紀の西洋思想の前進に大いに貢献しました。このことからも、20世紀にはフランス文明の流れがカフェで形作られたといっても過言ではないでしょう。
これらのカフェをはじめ、パリの各地には19世紀の面影を色濃く残したカフェが無数に存在します。パリの街自体が19世紀のオスマン市長によって大改革され、以来そのままの状態で保存されていることからも当たり前といえば当たり前ですが、概観以上に、そこにある魂がいまだに19世紀ー20世紀である印象を受けるのです。19-20世紀がパリのカフェの全盛期で、その時代の威光に未だにしがみついているとも言えますが。。。
特に、どんよりと雨雲が重苦しく立ち込め、パリの街全体を覆っているような日には、小雨でも降れば、19世紀のパリが目の前に立ち現れます。ぱっと見には陰鬱だけれど、オレンジの間接照明に暖かく照らされるカフェの中は活気に満ち、人生を愉しむことを心得た人々の精神が自由に飛びまわっています。当時から何も変わっていないパリがそこにあるのです。
フランス社会も国家経済から社会のアイデンティティにいたるまで数々の問題を抱えており、様々な分野での改革や変革が求められています。外国人の私の目から見ても、変革を断行していかなければ国が立ち行かない時期に来ていることは明らかです。
そんななかで、切羽詰った問題から一息入れることのできる憩いの場所、フランス人のアイデンティティを再確認できる場所というのがこのカフェではないかなと思ったりするのです。

様々な意味で人生を豊かにする場を与えてくれる場所、それがカフェであり、この存在意義は今も昔も変わらないような気がします。

フランスでコーヒーといえばエスプレッソになります。味音痴、邪道と貶されようともアメリカン・コーヒーをこよなく愛する私としては、このカフェ=エスプレッソのあり方にどうしても馴染むことができません。健康面からも生活の豊かさの観点からも受け入れられないのです・・・。
あそこまで濃いと胃に負担がかかるし、しかもすぐに飲み干してしまうため、コーヒーを飲むという行為から得られるゆったりと落ち着いたひと時を満喫することさえできません。
しかしながら、心強いことに昨今ではパリでも「スターバックス」が出現し、カーラ大統領夫人をはじめとして絶大なる支持を受けるようになっています。絶大という部分は、私が勝手な主観による判断の域を出ない可能性もあります
しかしそれでも、マクドナルドのように悪しきアメリカの食文化、フランス文明を破壊する資本主義経済の急先鋒として誹謗中傷されることもありません。これは、フランス社会での受け入れが着実に進んでいる証拠だといえます。
実際に、最寄のスターバックスはいつも混んでおり、繁盛しているのは傍目にも明らかです。もちろん、全ての客が私のようにレギュラー・コーヒーを購入しているわけではありません。多くがスターバックスが独自に開発する「装飾がかったカフェ」を注文していることは確かです。彼らの殆どはエスプレッソとは別にスウィーツとしてスターバックスの各種商品を消費しているようです。
このような状態を見るにつけ、カフェ=エスプレッソ文化の根強さを思い知らされます。我が家においても、コーヒー・メーカーはフランスでの居住開始とともにエスプレッソ・マシーンに変身しました。夫が最も拘って購入した家電製品がこのマシーンであったことは言うまでもありません。
余談にはなりますが、一方でインスタント・コーヒーというものもフランスでは健在です。アメリカン・コーヒーを愛する人間に対するフランス人の軽蔑感がドリップ式のコーヒー・メーカーの不在とインスタント・コーヒーのスーパーにおける氾濫に見て取れます。
そうです、アメリカン・コーヒー愛好家は、自宅ではインスタント・コーヒーに甘んじるしかないのです。フランスでは、エスプレッソとインスタントの中間を行くポジショニングは選択不可といっても過言ではありません。
スターバックスのような新参カフェの対極にあるのが昔ながらの古き良きフランスのカフェです。とされていますが、私には歴史の重み以外に双方の間に横たわると言われる違いがよく理解できません。

提供する商品が少々異なるのみで、その存在意義は今も昔も変わらないからです。カフェでやることは食事や飲み物を堪能する他は、たわいもない話に花を咲かせたり、議論に熱中したり、仕事や書き物に集中したり、あるいは、ひとりで道行く人を眺めながら思索に耽るゆったりとした時間を過ごしたりと様々ですが、共通することは、人生を豊かにするための場を求めて時間を過ごすということです。
パリにも伝説のカフェは数多く存在しますが、その代表格として挙げられるのが、サンジェルマン・デ・プレにあるカフェ・ドゥ・マゴとカフェ・フレールです。


サルトルやボーボワールを中心に20世紀を代表するフランスの知識人や芸術家が集い、日夜に渡って哲学・文学・芸術談義に花を咲かせ、創作活動に没頭した場所として有名です。サルトルやボーボワールは、このカフェを仕事場として利用し、毎日通ったと言われています。実際に、彼らの名を刻んだプレートが当時席を占めていたという場所に打ち付けてあるのが見えます。

サルトルとボーボワールは深い愛と絆で結ばれ、互いを尊敬し思いやる素晴らしいカップルであったことは有名です。しかし、そうであったがために、結婚することなく生涯独身を貫きました。結婚は互いの依存を助長し、人間の存在にとって欠かせない自由の精神を蝕むことになるからということでした。一緒に時間を過ごしながらも各自のプライベートには望まれない限り干渉しないというスタイルは、理念としては神々しいばかりに立派でも、日常において実践するのは容易いわけではなかったようです。
それでも二人はこの関係を貫き、カフェで毎日会い、一緒に議論し、創作することで、20世紀の西洋思想の前進に大いに貢献しました。このことからも、20世紀にはフランス文明の流れがカフェで形作られたといっても過言ではないでしょう。
これらのカフェをはじめ、パリの各地には19世紀の面影を色濃く残したカフェが無数に存在します。パリの街自体が19世紀のオスマン市長によって大改革され、以来そのままの状態で保存されていることからも当たり前といえば当たり前ですが、概観以上に、そこにある魂がいまだに19世紀ー20世紀である印象を受けるのです。19-20世紀がパリのカフェの全盛期で、その時代の威光に未だにしがみついているとも言えますが。。。
特に、どんよりと雨雲が重苦しく立ち込め、パリの街全体を覆っているような日には、小雨でも降れば、19世紀のパリが目の前に立ち現れます。ぱっと見には陰鬱だけれど、オレンジの間接照明に暖かく照らされるカフェの中は活気に満ち、人生を愉しむことを心得た人々の精神が自由に飛びまわっています。当時から何も変わっていないパリがそこにあるのです。
フランス社会も国家経済から社会のアイデンティティにいたるまで数々の問題を抱えており、様々な分野での改革や変革が求められています。外国人の私の目から見ても、変革を断行していかなければ国が立ち行かない時期に来ていることは明らかです。
そんななかで、切羽詰った問題から一息入れることのできる憩いの場所、フランス人のアイデンティティを再確認できる場所というのがこのカフェではないかなと思ったりするのです。

様々な意味で人生を豊かにする場を与えてくれる場所、それがカフェであり、この存在意義は今も昔も変わらないような気がします。
- タグ:
- パリ カフェ サルトル 文化 スターバックス
クリスマスのシーズンの到来により、パリの街もクリスマス一色となりました。ユーロ圏一体を覆う経済危機の重苦しい雰囲気を吹き飛ばさんばかりに、人々は足取りも軽やかにノエルのショッピングを楽しんだり、シーズンのディナーやパーティーに奔走しています。

フランスでは、クリスマスが日本のお正月のようなもので、家族が集い一緒になって祝う一年で最も大切な行事なのです。ですので、連日に渡って報道される欧州の先行きを憂うニュースや分析はさておいて、いつもは硬いパリジャンの財布の紐もこの時ばかりはかなりの程度緩むようです。

我が家でもこのシーズンには物入りとなり、プレゼントの用意、ディナーの準備とショッピングへ費やす時間が飛躍的に増します。そんな時にいつも思い出すのは、物質文明の絶頂を極める東京の豊かさ・・・・・・。
日本では、フランスは文明の先駆者、美の巨匠の国などというイメージが定着していますが、それは既に数世紀も前のことであり、21世紀の今日においてはその限りではありません。過去の遺産に固執し、それを国内どころか世界に納得させるフランスのPR力、イメージ戦略というものには、まずもって脱帽するよりほかありませんが・・・・・。数世紀前の遺物、方法論、デザインなどが今世紀の産物に勝るとも劣らない有効性、存在価値というものを持つのだと信じ込ませることにおいて・・・・・。
いずれにせよ、商品の品揃え、種類など無限に存在するだけでなく、消費者のニーズを遥かに先取りしたなアメニティ、細かな点にまで配慮したデザイン性、意匠を凝らした利便性など、ここまでやるか・・・・と消費者を唸らせる商品で東京は満ち溢れています。歩くたびに将来を展望した新たな発見、創造性の発露を垣間見ることができるのが東京の街の魅力といえるでしょう。創造性と消費文化をここまで綿密に結び付けて経済の発展の道筋を構築する都市は、世界広しといえど東京を除いてまずないといえます。そして、この消費文化がもたらす富と繁栄により、今日の東京は群を抜いて豊かで、煌びやかで、創造の世界の先端を行く都市だと位置づけられるわけです。
パリをはじめとしてフランスでは、消費文化のここまでの横溢を見ることはまずありません。その理由のひとつに、国内産業を守るための厳格な規制が挙げられます。そのため、平均賃金のレベルの割りには物価が高いということが住んでみると身に染みて分かります。
小市民の我々にとって日々タオルや束子、食器や掃除道具が品質がそこそこに保障されてはいるものの割高な「Made in France」である必要はありません。日本の百円ショップに溢れている途上国から輸入された安価な商品で十分に間に合うわけです。食料品にしても、農業国だという割りにはそこまで品揃えが豊富で安価であるというわけでもありません。品質保証は厳格にされているようですが、それは少々遅れている点があるものの、日本においても同様のレベルが確保されているといえます。
一般消費者としてフランスで暮らしてみると、規制緩和というものが日本で言われているほど悪質なものではなく、むしろ歓迎すべきものであることが身に染みてわかります。もちろん、無節操な規制緩和は国内産業を退廃に導き、巨大外資の市場搾取を許すだけに堕するだけなので奨励されませんが、健全な競争と経済の活性化を目指すしっかりした方針があるのであれば、ある程度までは必要とされるものです。そうでなければ、フランスのように一部の非効率な産業を温存するがために、一般大衆が被害を蒙っているのです。
私など、日用雑貨を買いに行くたびに、東京の街に溢れている百円ショップが懐かしくてたまりません。しかも、フランスのディスカウント・ショップは寂れた物悲しい雰囲気に満ちており、ここで買い物するだけで自分が落ちぶれた人間だと思わされるのに対して、日本の百円ショップは、様々な工夫や創意に溢れる小物に満ちて明るく華やかで、「お買い得商品を発見する」喜びに満ちた建設的な時間をすごすことができる空間、そこで買い物をする私は費用対効果を考慮する賢い消費者として認識することができるのです。
話が私個人のフランスの消費経済における不満を開陳する方向に外れてしまいましたが、クリスマス・ショッピングにおいても同様の問題に直面します。種類が少なく、しかもデザインやコンセプトにおいてもいまいちなものしかないということです。そして、費用対効果に乏しい。。。。東京の価格を知り尽くしている私には、何を買うにも「え、これでこの値段・・・・?」という類の感想しか頭に浮かばないのです。ヨーロッパが最適なのは高価なアンティークの買い物だけで、小市民のちまちました買い物には適していないようです。ま、これも、普段買い物に興味がなく、必要最低限以外はショッピングをしない私の限られた知識と経験から生まれた見解だといばそれまでですが・・・。
あまり捗らないクリスマス・ショッピングに苛立ちを感じ、息抜きにシャンゼリゼ大通沿いに立ち並ぶクリスマス・マーケットでも冷やかしに行こうかと思い立ち、冬の冷たい風が吹きすさむ夕暮れのシャンゼリゼに向かいました。


今年のシャンゼリゼのクリスマス・イルミネーションは、ぶっちゃけ、たいしたことありません。友人や知人から「今年はたいしたことない」とか「貧弱」「コンセプトが不明」などと聞かされていましたが、行って見ると、「このやる気のなさ、どうしちゃったの?」と言いたくなるほどの貧相なできばえでした。

経済危機で節電でもしようとしているのかなと思ったりしましたが、節電が目下叫ばれている東京のほうがテレビで見る限り格段に派手で豪華です。欧州のクリスマスの風物詩として代表格であるシャンゼリゼのイルミネーションがこんなことでは許されません!

クリスマス・マーケットは、チーズ、燻製ハム、ソントン(キリスト降誕の状態を再現するための人形など一式)、チョコレート、アクセサリーなどクリスマスに関連する各種製品を売り出すブースがシャンゼリゼ沿いに軒を連ねていました。子供のためのメリーゴーランドや滑り台などもあります。この寒さのなかでも子供は元気です。


目新しいのが、「無料マッサージ」!無料で手足や方などマッサージしてくれるのです。慣れない主婦業とパリの寒さで凝り固まっている私の身体もマッサージを切に欲していましたが、妊娠しているので変わったことはせまいと、「無料」という世界で最も魅惑的なオーラを発する形容詞から目を逸らし、そこでマッサージを堪能している人々が発する狂喜の叫びを聞くまいと必死の努力でもってその場を立ち去りました。

でも結局、何も買わずに帰ってきました・・・。というよりも、寒さでまともな思考ができず何も考えられなかったと言ったほうが正しいかもしれません。
その代わりに、写真を一枚撮りました。アレクサンドル3世橋とエッフェル塔をセーヌ川越しに遠くに見る景色です。パリの絵葉書にもよくありますが、確かにこのアングルはパリの美しさを最高に引き立てます。

夕暮れに沈む冬枯れの情景は、19世紀の街並みが色濃く残るパリの美しさを更に引き立てます。黄昏も深まり夜の帳が下りんかともいうべき状態にあるフランスの繁栄が、斜陽を深めるフランス社会の停滞が、そして、アイデンティティの崩壊により物語性を日々失うフランスのレガシーの消滅が、全てのこの一枚に収められているような気がしました。

フランスでは、クリスマスが日本のお正月のようなもので、家族が集い一緒になって祝う一年で最も大切な行事なのです。ですので、連日に渡って報道される欧州の先行きを憂うニュースや分析はさておいて、いつもは硬いパリジャンの財布の紐もこの時ばかりはかなりの程度緩むようです。

我が家でもこのシーズンには物入りとなり、プレゼントの用意、ディナーの準備とショッピングへ費やす時間が飛躍的に増します。そんな時にいつも思い出すのは、物質文明の絶頂を極める東京の豊かさ・・・・・・。
日本では、フランスは文明の先駆者、美の巨匠の国などというイメージが定着していますが、それは既に数世紀も前のことであり、21世紀の今日においてはその限りではありません。過去の遺産に固執し、それを国内どころか世界に納得させるフランスのPR力、イメージ戦略というものには、まずもって脱帽するよりほかありませんが・・・・・。数世紀前の遺物、方法論、デザインなどが今世紀の産物に勝るとも劣らない有効性、存在価値というものを持つのだと信じ込ませることにおいて・・・・・。
いずれにせよ、商品の品揃え、種類など無限に存在するだけでなく、消費者のニーズを遥かに先取りしたなアメニティ、細かな点にまで配慮したデザイン性、意匠を凝らした利便性など、ここまでやるか・・・・と消費者を唸らせる商品で東京は満ち溢れています。歩くたびに将来を展望した新たな発見、創造性の発露を垣間見ることができるのが東京の街の魅力といえるでしょう。創造性と消費文化をここまで綿密に結び付けて経済の発展の道筋を構築する都市は、世界広しといえど東京を除いてまずないといえます。そして、この消費文化がもたらす富と繁栄により、今日の東京は群を抜いて豊かで、煌びやかで、創造の世界の先端を行く都市だと位置づけられるわけです。
パリをはじめとしてフランスでは、消費文化のここまでの横溢を見ることはまずありません。その理由のひとつに、国内産業を守るための厳格な規制が挙げられます。そのため、平均賃金のレベルの割りには物価が高いということが住んでみると身に染みて分かります。
小市民の我々にとって日々タオルや束子、食器や掃除道具が品質がそこそこに保障されてはいるものの割高な「Made in France」である必要はありません。日本の百円ショップに溢れている途上国から輸入された安価な商品で十分に間に合うわけです。食料品にしても、農業国だという割りにはそこまで品揃えが豊富で安価であるというわけでもありません。品質保証は厳格にされているようですが、それは少々遅れている点があるものの、日本においても同様のレベルが確保されているといえます。
一般消費者としてフランスで暮らしてみると、規制緩和というものが日本で言われているほど悪質なものではなく、むしろ歓迎すべきものであることが身に染みてわかります。もちろん、無節操な規制緩和は国内産業を退廃に導き、巨大外資の市場搾取を許すだけに堕するだけなので奨励されませんが、健全な競争と経済の活性化を目指すしっかりした方針があるのであれば、ある程度までは必要とされるものです。そうでなければ、フランスのように一部の非効率な産業を温存するがために、一般大衆が被害を蒙っているのです。
私など、日用雑貨を買いに行くたびに、東京の街に溢れている百円ショップが懐かしくてたまりません。しかも、フランスのディスカウント・ショップは寂れた物悲しい雰囲気に満ちており、ここで買い物するだけで自分が落ちぶれた人間だと思わされるのに対して、日本の百円ショップは、様々な工夫や創意に溢れる小物に満ちて明るく華やかで、「お買い得商品を発見する」喜びに満ちた建設的な時間をすごすことができる空間、そこで買い物をする私は費用対効果を考慮する賢い消費者として認識することができるのです。
話が私個人のフランスの消費経済における不満を開陳する方向に外れてしまいましたが、クリスマス・ショッピングにおいても同様の問題に直面します。種類が少なく、しかもデザインやコンセプトにおいてもいまいちなものしかないということです。そして、費用対効果に乏しい。。。。東京の価格を知り尽くしている私には、何を買うにも「え、これでこの値段・・・・?」という類の感想しか頭に浮かばないのです。ヨーロッパが最適なのは高価なアンティークの買い物だけで、小市民のちまちました買い物には適していないようです。ま、これも、普段買い物に興味がなく、必要最低限以外はショッピングをしない私の限られた知識と経験から生まれた見解だといばそれまでですが・・・。
あまり捗らないクリスマス・ショッピングに苛立ちを感じ、息抜きにシャンゼリゼ大通沿いに立ち並ぶクリスマス・マーケットでも冷やかしに行こうかと思い立ち、冬の冷たい風が吹きすさむ夕暮れのシャンゼリゼに向かいました。


今年のシャンゼリゼのクリスマス・イルミネーションは、ぶっちゃけ、たいしたことありません。友人や知人から「今年はたいしたことない」とか「貧弱」「コンセプトが不明」などと聞かされていましたが、行って見ると、「このやる気のなさ、どうしちゃったの?」と言いたくなるほどの貧相なできばえでした。

経済危機で節電でもしようとしているのかなと思ったりしましたが、節電が目下叫ばれている東京のほうがテレビで見る限り格段に派手で豪華です。欧州のクリスマスの風物詩として代表格であるシャンゼリゼのイルミネーションがこんなことでは許されません!

クリスマス・マーケットは、チーズ、燻製ハム、ソントン(キリスト降誕の状態を再現するための人形など一式)、チョコレート、アクセサリーなどクリスマスに関連する各種製品を売り出すブースがシャンゼリゼ沿いに軒を連ねていました。子供のためのメリーゴーランドや滑り台などもあります。この寒さのなかでも子供は元気です。


目新しいのが、「無料マッサージ」!無料で手足や方などマッサージしてくれるのです。慣れない主婦業とパリの寒さで凝り固まっている私の身体もマッサージを切に欲していましたが、妊娠しているので変わったことはせまいと、「無料」という世界で最も魅惑的なオーラを発する形容詞から目を逸らし、そこでマッサージを堪能している人々が発する狂喜の叫びを聞くまいと必死の努力でもってその場を立ち去りました。

でも結局、何も買わずに帰ってきました・・・。というよりも、寒さでまともな思考ができず何も考えられなかったと言ったほうが正しいかもしれません。
その代わりに、写真を一枚撮りました。アレクサンドル3世橋とエッフェル塔をセーヌ川越しに遠くに見る景色です。パリの絵葉書にもよくありますが、確かにこのアングルはパリの美しさを最高に引き立てます。

夕暮れに沈む冬枯れの情景は、19世紀の街並みが色濃く残るパリの美しさを更に引き立てます。黄昏も深まり夜の帳が下りんかともいうべき状態にあるフランスの繁栄が、斜陽を深めるフランス社会の停滞が、そして、アイデンティティの崩壊により物語性を日々失うフランスのレガシーの消滅が、全てのこの一枚に収められているような気がしました。
- タグ:
- パリ クリスマス ノエル シャンゼリゼ
- 前のページ
- 6
26 - 27件目まで(27件中)




