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- 秋が深まる南フランス
-
エリア:
- ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
- テーマ:観光地 歴史・文化・芸術 自然・植物
- 投稿日:2012/09/14 18:23
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新涼や やわらぐ陽光 背に浴びて 緑が萌える プラタナスの木

9月に入ってから、8月の最後の2週間にフランス全土を襲ったカニキュル(猛暑)が嘘だったかのそうに、涼しい日が続いています。
もっとも、カニキュルといっても、南仏はその対象ではなく、暑くても38度を超えることはなく、地味に暑かったというぐらいでしたが。
日本で38度となれば暑さもさることながら、湿気で窒息死してしまうでしょうが、ここでは、湿気が少なく、しかも海風が常に吹いていることから、日陰や室内にいれば、そう耐えられないわけではありません。
で、私も日中は家で息を潜め、日が陰る7時頃から買い物に出たり、散歩に出たりして、夜行性動物のように夜になって忙しくする生活を送っていました。
因みに、主としてカニキュルの直撃を受けたのは、ピレネー山脈やアーキテーヌと呼ばれる南西部からマッシブ・セントラルと呼ばれるフランス中部を経て、ストラスブールがある北東部にかけてでした。この地域は、夏は暑く、冬は寒くで、田園風景が美しく、フランス農業の恩恵を最もエンジョイできる地域ではあるものの、気候は厳しい地域だといえます。
しかしながら今では、朝晩は肌寒く、朝早く起きて窓を開け、外の新鮮でクリスピーな空気に包まれながら読書をすることもできなくなりました。
寮生活をしていた高校時代から早起きが習慣となり・・・・ちょっと年寄り臭いですが・・・、以来、朝の新鮮な空気のなかで勉強をしたり、新聞や本を読んだりするようになりました。空気も脳も冴えており、抵抗なく何でもどんどん吸収できるし、逆にアウトプットも盛んで、勉強や仕事が捗ります。
一時、仕事で東京暮らしをしていた時はそうでもありませんでしたが、緑溢れる南仏に移ってからは、朝の空気を「味わう」ことが一日の楽しみになりました。
朝の空気って、その土地の香りがするということをご存知でしょうか?田舎や都会という区別なく、その土地の匂いを堪能できるのが早朝だと私は思っています。
もっとも、東京やパリ、NYCやロンドンなどハイテクが支配する大都会になると、残念ながら最早「土地の匂い」といったものはなくなってしまうのですが・・・。
でも、アジアの諸都市にはまだ土地の匂いがあるのは皆さんもご存知だと思います。
たとえば、夏場の香港で朝散歩してみると、亜熱帯の湿気を含んだ重い空気に混じって、ゴミ箱から臭う残飯が腐り始めた若干スエタような匂いが街一帯に充満しています。
バンコクやホーチミン・シティーなどでは、寺院から流れ出てくる線香の香りなども混じり、南国の暖慢な朝にけだるさを添えるものとなっています。
南仏の朝にも独特の香りがあります。我が家は地中海からは少し離れた緑豊かな高台にあるので、海の香りというよりも、森林が醸し出す緑の香りに包まれています。
ここに住み始めて、朝起きるとベランダに出て深呼吸し、美味しい空気を満喫しながら、真っ青な空を見上げて、「おお、今日も晴天か・・」と思うことが習慣になりました。
9月になって、曇りの日もちらほら出てきますが、夏場は毎日「快晴!」というビックリマーク付きの日が続きます。ようやく今、スローダウンしはじめたか・・というかんじです。
そのせいか、照りつける太陽の光にも心持丸みが増し、肌に優しいものになりつつあるような気がします。
そして、空の色も、満天の蒼から、白味を帯びた秋の晴天へと移行するのが見えます。
そろそろ、秋が本格化する南フランスの朝が続くようになります。

9月に入ってから、8月の最後の2週間にフランス全土を襲ったカニキュル(猛暑)が嘘だったかのそうに、涼しい日が続いています。
もっとも、カニキュルといっても、南仏はその対象ではなく、暑くても38度を超えることはなく、地味に暑かったというぐらいでしたが。
日本で38度となれば暑さもさることながら、湿気で窒息死してしまうでしょうが、ここでは、湿気が少なく、しかも海風が常に吹いていることから、日陰や室内にいれば、そう耐えられないわけではありません。
で、私も日中は家で息を潜め、日が陰る7時頃から買い物に出たり、散歩に出たりして、夜行性動物のように夜になって忙しくする生活を送っていました。
因みに、主としてカニキュルの直撃を受けたのは、ピレネー山脈やアーキテーヌと呼ばれる南西部からマッシブ・セントラルと呼ばれるフランス中部を経て、ストラスブールがある北東部にかけてでした。この地域は、夏は暑く、冬は寒くで、田園風景が美しく、フランス農業の恩恵を最もエンジョイできる地域ではあるものの、気候は厳しい地域だといえます。
しかしながら今では、朝晩は肌寒く、朝早く起きて窓を開け、外の新鮮でクリスピーな空気に包まれながら読書をすることもできなくなりました。
寮生活をしていた高校時代から早起きが習慣となり・・・・ちょっと年寄り臭いですが・・・、以来、朝の新鮮な空気のなかで勉強をしたり、新聞や本を読んだりするようになりました。空気も脳も冴えており、抵抗なく何でもどんどん吸収できるし、逆にアウトプットも盛んで、勉強や仕事が捗ります。
一時、仕事で東京暮らしをしていた時はそうでもありませんでしたが、緑溢れる南仏に移ってからは、朝の空気を「味わう」ことが一日の楽しみになりました。
朝の空気って、その土地の香りがするということをご存知でしょうか?田舎や都会という区別なく、その土地の匂いを堪能できるのが早朝だと私は思っています。
もっとも、東京やパリ、NYCやロンドンなどハイテクが支配する大都会になると、残念ながら最早「土地の匂い」といったものはなくなってしまうのですが・・・。
でも、アジアの諸都市にはまだ土地の匂いがあるのは皆さんもご存知だと思います。
たとえば、夏場の香港で朝散歩してみると、亜熱帯の湿気を含んだ重い空気に混じって、ゴミ箱から臭う残飯が腐り始めた若干スエタような匂いが街一帯に充満しています。
バンコクやホーチミン・シティーなどでは、寺院から流れ出てくる線香の香りなども混じり、南国の暖慢な朝にけだるさを添えるものとなっています。
南仏の朝にも独特の香りがあります。我が家は地中海からは少し離れた緑豊かな高台にあるので、海の香りというよりも、森林が醸し出す緑の香りに包まれています。
ここに住み始めて、朝起きるとベランダに出て深呼吸し、美味しい空気を満喫しながら、真っ青な空を見上げて、「おお、今日も晴天か・・」と思うことが習慣になりました。
9月になって、曇りの日もちらほら出てきますが、夏場は毎日「快晴!」というビックリマーク付きの日が続きます。ようやく今、スローダウンしはじめたか・・というかんじです。
そのせいか、照りつける太陽の光にも心持丸みが増し、肌に優しいものになりつつあるような気がします。
そして、空の色も、満天の蒼から、白味を帯びた秋の晴天へと移行するのが見えます。
そろそろ、秋が本格化する南フランスの朝が続くようになります。
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- プロヴァンス 南フランス 南仏観光 ライフスタイル 南仏の気候
フランスに長期滞在する外国人に課された義務のひとつに、フランス語の習得というものがあります。フランス語のネイティブ出ない限り、移民局が斡旋するフランス語講座に200-300時間(試験の種類によって受講時間が異なる)に出席し、最終的にフランス語を第二外国語として学ぶ外国人向けの試験を受けることが課されているのです。
フランス語を学びたい長期滞在者には願ってもないチャンスです。200時間から300時間ものレッスンを義務という名の下に全て無料で受けることができるのですから。もっとも、フランス語をかなりマスターしている人には鬱陶しい制度のほかの何でもないのですが・・・。
フランスが人権の国といわれて久しいにも関わらず、微妙に異なる個人の状況を斟酌することはまずありません。全てが政府の一存で、一律に実施されるのがこの国のやり方なのです。「カスタマイズ」などという言葉どころか、概念自体も聞いたこともなければ見たこともありませんので。
もっとも、一日も早くフランス語をマスターしてフランスの生産的な労働人口の一部となり、税金納入を通じて共和国に役立つ市民となってもらいたいという政府の意図は理解できます。そのため、サルコジ政権下の過去3年程において、この義務を果すことがヴィザ更新や国籍取得において考慮の対象になるとされていました。
しかしながら、今年の5月で政権が「移民に優しい」社会党に移ったことから、今後はどうなのか分かりませんが。
出産を5月に控えていた私は、それまでに全てを済ませてスッキリさせたかったので、一日も早い受講の開始をお願いするべく移民局をせっつき、2ヶ月弱で初心者コースから上級コースまで全ての授業に出席して200時間確保できるようにしてもらいました。
ちなみに、今年の1月より開始をお願いしたにも関わらず、実際に召集が来たのが2月の終わりで、授業開始が3月8日でした・・・。2ヶ月も遅れるなんて日本では考えられませんが、フランスでは2ヶ月遅れなんてしょっちゅうです。数ヶ月の遅れは、「誤差」でしかありませんから・・・。
しかし、感謝すべきは、フランスでは奇跡としか思えない異例の待遇をしてもらえたことです。
私の場合、毎日頑張って通ったにも関わらず200時間には満たなかったのですが、模擬試験で合格に必要な点数を出したこともあり、満たなくても終了のお墨付きを得ることができました。まさに、「カスタマイズ」されたプログラムを組んでもらえたのです!
しかし、この裏には、移民の数に対して教師や学校の数が足りないため、必要のない人には出来る限り早lく去ってもらおうという政府の意図があることは確かです。つまり、私のためではなくて、政府のために異例の「カスタマイズ」待遇を得たわけです。。。
いずれにせよ、初級から上級まで全てのクラスに参加することができ、普段生活しているなかでは接触のない国の文化や人間模様、果ては複雑な政治問題にまで見聞する機会を得ることができ、なかなか興味深い体験となりました。

そのなかで心に残っている幾人かにつにて紹介したいと思います。
まず思いつくのが、イランからの政治亡命者でした。
彼女はレズビアンであるがために政府から迫害を受け、家族と一緒にフランスに政治亡命してきたということでした。イラン政府は同性愛者の人権を認めず、そうであることが知られれば家族共々迫害を受けるといいます。
彼女は「どこから来ましたか?」という私の質問に対して「ペルシャから来ました。」と答えました。私は、一瞬、何のことか理解できず、フランス語が十分に話せないから上手く伝えられないのだと思いました。
しかし、話をじっくり聞いてみると、彼女は現存のイラン政権を認めず、しかし自分のルーツとアイデンティティはペルシャという言語・文化圏にあることから、自分はペルシャから来たのだと言ったということがわかりました。
国家に認められないなら自分も国家を認めない。アッパレな人間だと思いました。
彼女は、自分の兄弟や従兄弟が日本に4-5年ほど留学したことがあり、みんな日本は清潔で、全てがきちんと整備されており、日本人は礼儀正しく親切で、本当に素晴らしい国だと褒め称え、もう一度日本に行って暮らしたいといつも言っていると言いました。そして、目を輝かせながら、だから自分も是非とも日本に一度は行ってみたいと言っていました。
彼女の話を聞きながら、いつか日本に行けるチャンスがくればいいのにと思いました。
次に思い出に残っているのは、旧ソビエト連邦だったジョージア共和国からフランスに政治亡命してきたリチャードという柔道の教官です。
軍隊だか警察だかの出身で、どのような経緯で柔道の先生になり、果ては政治亡命者になってしまったのかは不明ですが、いずれにせよ、彼はオリンピックにも出たことがあり、自分で柔道に関する本も書いて出版しています。自分が書いた本を見せてくれて、日本の柔道家についてもよく知っていました。
彼は、少なくとも現在の政府が政権を握っている間は祖国に帰ることはできないとのことでした。現在は息子さんと一緒に暮らしており、もう間もなく奥さんがやってくるそうです。
彼は授業中に「SUDOKU」ばかりやっているので全くフランス語が上達せず、一年経った今でもしどろもどろのフランス語しか話せませんが、話をじっくり聞いてみると、かなり頭が切れる人間であることが分かります。秘密警察あたりの出身なのかな・・・なんて思ったりしています。
因みに、彼とは「SUDOKU」といって、数字を合せるゲームを通じて仲良くなりました。
マルセイユには3種類のフリーペーパーがあり、SUDOKUもその中に掲載されています。彼が朝っぱらからSUDOKUを授業中に一生懸命やっているので、そんなに面白いなら私も・・・と思って、彼にやり方を教えてもらいました。以来、私もはまってしまい、毎朝3種類のペーパーを学校の途中でピックアップし、リチャードと一緒にやるようになりました。
今でも「SUDOKU」は大好きで、暇があればやっています。そして、「SUDOKU」をするたびにリチャードのことを思い出します。
次は、人というよりも人達になりますが、コモロ諸島から来たコモロの人達のことです。
失礼ながら私はコモロ諸島があるということを知らず、最初「コモレアン」と彼女達がたどたどしく自己紹介するのを聞いて、何のことを言っているのかさっぱり分かりませんでした。
しかし、その後、コモロ諸島というのがアフリカ大陸とマダガスカルの間にあるということがわかり、元仏領であったと知りました・・・・。
彼女達を最初に変わっている・・・と思ったのは、いつもみんな一緒になって座り、先生から質問されても答えようとしないのです。自分の名前は何ですかという極々基本的なことも、先生をジーッと見つめるだけで、口を貝のようにキュウッと閉じたまま微動だにしません。
最初、私には理解できず、かつ彼女達が自分の名前を答えるのに15分ぐらい要するのにイライラして、「単なる馬鹿だ・・・」と心の中で一刀両断していました。しかし、時間が経つにつれて、馬鹿だと勝手に決め付けたことを後悔しました。
コモロ人の文化において女性が人前で活発にコミュニケーションを図ることなど考えられないのです。一昔前の日本と同じなのです。個の確立が社会的に推奨されていないため、自分の考えを人前で述べるということが習慣として確立していないのです。
このことがわかって以来、文化人類学の研究ではありませんが、興味を持って彼らの言動を観察するようになりました。
見ていると、彼女達は決して単独で行動しようとはせず、いつも集団で、かつ年功序列の指令系統によって物事を執り行っていました。10時のおやつやランチも集団で持ち寄り、周囲にいる言葉が通じない私などにも必ず親切に勧めたり、分けたりしてくれる、良い意味での集団精神を発揮していました。
しかし、そのため学校教育を受けたこともないようで、アルファベットを書いたことはおろか、テストを受けたことがなく、模擬テストをする時になっても、何をどう問われて、どう答えるべきなのかについて全く理解していないようでした。
コモロ人のマダムからテスト中に、答えを教えてくれるよう煩く催促され、彼女がテストというもの自体何なのか分かっていないことが明らかになりました。私としても教えてあげたいのはやまやまでしたが、そうすると彼女のためにならないし、しかも、テストとは何かから教えなければならず、これは私の仕事ではないと割り切って無視しました・・・。
帰り道、ずーっとマダムのことを考えていたのを覚えています。当たり前のように教育を受けてきた人間にとってテストとは日常茶飯にあるもので、それが何かについて考えたこともありませんでした。しかし、世の中には我々が当たり前としている学校教育を受けなかった人達もいるわけで、そのような人達を社会に同化していくのは難しいだろうなぁ・・・と思いました。
そして、今更、慣れない制度や習慣に一から対応するべく努力しなければならないぐらいなら祖国にいたほうがいいんじゃないか・・・と思ったりするのですが、それは、日本という素晴らしい祖国がバックにあるから思うことで、どんなに同化に苦しもうとも、フランスに移民したいというのが彼女達の思いのようでした。
来るほうも来るほうなら、受け入れるほうも受け入れるほうだ・・・・と移民問題の奥の深さを見せ付けられたような思いがしました。
他にも面白い人達が沢山いましたが、それについては後日に譲るとして、今日はこのへんで終わりにします。
フランス語を学びたい長期滞在者には願ってもないチャンスです。200時間から300時間ものレッスンを義務という名の下に全て無料で受けることができるのですから。もっとも、フランス語をかなりマスターしている人には鬱陶しい制度のほかの何でもないのですが・・・。
フランスが人権の国といわれて久しいにも関わらず、微妙に異なる個人の状況を斟酌することはまずありません。全てが政府の一存で、一律に実施されるのがこの国のやり方なのです。「カスタマイズ」などという言葉どころか、概念自体も聞いたこともなければ見たこともありませんので。
もっとも、一日も早くフランス語をマスターしてフランスの生産的な労働人口の一部となり、税金納入を通じて共和国に役立つ市民となってもらいたいという政府の意図は理解できます。そのため、サルコジ政権下の過去3年程において、この義務を果すことがヴィザ更新や国籍取得において考慮の対象になるとされていました。
しかしながら、今年の5月で政権が「移民に優しい」社会党に移ったことから、今後はどうなのか分かりませんが。
出産を5月に控えていた私は、それまでに全てを済ませてスッキリさせたかったので、一日も早い受講の開始をお願いするべく移民局をせっつき、2ヶ月弱で初心者コースから上級コースまで全ての授業に出席して200時間確保できるようにしてもらいました。
ちなみに、今年の1月より開始をお願いしたにも関わらず、実際に召集が来たのが2月の終わりで、授業開始が3月8日でした・・・。2ヶ月も遅れるなんて日本では考えられませんが、フランスでは2ヶ月遅れなんてしょっちゅうです。数ヶ月の遅れは、「誤差」でしかありませんから・・・。
しかし、感謝すべきは、フランスでは奇跡としか思えない異例の待遇をしてもらえたことです。
私の場合、毎日頑張って通ったにも関わらず200時間には満たなかったのですが、模擬試験で合格に必要な点数を出したこともあり、満たなくても終了のお墨付きを得ることができました。まさに、「カスタマイズ」されたプログラムを組んでもらえたのです!
しかし、この裏には、移民の数に対して教師や学校の数が足りないため、必要のない人には出来る限り早lく去ってもらおうという政府の意図があることは確かです。つまり、私のためではなくて、政府のために異例の「カスタマイズ」待遇を得たわけです。。。
いずれにせよ、初級から上級まで全てのクラスに参加することができ、普段生活しているなかでは接触のない国の文化や人間模様、果ては複雑な政治問題にまで見聞する機会を得ることができ、なかなか興味深い体験となりました。

そのなかで心に残っている幾人かにつにて紹介したいと思います。
まず思いつくのが、イランからの政治亡命者でした。
彼女はレズビアンであるがために政府から迫害を受け、家族と一緒にフランスに政治亡命してきたということでした。イラン政府は同性愛者の人権を認めず、そうであることが知られれば家族共々迫害を受けるといいます。
彼女は「どこから来ましたか?」という私の質問に対して「ペルシャから来ました。」と答えました。私は、一瞬、何のことか理解できず、フランス語が十分に話せないから上手く伝えられないのだと思いました。
しかし、話をじっくり聞いてみると、彼女は現存のイラン政権を認めず、しかし自分のルーツとアイデンティティはペルシャという言語・文化圏にあることから、自分はペルシャから来たのだと言ったということがわかりました。
国家に認められないなら自分も国家を認めない。アッパレな人間だと思いました。
彼女は、自分の兄弟や従兄弟が日本に4-5年ほど留学したことがあり、みんな日本は清潔で、全てがきちんと整備されており、日本人は礼儀正しく親切で、本当に素晴らしい国だと褒め称え、もう一度日本に行って暮らしたいといつも言っていると言いました。そして、目を輝かせながら、だから自分も是非とも日本に一度は行ってみたいと言っていました。
彼女の話を聞きながら、いつか日本に行けるチャンスがくればいいのにと思いました。
次に思い出に残っているのは、旧ソビエト連邦だったジョージア共和国からフランスに政治亡命してきたリチャードという柔道の教官です。
軍隊だか警察だかの出身で、どのような経緯で柔道の先生になり、果ては政治亡命者になってしまったのかは不明ですが、いずれにせよ、彼はオリンピックにも出たことがあり、自分で柔道に関する本も書いて出版しています。自分が書いた本を見せてくれて、日本の柔道家についてもよく知っていました。
彼は、少なくとも現在の政府が政権を握っている間は祖国に帰ることはできないとのことでした。現在は息子さんと一緒に暮らしており、もう間もなく奥さんがやってくるそうです。
彼は授業中に「SUDOKU」ばかりやっているので全くフランス語が上達せず、一年経った今でもしどろもどろのフランス語しか話せませんが、話をじっくり聞いてみると、かなり頭が切れる人間であることが分かります。秘密警察あたりの出身なのかな・・・なんて思ったりしています。
因みに、彼とは「SUDOKU」といって、数字を合せるゲームを通じて仲良くなりました。
マルセイユには3種類のフリーペーパーがあり、SUDOKUもその中に掲載されています。彼が朝っぱらからSUDOKUを授業中に一生懸命やっているので、そんなに面白いなら私も・・・と思って、彼にやり方を教えてもらいました。以来、私もはまってしまい、毎朝3種類のペーパーを学校の途中でピックアップし、リチャードと一緒にやるようになりました。
今でも「SUDOKU」は大好きで、暇があればやっています。そして、「SUDOKU」をするたびにリチャードのことを思い出します。
次は、人というよりも人達になりますが、コモロ諸島から来たコモロの人達のことです。
失礼ながら私はコモロ諸島があるということを知らず、最初「コモレアン」と彼女達がたどたどしく自己紹介するのを聞いて、何のことを言っているのかさっぱり分かりませんでした。
しかし、その後、コモロ諸島というのがアフリカ大陸とマダガスカルの間にあるということがわかり、元仏領であったと知りました・・・・。
彼女達を最初に変わっている・・・と思ったのは、いつもみんな一緒になって座り、先生から質問されても答えようとしないのです。自分の名前は何ですかという極々基本的なことも、先生をジーッと見つめるだけで、口を貝のようにキュウッと閉じたまま微動だにしません。
最初、私には理解できず、かつ彼女達が自分の名前を答えるのに15分ぐらい要するのにイライラして、「単なる馬鹿だ・・・」と心の中で一刀両断していました。しかし、時間が経つにつれて、馬鹿だと勝手に決め付けたことを後悔しました。
コモロ人の文化において女性が人前で活発にコミュニケーションを図ることなど考えられないのです。一昔前の日本と同じなのです。個の確立が社会的に推奨されていないため、自分の考えを人前で述べるということが習慣として確立していないのです。
このことがわかって以来、文化人類学の研究ではありませんが、興味を持って彼らの言動を観察するようになりました。
見ていると、彼女達は決して単独で行動しようとはせず、いつも集団で、かつ年功序列の指令系統によって物事を執り行っていました。10時のおやつやランチも集団で持ち寄り、周囲にいる言葉が通じない私などにも必ず親切に勧めたり、分けたりしてくれる、良い意味での集団精神を発揮していました。
しかし、そのため学校教育を受けたこともないようで、アルファベットを書いたことはおろか、テストを受けたことがなく、模擬テストをする時になっても、何をどう問われて、どう答えるべきなのかについて全く理解していないようでした。
コモロ人のマダムからテスト中に、答えを教えてくれるよう煩く催促され、彼女がテストというもの自体何なのか分かっていないことが明らかになりました。私としても教えてあげたいのはやまやまでしたが、そうすると彼女のためにならないし、しかも、テストとは何かから教えなければならず、これは私の仕事ではないと割り切って無視しました・・・。
帰り道、ずーっとマダムのことを考えていたのを覚えています。当たり前のように教育を受けてきた人間にとってテストとは日常茶飯にあるもので、それが何かについて考えたこともありませんでした。しかし、世の中には我々が当たり前としている学校教育を受けなかった人達もいるわけで、そのような人達を社会に同化していくのは難しいだろうなぁ・・・と思いました。
そして、今更、慣れない制度や習慣に一から対応するべく努力しなければならないぐらいなら祖国にいたほうがいいんじゃないか・・・と思ったりするのですが、それは、日本という素晴らしい祖国がバックにあるから思うことで、どんなに同化に苦しもうとも、フランスに移民したいというのが彼女達の思いのようでした。
来るほうも来るほうなら、受け入れるほうも受け入れるほうだ・・・・と移民問題の奥の深さを見せ付けられたような思いがしました。
他にも面白い人達が沢山いましたが、それについては後日に譲るとして、今日はこのへんで終わりにします。
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目が合えば にっこり笑って ボンジュール さらりと過ぎる やさしい時間

フランスに住み始めた外国人が最初に驚くのが、フランス人は知らない人に対しても「ボンジュール」と笑顔で挨拶をするということ。
個人主義、無愛想、神経質などなど、親しげな言動とはかけ離れたイメージが定着しているフランス人ですが、挨拶に関しては別のようです。
もしかしたら、個人主義で、無愛想で、神経質だからこそできることかもしれませんが・・・。それぞれが自分可愛さのために、公共の場を少しでも心地よい空間にしようという各自の努力の表れということでしょうか。
お店でも、入る時には「ボンジュール」、出る時には「オボワール:さようなら」を欠かしません。店員や店主と知り合いでもなんでもないのに、既に知り合いであるかのように、目を見て笑顔で挨拶をします。
道を歩いている時でも、目が合えば、にっこり笑って挨拶を交わします。もちろん、知り合いでない人にでも。
交差点で信号待ちの時には、ボンジュール以上の会話に発展することもよくあります。私のようにベビーカーを押している者であれば、赤ちゃんの話題で盛り上がったりします。
そして信号が青に変われば、「オボワール:さようなら」「ヴー・パッセ・ラ・ボンジュルネ:よい一日でありますように」など、ありきたりの別れの挨拶をさらりと交わして、それぞれの道を急いでいきます。
何でもないちょっとしたことですが、気持ちが和らぎ、優しい気持ちで心が満たされるのが感じられます。
みなさんも、フランスに来られた時には、目が合えば、微笑みを湛えて「ボンジュール」と言ってみてください。相手も同じように、控えめだけど温かみのある笑顔で「ボンジュール・マダム/ムッシュー」と返してくれるはずです。
心と心がさらりと触れ合う優しい時間。ボンジュールの魔法というところでしょうか。

フランスに住み始めた外国人が最初に驚くのが、フランス人は知らない人に対しても「ボンジュール」と笑顔で挨拶をするということ。
個人主義、無愛想、神経質などなど、親しげな言動とはかけ離れたイメージが定着しているフランス人ですが、挨拶に関しては別のようです。
もしかしたら、個人主義で、無愛想で、神経質だからこそできることかもしれませんが・・・。それぞれが自分可愛さのために、公共の場を少しでも心地よい空間にしようという各自の努力の表れということでしょうか。
お店でも、入る時には「ボンジュール」、出る時には「オボワール:さようなら」を欠かしません。店員や店主と知り合いでもなんでもないのに、既に知り合いであるかのように、目を見て笑顔で挨拶をします。
道を歩いている時でも、目が合えば、にっこり笑って挨拶を交わします。もちろん、知り合いでない人にでも。
交差点で信号待ちの時には、ボンジュール以上の会話に発展することもよくあります。私のようにベビーカーを押している者であれば、赤ちゃんの話題で盛り上がったりします。
そして信号が青に変われば、「オボワール:さようなら」「ヴー・パッセ・ラ・ボンジュルネ:よい一日でありますように」など、ありきたりの別れの挨拶をさらりと交わして、それぞれの道を急いでいきます。
何でもないちょっとしたことですが、気持ちが和らぎ、優しい気持ちで心が満たされるのが感じられます。
みなさんも、フランスに来られた時には、目が合えば、微笑みを湛えて「ボンジュール」と言ってみてください。相手も同じように、控えめだけど温かみのある笑顔で「ボンジュール・マダム/ムッシュー」と返してくれるはずです。
心と心がさらりと触れ合う優しい時間。ボンジュールの魔法というところでしょうか。
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満天の 蒼がまぶしき 夏空に ゆったり輪を描く 一羽のかもめ

青空をキャンバスにかもめがゆっくりを白い輪を描いては飛び去っていく・・・地中海の原風景です。
空と地中海が一体化し、静かな蒼の世界が目の前に広がり、そのなかで唯一動いているものは自分とかもめだけです。
南フランスの海岸沿いに都市が興ったのはギリシャ時代に遡りますが、それ以前ののどかな時代には、まさに、海と空とかもめとそれを見ている自分以外は何もない世界だったのだろうと想像します。
この写真はマルセイユの高台にあるノートルダム・ド・ラ・ギャルドから写したものです。地上の喧騒から離れ、海と空の神秘を堪能するには格好の場所だといえます。
ぜひ一度訪れて、地中海のパノラマ・ビューを堪能してみてください。
自然がこんなにも美しいものだったのか・・・と生きることの喜びを心の底から感じることができますよ。

青空をキャンバスにかもめがゆっくりを白い輪を描いては飛び去っていく・・・地中海の原風景です。
空と地中海が一体化し、静かな蒼の世界が目の前に広がり、そのなかで唯一動いているものは自分とかもめだけです。
南フランスの海岸沿いに都市が興ったのはギリシャ時代に遡りますが、それ以前ののどかな時代には、まさに、海と空とかもめとそれを見ている自分以外は何もない世界だったのだろうと想像します。
この写真はマルセイユの高台にあるノートルダム・ド・ラ・ギャルドから写したものです。地上の喧騒から離れ、海と空の神秘を堪能するには格好の場所だといえます。
ぜひ一度訪れて、地中海のパノラマ・ビューを堪能してみてください。
自然がこんなにも美しいものだったのか・・・と生きることの喜びを心の底から感じることができますよ。
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涼やかな 潮風たどりて 見下ろせば 蒼さが揺らぐ 夏の夕暮れ

抜けるように真っ青な空と海がどこまでも続く南フランスの海岸。夕暮れ時が近づくにつれて、ゆっくりと色褪せ、やがて一日のフィナーレを飾るかのごとく、あたり一面が黄金に輝く瞬間が訪れます。その後、ようやく夕闇が地中海を覆いつくします。
夏の地中海が暮れなずむのは、夜の9時半頃です。10時を過ぎてようやく夕闇のなかに落ち着きます。
それまでは、太陽を楽しもうと海へ繰り出す人々でごった返し、辺りは喧騒の波に飲み込まれます。
因みに、今年は、オーランド大統領もヴァレリーさんと一緒に南フランスで一週間ほどヴァカンスを楽しむとのことです。あ、現在とっているのかな。
なんでも、「ヴァカンス・ノーマル」だそうです・・・・。リッチなお友達の豪華ヨットで地中海をクルージングし、マヨルカあたりのにある別荘で過ごす前大統領のヴァカンスとは違うとのこと。地中海沿岸の小さな村でひっそりとるのでしょうか。。。。プレジデント・ノーマルがとるヴァカンスですから・・・。
さて、マルセイユのビュー・ポートもご他聞に漏れずで、シャトー・ディフを訪れる観光客やヨットでクルージングに出かける人々で大いに賑わっています。
しかし、夜の帳が下りる頃には、日中の喧騒がうそのように静かになります。
人々はオレンジの暖かい光が灯るレストランやカフェへと吸い寄せられ、海岸沿いには黄昏のなかで散歩する人々がちらほら散見されるばかりとなります。
海岸に打ち寄せるさざ波の音だけが聞こえるのみで、夜の闇に包まれていきます。
黄金色から朱色に変わり、やがて濃い蒼色に包まれ、暗闇へと沈んでいく地中海。
その移り変わりは、人間の歴史の興亡を映し出しているようです。

抜けるように真っ青な空と海がどこまでも続く南フランスの海岸。夕暮れ時が近づくにつれて、ゆっくりと色褪せ、やがて一日のフィナーレを飾るかのごとく、あたり一面が黄金に輝く瞬間が訪れます。その後、ようやく夕闇が地中海を覆いつくします。
夏の地中海が暮れなずむのは、夜の9時半頃です。10時を過ぎてようやく夕闇のなかに落ち着きます。
それまでは、太陽を楽しもうと海へ繰り出す人々でごった返し、辺りは喧騒の波に飲み込まれます。
因みに、今年は、オーランド大統領もヴァレリーさんと一緒に南フランスで一週間ほどヴァカンスを楽しむとのことです。あ、現在とっているのかな。
なんでも、「ヴァカンス・ノーマル」だそうです・・・・。リッチなお友達の豪華ヨットで地中海をクルージングし、マヨルカあたりのにある別荘で過ごす前大統領のヴァカンスとは違うとのこと。地中海沿岸の小さな村でひっそりとるのでしょうか。。。。プレジデント・ノーマルがとるヴァカンスですから・・・。
さて、マルセイユのビュー・ポートもご他聞に漏れずで、シャトー・ディフを訪れる観光客やヨットでクルージングに出かける人々で大いに賑わっています。
しかし、夜の帳が下りる頃には、日中の喧騒がうそのように静かになります。
人々はオレンジの暖かい光が灯るレストランやカフェへと吸い寄せられ、海岸沿いには黄昏のなかで散歩する人々がちらほら散見されるばかりとなります。
海岸に打ち寄せるさざ波の音だけが聞こえるのみで、夜の闇に包まれていきます。
黄金色から朱色に変わり、やがて濃い蒼色に包まれ、暗闇へと沈んでいく地中海。
その移り変わりは、人間の歴史の興亡を映し出しているようです。
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