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- トルコ一人旅 6/10 サフランボルの鍾乳洞
-
エリア:
- 中近東>トルコ>サフランボル
- テーマ:世界遺産 自然・植物
- 投稿日:2014/07/25 21:57
- コメント(0)
翌朝、ホテルのリビングエリアで、1人静かにトルコ風の朝食を楽しむ。

今日は、サフランボルからちょっと離れたところにある鍾乳洞に行くことにしていた。
トルコ人の友人が、広場にいたタクシーのおじちゃんと話をつけてくれたせいか
鍾乳洞往復・滞在の約2時間コースで、80リラくらいでいいという。
友人との待ち合わせにはちょっと早かったので、あたりを散策。

観光地のわりに、すれてない素朴な感じのサフランボルの人たち。
古い街並みが続く小さな田舎町は、世界遺産に認定されている。

鍛冶屋さんなんかがあったり。

すごい素朴。ジブリの世界みたい。
小一時間ほどぶらついて、広場で友人と合流。
さぁ、鍾乳洞へ!
タクシーで約20分、サフランボルの新市街を抜けると、あっという間にしぜんの真っ只中。

鍾乳洞の入り口で、おじさんに5リラ程度の入場料を払って内部へ。

そんなに期待していなかったせいか、感激。
奥行きはざっと500mくらいあるんじゃないかな。

通路沿いに上下左右、鍾乳洞探索。単純なわたしは、これだけでもう探検家気分。
インディジョーンズのテーマソングを歌い始める。
残念ながら、トルコ人の友人には馴染みのない曲だったみたいだけど。
鍾乳洞のなかには、はてしなく透明度の高い池みたいなものが出来上がっていたり。

カッパドキアに匹敵しそうな、奇怪な造詣。

あっという間の鍾乳洞探検も終わり、サフランボルの旧市街に戻ってきたわたしと友人。
町一番の高台にあるカフェで一息してから、街中にあるキャラバンサライへ。


オスマン時代に交通の要所として栄えたサフランボル。
街の有力者の名前をとって名付けられたこのジンジサライ、

今はホテルとして改装されていると同時に、1リラの入場料を払えばテラスエリアのちょっとした展示物をみて回ることもできる。

オスマン時代の装束や、生活の様子、または歴代のスルタンの肖像画まで。
その後、さすがにお腹の空いた私たちは、街中でお昼ご飯を食べた。

わたしはタウックシシ(鶏肉の串焼き)、友人はキョフテ(牛肉または羊肉のハンバーグ)を注文。暑いし、疲れたときには、アイランがいいんだそうだ。
友人のすすめに従って、アイランも注文。
実は、今までの経験からキョフテなんておいしくない、って思っていた私。
けれども、友人から一口もらったキョフテはそれを覆すおいしさだった!
ポイントは、手作りキョフテかどうかで違うんだそうな。
見分けるには、店先に、生肉のキョフテが並んでいるかどうか。
それを聞いて、それからは必ずお肉屋さんでキョフテを食べるようにしたら、本当にはずれはなかった。
そんなこんなで、もう午後の3時近い。
アンカラからきてくれた友人は4:30pm頃にサフランボルをでなくてはいけないという。
たくさんお世話になったのに、ちゃんとしたお礼できないまま、さようなら。
次回は、たくさんお礼をしようと誓いつつ。
頼りになる友人が去ったと、ポツンと1人、嬉しいような寂しいような気持ちに浸る。
でも、もう一度生演奏を聞きに行きたい!
わたしは、ホテルにチェックインしたばかりのアメリカ人君を引っ掛けて、
この夜も伝統音楽の生演奏を楽しんだのでした。
本当ならこのままイスタンブールに帰る予定だった。
でも、なんだか物足りない。
ツアーで行く観光地なんかじゃみれない素朴なトルコを感じたい。
そして私はブルサ行きを決行したのでした。

今日は、サフランボルからちょっと離れたところにある鍾乳洞に行くことにしていた。
トルコ人の友人が、広場にいたタクシーのおじちゃんと話をつけてくれたせいか
鍾乳洞往復・滞在の約2時間コースで、80リラくらいでいいという。
友人との待ち合わせにはちょっと早かったので、あたりを散策。

観光地のわりに、すれてない素朴な感じのサフランボルの人たち。
古い街並みが続く小さな田舎町は、世界遺産に認定されている。

鍛冶屋さんなんかがあったり。

すごい素朴。ジブリの世界みたい。
小一時間ほどぶらついて、広場で友人と合流。
さぁ、鍾乳洞へ!
タクシーで約20分、サフランボルの新市街を抜けると、あっという間にしぜんの真っ只中。

鍾乳洞の入り口で、おじさんに5リラ程度の入場料を払って内部へ。

そんなに期待していなかったせいか、感激。
奥行きはざっと500mくらいあるんじゃないかな。

通路沿いに上下左右、鍾乳洞探索。単純なわたしは、これだけでもう探検家気分。
インディジョーンズのテーマソングを歌い始める。
残念ながら、トルコ人の友人には馴染みのない曲だったみたいだけど。
鍾乳洞のなかには、はてしなく透明度の高い池みたいなものが出来上がっていたり。

カッパドキアに匹敵しそうな、奇怪な造詣。

あっという間の鍾乳洞探検も終わり、サフランボルの旧市街に戻ってきたわたしと友人。
町一番の高台にあるカフェで一息してから、街中にあるキャラバンサライへ。


オスマン時代に交通の要所として栄えたサフランボル。
街の有力者の名前をとって名付けられたこのジンジサライ、

今はホテルとして改装されていると同時に、1リラの入場料を払えばテラスエリアのちょっとした展示物をみて回ることもできる。

オスマン時代の装束や、生活の様子、または歴代のスルタンの肖像画まで。
その後、さすがにお腹の空いた私たちは、街中でお昼ご飯を食べた。

わたしはタウックシシ(鶏肉の串焼き)、友人はキョフテ(牛肉または羊肉のハンバーグ)を注文。暑いし、疲れたときには、アイランがいいんだそうだ。
友人のすすめに従って、アイランも注文。
実は、今までの経験からキョフテなんておいしくない、って思っていた私。
けれども、友人から一口もらったキョフテはそれを覆すおいしさだった!
ポイントは、手作りキョフテかどうかで違うんだそうな。
見分けるには、店先に、生肉のキョフテが並んでいるかどうか。
それを聞いて、それからは必ずお肉屋さんでキョフテを食べるようにしたら、本当にはずれはなかった。
そんなこんなで、もう午後の3時近い。
アンカラからきてくれた友人は4:30pm頃にサフランボルをでなくてはいけないという。
たくさんお世話になったのに、ちゃんとしたお礼できないまま、さようなら。
次回は、たくさんお礼をしようと誓いつつ。
頼りになる友人が去ったと、ポツンと1人、嬉しいような寂しいような気持ちに浸る。
でも、もう一度生演奏を聞きに行きたい!
わたしは、ホテルにチェックインしたばかりのアメリカ人君を引っ掛けて、
この夜も伝統音楽の生演奏を楽しんだのでした。
本当ならこのままイスタンブールに帰る予定だった。
でも、なんだか物足りない。
ツアーで行く観光地なんかじゃみれない素朴なトルコを感じたい。
そして私はブルサ行きを決行したのでした。

- トルコ一人旅 6/9 サフランボルで生演奏
-
エリア:
- 中近東>トルコ>サフランボル
- テーマ:スパ・エステ 世界遺産 グルメ
- 投稿日:2014/07/23 13:01
- コメント(0)
バスの中、体の節々に痛みを感じつつ起きると、サフランボルの田舎町が広がっていた。
早朝6時、町の中心部から少し離れたオトガルで夜行バスを降りる。
Metroのスタッフが、滞在。予定のホテルに連絡を入れてくれたので、少ししてホテルの若オーナーが車で迎えに来てくれた。

サフランボルでのお宿は、町の中心部である広場を見下ろせる高台にあるEfe Hotel。

チェックインはできなかったので、受付のある入り口のソファでねっころんで、
ジンジハマムがあくのを待つ。
9時、開店と同時に、広場の中心に位置するハマムへ。

日本円で2500円程度で、アカスリ、マッサージもついてくる。
これ、イスタンブールの半額以下の値段。
ガイドブックに書いてあったとおり、スタッフは英語ができない。
けど、だからってたいした問題じゃない。
だって、ハマムですることなんて、
1. さらし風タオルを体に巻いてハマムの中へ
2. へそ石の上に寝そべってまつべし
3. ケセジ(マッサージ師のおばさん)にされるがままにアカスリをされ、
4. これまたケセジにされるがままにガシガシシャンプーされ、
5. 頭から生ぬるいお湯をぶっかけられて終わり、
だから。
この日は平日っていうこともあって、お客は私1人。
シンジハマムの高いドーム内で、いい湯だなぁあははんとか歌いつつ午前を過ごした。
午後一番、ベリーダンス関係の知人のトルコ人男性と落ち合い、空きっ腹の私はサフランボル中心部のカフェへ。


オープンカフェの椅子には、猫が居眠りを決め込んでる。
私が真横に座っても警戒心ゼロ。

アンカラからわざわざ来てくれた友人とおしゃべりを楽しんだ後、高台にあるサフランボル歴史博物館へ向かおうとすると、晴天だった空が一気に鈍色がかった。

博物館の入り口に着いた時には、もう本降り。

本物のスコールを知っているわたしにはたいしたことないけれど、それでもかなりの大雨。
しかも、博物館はこの日がお休みだった。
傘もなくついていない私たちは、雨宿りがてら、フォークロアのステップの練習を開始。
何を隠そう、この友人、トルコフォークロア音楽、ダンスともに先生級。
本業が別にあるから、専業でやっていないというだけで、キャリアはなんと20年以上なのだ。
そんな人に無料プライベートレッスン。
雨が弱まる頃には、ステップを2、3マスターしていた!
これで、今夜生演奏と踊れるわ。
高台からジンジハマムのある広場までおりていく道すがら、友人が木の実をとって食べさせてくれた。

自然な甘みで美味しい。でも、これって日本語でなんていうの?
そのあと、腹ペコな私たちは、オープンカフェのレストランへ。
オムレツ風のメネメンと、トルコ風水ギョウザのマントゥ、ごはんをぶどうの皮で包んだサユップを注文。

マントゥ専門店というだけあって、具沢山で美味しかった。
でもこれだけ食べても1000円もしないもんね。日本なら3000円越えちゃうぞ。
その後、一度ホテルに戻ってしばし休憩。
1時間ほどして目覚めたら、なんだか悪寒がする。
もしかしてとうとう、疲れからかなんかで風邪をひいたか!
わざわざアンカラからきてくれた友人に詫び、お薬を飲んでお布団にくるまる。
憧れのサフランボルでこんなことにーーー!
で、ふと気がついた。
これ、湯あたりだよ。
3時間近くハマムにいちゃ、そりゃさしものの日本人だって湯あたりおこすっての。
今度は頭痛薬を飲んでしばしまつ。
すると、すーっと気分が楽になってきた。
友人は、日本人男性と友達になって、ライブミュージックを聞きに行っている。
夜の帳もすっかり降りた頃、私は、気を取り直して合流した。


友人が友達になったのは、20代後半の好青年。学校の先生だったんだとか。
トルコを皮切りに、3ヶ月ほど旅して回るんだそう。
いるいる、楽しいのが。
オープンカフェで、スープとピラフ、ヨーグルトの夕食を食べながら、音楽を聴く。

イスタンブールできいたのよりももっと素朴で、伝統的なトルコ民謡の数々。
すっかり元気になったわたしは、早速昼間教わったステップで踊った。
みんなで、小指をつなぎ、マイムマイムに似たステップを踏んで、カフェをぐるりと一巡する。
あぁ、なんて素敵なんでしょ。
興奮冷めやらぬ私たちはそのあともう一軒はしごして、サフランボルの夜更けを楽しみました。
湯あたりをなんて、糞食らえだ!
早朝6時、町の中心部から少し離れたオトガルで夜行バスを降りる。
Metroのスタッフが、滞在。予定のホテルに連絡を入れてくれたので、少ししてホテルの若オーナーが車で迎えに来てくれた。

サフランボルでのお宿は、町の中心部である広場を見下ろせる高台にあるEfe Hotel。

チェックインはできなかったので、受付のある入り口のソファでねっころんで、
ジンジハマムがあくのを待つ。
9時、開店と同時に、広場の中心に位置するハマムへ。

日本円で2500円程度で、アカスリ、マッサージもついてくる。
これ、イスタンブールの半額以下の値段。
ガイドブックに書いてあったとおり、スタッフは英語ができない。
けど、だからってたいした問題じゃない。
だって、ハマムですることなんて、
1. さらし風タオルを体に巻いてハマムの中へ
2. へそ石の上に寝そべってまつべし
3. ケセジ(マッサージ師のおばさん)にされるがままにアカスリをされ、
4. これまたケセジにされるがままにガシガシシャンプーされ、
5. 頭から生ぬるいお湯をぶっかけられて終わり、
だから。
この日は平日っていうこともあって、お客は私1人。
シンジハマムの高いドーム内で、いい湯だなぁあははんとか歌いつつ午前を過ごした。
午後一番、ベリーダンス関係の知人のトルコ人男性と落ち合い、空きっ腹の私はサフランボル中心部のカフェへ。


オープンカフェの椅子には、猫が居眠りを決め込んでる。
私が真横に座っても警戒心ゼロ。

アンカラからわざわざ来てくれた友人とおしゃべりを楽しんだ後、高台にあるサフランボル歴史博物館へ向かおうとすると、晴天だった空が一気に鈍色がかった。

博物館の入り口に着いた時には、もう本降り。

本物のスコールを知っているわたしにはたいしたことないけれど、それでもかなりの大雨。
しかも、博物館はこの日がお休みだった。
傘もなくついていない私たちは、雨宿りがてら、フォークロアのステップの練習を開始。
何を隠そう、この友人、トルコフォークロア音楽、ダンスともに先生級。
本業が別にあるから、専業でやっていないというだけで、キャリアはなんと20年以上なのだ。
そんな人に無料プライベートレッスン。
雨が弱まる頃には、ステップを2、3マスターしていた!
これで、今夜生演奏と踊れるわ。
高台からジンジハマムのある広場までおりていく道すがら、友人が木の実をとって食べさせてくれた。

自然な甘みで美味しい。でも、これって日本語でなんていうの?
そのあと、腹ペコな私たちは、オープンカフェのレストランへ。
オムレツ風のメネメンと、トルコ風水ギョウザのマントゥ、ごはんをぶどうの皮で包んだサユップを注文。

マントゥ専門店というだけあって、具沢山で美味しかった。
でもこれだけ食べても1000円もしないもんね。日本なら3000円越えちゃうぞ。
その後、一度ホテルに戻ってしばし休憩。
1時間ほどして目覚めたら、なんだか悪寒がする。
もしかしてとうとう、疲れからかなんかで風邪をひいたか!
わざわざアンカラからきてくれた友人に詫び、お薬を飲んでお布団にくるまる。
憧れのサフランボルでこんなことにーーー!
で、ふと気がついた。
これ、湯あたりだよ。
3時間近くハマムにいちゃ、そりゃさしものの日本人だって湯あたりおこすっての。
今度は頭痛薬を飲んでしばしまつ。
すると、すーっと気分が楽になってきた。
友人は、日本人男性と友達になって、ライブミュージックを聞きに行っている。
夜の帳もすっかり降りた頃、私は、気を取り直して合流した。


友人が友達になったのは、20代後半の好青年。学校の先生だったんだとか。
トルコを皮切りに、3ヶ月ほど旅して回るんだそう。
いるいる、楽しいのが。
オープンカフェで、スープとピラフ、ヨーグルトの夕食を食べながら、音楽を聴く。

イスタンブールできいたのよりももっと素朴で、伝統的なトルコ民謡の数々。
すっかり元気になったわたしは、早速昼間教わったステップで踊った。
みんなで、小指をつなぎ、マイムマイムに似たステップを踏んで、カフェをぐるりと一巡する。
あぁ、なんて素敵なんでしょ。
興奮冷めやらぬ私たちはそのあともう一軒はしごして、サフランボルの夜更けを楽しみました。
湯あたりをなんて、糞食らえだ!

- チュニジア旅行2日目-1 カルタゴ遺跡
-
エリア:
- アフリカ>チュニジア>チュニス
- テーマ:世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2013/08/10 10:36
- コメント(0)
2007年1月20日(土)
チュニジア旅行2日目は、チュニジアの首都チュニスの市内観光から始まった。

最初から、お目当てのバルドー博物館。
壁一面を埋め尽くすモザイク画は何かのレリーフのようで、古代の生活を物語っている。
完結な芸術品じゃないところがすごくいい。

長い時間の間に失われてしまった部分があったり、白やベージュといったチュニジアの大地のような素朴な色合いだったりするところが、本当に魅力的で思わず見とれてしまう。

博物館のインテリア自体も素敵だったっけ。残念ながら写真は残っていないけれども、一つ一つ手書きされたアザミや唐草模様のタイル装飾にため息がこぼれたのを覚えているし、レバノン杉に彫刻を施した天井も圧巻だった。


イスラム芸術ってなんて私の心を揺さぶるんでしょ。
基本的にお土産物には興味のない私も、せっかくだからと絵はがきを買うことに。
そういえば、今思うと、ここはやっぱりイスラムの国だなぁ、と思うことがあった。
お土産物やさんのベンチで集合時間を待っていたときのこと。
ブーツの下に履いていた薄手の靴下がどうにもこうにもずりおちてくるから直していたら、口笛とともに「セクシー」の褒め言葉がお土産屋さんの若い男の子からきた。(男の子だったのか男の人だったのか?見た目が濃いので年齢不詳)
「ありがとう」
褒めてもらったから、そう返したけど、そのときは、そのどこがセクシーなんだかわからなかった。
あれから、イスラム諸国を旅し、イスラム圏の友達もでき、彼らの考え方の知識も増えた今思えば、納得がいく。
スカートからなま足出して、ブーツのチェックを直してたら、それは彼らにとってアピールなんだよね。知らずにサービスしちゃったわ。しまった!
その後、ツアー一行は、かのカルタゴ遺跡へ。
もー、カルタゴといったらハンニバルじゃないの!一日目から、大御所が控えている気分だわ。
スキピオかハンニバルかって言われたら、どんなにスキピオが勇将だったとしてもハンニバル!
どうしてかなぁ?
やっぱり不屈の精神と奇抜なアイディアをもっている人だからかな。
地中海をはさんで向かい合っているカルタゴとローマ。
海の民と言われたフェニキア人なら、ガレー船かなんかでちゃっちゃとローマ入りすればいいものを、象を連れてアフリカ大陸からジブラルタル海峡を越えてヨーロッパ入りし、ピレネー山脈までも越えてローマにはいるなんて恐ろしくまどろっこしいことをする。
それは一重に、相手の度肝を抜きたいから。
私が大好きなオスマン帝国の征服王メフメットの戦略に似ている気がする。
太い鎖で塞がれた金閣湾に入るために、船ごと運んで大陸を移動するという突拍子もないことをやってのけ、コンスタンチノープルを陥落せしめたもんね。
でも、そこには、地中海の覇者の面影はなかった。

高台から、青い海と、以前はカルタゴの軍港だったという入り江が見下ろせるだけで、遺跡といえるようなものはほとんど残っていない。

カルタゴは、3度におよぶローマとの戦争(ポエニ戦争)ののち、街一面を焼き払われ、その土地に二度と草木がならないようにと塩を撒かれたという。
ガイドさん曰く、その当時塩はかなりの高級品だから、街一面に塩を撒くなんていうことは考えにくい、というけれど、そういわれたら信じてしまうほど、何もない場所だった。

日本人の私は、こういうとき、どうしても「平家物語」を思い起こしちゃう。
栄枯盛衰、勝者必衰の理をあらわす、てなかんじで。
しみじみそんなことを言う20代だった私を、同行した友人のカオカオは「セクシーだが(笑)おやじ」という。
ご年配のツアー客には、結構受けたんだけどなぁ。
チュニジア旅行2日目は、チュニジアの首都チュニスの市内観光から始まった。

最初から、お目当てのバルドー博物館。
壁一面を埋め尽くすモザイク画は何かのレリーフのようで、古代の生活を物語っている。
完結な芸術品じゃないところがすごくいい。

長い時間の間に失われてしまった部分があったり、白やベージュといったチュニジアの大地のような素朴な色合いだったりするところが、本当に魅力的で思わず見とれてしまう。

博物館のインテリア自体も素敵だったっけ。残念ながら写真は残っていないけれども、一つ一つ手書きされたアザミや唐草模様のタイル装飾にため息がこぼれたのを覚えているし、レバノン杉に彫刻を施した天井も圧巻だった。


イスラム芸術ってなんて私の心を揺さぶるんでしょ。
基本的にお土産物には興味のない私も、せっかくだからと絵はがきを買うことに。
そういえば、今思うと、ここはやっぱりイスラムの国だなぁ、と思うことがあった。
お土産物やさんのベンチで集合時間を待っていたときのこと。
ブーツの下に履いていた薄手の靴下がどうにもこうにもずりおちてくるから直していたら、口笛とともに「セクシー」の褒め言葉がお土産屋さんの若い男の子からきた。(男の子だったのか男の人だったのか?見た目が濃いので年齢不詳)
「ありがとう」
褒めてもらったから、そう返したけど、そのときは、そのどこがセクシーなんだかわからなかった。
あれから、イスラム諸国を旅し、イスラム圏の友達もでき、彼らの考え方の知識も増えた今思えば、納得がいく。
スカートからなま足出して、ブーツのチェックを直してたら、それは彼らにとってアピールなんだよね。知らずにサービスしちゃったわ。しまった!
その後、ツアー一行は、かのカルタゴ遺跡へ。
もー、カルタゴといったらハンニバルじゃないの!一日目から、大御所が控えている気分だわ。
スキピオかハンニバルかって言われたら、どんなにスキピオが勇将だったとしてもハンニバル!
どうしてかなぁ?
やっぱり不屈の精神と奇抜なアイディアをもっている人だからかな。
地中海をはさんで向かい合っているカルタゴとローマ。
海の民と言われたフェニキア人なら、ガレー船かなんかでちゃっちゃとローマ入りすればいいものを、象を連れてアフリカ大陸からジブラルタル海峡を越えてヨーロッパ入りし、ピレネー山脈までも越えてローマにはいるなんて恐ろしくまどろっこしいことをする。
それは一重に、相手の度肝を抜きたいから。
私が大好きなオスマン帝国の征服王メフメットの戦略に似ている気がする。
太い鎖で塞がれた金閣湾に入るために、船ごと運んで大陸を移動するという突拍子もないことをやってのけ、コンスタンチノープルを陥落せしめたもんね。
でも、そこには、地中海の覇者の面影はなかった。

高台から、青い海と、以前はカルタゴの軍港だったという入り江が見下ろせるだけで、遺跡といえるようなものはほとんど残っていない。

カルタゴは、3度におよぶローマとの戦争(ポエニ戦争)ののち、街一面を焼き払われ、その土地に二度と草木がならないようにと塩を撒かれたという。
ガイドさん曰く、その当時塩はかなりの高級品だから、街一面に塩を撒くなんていうことは考えにくい、というけれど、そういわれたら信じてしまうほど、何もない場所だった。

日本人の私は、こういうとき、どうしても「平家物語」を思い起こしちゃう。
栄枯盛衰、勝者必衰の理をあらわす、てなかんじで。
しみじみそんなことを言う20代だった私を、同行した友人のカオカオは「セクシーだが(笑)おやじ」という。
ご年配のツアー客には、結構受けたんだけどなぁ。

- GlovalVista地球の眺めApp
-
エリア:
- ハワイ>オアフ島
- ヨーロッパ>ギリシャ
- アジア>タイ
- テーマ:買物・土産 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2013/01/07 20:35
- コメント(0)
旅先でどうにも心に残ってしまった風景、
または、これから訪れたいと考えている土地。
このiPhoneアプリケーション、「Globalvista」(地球の眺め)があればそんな景色の動画も、ワンクリックで楽しめます。
初期設定の時点で、ハワイ、ギリシャ、イタリア、トルコ、フランス、ブルガリア、タイなど世界各地の美しい景色が動画で楽しめるんです。

タイのビーチバーでは、常夏のバカンスを楽しむ観光客が、

イギリスでは、太陽の向きで色々な表情を見せる歴史ある建築物が、

ドイツでは、漆喰作りの建物の街並みに行き交う人々が、

ブルガリアの由緒正しい教会では、敬虔な祈りを捧げる人の後ろ姿が、

ギリシャでは、白と青のコントラストが美しい建物のそばで打ち寄せる波間が、
楽しめるんです!
https://itunes.apple.com/us/app/defendercam/id575484556?mt=8
初期設定以外のウェブカメラをアプリケーションに取り込むことも可能。
自分だけのオリジナル動画というも一緒です。
興味のある方は、上記のリンクからアップルストアに行って、ダウンロードしてください。
感想などもぜひお待ちしています。
または、これから訪れたいと考えている土地。
このiPhoneアプリケーション、「Globalvista」(地球の眺め)があればそんな景色の動画も、ワンクリックで楽しめます。
初期設定の時点で、ハワイ、ギリシャ、イタリア、トルコ、フランス、ブルガリア、タイなど世界各地の美しい景色が動画で楽しめるんです。

タイのビーチバーでは、常夏のバカンスを楽しむ観光客が、

イギリスでは、太陽の向きで色々な表情を見せる歴史ある建築物が、

ドイツでは、漆喰作りの建物の街並みに行き交う人々が、

ブルガリアの由緒正しい教会では、敬虔な祈りを捧げる人の後ろ姿が、

ギリシャでは、白と青のコントラストが美しい建物のそばで打ち寄せる波間が、
楽しめるんです!
https://itunes.apple.com/us/app/defendercam/id575484556?mt=8
初期設定以外のウェブカメラをアプリケーションに取り込むことも可能。
自分だけのオリジナル動画というも一緒です。
興味のある方は、上記のリンクからアップルストアに行って、ダウンロードしてください。
感想などもぜひお待ちしています。

- 魅惑のトルコ、エジプト12日目!アヤソフィアに首ったけ2
-
エリア:
- 中近東>トルコ>イスタンブール
- テーマ:買物・土産 観光地 世界遺産
- 投稿日:2013/01/07 15:03
- コメント(0)
あぁ、アヤソフィアに首ったけ!
素晴らしすぎる。
征服王メフメト2世がイスタンブールを陥落せしめた折り、キリスト教の大聖堂だったアヤソフィア(ギリシャ語でハギアソフィア)に入場する際にはその偉大さに敬意を払ったという。
その頃のアヤソフィアと現在のものは必ずしも同じではないけれど、それでもその気持ちには納得できる。

こんな扉が重々しい音を立てて開いたら、思わずどこか異世界にきたみたいに感じちゃうぞ。


見上げるほど高いドームの小窓から光が差し込んでくる。
朝方くると、登り始めた太陽の光がアヤソフィアに差し込んで、本当に幻想的なんです。人も少なめだしね。

↑この角度も大好き。
イスラム美術とキリスト美術がこうも見事に共存している。

この柱には、小さな穴が空いていて、そこに指をいれて一周回すと幸せになれるんだとかで、主にヨーロッパの人たちが列を作っていた。
一階部分を見学するだけであっという間に、1時間経過。
それでも、オーディオガイドの結構な部分の説明をスキップしている。

私たちは、この謎の通路から2階へいくらしい。
この謎の通路、オスマン帝国時代には、スルタンや皇族関係者が礼拝の際に2階へあがるため利用されていたどうだ。
その割には、ダンジョンみたいな雰囲気のある通路だこと。

無事、誰にも切りかかられることなく2階に上がると、そこにはまたコの字型の空間が広がる。
個人的な感想をいえば、2階にはキリスト教のものが多いかな?

このモザイク画は、もしもオスマン帝国時代に漆喰で塗り固められなければ、ここまで現存できなかったろうと言われるシロモノらしい。


奥が深いアヤソフィア。
今の私の知識では、この程度の感銘を受けることが精一杯。
またいつか、もっといろんな角度からみることができたらいいな。
というわけで、3時間ほどアヤソフィアで過ごしたのち、本格的にお腹が空いてきたので、近くのインドカレー屋に入る。
トルコにきて、なんでインドカレー?
確かにそうなんですが、かれこれ10日以上トルコ料理尽くしだと、他のものが食べたくなるんです。


注文したセットは、特大サイズ。二人でも十分の量。ひょえーー。

写真をとってくれるというからカメラを渡すと、ちゃっかり自分をとってる店員くん。
上下逆さだけどねぇ。
これも、サービスなのか??
ただ、感心したのは、何カ国語も話すということ。
すごいなぁ。私は、英語ですでに苦労してるよ。
特大サイズのカレーをお腹に詰め込みレストランをあとにしたら、同じ通りにベリーダンスショップの文字を発見。
予定では、グランドバザールに行くはずだったのだが、ちょっとのつもりで立ち寄るつもりが抜け出せなくなってしまった。

店内は所狭しと衣装が並ぶ。
オーナーと思われる男性ともう一人の女性が、ちくちくと針を進めている。
彼らの手元には、作成中の衣装の一部と、そのデザインだろう簡単なイメージ図。
何着も試着して、やっと購入したのがこれ。


空前の円高で、2つで3万5000円ほど。
このコスチュームを着てお披露目するための、新曲が欲しいかも!!
素晴らしすぎる。
征服王メフメト2世がイスタンブールを陥落せしめた折り、キリスト教の大聖堂だったアヤソフィア(ギリシャ語でハギアソフィア)に入場する際にはその偉大さに敬意を払ったという。
その頃のアヤソフィアと現在のものは必ずしも同じではないけれど、それでもその気持ちには納得できる。

こんな扉が重々しい音を立てて開いたら、思わずどこか異世界にきたみたいに感じちゃうぞ。


見上げるほど高いドームの小窓から光が差し込んでくる。
朝方くると、登り始めた太陽の光がアヤソフィアに差し込んで、本当に幻想的なんです。人も少なめだしね。

↑この角度も大好き。
イスラム美術とキリスト美術がこうも見事に共存している。

この柱には、小さな穴が空いていて、そこに指をいれて一周回すと幸せになれるんだとかで、主にヨーロッパの人たちが列を作っていた。
一階部分を見学するだけであっという間に、1時間経過。
それでも、オーディオガイドの結構な部分の説明をスキップしている。

私たちは、この謎の通路から2階へいくらしい。
この謎の通路、オスマン帝国時代には、スルタンや皇族関係者が礼拝の際に2階へあがるため利用されていたどうだ。
その割には、ダンジョンみたいな雰囲気のある通路だこと。

無事、誰にも切りかかられることなく2階に上がると、そこにはまたコの字型の空間が広がる。
個人的な感想をいえば、2階にはキリスト教のものが多いかな?

このモザイク画は、もしもオスマン帝国時代に漆喰で塗り固められなければ、ここまで現存できなかったろうと言われるシロモノらしい。


奥が深いアヤソフィア。
今の私の知識では、この程度の感銘を受けることが精一杯。
またいつか、もっといろんな角度からみることができたらいいな。
というわけで、3時間ほどアヤソフィアで過ごしたのち、本格的にお腹が空いてきたので、近くのインドカレー屋に入る。
トルコにきて、なんでインドカレー?
確かにそうなんですが、かれこれ10日以上トルコ料理尽くしだと、他のものが食べたくなるんです。


注文したセットは、特大サイズ。二人でも十分の量。ひょえーー。

写真をとってくれるというからカメラを渡すと、ちゃっかり自分をとってる店員くん。
上下逆さだけどねぇ。
これも、サービスなのか??
ただ、感心したのは、何カ国語も話すということ。
すごいなぁ。私は、英語ですでに苦労してるよ。
特大サイズのカレーをお腹に詰め込みレストランをあとにしたら、同じ通りにベリーダンスショップの文字を発見。
予定では、グランドバザールに行くはずだったのだが、ちょっとのつもりで立ち寄るつもりが抜け出せなくなってしまった。

店内は所狭しと衣装が並ぶ。
オーナーと思われる男性ともう一人の女性が、ちくちくと針を進めている。
彼らの手元には、作成中の衣装の一部と、そのデザインだろう簡単なイメージ図。
何着も試着して、やっと購入したのがこれ。


空前の円高で、2つで3万5000円ほど。
このコスチュームを着てお披露目するための、新曲が欲しいかも!!
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