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エリア:
- アフリカ > チュニジア > チュニス
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テーマ:
- 世界遺産
- / 歴史・文化・芸術
2007年1月20日(土)
チュニジア旅行2日目は、チュニジアの首都チュニスの市内観光から始まった。
最初から、お目当てのバルドー博物館。
壁一面を埋め尽くすモザイク画は何かのレリーフのようで、古代の生活を物語っている。
完結な芸術品じゃないところがすごくいい。
長い時間の間に失われてしまった部分があったり、白やベージュといったチュニジアの大地のような素朴な色合いだったりするところが、本当に魅力的で思わず見とれてしまう。
博物館のインテリア自体も素敵だったっけ。残念ながら写真は残っていないけれども、一つ一つ手書きされたアザミや唐草模様のタイル装飾にため息がこぼれたのを覚えているし、レバノン杉に彫刻を施した天井も圧巻だった。
イスラム芸術ってなんて私の心を揺さぶるんでしょ。
基本的にお土産物には興味のない私も、せっかくだからと絵はがきを買うことに。
そういえば、今思うと、ここはやっぱりイスラムの国だなぁ、と思うことがあった。
お土産物やさんのベンチで集合時間を待っていたときのこと。
ブーツの下に履いていた薄手の靴下がどうにもこうにもずりおちてくるから直していたら、口笛とともに「セクシー」の褒め言葉がお土産屋さんの若い男の子からきた。(男の子だったのか男の人だったのか?見た目が濃いので年齢不詳)
「ありがとう」
褒めてもらったから、そう返したけど、そのときは、そのどこがセクシーなんだかわからなかった。
あれから、イスラム諸国を旅し、イスラム圏の友達もでき、彼らの考え方の知識も増えた今思えば、納得がいく。
スカートからなま足出して、ブーツのチェックを直してたら、それは彼らにとってアピールなんだよね。知らずにサービスしちゃったわ。しまった!
その後、ツアー一行は、かのカルタゴ遺跡へ。
もー、カルタゴといったらハンニバルじゃないの!一日目から、大御所が控えている気分だわ。
スキピオかハンニバルかって言われたら、どんなにスキピオが勇将だったとしてもハンニバル!
どうしてかなぁ?
やっぱり不屈の精神と奇抜なアイディアをもっている人だからかな。
地中海をはさんで向かい合っているカルタゴとローマ。
海の民と言われたフェニキア人なら、ガレー船かなんかでちゃっちゃとローマ入りすればいいものを、象を連れてアフリカ大陸からジブラルタル海峡を越えてヨーロッパ入りし、ピレネー山脈までも越えてローマにはいるなんて恐ろしくまどろっこしいことをする。
それは一重に、相手の度肝を抜きたいから。
私が大好きなオスマン帝国の征服王メフメットの戦略に似ている気がする。
太い鎖で塞がれた金閣湾に入るために、船ごと運んで大陸を移動するという突拍子もないことをやってのけ、コンスタンチノープルを陥落せしめたもんね。
でも、そこには、地中海の覇者の面影はなかった。
高台から、青い海と、以前はカルタゴの軍港だったという入り江が見下ろせるだけで、遺跡といえるようなものはほとんど残っていない。
カルタゴは、3度におよぶローマとの戦争(ポエニ戦争)ののち、街一面を焼き払われ、その土地に二度と草木がならないようにと塩を撒かれたという。
ガイドさん曰く、その当時塩はかなりの高級品だから、街一面に塩を撒くなんていうことは考えにくい、というけれど、そういわれたら信じてしまうほど、何もない場所だった。
日本人の私は、こういうとき、どうしても「平家物語」を思い起こしちゃう。
栄枯盛衰、勝者必衰の理をあらわす、てなかんじで。
しみじみそんなことを言う20代だった私を、同行した友人のカオカオは「セクシーだが(笑)おやじ」という。
ご年配のツアー客には、結構受けたんだけどなぁ。
チュニジア旅行2日目は、チュニジアの首都チュニスの市内観光から始まった。
最初から、お目当てのバルドー博物館。
壁一面を埋め尽くすモザイク画は何かのレリーフのようで、古代の生活を物語っている。
完結な芸術品じゃないところがすごくいい。
長い時間の間に失われてしまった部分があったり、白やベージュといったチュニジアの大地のような素朴な色合いだったりするところが、本当に魅力的で思わず見とれてしまう。
博物館のインテリア自体も素敵だったっけ。残念ながら写真は残っていないけれども、一つ一つ手書きされたアザミや唐草模様のタイル装飾にため息がこぼれたのを覚えているし、レバノン杉に彫刻を施した天井も圧巻だった。
イスラム芸術ってなんて私の心を揺さぶるんでしょ。
基本的にお土産物には興味のない私も、せっかくだからと絵はがきを買うことに。
そういえば、今思うと、ここはやっぱりイスラムの国だなぁ、と思うことがあった。
お土産物やさんのベンチで集合時間を待っていたときのこと。
ブーツの下に履いていた薄手の靴下がどうにもこうにもずりおちてくるから直していたら、口笛とともに「セクシー」の褒め言葉がお土産屋さんの若い男の子からきた。(男の子だったのか男の人だったのか?見た目が濃いので年齢不詳)
「ありがとう」
褒めてもらったから、そう返したけど、そのときは、そのどこがセクシーなんだかわからなかった。
あれから、イスラム諸国を旅し、イスラム圏の友達もでき、彼らの考え方の知識も増えた今思えば、納得がいく。
スカートからなま足出して、ブーツのチェックを直してたら、それは彼らにとってアピールなんだよね。知らずにサービスしちゃったわ。しまった!
その後、ツアー一行は、かのカルタゴ遺跡へ。
もー、カルタゴといったらハンニバルじゃないの!一日目から、大御所が控えている気分だわ。
スキピオかハンニバルかって言われたら、どんなにスキピオが勇将だったとしてもハンニバル!
どうしてかなぁ?
やっぱり不屈の精神と奇抜なアイディアをもっている人だからかな。
地中海をはさんで向かい合っているカルタゴとローマ。
海の民と言われたフェニキア人なら、ガレー船かなんかでちゃっちゃとローマ入りすればいいものを、象を連れてアフリカ大陸からジブラルタル海峡を越えてヨーロッパ入りし、ピレネー山脈までも越えてローマにはいるなんて恐ろしくまどろっこしいことをする。
それは一重に、相手の度肝を抜きたいから。
私が大好きなオスマン帝国の征服王メフメットの戦略に似ている気がする。
太い鎖で塞がれた金閣湾に入るために、船ごと運んで大陸を移動するという突拍子もないことをやってのけ、コンスタンチノープルを陥落せしめたもんね。
でも、そこには、地中海の覇者の面影はなかった。
高台から、青い海と、以前はカルタゴの軍港だったという入り江が見下ろせるだけで、遺跡といえるようなものはほとんど残っていない。
カルタゴは、3度におよぶローマとの戦争(ポエニ戦争)ののち、街一面を焼き払われ、その土地に二度と草木がならないようにと塩を撒かれたという。
ガイドさん曰く、その当時塩はかなりの高級品だから、街一面に塩を撒くなんていうことは考えにくい、というけれど、そういわれたら信じてしまうほど、何もない場所だった。
日本人の私は、こういうとき、どうしても「平家物語」を思い起こしちゃう。
栄枯盛衰、勝者必衰の理をあらわす、てなかんじで。
しみじみそんなことを言う20代だった私を、同行した友人のカオカオは「セクシーだが(笑)おやじ」という。
ご年配のツアー客には、結構受けたんだけどなぁ。