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- カサブランカのすすめ〜世界一高い?〜
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エリア:
- アフリカ>モロッコ>カサブランカ
- テーマ:街中・建物・景色 クルーズ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2010/10/21 20:34
- コメント(0)
北アフリカはモロッコのかの渋い俳優と美しい女優の主演映画の名前にもなった、カサブランカをご案内します。
大抵の船が出港を夜、もしくは停泊にしていますが、これにはわけがあります。
ヨーロッパ人にとって、大変魅力的でエキゾチックなモロッコの入り口カサブランカは、適度にヨーロッパで適度にモロッコの伝統的な雰囲気です。
そして近隣の街などに行って戻ってこれるように十分な時間をとっているのです。
さて、カサブランカで必ず見ていただきたいもの。それはハッサン2世モスクです。
白亜の外壁と緑の屋根の美しく優美な外観が多くの人を魅了するモスクですが、それよりも何よりも、ミナレットの高さが世界で一番高いんだとか!
世界で一番高いミナレット、といわれると見たくなりませんか?
大抵の船が出港を夜、もしくは停泊にしていますが、これにはわけがあります。
ヨーロッパ人にとって、大変魅力的でエキゾチックなモロッコの入り口カサブランカは、適度にヨーロッパで適度にモロッコの伝統的な雰囲気です。
そして近隣の街などに行って戻ってこれるように十分な時間をとっているのです。
さて、カサブランカで必ず見ていただきたいもの。それはハッサン2世モスクです。
白亜の外壁と緑の屋根の美しく優美な外観が多くの人を魅了するモスクですが、それよりも何よりも、ミナレットの高さが世界で一番高いんだとか!
世界で一番高いミナレット、といわれると見たくなりませんか?

また、モロッコといえばいま、「タジン鍋」料理や「バブーシュ」モロッコ式スリッパなど、日本でも人気です。
ちなみにバブーシュは私も自宅で愛用しています。
夏はべたべたせず、冬は冷たくなくてお気に入りです。
タジン鍋は・・・・・・・・・・・お料理得意な方を募集中です。
クルーズでいくカサブランカの場合、取って置きのお勧めがもうひとつあります。
写真に映らないので掲載できませんが、港から夜のハッサン2世モスクを見てみてください。
ライトアップされた、白亜の美しいモスクのミナレットの先端から、まっすぐに伸びたグリーンの線が見えます。
そう、これはレーザー光線で、なんとはるか東のメッカを差し示しているのだそうです。
カサブランカに宿泊していても見ることは難しいでしょう。
乗船客だけの特権といえなくもありません。
このレーザー光線を見せるためによる出港しているのではないかな?とついつい思ってしまいます。
出港時、この緑の光を見ていると、なんだかお見送りしてもらっているような気分になります。

- アマゾン川に生まれた町とそこに暮らす人々(パリンチンス、ボカ・ダ・バレリア、サンタレン)
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エリア:
- 中南米>ブラジル>アマゾン河
- テーマ:クルーズ 歴史・文化・芸術 自然・植物
- 投稿日:2010/09/30 22:19
- コメント(3)
世界最大の流域面積を持ち、流域には熱帯樹の密林が広がるアマゾン。
この熱帯雨林には原住民が暮らし、いまだにブラジル政府が把握していない民族もいる一方、川沿いにも人が暮らし、町を大きくし、河川交易は大きく発達していきました。
アマゾン川からカリブ海へ抜けるクルーズでは、通常では訪れることが困難な、アマゾンの街々へ訪れることが出来ました。
まず最初に訪れたのは「パリンチンス」。
川を航行していると「あぁ、川岸についたのか」と思いますが、船のクルー(船員)はさらっと「これはただの中州だよ」と一言。この町はアマゾン川に無数にある中州のひとつにできた町でした。船をおりて、町を突っ切った向こうにはまたアマゾン川があるわけですから、「どれだけ川幅があるの!」と驚嘆することしきりです。
実際、川幅が20〜30km程あるのは当たり前だそうで、河口部に至っては幅300?以上!東京〜名古屋間程の距離があり、さらにそこには九州とほぼ同じ大きさの中州があるそうですから、もう川と呼んで良いのだろうかとさえ思います。
話を戻してパリンチンスの町についてですが、このたった10万人程の人口の町を有名にしているのは、6月下旬に行われる祭り「ボイ・ブンバ」です。 ブラジルではリオのカーニバルが有名ですが、国内ではこれに次ぐ人気を誇る祭りだとか。 町中の人々が赤と青の2チームに分かれて歌や踊りを競うのが特徴で、祭りの時期になると色々なものが赤と青に塗り分けられます。そんな町で、世界中を探してもここにしかない「青色のコカ・コーラの看板」は一見の価値あり!きっと、話のネタになること間違いなしです。
次に訪れたのは、「ボカ・ダ・バレリア」。
ここも中州の岸にできた村ですが、原住民が今でもひっそりと昔ながらの暮らしを送っている村です。人口は100人程で、私達が上陸した際には村の人々が総出で出迎えてくれました。 彼らは、アマゾン川の増水期にも対応できるように高床式の家に暮らし、就寝時にはベッドではなくハンモックを利用しています。そして、乾期に現れる畑で農作物を作り、木製のカヌーに乗って漁をして生計を立てています。 電気・ガス・水道はもちろんありませんが、近年では別の町でランプやガスコンロを入手して、村での生活に役立てているそうです。
現代文明が少しずつ入ってきていますが、それでも子供たちの目はきらきらしていて、私達や私達の持ち物にも興味深々そうに覗いていたのはとても印象的でした。
最後に訪れたのは「サンタレン」。
ここはアマゾン一の大都市マナウスと、河口の都市ベレンのほぼ中間に位置し、河川交易では重要な役割を持ってきた町です。 アマゾン川の本流と支流が合流する2河川合流点といえば、マナウス近郊が有名ですが、サンタレンでも同様の現象を目にすることができます。ここでは青色をした支流の「タパジョス川」と、茶色をした本流のアマゾン川が、しばらくの間混じり合わずに流れ続けるのです。 流れの速さの違いや、水温の違いが原因といわれていますが、何度見ても不思議な光景です。
船の旅だとこんな不思議な光景を船上からのんび〜りと見ることができ、なんとも贅沢な瞬間でした。
その後、私達が乗った船はサンタレンを出港したのち、赤道を越えて南半球から北半球へ戻ってきました。
船のスタッフから「赤道通過証明書」なる思いがけないプレゼントをもらい、アマゾン川をあとにして大西洋へと出て、カリブ海へ向かって行くのでした。
この熱帯雨林には原住民が暮らし、いまだにブラジル政府が把握していない民族もいる一方、川沿いにも人が暮らし、町を大きくし、河川交易は大きく発達していきました。
アマゾン川からカリブ海へ抜けるクルーズでは、通常では訪れることが困難な、アマゾンの街々へ訪れることが出来ました。
まず最初に訪れたのは「パリンチンス」。
川を航行していると「あぁ、川岸についたのか」と思いますが、船のクルー(船員)はさらっと「これはただの中州だよ」と一言。この町はアマゾン川に無数にある中州のひとつにできた町でした。船をおりて、町を突っ切った向こうにはまたアマゾン川があるわけですから、「どれだけ川幅があるの!」と驚嘆することしきりです。
実際、川幅が20〜30km程あるのは当たり前だそうで、河口部に至っては幅300?以上!東京〜名古屋間程の距離があり、さらにそこには九州とほぼ同じ大きさの中州があるそうですから、もう川と呼んで良いのだろうかとさえ思います。
話を戻してパリンチンスの町についてですが、このたった10万人程の人口の町を有名にしているのは、6月下旬に行われる祭り「ボイ・ブンバ」です。 ブラジルではリオのカーニバルが有名ですが、国内ではこれに次ぐ人気を誇る祭りだとか。 町中の人々が赤と青の2チームに分かれて歌や踊りを競うのが特徴で、祭りの時期になると色々なものが赤と青に塗り分けられます。そんな町で、世界中を探してもここにしかない「青色のコカ・コーラの看板」は一見の価値あり!きっと、話のネタになること間違いなしです。
次に訪れたのは、「ボカ・ダ・バレリア」。
ここも中州の岸にできた村ですが、原住民が今でもひっそりと昔ながらの暮らしを送っている村です。人口は100人程で、私達が上陸した際には村の人々が総出で出迎えてくれました。 彼らは、アマゾン川の増水期にも対応できるように高床式の家に暮らし、就寝時にはベッドではなくハンモックを利用しています。そして、乾期に現れる畑で農作物を作り、木製のカヌーに乗って漁をして生計を立てています。 電気・ガス・水道はもちろんありませんが、近年では別の町でランプやガスコンロを入手して、村での生活に役立てているそうです。
現代文明が少しずつ入ってきていますが、それでも子供たちの目はきらきらしていて、私達や私達の持ち物にも興味深々そうに覗いていたのはとても印象的でした。
最後に訪れたのは「サンタレン」。
ここはアマゾン一の大都市マナウスと、河口の都市ベレンのほぼ中間に位置し、河川交易では重要な役割を持ってきた町です。 アマゾン川の本流と支流が合流する2河川合流点といえば、マナウス近郊が有名ですが、サンタレンでも同様の現象を目にすることができます。ここでは青色をした支流の「タパジョス川」と、茶色をした本流のアマゾン川が、しばらくの間混じり合わずに流れ続けるのです。 流れの速さの違いや、水温の違いが原因といわれていますが、何度見ても不思議な光景です。
船の旅だとこんな不思議な光景を船上からのんび〜りと見ることができ、なんとも贅沢な瞬間でした。
その後、私達が乗った船はサンタレンを出港したのち、赤道を越えて南半球から北半球へ戻ってきました。
船のスタッフから「赤道通過証明書」なる思いがけないプレゼントをもらい、アマゾン川をあとにして大西洋へと出て、カリブ海へ向かって行くのでした。

- モンレアーレ(イタリア・シチリア島)
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>イタリアその他の都市
- テーマ:歴史・文化・芸術
- 投稿日:2010/09/07 18:49
- コメント(0)
シチリア島の州都パレルモから南に約10kmの地点にモンレアーレという小さな町があります。しかし小さな町でありながら、パレルモに劣らないぐらいの観光客の姿が見られます。それはこの町にある一軒のすばらしい建築に負うところが大きいでしょう。今日はそんなモンレアーレを紹介します。

モンレアーレの町が築かれたのは、パレルモがアラブ人勢力に占拠され、キリスト教勢力が止むを得ず山間部に追われた9世紀ころだと言われています。アラブ人達がシチリア島を勢力下においていた約250年の間、この地はキリスト教信仰の中心だったのです。
その後12世紀に入って北方からやってきたノルマン人達によってシチリア島におけるキリスト教徒の主権が回復され、パレルモに壮大な大聖堂が建てられました。しかしながら、宗教勢力の力に対抗するかのように12世紀末に世俗の君主であったノルマン王によって建設されたのがモンレアーレの大聖堂です。この地を選んだ理由は、アラブ人の支配時代にこの場所が信仰の拠り所になっていたからではないかと考えられています。

こうしてモンレアーレの町の大きさにそぐわない立派な大聖堂が建設されました。この大聖堂は、アラブ建築と西洋建築が融合した独特のノルマン様式で彩られ、今日でもイタリアで最も特異な大聖堂のひとつに数えられます。ファサードは、左右非対称の塔が立っていて奇異に映ります。内部は煌びやかなモザイクで彩られています。パレルモにある王宮内のパラティーナ礼拝堂も素晴らしいですが、モンレアーレの大聖堂も何ら見劣りしません。規模ではこちらが上でしょう。内部は東方教会と西方教会の建築様式が混ざったような形で壁から天井、後陣に至るまで黄金のモザイクが施されています。
大聖堂に付属して回廊もあります。この回廊もまたイタリアを代表する回廊のひとつです。その規模と建築において見る者の目を惹きつけずにはいられません。約230組の柱が50m四方の庭をぐるっと囲んでいて、どこから見ても絵になる場所です。回廊の上方には大聖堂のファサードにあったような塔がここでも見られます。

大聖堂や回廊を出たら、町をちょっと覗いてみるのも良いかもしれません。かつてこの一帯はオレンジ、オリーブの栽培で栄えましたが、現在では陶芸が町の主力産業のひとつに成長しました。バスで訪れた際の駐車場から大聖堂がある町の中心に至る道にも陶芸店がたくさん並んでいます。以前にご紹介したトリナ・クリアも並んでいるのをよく見かけます。是非ウィンドウショッピングも楽しんでみて下さい。

モンレアーレの町が築かれたのは、パレルモがアラブ人勢力に占拠され、キリスト教勢力が止むを得ず山間部に追われた9世紀ころだと言われています。アラブ人達がシチリア島を勢力下においていた約250年の間、この地はキリスト教信仰の中心だったのです。
その後12世紀に入って北方からやってきたノルマン人達によってシチリア島におけるキリスト教徒の主権が回復され、パレルモに壮大な大聖堂が建てられました。しかしながら、宗教勢力の力に対抗するかのように12世紀末に世俗の君主であったノルマン王によって建設されたのがモンレアーレの大聖堂です。この地を選んだ理由は、アラブ人の支配時代にこの場所が信仰の拠り所になっていたからではないかと考えられています。

こうしてモンレアーレの町の大きさにそぐわない立派な大聖堂が建設されました。この大聖堂は、アラブ建築と西洋建築が融合した独特のノルマン様式で彩られ、今日でもイタリアで最も特異な大聖堂のひとつに数えられます。ファサードは、左右非対称の塔が立っていて奇異に映ります。内部は煌びやかなモザイクで彩られています。パレルモにある王宮内のパラティーナ礼拝堂も素晴らしいですが、モンレアーレの大聖堂も何ら見劣りしません。規模ではこちらが上でしょう。内部は東方教会と西方教会の建築様式が混ざったような形で壁から天井、後陣に至るまで黄金のモザイクが施されています。
大聖堂に付属して回廊もあります。この回廊もまたイタリアを代表する回廊のひとつです。その規模と建築において見る者の目を惹きつけずにはいられません。約230組の柱が50m四方の庭をぐるっと囲んでいて、どこから見ても絵になる場所です。回廊の上方には大聖堂のファサードにあったような塔がここでも見られます。

大聖堂や回廊を出たら、町をちょっと覗いてみるのも良いかもしれません。かつてこの一帯はオレンジ、オリーブの栽培で栄えましたが、現在では陶芸が町の主力産業のひとつに成長しました。バスで訪れた際の駐車場から大聖堂がある町の中心に至る道にも陶芸店がたくさん並んでいます。以前にご紹介したトリナ・クリアも並んでいるのをよく見かけます。是非ウィンドウショッピングも楽しんでみて下さい。
- タグ:
- イタリア パレルモ モンレアーレ

- 聖地ベナレス(インド)
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エリア:
- アジア>インド>ベナレス(ワーラーナシー)
- テーマ:世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2010/09/02 11:44
- コメント(0)
先日米国の調査機関が発表したところによると、2025年にはインドが中国を抜いて世界一の人口を持つ国なるとの事であった。中国の出生率が下がっているのに対し、インドは未だ高い出生率を残している。中国では世界一の人口国でなくなる事を肯定的に捉える向きが多いようだが、インドではどうだろうか。今日はそんなインドの中でも有数の聖地であり、この国を代表する風景のひとつでもあるベナレスを紹介しよう。

ベナレスはインド北部、ガンジス河沿いに位置する人口300万人の大都市。歴史は紀元前にまで遡る古都だが、幾多もの戦乱を乗り越えて来た為、それ程古い遺物はあまり残っていない。この町の象徴はなんと言ってもガンジス河だろう。
聖なる河として信仰を集めて来たガンジス河の中でもベナレスの辺りは最も知られている聖地であり、巡礼者が絶える事はない。特に朝はこの河で沐浴している巡礼者や地元の人が数多く見られる。赤っぽい建築も少なくないせいか、朝焼けを浴びるベナレスの美しさは筆舌に尽くしがたい。ツアーでは通常早朝ボートに乗ってガンジスに繰り出してこの風景を見るのだが早起きの甲斐があるのは間違いない。

そしてベナレスは生者にとって聖地であるのと同時に死者にとっても大切な聖地である。死に至る時、ガンジス河畔で火葬の後に遺灰をガンジス河に流す事は死後の幸福に繋がるとされている故、それが実践されている例が多い。ベナレスには大きな火葬場が複数あるが、煙がほとんど絶えないという噂だ。ご存知の方も多いと思うが、一部の人は火葬に付さすにそのまま遺体を河に流す場合もある。インドの壮絶な死生観を垣間見る事ができる場所である。

余談だが、以前にインドに心酔している友人がここで沐浴に挑戦した事がある。結果は想像できるかもしれないが、帰国後1ヶ月下痢や熱が止まらなかったそうだ。インド人は不思議と免疫が出来ているが、きれい好きで衛生面では世界でも一、二を争う日本の人にはちょっと辛そうだ。旅行先としてのインドは好き嫌いが分かれる国だとも言われている。、そうであろう、前述の知人がその後何度かインドに行って免疫を作ったという風の噂を耳にした・・・。

ベナレスはインド北部、ガンジス河沿いに位置する人口300万人の大都市。歴史は紀元前にまで遡る古都だが、幾多もの戦乱を乗り越えて来た為、それ程古い遺物はあまり残っていない。この町の象徴はなんと言ってもガンジス河だろう。
聖なる河として信仰を集めて来たガンジス河の中でもベナレスの辺りは最も知られている聖地であり、巡礼者が絶える事はない。特に朝はこの河で沐浴している巡礼者や地元の人が数多く見られる。赤っぽい建築も少なくないせいか、朝焼けを浴びるベナレスの美しさは筆舌に尽くしがたい。ツアーでは通常早朝ボートに乗ってガンジスに繰り出してこの風景を見るのだが早起きの甲斐があるのは間違いない。

そしてベナレスは生者にとって聖地であるのと同時に死者にとっても大切な聖地である。死に至る時、ガンジス河畔で火葬の後に遺灰をガンジス河に流す事は死後の幸福に繋がるとされている故、それが実践されている例が多い。ベナレスには大きな火葬場が複数あるが、煙がほとんど絶えないという噂だ。ご存知の方も多いと思うが、一部の人は火葬に付さすにそのまま遺体を河に流す場合もある。インドの壮絶な死生観を垣間見る事ができる場所である。

余談だが、以前にインドに心酔している友人がここで沐浴に挑戦した事がある。結果は想像できるかもしれないが、帰国後1ヶ月下痢や熱が止まらなかったそうだ。インド人は不思議と免疫が出来ているが、きれい好きで衛生面では世界でも一、二を争う日本の人にはちょっと辛そうだ。旅行先としてのインドは好き嫌いが分かれる国だとも言われている。、そうであろう、前述の知人がその後何度かインドに行って免疫を作ったという風の噂を耳にした・・・。
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- インド ガンジス ベナレス

- サハラのオアシス、ガダメス(リビア)
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エリア:
- アフリカ>リビア>ガダメス
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2010/08/26 17:01
- コメント(0)
さて、乾燥地帯にオアシスで思い出す場所と言えば、リビアのツアー名にも謳われているサハラのオアシス・ガダメスだ。トリポリから遥かに南方約600km、アルジェリア、チュニジアとの三国国境にも程近い場所にガダメスはある。

しかし同じオアシスとは言っても、生半可な都会のオアシスと違って、厳しい環境のサハラにおけるオアシスは砂漠に生きる者や砂漠を通る者の生命線を担っている。ガダメスは歴史を通じて、サハラ内の交通の要所として栄え、古代ローマ帝国時代にその名を遡る事ができる程。残念ながら当時の遺構は何も残っていないが、以後2,000年もの間砂漠の民はこのオアシスに生活を依存してきたのだ。町の住民の大半は、サハラ一帯に住むトゥアレグ族で構成されている。町の建物のほとんどが簡素な白色や茶色の日干し煉瓦で建てられている。しかし、ガダメスの驚きはその建物の内部である。

ガダメスの建物は外からは想像がつかない程、鮮やかな装飾が施されているのである。現在では町の住民の大半がイスラム教徒なので、イスラム芸術らしい線と対称の美が生かされた装飾が眩しいぐらいだ。残念ながら近代型の住居に移り住む人もいて、一時期こうした住居は見捨てられ始めていたが、世界遺産に登録された事も手伝って、旧市街内の住居利用率も再び増える傾向にある。

しかし同じオアシスとは言っても、生半可な都会のオアシスと違って、厳しい環境のサハラにおけるオアシスは砂漠に生きる者や砂漠を通る者の生命線を担っている。ガダメスは歴史を通じて、サハラ内の交通の要所として栄え、古代ローマ帝国時代にその名を遡る事ができる程。残念ながら当時の遺構は何も残っていないが、以後2,000年もの間砂漠の民はこのオアシスに生活を依存してきたのだ。町の住民の大半は、サハラ一帯に住むトゥアレグ族で構成されている。町の建物のほとんどが簡素な白色や茶色の日干し煉瓦で建てられている。しかし、ガダメスの驚きはその建物の内部である。

ガダメスの建物は外からは想像がつかない程、鮮やかな装飾が施されているのである。現在では町の住民の大半がイスラム教徒なので、イスラム芸術らしい線と対称の美が生かされた装飾が眩しいぐらいだ。残念ながら近代型の住居に移り住む人もいて、一時期こうした住居は見捨てられ始めていたが、世界遺産に登録された事も手伝って、旧市街内の住居利用率も再び増える傾向にある。
- タグ:
- リビア ガダメス オアシス
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