-
エリア:
- 中南米 > グアテマラ > アンティグア
- 中南米 > グアテマラ > グアテマラその他の都市
-
テーマ:
- その他
グアテマラはガイドブック等ではきわめて危険な国であると注意を呼びかけています。その根拠ははっきりしませんが、殺人・強盗・銃の保有率等の数字がそれを物語っているようなので、その警告をあながち無視することはできないと思われます。が、しかし例えばここアンティグアのような世界遺産都市では、普通に生活し普通に旅している限りそういう不運にめぐり合うことはまずないといっていいでしょう。より危険だといわれているグアテマラシティにおいても日中の大都市でそんなことに遭遇することはめったにないことと思われます。しかしだからといって、安全だといえるものでもありません。たまたまそういう目にあわなかったか、運悪くあってしまったかのどちらかでしかないのではないでしょうか?、それを確率で示すことは難しいことではないか?それぞれの経験・体験でしかないのではないかと思います。そしてそういう意味では世界中どこへいっても同じで、どこにいても誰においてもいえることではないでしょうか‥??
ということで前置きが長くなりましたが、トータルで約一年少々滞在してグアテマラ中をほとんど回った体験から、といっても少し特殊状況もありますが、わたしの体験・見聞を以下に申し上げて判断を仰ぎたいと思っております。
それはガイドブックだけでなくグアテマラ市民も共有していることでした。内戦の暗黒時代か終わってからまだ日も浅く、政治の安定化は少しづつ進んでいるようですが、それでも暴力に対する恐怖が根付いています。ひとつにはその時代からの延長で銃が出回っているという背景や民主政治がまだ根付いていないといった政治的問題であるかもしれませんが、そういった意味での政治的課題としてはむしろ広く経済の問題、すなわち貧困あるいは格差の問題が背景にあると思わざるをえません。
わたしは一昨年の正月に世界遺産都市アンティグアのシンボル、ボルカンアグア(3760m)への登山を試みました。実はその危険性に対してはほとんど無知で、回りのグアテマラ人からは危険だからやめたほうがいいと勧告されましたが、その意味がよくわからなかったのとそのためのガイド料なるものが高すぎたので(ひとりだと割高になる、実際いくらだったかもう忘れてしまった)、一人で行くことにしました。富士山と同じくらいの高さ(姿かたちもよく似ている)のボルカンアグアに登るための靴もバックもなく、地図も情報もなかったのですが事前に登山道の確認のために登山口の村サンタマリアデヘススへはいってみた、そのとき登山道を見つけ案外簡単なのではないかという印象をもちました。当日の朝は6時にホームステイ先を出、コレクティボでサンタマリアデヘススへ向かいました。そして7時から登り始め、最初は順調でしたが、途中一ヶ所道に迷ったり(実は道は迷いようのない一本道だったのですが、ショートカットしようとして却ってひどい目にあったり)しているうちにだんだん苦しくなってきて、ペースはどんどん落ちてきて、何人かに抜かれ、数人の子供たち(小学生くらい?)と一緒になって登っていったが、とうとうその子供たちからも置いてきぼりになって、頂上まであと200mくらいのところで疲れと時間切れで登頂を断念したという経験があります。ふもとのサンタマリアデヘススが標高1800mなので標高差2000m、現地の人たちの足で約5時間といわれていましたが、その予定時間にたどり着けたのは9合目あたり(そんな表示・標識類は一切ない)で、それ以上無理したら帰れなくなる、それこそ危険な目にあうことになる可能性も高くなるのではという判断から(実際はもう一歩も進めなくなるほど体力の消耗が激しかったのだが)無念の敗退となりました。日本では富士山を含めかなりの数の山に登ってはいましたが、近年加齢とともに徐々に体力・耐久力ともに落ちており(もっと高齢者でまだまだ現役の人はたくさんいます)もう限界を感じていた矢先で残念ながらグアテマラ富士の制覇はなりませんでした。それでもまだ明るいうちに下山したのは正解だったかもしれません。またグアテマラに登山熱なるものがあるかどうか、1月1日が祝日かどうか知りませんが(クリスマスほどの祝日ではない)、たまたま元旦だったからかその日数組(一組は小学生4,5人であったが、彼らは登頂したのだろうか?)の登山者がいたことなどが、無事サンタマリアデヘススに下山できた要因だったのかもしれません。帰着して事後報告をするや否やすべての人からその幸運よりもその無謀さに非難が集まりました。お前はたまたま運がよかっただけだ、だが二度と一人で行ってはいけない、と、、それは後日出会う日本人のツーリストから聞かされた、数人で登ったけれど強盗にあった話やグアテ人も何人も被害にあっているという話などで、ようやく少し身にしみるのでした。
それでも根が楽天的なせいか、場所をサンペドロに移してからも、さすがにボルカンサンペドロ3000mやナリツインディヘナ2500mは公園になっていて入園料とガイドが義務付けられていてガイド付き登山だったので何事もなく、無事頂上までいけましたが、その後ボルカンサンペドロの山すそのラゴ(アティトゥラン湖)沿いの道をサンチャゴアティトゥランを目指して歩いたとき、また他日ラゴの外輪山上の村ゴティネスからラゴ湖畔の村サンアントニオパロポに下ったとき(他にも同様なところをいくつか一人でよく歩いた、性分なのでしようがない)も、いずれも危険であることを承知で一人で歩いてしまった、、何が起こってもおかしくない危険性は歩きながらずっと感じました。何しろ人の行き来はまったくなかったからです、、で、ほんの数人に行きかったがたまたま善人だった、、たまたま何事も起こらずにすんだということでしかなかったようです。
そしてとうとうその幸運の女神からも見放されるときがきました。それまでの無事に楽観的になっていたのかもしれませんが、そこも絶対一人で行ってはいけないといわれていたサンタクルスララグーナからツヌナへの道で、この間はランチャでの行き来が一般的ですが、ラゴ沿いに人ひとり通れる細い道があった、、道自体は迷いようのない道ですが、前二回と同様ほとんど人の通行はない、で、サンペドロではこの道を歩くツアーがあったのですが、ガイド料を惜しんで一人で行ってしまった、、前二回はいずれも2時間くらいの歩行距離でしたが、今回はトータルで3時間くらいの道のりでした。その間ほんの数人(一組は数人のツーリスト、もう一人は地元の人だった)にあったが何事もなく、無事その山道が終わって少し広い道に出たところで一人の若者に出会った、そしてその若者は周囲に誰もいないのを確かめた上で強盗に変身したのでした。その男は短刀を持っていた、最もこの辺では仕事用のマチェテ(鉈、刃渡り4,50cm?)をほとんどみんな常時携帯しているから、その刃物だって仕事用ということなのだろう、、なので抵抗はあきらめ成すに任せた。彼はわたしのポケットを探ってポケットにあった金を全部持っていった、彼もあわてていたのでそれ以上は探らずに逃げ去った‥、、茫然自失のわたしはまずどこも傷つけられなかったこと、ポケットの中の金だけの被害で済んだことにすこしほっとしていた、背中のバッグの中にはもっと大金(全財産)が入っていたからだ、、そしてその彼が奪った金があまりにも少額だったことに怒って再び引き返してくることを恐れてわたしも大急ぎでその場を去った、、しかし、その後人に会うまでに15分はかかった、、そう、彼は周りに人のいないこと、来る気配がないことを確かめて犯行に及んだのでした。
この出来事でいくつかのことがわかります。まず、それまでに聞いていた強盗の危険性について、それが事実であることを遅ればせながら身をもって経験したこと、しかしそれは限られた場所・限られた状況であること、周りに誰もいないとき、彼らは豹変する(強盗ladronになる)ということです。いってみれば潜在的強盗(極貧の人々)は無数に存在するのです。あるいはこうもいえるかもしれません、そもそも根っからの強盗はまったくいない、、??貧困あるいは差別という背景のもと誰もが強盗となる可能性があるということです。そのあまりにも顕著な格差が強盗を生んでいる?、だから被害者は外国人ツーリストに限らないのです。なので犯行に及ぶのは地元の人々であることも明らかだと思います。
そうであるならば、逆に言えば対策も立てられるということでもあります。よく言われるように人通りの少ないところ・時間帯を避ければその可能性は極端に縮まります。わたしのようにそれを無視したならば、むしろ会うべくしてあっているのだと思います。しかし、ということはなにもグアテマラの特殊性・危険性を語るものではないようにも思うのです。最初に問いかけたようにそれは世界中どこでもどこに行っても同じではないでしょうか?そうなると逆に問われるのはこちら側の問題、つまり自分の行動は自分で始末をつけろということ、すなわち自己責任ということです。それがわかって、承知の上での行動であればあなたは世界中どこへでもいけるはずです。そしてそのことはわたしが言いたかったこと、普通に行動していればグアテマラはそんなに危険ではないのではないかということにつながらないでしょうか?もっとも今回の被害額が30Q(300円)ですんだので、その怖さをまだ知らない、といわれてしまうかもしれませんが‥??
<タイトル画像;ボルカン アグア Volcan Agua 3760m、下;アンティグアの街とボルカンアグアの眺めのよいセロデクルス Cerro de Cruz 十字架の丘から 2枚、この十字架の丘付近も強盗のでるところとして危険エリアに指定されているようだが、まず日中はアンティグアの中でも代表的な観光スポットになっていてツーリスト&地元のカップルも多く、ツーリストポリスも常駐しているので歩いていっても危険なことはない>
ということで前置きが長くなりましたが、トータルで約一年少々滞在してグアテマラ中をほとんど回った体験から、といっても少し特殊状況もありますが、わたしの体験・見聞を以下に申し上げて判断を仰ぎたいと思っております。
それはガイドブックだけでなくグアテマラ市民も共有していることでした。内戦の暗黒時代か終わってからまだ日も浅く、政治の安定化は少しづつ進んでいるようですが、それでも暴力に対する恐怖が根付いています。ひとつにはその時代からの延長で銃が出回っているという背景や民主政治がまだ根付いていないといった政治的問題であるかもしれませんが、そういった意味での政治的課題としてはむしろ広く経済の問題、すなわち貧困あるいは格差の問題が背景にあると思わざるをえません。
わたしは一昨年の正月に世界遺産都市アンティグアのシンボル、ボルカンアグア(3760m)への登山を試みました。実はその危険性に対してはほとんど無知で、回りのグアテマラ人からは危険だからやめたほうがいいと勧告されましたが、その意味がよくわからなかったのとそのためのガイド料なるものが高すぎたので(ひとりだと割高になる、実際いくらだったかもう忘れてしまった)、一人で行くことにしました。富士山と同じくらいの高さ(姿かたちもよく似ている)のボルカンアグアに登るための靴もバックもなく、地図も情報もなかったのですが事前に登山道の確認のために登山口の村サンタマリアデヘススへはいってみた、そのとき登山道を見つけ案外簡単なのではないかという印象をもちました。当日の朝は6時にホームステイ先を出、コレクティボでサンタマリアデヘススへ向かいました。そして7時から登り始め、最初は順調でしたが、途中一ヶ所道に迷ったり(実は道は迷いようのない一本道だったのですが、ショートカットしようとして却ってひどい目にあったり)しているうちにだんだん苦しくなってきて、ペースはどんどん落ちてきて、何人かに抜かれ、数人の子供たち(小学生くらい?)と一緒になって登っていったが、とうとうその子供たちからも置いてきぼりになって、頂上まであと200mくらいのところで疲れと時間切れで登頂を断念したという経験があります。ふもとのサンタマリアデヘススが標高1800mなので標高差2000m、現地の人たちの足で約5時間といわれていましたが、その予定時間にたどり着けたのは9合目あたり(そんな表示・標識類は一切ない)で、それ以上無理したら帰れなくなる、それこそ危険な目にあうことになる可能性も高くなるのではという判断から(実際はもう一歩も進めなくなるほど体力の消耗が激しかったのだが)無念の敗退となりました。日本では富士山を含めかなりの数の山に登ってはいましたが、近年加齢とともに徐々に体力・耐久力ともに落ちており(もっと高齢者でまだまだ現役の人はたくさんいます)もう限界を感じていた矢先で残念ながらグアテマラ富士の制覇はなりませんでした。それでもまだ明るいうちに下山したのは正解だったかもしれません。またグアテマラに登山熱なるものがあるかどうか、1月1日が祝日かどうか知りませんが(クリスマスほどの祝日ではない)、たまたま元旦だったからかその日数組(一組は小学生4,5人であったが、彼らは登頂したのだろうか?)の登山者がいたことなどが、無事サンタマリアデヘススに下山できた要因だったのかもしれません。帰着して事後報告をするや否やすべての人からその幸運よりもその無謀さに非難が集まりました。お前はたまたま運がよかっただけだ、だが二度と一人で行ってはいけない、と、、それは後日出会う日本人のツーリストから聞かされた、数人で登ったけれど強盗にあった話やグアテ人も何人も被害にあっているという話などで、ようやく少し身にしみるのでした。
それでも根が楽天的なせいか、場所をサンペドロに移してからも、さすがにボルカンサンペドロ3000mやナリツインディヘナ2500mは公園になっていて入園料とガイドが義務付けられていてガイド付き登山だったので何事もなく、無事頂上までいけましたが、その後ボルカンサンペドロの山すそのラゴ(アティトゥラン湖)沿いの道をサンチャゴアティトゥランを目指して歩いたとき、また他日ラゴの外輪山上の村ゴティネスからラゴ湖畔の村サンアントニオパロポに下ったとき(他にも同様なところをいくつか一人でよく歩いた、性分なのでしようがない)も、いずれも危険であることを承知で一人で歩いてしまった、、何が起こってもおかしくない危険性は歩きながらずっと感じました。何しろ人の行き来はまったくなかったからです、、で、ほんの数人に行きかったがたまたま善人だった、、たまたま何事も起こらずにすんだということでしかなかったようです。
そしてとうとうその幸運の女神からも見放されるときがきました。それまでの無事に楽観的になっていたのかもしれませんが、そこも絶対一人で行ってはいけないといわれていたサンタクルスララグーナからツヌナへの道で、この間はランチャでの行き来が一般的ですが、ラゴ沿いに人ひとり通れる細い道があった、、道自体は迷いようのない道ですが、前二回と同様ほとんど人の通行はない、で、サンペドロではこの道を歩くツアーがあったのですが、ガイド料を惜しんで一人で行ってしまった、、前二回はいずれも2時間くらいの歩行距離でしたが、今回はトータルで3時間くらいの道のりでした。その間ほんの数人(一組は数人のツーリスト、もう一人は地元の人だった)にあったが何事もなく、無事その山道が終わって少し広い道に出たところで一人の若者に出会った、そしてその若者は周囲に誰もいないのを確かめた上で強盗に変身したのでした。その男は短刀を持っていた、最もこの辺では仕事用のマチェテ(鉈、刃渡り4,50cm?)をほとんどみんな常時携帯しているから、その刃物だって仕事用ということなのだろう、、なので抵抗はあきらめ成すに任せた。彼はわたしのポケットを探ってポケットにあった金を全部持っていった、彼もあわてていたのでそれ以上は探らずに逃げ去った‥、、茫然自失のわたしはまずどこも傷つけられなかったこと、ポケットの中の金だけの被害で済んだことにすこしほっとしていた、背中のバッグの中にはもっと大金(全財産)が入っていたからだ、、そしてその彼が奪った金があまりにも少額だったことに怒って再び引き返してくることを恐れてわたしも大急ぎでその場を去った、、しかし、その後人に会うまでに15分はかかった、、そう、彼は周りに人のいないこと、来る気配がないことを確かめて犯行に及んだのでした。
この出来事でいくつかのことがわかります。まず、それまでに聞いていた強盗の危険性について、それが事実であることを遅ればせながら身をもって経験したこと、しかしそれは限られた場所・限られた状況であること、周りに誰もいないとき、彼らは豹変する(強盗ladronになる)ということです。いってみれば潜在的強盗(極貧の人々)は無数に存在するのです。あるいはこうもいえるかもしれません、そもそも根っからの強盗はまったくいない、、??貧困あるいは差別という背景のもと誰もが強盗となる可能性があるということです。そのあまりにも顕著な格差が強盗を生んでいる?、だから被害者は外国人ツーリストに限らないのです。なので犯行に及ぶのは地元の人々であることも明らかだと思います。
そうであるならば、逆に言えば対策も立てられるということでもあります。よく言われるように人通りの少ないところ・時間帯を避ければその可能性は極端に縮まります。わたしのようにそれを無視したならば、むしろ会うべくしてあっているのだと思います。しかし、ということはなにもグアテマラの特殊性・危険性を語るものではないようにも思うのです。最初に問いかけたようにそれは世界中どこでもどこに行っても同じではないでしょうか?そうなると逆に問われるのはこちら側の問題、つまり自分の行動は自分で始末をつけろということ、すなわち自己責任ということです。それがわかって、承知の上での行動であればあなたは世界中どこへでもいけるはずです。そしてそのことはわたしが言いたかったこと、普通に行動していればグアテマラはそんなに危険ではないのではないかということにつながらないでしょうか?もっとも今回の被害額が30Q(300円)ですんだので、その怖さをまだ知らない、といわれてしまうかもしれませんが‥??
<タイトル画像;ボルカン アグア Volcan Agua 3760m、下;アンティグアの街とボルカンアグアの眺めのよいセロデクルス Cerro de Cruz 十字架の丘から 2枚、この十字架の丘付近も強盗のでるところとして危険エリアに指定されているようだが、まず日中はアンティグアの中でも代表的な観光スポットになっていてツーリスト&地元のカップルも多く、ツーリストポリスも常駐しているので歩いていっても危険なことはない>