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旅倶楽部「こま通信」

~旅するように生きていこう~

旅倶楽部「こま通信」
旅するように生きていこう!
プロフィール

ニックネーム:
こまつうしん
居住地:
埼玉県
性別:
男性
年代:
60代
会社名:
旅倶楽部 こま通信
会社英字名:
会社所在地:
埼玉県
業種:
旅行業
自己紹介:
旅倶楽部「こま通信」代表

これまで三千日以上を旅してきて、より良い旅の為に《手造の旅》をはじめました。メンバーからの要望によって、一生モノの旅をつくっていきます。

《手造の旅》のご希望がありましたらご連絡ください。
komatsusin2@gmail.com

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パタンのダルバール広場
パタンに八つの不思議が起こる時
エリア:
  • アジア>ネパール
テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2010/12/10 10:26
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カトマンズ盆地の美しい世界遺産都市のひとつパタン。その王宮には今でも伝説が生きている。
17世紀はじめの王がいつ帰ってきてもよいように、ベッドメイクが毎日行われているのだとか。右側の建物がその王宮。そこへ向かって建てられた石の柱がみつかるだろうか。
パタンのダルバール広場
柱の上には合掌する17世紀の王の姿がある。
シッディ・ナラシンハ・マッラ王
シッディ・ナラシンハ・マッラ王(在位1618〜1661年)
日本なら徳川家光の治世の頃、この王は信仰厚い良き王としてパタンを統治していた。カトマンズとは別の王朝としてこの王宮を建築スタートした。
パタン王宮
黄金で飾られた窓から顔をだされていたそうな。

王宮に面して建築したクリシュナ・マンディール寺院は創建当時21の黄金の針が立っていたとか、今でも精緻な石の彫刻が見られる。
クリシュナ・マンディールの彫刻

貧しき人人の為には当時で二千四百人を収容できる住宅を建設。母の為には今もパタン動物園の中にある池と邸宅を。

国民の信望を集めていた王はしかし、四十年以上の治世の後、自ら巡礼へ旅立つ決心をした。

彼がいつ戻っていいように、王宮では毎日ベッドメイクが続けられる、王朝がかわり、2008年には王制自体が廃止された今日に至っても…。

王は言い置いていた、パタンに八つの不思議が起こるときが来るだろう・・・
それは
?王の坐像の後ろにとまっている鳥がさえずる
?王の合掌した手が開き、そこに鳥が巣をつくる

?石の象が歩き出す
パタンの象
?こま犬が鳴く
こま犬?
?あずまやの軒下から黄金が降ってくる
パタンのあずまや
?ヒティ(共用井戸)からミルクが出る
?(今は失われた)石の鉄砲が火を噴く
ヒティ
?ガルーダが金の卵を産む
ガルーダ

そうして、私は自分が死んだ事を皆に知らせるだろう。

キリスト教の勝利
ローマにおけるルネッサンスの終焉
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>ローマ
テーマ:歴史・文化・芸術 
投稿日:2010/11/23 13:08
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ラファエロが急死して残された未完成の仕事はいちばん弟子のジュリオ・ロマーノが受け継いだ。バチカンの「アテネの学堂」のとなりに位置するコンスタンチヌス帝の間も、生きていればラファエロが別物を描いていただろう場所だ。※写真下
コンスタンティヌスの間

コンスタンチヌス帝が空に現れた十字架を見上げ、「これにて勝て」という啓示をうけている。
「これにて勝て」

ローマ郊外のミルヴィオ橋でマクセンティウスに勝利するコンスタンチヌス。
ミルビオ橋の戦い

これら壁に描かれた絵ばかりを見てしまいがちだが、天井にちょっと注目すべき絵がある。キリスト磔刑図の前に粉々になったギリシャの神像が倒れている。
キリスト教の勝利

これだけはジュリオ・ロマーノではなく、1585年にトンマーゾ・ラウレティというパレルモ出身の画家によって描かれていた。

見ての通り「キリスト教の異教に対する勝利」を表しているのだが、制作された時代から考えると、これはある種「ローマにおけるルネッサンスの終焉」を象徴しているのだと感じた。

ラファエロは1510年ごろとなりの部屋で「アテネの学堂」を描いた。そこでは学問・芸術・音楽などを象徴してギリシャの神々が美しく描かれている。現在の我々の眼からはもちろん何も違和感ない。

しかし、16世紀はじめにローマを訪れた若きマルチン・ルターにとってはおおいに違った。『キリスト教会の中枢であるバチカン宮殿に堂々とギリシャの神が描かれているとはなんたる事だ!』と憤慨した。

それが後にプロテスタントという分派がうまれる動機のひとつになっていたのだとしたら・・・カソリック教会はやはりルネッサンスを考え直さなくてはならないだろう。

1545年〜63年まで、北イタリアのトレントで断続的にひらかれたカソリック教会の会議において、教会の規律はきびしく引き締められた。粉々になったギリシャ神はまさに、この時期に描かれたものだった。

ラファエロがとなりの部屋に華やかに描いたギリシャ神たちは、壁から削られなかっただけでも幸運だったと言わねばなるまい。

屋上の煙突群
ガウディのバッリョ邸
エリア:
  • ヨーロッパ>スペイン>バルセロナ
テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2010/11/13 21:34
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入場料ユーロ17.80は安くない。しかし、その価値を充分に感じさせてくれるバッリョ邸(日本の解説書の多くはバトリョ邸となっているが、現地の発音により近く表記いたします)。

入り口から二階への階段からすでに幻想的。
玄関から二階へ

暖炉はまるできのこの様。
きのこ型暖炉

この建物が面するグラシア大通りは1877年ごろには建物が出来ていた。
バッリョ家は1900年に所有する事になり、1904年になってガウディに増改築を注文した。「はじめからガウディの設計になるものに比べて彼の個性が現れていないのでは?」いえいえ、むしろ人の器を使ったほうが個性が生きているように思われる。
カサ・バッリョ夜景

この十字架と煙突の林立する空間は、ガウディの付け加えた五階部分の上にあたる。周辺の建物からアタマひとつ飛び出し、確実に違法建築なのだが、市に顔のきくバッリョ家が認可を出させたそうな。
屋上の煙突群
お客が集まり人々が集う二階のサロン。道行く人々を眺め、また屋内の人も外から見られるショーケースである。
パーティールームから窓を眺める
天井のこの渦巻きは巨大な目の様。
天井の目

もう一階上の家族用居間の天井。
円形突起の天井

最上階は使用人たちが洗濯を干す為の乾燥室なのだが、ここにも圧倒的なガウディ的空間を見ることができる。
屋根裏の洗濯室

★光の井戸
地上階まで自然光を建物内に導く空間が貫かれている。
光の井戸、下から均一の蒼さ
一見上部から下まで同じ色のタイルで装飾されているように感じさせるが、実は違う、近寄って見よう。
光の井戸、タイルの様子1
グラデーションのように見えるだろう。もっと近づいて見る。
上部の青色が濃く、下に行くほど白が多く使われているのがわかる。
光の井戸、タイルの色の違い
これは、上部の方が自然光の白さを多く反射させて見えるのでより濃い色にしてあるという事。このグラデーションがあってはじめて、下から見上げた時に均質な青色が見上げられる※邸内の日本語音声ガイドによる。

その結果、なんだか水の中にいるような気分だということで、エレベーターのガラスもこんな水中の雰囲気になっているのだった。
水が流れるかのような窓ガラス

日本語音声ガイドも充実していて、€17.80は見終わった後なら充分価値を感じさせてくれる場所であった。充分見学の時間を取れる時に訪問いたしましょう。

トランスパルテの穴
トレド大聖堂の天井に開けられた穴
エリア:
  • ヨーロッパ>スペイン>トレド
テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2010/11/12 03:04
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スペインの教会中第一の地位を占めるトレド大聖堂。その天井には、建設後二百年を経て開けられたひとつの美しい穴がある。
トランスパルテ全景
大聖堂の屋根が完成したのは1493年とされている。まさにコロンブスの新大陸到達の翌年の事。この穴は1721年から32年の十年をかけて開けられた。

一度出来上がった大聖堂の屋根に穴を開けるのは非常に危険な事。ゴシックアーチのバランスを破壊すれば、屋根が落ちてきかねないのだ。そんな危険を侵してまでなぜこの穴を開けたのか?

真っ暗な教会中央の祭壇。心臓部にあるサンティッシモ・サクラメント礼拝堂に外部からの光を直接取り込みたいという我がままな希望。

ミサを行う時、「そこにあたかも神の様な光が射し込むのは感動的ではないか」とディエゴ・アストルガ大司教は思ったのだろう。

この難しい工事は、バジャドリド大学のファサードを装飾して評価を上げたナルシソ・トメという31歳の建築家に発注された。

バロック・ロココの派手な装飾だけでなく、建築的に難しい工事は十年の歳月をかけて完成。この作品「エル・トランスパレンテ」は、後世の我々にナルシソ・トメの代表作として記憶される事になったのである。
トランスパルテ装飾
天井から落ちてきた光はこの複雑な装飾を通過して裏側の礼拝堂に届いているそうな。(我々は入る事ができませぬ)

彼以前にあったゴシック・ルネサンス風の壁に、バロックの「エル・トランスパルテ」が喰い込む如く接合されている。
トランスパルテ接合部

我がままな、しかしなかなか効果的な大聖堂改造を注文した大司教ディエゴ・アストルガは、この「エル・トランスパルテ」のすぐ足元に葬られている。

教会のバロック天井
メルク修道院のバロック
エリア:
  • ヨーロッパ>オーストリア>メルク
テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2010/10/18 22:53
コメント(0)
ドナウ川ヴァッハウ渓谷クルーズの乗り場としても知られる、オーストリア屈指の大修道院がこのシュティフト・メルク。シュティフトとは大きな捧げ物を意味する。
メルクの教会外観
ドナウ川を見下ろす崖の上に18世紀から建つ教会。

多くのツアーは外からの写真で過ぎてゆくけれど、内部見学ツアーはなかなか見ごたえがある。女帝マリア・テレジアも何度も訪れた場所で、入り口の豪華な階段を登るとハプスブルグ家、その前の支配者バーベンベルグ家の肖像画が掲げてあるが、主としてはベネディクト派の僧院としての歴史展示である。

まずは聖ベネディクトがお出迎え。
ベネディクトの「聞け」
HOREとはベネディクト派教本のはじめの言葉。「聞け」という意味になる。
彼らのモットーは「学ぶ事」「祈る事」「耕す事」であった。
これは13世紀イタリアで制作された羊皮紙の会則本。
ベネディクト派教本
修道院いちばんのお宝は1040年に奉納された「聖十字架」の断片。
これにまつわる伝説についての祭壇画が残されている。
聖十字架伝説
盗難にあってしまった「聖十字架」がヴィーンで発見され、その帰属をめぐりメルクと争いになる。
ドナウ川に浮かべて流れていった方の所有にしようというヴィーン側の陰謀テイアン。しかし、十字架は流れに逆らってメルクに到着したという話。

再利用するお棺
1780年代に私用された「棺桶再利用」システムのつけられたお棺。埋葬されると遺体だけそこから土の中に置いて棺桶は再利用のさめに引き上げられたのである。

モーツァルトが亡くなったのもまさにこの「節約志向」の時代。それによって、彼の遺体もまた共同墓地へはいることになってしまった。
節約志向を命令した皇帝曰く「人間が死んだからといって木が死ぬ事はない」。

メルク村
途中、ドナウ川を見下ろすテラスに出られる。

このテラスを挟んでシンメトリーにつくられた長方形の大広間がひとつのみどころ。
ベネディクト派教則本
こちらはそのひとつで、修道院の心臓部とも言える図書室である。
8万冊の蔵書があるそうな。こられの書物の背表紙が同じデザインになっている事に常々不思議を感じていたが、これは所有者がそろえるのだそうだ。
現代の図書感覚とは全く違う。

そして、ユニークな螺旋階段を下りて本堂へ。
階段2
階段
教会の天上には聖ベネディクトの生涯が美しく描かれている。
教会のバロック天井

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