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フランス紀行

~フランスの社会・生活・文化に関する情報や日本社会との比較分析、世界各地を旅して発見した面白い情報をお届けします。~

プロフィール

ニックネーム:
Neomars
居住地:
ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
性別:
女性
会社名:
Tabet International en France
会社英字名:
Tabet International en France
会社所在地:
ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
業種:
現地ツアー企画・現地ガイドなど
自己紹介:
単なるスポット紹介やグルメを堪能することだけに飽き足らない旅慣れた日本人が欲している情報とは何か・・・。それは、「現地とコネクトすること」ことができる情報提供ではないかと思っています。表層に現れる現象の根拠を歴史的、文化的、社会的価値観の観点から探り、ついでに辛口ジョークや捻りの利いたブラックジョークも交えながら、「なるほど・・」と納得しながらクックックゥと笑って楽しんで頂ける情報提供をお約束します!

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1 - 5件目まで(6件中)

地中海2
夏の地中海
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 世界遺産 
投稿日:2012/08/07 17:11
コメント(0)
満天の 蒼がまぶしき 夏空に ゆったり輪を描く 一羽のかもめ

地中海2

青空をキャンバスにかもめがゆっくりを白い輪を描いては飛び去っていく・・・地中海の原風景です。

空と地中海が一体化し、静かな蒼の世界が目の前に広がり、そのなかで唯一動いているものは自分とかもめだけです。

南フランスの海岸沿いに都市が興ったのはギリシャ時代に遡りますが、それ以前ののどかな時代には、まさに、海と空とかもめとそれを見ている自分以外は何もない世界だったのだろうと想像します。

この写真はマルセイユの高台にあるノートルダム・ド・ラ・ギャルドから写したものです。地上の喧騒から離れ、海と空の神秘を堪能するには格好の場所だといえます。

ぜひ一度訪れて、地中海のパノラマ・ビューを堪能してみてください。

自然がこんなにも美しいものだったのか・・・と生きることの喜びを心の底から感じることができますよ。
タグ:
南フランス プロヴァンス フランス観光 世界遺産 リゾート 

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マルセイユ1
マルセイユの再生
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/03/17 17:21
コメント(0)
先日、観光協会関連の集まりがあり、暇があったので参加することにした。初めての参加だった。

将来は南仏を専門とするカリスマガイドになりたい!などというビッグな野望を抱いているにも関わらず、実際のところ、この地の観光に関する私の知識はさほど高くはない・・・というのが嘆かわしい現実だ。

勉強してはいるものの、人様にお金を頂いて、あれこれ講釈するほどのレベルにはまだ達していない。現時点では、請うご期待・・・というところだろうか・・。

とまあ、こんな私でもジョインできる開けた集まりではあるのだが、来年はマルセイユが欧州の文化都市となる年でもあるので、少々気合が入っているようだった。

観光客誘致に限らず、グローバルな規模のコンフェレンスやプロジェクトの誘致にも力を入れており、歴史遺産の管理や都市の景観保護は勿論のこと、大規模な催し物をホストできる設備管理などにも余念がない。

そして、なんといっても喫緊の対策が必要とされるのは、市内の治安維持であろう。

悲しいかな、マルセイユはフランスで最も犯罪率が高い都市として名高い・・・。郊外はもちろんのこと、市内でも低所得者層や移民が多く住む地区ではほぼ毎日のように犯罪が多発しており、これら地域への立ち入りを避けることは市民の間で暗黙の了解となっている。

人づてに聞いた話によると、マルセイユは90年代前半に開催されたワールドカップだかを契機に、南仏を対象とする観光コースから外されたとのことだ。

フーリガンのごときサッカー狂が街をたむろし、所構わず、昼日中でも通行人に対して暴行や窃盗を働くケースが多発したことが原因だという。こんな危険な都市には近寄らまい・・・と多くの観光会社がマルセイユを避けるようになった。

日本の観光会社が斡旋している南仏ツアーのパンフレットを幾つか見たが、確かに、これらのどれにもマルセイユは入っていない・・・。

ほとんどの会社が同様のコースを斡旋している。まずパリからニースに入り、カンヌ、モンテカルロ、(マルセイユを素通りして)エクス・アン・プロヴァンス、アヴィニヨン、アルル、(時々ロワール)、パリの順で巡る。

私はこのコースを見て、うーん・・・と唸ってしまった。世界遺産レベルの名所を汲まなく押さえ、南仏の名所を効率的に巡ることができるようになっている。名所好きな日本人には、こういうコースでないとアピールできないのかもしれない。

そうなると、たとえ90年代の災難がなかったとしても、日程にマルセイユを入れることは無理があるな・・と思った。

まず何よりも、日本人にアピールするような名所が見当たらない・・・。

確かに、フランス最古の都市だけあって、遺産であればそこかしこにゴロゴロしている。しかし、これらのどれも、目の肥えた、しかも「名だたる」とか「世界に知られた」などの形容詞が大好きな日本人が遠路遥々日本からやってきて見物したいと思うような代物ではない。少なくとも、相当な南仏マニアかマルセイユ狂でもない限り、魅力を感じることはないだろう。

では、都市の景観はどうかというと、これもまた改善の余地が多いにありすぎて、遠路遥々やってくる観光客に大手を振って薦められるようなものではない。美しい街の景観なら、ヘキサゴンを縦断してわざわざマルセイユまで足を運ばずとも、パリで十分に堪能できる。

グルメに関しても、リヨンのように独自のキュウリナリーを育んできた歴史がないため、マルセイユを代表するキュウリナリーというものは存在しない。あえて言えば、ブイヤベースなど単品ベースであるぐらいだ。あとは、地中海地域に溢れる料理をマルセイユ流に二番煎じしたものぐらいだろう。

というように、観光客を惹き付けるための「いわゆる」ネタに乏しいことこの上ない。

上記のような実態を十分に把握しているからなのか、現時点では、観光客の誘致は後回しにされ、研究、ビジネス、国際会議の誘致のほうにプライオリティが置かれているようだ。そして、そのついでに観光でもしてもらおうという腹積もりらしい。まあ、これはこれで都市の開発戦略としてありえるのかなと思ったりする。

マルセイユはには港湾関連のビジネスを中心とする商業都市としてのアイデンティティが中心にあり、ゆえに、それを基にして研究開発やビジネスを世界各地から幅広く募り、発展の裾野を広げたいと考えているのかもしれない。

ただ、マルセイユは最もビジネスをするのが難しい都市だとも言われている。多くの人がこの言葉を口にするが、理由をはっきりさせることはない。多くは、風土柄、人が怠け者になり、仕事がなかなか捗らないからだと言う。

私は、確かに風土柄もあるのだろうが、ビーチなどを中心に観光産業も充実していることから、観光地に特有の「表面的」なメンタリティが人の心を支配し、本腰を入れてまじめに働く気概を阻害しているからではないかと思ったりする。

海辺などの観光地では人と人の出会いが一過性のものであることが多い。そのようななかで評価されるのは、束の間の現実逃避を演出できる能力ではないだろうか。そこに、真実とか実質といったものは関係ない。花火のように一瞬でパーッと光り輝き、全てを忘れて天にも昇る恍惚した気持ちにさせてくれる自己プレゼンテーションができれば、それで十分なのだ。

このように「その場限りの一発屋」的な能力が磨かれるに従い、現実感が希薄となり、周囲との信頼に基づく長期的な関係構築が難しくなる。おのずと、長期に渡って信頼したり、仕事にしっかりコミットしてくれる人材がマルセイユで手薄となるのも理解できる。

ここに、アフリカ・アラブ諸国からのやってきた無職の移民が加わり、状況を更に悪化させる。

ステレオタイプを作るのは危険だといわれるが、私は、それでもステレオタイプが何がしかの真実を伝えるものだと確信している。

アジア系移民と比較して、全体としてアフリカ・アラブ系の労働への意欲は高くない。アジア人はハード・ワークによって生活の向上を図ることを当然視する。自助努力、ハード・ワークこそが、成功へと導く王道なのだ。

しかし、アフリカ・アラブ系の人々には、上記のようなアジア人の人生観といったものは無縁だ。ハード・ワークなんて、彼らの辞書には存在しないかのごとく。まあ、アラーが全てを決定するから、自分で積極的に人生に関与する必要はないとでも思っているのかもしれないが・・・・。

そして、このような状態をそこかしこで目にする市民は、時間が経つにつれてまじめに働くことが馬鹿馬鹿しく思えてくるのだろう。必死で10の努力しても、3ぐらいの見返りしかないなら、しかも、周囲に足を引っ張られることが原因で成功が遠のくぐらいなら、何もしないのがベストだと判断しても仕方がないだろう。しかも、苦しい思いをして小金を稼いでも、ほとんどが税金で取られるなら、なお更やる気が失せる。

助努力によって立身出世を志す人間の気概と努力を妨げる制度と文化が平然と機能しているのがフランスで、その最たる例がマルセイユだということだろう。

議論を聞いていて、私は大変もどかしい気持ちに襲われた。誘致したい気持ちは分かるが、これだけ多くの障害物があるなかで、果たして実現することができるのか・・・・。

幾ら、周辺設備を完備し、その素晴らしさを宣伝で謳ったところで、現場で物事が非効率にしか進まず、しかも税金などの制度問題が大きな足枷となるならば、まず誘致に成功することはないだろう。

世界には、グローバル・スタンダードに則り、ビジネスや研究を行うのに望ましい条件を各種備えた都市が五万と存在する。そんな都市と争って、勝てる賞賛など、大変申し訳ないが、まずもってないと言える。物事は、そこまで簡単ではない。

フランス人は、自己満足の範囲でやればそれで十分と考える唯我独尊的、中華思想的な傾向がある。自分だけの狭い殻に閉じこもり、机上の理論だけで考え判断する傾向にあることから、周囲を広く観察してそこから学ぶという謙虚さに欠けるのだ。そのため、グローバルな競争に取り残されつつある。

日本を始めとする国際社会のフランスに対するイメージは、今だ飛びぬけて好ましいもので、ロマンチックで高級感溢れるものだ。しかし、日本人が心に思い描くフランスなど、最早どこにも存在しない。そんなフランスは、80年代を境に消え去ってしまったといっても過言ではないのだ。

どこまでこのイリュージョンで食いつないでいくことができるか・・・・若しくは、イリュージョンを現実のものとして再生できるよう一大発起するか・・・・マルセイユ、いやフランスに課された新たな課題だといえる。
タグ:
観光 フランス マルセイユ リゾート 世界遺産 

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水の都蘇州の名所:古寺(寒山寺)
エリア:
  • アジア>中国>蘇州(ソシュウ)
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/26 00:36
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写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-11027749247.html

蘇州は、東のヴェネチアと呼ばれるように、街の中を運河が巡っています。実際に行ってみると、東のヴェネチアというには、あまりに語弊がある・・・厳密な科学的根拠を別にしても、これは比較にならない・・・という印象を持ちました。

ヴェニスでは、ヴィザンチン芸術と西洋芸術の類稀な混淆が生み出す豪華絢爛が街の隅々まで浸透しています。地中海が世界の中心であった時代、ヴェネチアは東西貿易を独占し、世界の富が集まるだけでなく、西洋がオリエントと出会うコスモポリタンな都市として世界に名を馳せました。そのレガシーが今でも、我々を虜にするのでしょう。

蘇州には、ヴェネチアのような歴史もなければレガシーもありません。よって、我々旅行者がヴェネチアを目の当たりにして感動は、蘇州を前にしても一切感じることはありません。

ただ、水墨画の世界が好きな旅行者には必見の土地だといえます。街全体が水墨画の世界に生きていると言っても過言ではないからです。蘇州に行ってみて初めて、水墨画が中国で発達した意味が理解できました。俗世界への執着、この世で生きることに積極的なルネサンス以来の西洋においては、決して発達しえなかったものだといえます。

蘇州に来て印象に残ったことは、この街は、良い悪いの価値判断は別にして、立体感に乏しい二次元の世界だということです。人の顔や体つき、建物などにしても、あえて遠近法を用いたりして立体的に表現する必要がないのです。

専門的なことをは良く分かりませんが、この地に降り注ぐ光の強さや量にも関係しているのかなと思ったりしました。中国では南方に位地しているとされる蘇州ですが、全体的に光が柔らかくて弱いという印象を受けます。そのため、街全体にパリッとしたしまりがない感じがするのです。ボワーと浮いているように存在している街。この臨場感を表現するには、墨絵の筆致が最適だといえます。

また、鬱蒼と茂る柳がダラーンと垂れて、濁った運河の水面にぼんやりと影を落としているところなど、水墨画にはうってつけの景色だといえます。茂りたい放題に放置された柳が、これまた濁りたい放題に放置されている運河の水面に無気力に影を落とす。仙人や世捨て人を描く水墨画の背景としては、これに勝るものはありません。

ここまでのトーンによって、私が蘇州を批判的に見ていると言われても言い返す言葉がありません。しかし、これは、私が水墨画や中国アートを十分に理解していないことから来るものだと思います。

こんな私でも、一部の中国アートには興味を覚えました。唐草模様や、その透かしから入って来る光を捉えたものは、とても美しいと思います。

また、やはり、黄金をふんだんに用いた建造物には弾かれるものがあります。

寒山寺にも幾つか興味深いものがあったのでご紹介します。寒山寺を手短に説明すると、唐の時代に建立され、最も古い漢詩もここで閲覧することができます。

二人の僧によって建立されたという伝説があり、その伝説の二人が以下になります。

先程お話した、黄金の建造物ですが、演奏する魔王には参りました!

黄金でできた修行僧。黄金色に輝く修行僧には、将来のニルバナが約束されているというメッセージが託されているのでしょうか?

大雄宝殿にある釈迦如来像です。豪華ですよねぇ!寒山寺は大乗か小乗か定かではないのですが、大乗仏教の豪華さがあります。

大雄宝殿の外にある蝋燭立てです。日本のものよりも遥かに巨大です。でも、あまり綺麗ではありませんが・・・。

この楼蘭は、16-17世紀に建立されたものだとのこと。寒山寺の一部としてあります。

境内の外にでると、露天が並び各種フルーツが売られていました。こちらは、中国のへしゃけたモモです。失敗作でまともな値段では売れないからこうして露天で売っているとのことでした。潰れた形に興味をそそられ、ひとつでも購入したかったのですが、何が入っているかわからないから止めたほうがよいとアドヴァイスされ、結局買わずじまいでした。

こちらは、いまだに何かわかりません。これまで見たことがありませんが、フルーツの一種だそうです。妊娠してなかったら試してました・・。いつか、謎を解いてみたいものです。
タグ:
世界遺産 中国 蘇州 観光 景勝地 

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中国庭園:留園
エリア:
  • アジア>中国>蘇州(ソシュウ)
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/16 21:20
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写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-11028802133.html

最近、和式&中華式庭園に凝っています。ということで、中国を代表する庭園、「留園」に行って来ました。

まだ勉強不足の私には、和式と中華式の違いを厳密に見分け、理路整然と説明することは不可能です。ただ、これまでにも色々見てきたので、この点は和式の特徴とか、中華式特有の表現方法ではないか・・と感覚的には分かるようになったと自負しています。

大きな違いは、柳が入るか入らないかのような気がします。昨今の日本庭園で柳を見かけることはまずありません。もちろん、柳は日本の各所で見られるので、庭園造りのオプションのひとつとしてあるのでしょうが、中華式のように柳を大々的に活用して表現することはまずないといえるでしょう。

また、使う石の材質にも違いがあるように思われます。中国では、自然の無骨さをこれでもかと見せ付ける、ごつごつした荒削りの素材を好んで使う傾向にあるようです。身近にある石というよりも、仙人が棲むような高山の登頂まで行って命からがら入手してきた、というかんじのものです。


一方、日本では、身近にあるように見える石を好んで使うようです。万の神様を信じる神道の影響のせいか、遥か彼方の遠方まで行かずとも、神聖で立派な石は身近にもころがっている、といわんばかりです。

演出に利用する動物にも違いが見られます。中国では庭園のそこかしこに竜が舞っています。神の次に偉大な皇帝を象徴する動物が竜だったことからも、竜に対する中国人の思い入れには相当のものがあるようです。天空に気高く、力強く舞い上がる竜に対する憧れは、世界を、そして宇宙を支配したいとする中華思想の裏づけのようなきがします。

日本だと、竜も選択のひとつとしてあるのでしょうが、竜が支配的になることはまずないと思われます。竜の代わりと言ってはなんですが、よく見られるのが、蛙でしょう。「お金が帰る」「幸せが帰る」という意味も込めて、蛙を置くのが慣わしだとか。

その他は、これといって目立った違いはないような気がします。これは、あくまでも感覚的な観点からですが・・・。燈篭を設置したり、池に鯉を飼ったり、松の木の大木をモチーフにしたりと、大陸美学の影響を多大に受けてきた日本には、庭園においても中国との共通点が多く見られるのです。

このようななかで、今回、私の心を惹いたのが、「すかし模様」です。すかしを通して入り込む光をカメラで捉えてみると、驚くほど美しいのです!

すかしを造ったそもそもの理由は、庭園風景に変化をもたらすためだったと言われています。同じ風景を眺めるにしても、そのまま見るのか、すかしを通してみるのかでは、見え方が異なります。この違いを楽しむためにすかしが考案されたとのこと。いやはや、お金持ちは、どこの国でもミクロの違いを捕らえて楽しむのが得意なようです。

ここ「留園」でもすかしが至る所に設置されていました。意匠を凝らした各種異なるすかしがあちこちで見られ、当時の人々の庭園の眺望にかける思いが垣間見られました。

この庭園は、現在は省の管轄となっていますが、元々は当地の大金持ちの所有でした。昔は、良家の女子は嫁に行くまで家の外に出ることは稀で、家の中で大半の時間を過ごしたといいます。そんな娘の退屈しのぎに、春の庭、夏の庭、秋の庭などそれぞれ季節の特徴を生かした造園を手がけたということです。

3代でこの庭園の所有は途絶えたといいます。家は3代とよく言われますが、この家も、3代で途絶えてしまい、庭園も同時に手放されることになったようです。

こちらの写真に収められているのが、「幸運を呼ぶ階段」と呼ばれる石の階段で、上ると運勢が上がるといわれているものです。所有者も何度となくこの階段を上がったのでしょうが、3代で運勢は尽きたようです。

庭園のなかでは、各所でびわや琴など中国古来の楽器が奏でられており、目だけではなく耳も楽しませてくれます。この留園で、庭園とは、単に目で愛でるだけではなく、五感で楽しむものなのだということを強く感じました。


こんな庭園が我が家にあればな・・・と儚い夢を描いてしまいました・・・。
タグ:
中国 蘇州 上海 庭園 世界遺産 

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クロアチア:ポレッチ探訪
エリア:
  • ヨーロッパ>クロアチア>ポレッチ
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/14 21:42
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写真はこちらで:
http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-10962617650.html

ポレチュはイストリア半島の一大リゾート地として有名ですが、ここのメインスポットは、世界遺産にも登録されているエウフラシス・バシリカです。

エウフラシス・バシリカは、ローマ時代から繁栄を続けるメインストリートから少しだけ離れた旧市街地の一角に佇んでいます。

先ほどローマ時代からと書きましたが、この街は、ローマ時代からの長い歴史を誇る街なのです。

ローマ人は紀元前2世紀に、イタリアのアクレイアとイストラ半島にあるプーラを結ぶ港町としてポレチュに注目したことから、古代ローマの都市計画に基づいて建設されました。

ポレチュには、キリスト教がまだ禁止されていた3世紀からすでにキリスト教のコミュニティがありました。

543年かれあ554年までポレチュの司教を務めたエウフラシスは、5世紀に建てられた教会を壊して、跡地にバシリカ式の聖堂を建設しました。内部を壮麗なモザイクで飾り、神に捧げたといいます。

入口から直ぐ入ったところに、四角い回廊で囲まれたパティオが残っています。回廊つきの中庭はヨーロッパでは修道院でよく見かけるものですが、教会正面の入口にあるのはとても珍しいといいます。

これは、「アトリウム」と呼ばれる回廊で、古代末期から初期中世のバシリカには必ずあったものだそうです。しかし、アトリウム、信者が増えて教会が手狭になるとを取り壊され、その敷地に本堂を建てることも多々あり、現在では、ここエラフラシス・バシリカ以外ではヨーロッパでも数えるほどしか残っていないようです。

さらに珍しいのは、このアトリウムを挟むように洗礼堂が残っていることで、8角形の窪みが建物の真ん中の床にあります。かつては、ここに水が張られて全身を水に浸す洗礼が行われたということです。洗礼盤ではなくバスタブのような洗礼場が床の窪みに設けられている教会は現在ではなかなか見ることができません。

エラフラシス・バシリカは、教会+アトリウム+洗礼堂という同時代の3つの神器が当時のままで残され、1500年前の初期キリスト教時代の面影を留める貴重な建造物だということです。

アトリウムの中から聖堂に入ると、内部は大理石の柱で区切られた箱型の三廊式で、典型的な初期キリスト教会のバシリカの造りになっています。

この教会のハイライトは、6世紀ビザンチン時代に製作されたモザイクです。天上ドームの中央には幼子キリストを抱いた聖母マリアが玉座に座り、その両脇に大天使、さらに脇には聖人が並んでいます。中央の聖母子から数えて左3人目、黒い衣の人物がこの教会を立てた司教エウフラシスで、手に教会の模型を抱えています。その左にはクラウディウスという名の司祭が立っています。周囲には輪のような冠を手にした聖職者が立っていますが、冠を手にしているのは殉教者であることが多いといいます。

ドーム下の壁には、左に大天使ガブリエルがマリアに受胎告知する場面、右にマリアの叔母のエリザベートに会いに行く場面が表現されています。

聖母マリア信仰は中世には一般的になりましたが、公に認められたのは431年のエフェソス宗教会議にてのことです。ゆえに、このモザイク画は、聖母マリアを後陣のメインにするモザイク画としてヨーロッパで現存するなかで最古のものである可能性が高いといわれています。

これ以降、ビザンチン世界で製作されるモザイクでは、マリアを中心に置く祭壇が広まっていきます。

このモザイクの前に立つと、聖母や聖人達が金箔の光の中に神々しく煌いて浮き上がり、神の世界から舞い降りてきたような印象を与えます。

ヴェネチアのサン・マルコ寺院やラヴェンナのサン・ヴィッターレ教会にも美しいモザイクがあります。ヴェネチアのものは、11世紀に製作されたものも一部ありますが、殆どが13-5世紀に製作されたもので、17世紀のものもあるとのことです。

ポレチュのものは、それより500年から1000年以上も前に作られたものばかりで、6世紀に製作されたラヴェンナのものと同時代になります。ラヴェンナはアドリア海を挟んでポレチュの対岸に位置する街であり、当時は陸路以上に海上交通が主要交通手段であったことから、文化面における交流も盛んであったのでしょう。

モザイクは、ローマ人が泉や浴場の床など水を使う場所にはモザイクで飾ったのに対して、ビザンチン時代には神聖な教会の壁や天井を飾るために用いられるようになったといいます。毎日足で踏みつけられる床とは違い、壁や天井のモザイクは崩れやすくとも美しい素材を使うことができました。

そこで多く使われるようになったのがガラスです。色ガラスの使用により、更に色彩豊かな世界が生み出されていきました。画期的だったのは、1-2センチ四方に切った透明なガラスとガラスの間に金箔をサンドイッチのように挟んだ金入りの徹せらを人物の背景に使うようになったことです。

この手法により、キリストや聖人は背景の金の輝きの前で神々しく浮き上がり、神の世界は壮厳なまでの輝きを増しました。教会から差し込む僅かな光がガラスにあたり、反射して微妙な色彩の演出をします。聖なる世界がそこに表現されるのです。

8世紀から9世紀前半まで続いた聖像破壊の動きにより、ビザンチンの本家本元であるコンスタンチノープルにはビザンチン・モザイクはほとんど残っていません。しかし、そこから遠く離れたラヴェンナやポレチュでで、その華麗なる美の遺産が生き残ってたのです。

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