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ねこたんの足あと

~あちこち行って。いろんなもの見て聞いて歩いて食べて。~

プロフィール

ニックネーム:
yummy
居住地:
東京都
性別:
女性
自己紹介:
本業は小説を書くかたわら、
占いとヨガのサロンを主宰しています。

占いは手相とタロットカード。
ヨガは南インド ケララ州で州公認のインストラクター資格を取得しました。
少人数制のクラスを展開しています。
ご興味のある方は、
http://alvayu.jp
にアクセスしてみてくださいね。


小さい頃からアフリカに憧れていて、海外旅行デビューはエジプト。それからケニアへ行き、念願のサバンナに。アフリカのあとにアジアに行き始め、人からはよくルートが逆だよ、と言われました。

私はその国の何かひとつでも見たいものがあれば、どこへでも行きます。それがきっかけですが、あとは行き当たりばったり。何かをするため、にその国へ行くわけではなく、ただただその国に浸かるような旅をします。
だからこそ、生きた情報をその場で得ることができるのだと思います。

どちらかといえばカオス的な国を旅するのが好きですが、でも近年ヨーロッパも堪能しました。先進諸国もきっちり知り、その両方を知ることが大事だと思ってますから、あまり偏ることもありません。

もうずっとヨガ修行をするため、定期的にインドへ行っています。一回の旅行期間は約2ヶ月ほど。滞在型なのでその地については精通していきます。前回は昨年11月に、今年もまた秋に訪れる予定です。

私が旅先で出会ったできごとや人たち、おいしいものやホテルやショッピング、交通事情、失敗談や病気になったこと、コワかったことなどのトピックや情報が旅する人たちの役に立てばとてもうれしいです。

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NoPhoto
ベトナム縦断生リポ〜フエから;ハノイへ
エリア:
  • アジア>ベトナム>フエ
  • アジア>ベトナム>ハノイ
テーマ:鉄道・乗り物 ホテル・宿泊 
投稿日:2012/07/16 17:46
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フエからハノイへ。

統一鉄道で移動を考えていたけれど、
残り少ない日数のために時間を節約、飛行機を使うことに。

午前8時40分のフライト。
国内線は1時間前にチェックインできれば問題ない。
空港へエアポートバスを使おうと思ったが、タクシーをホテルで頼んだ。

フエ新市街からフエ国際空港までクルマで30分以内くらい。
料金は10ドル。
空港は小さく、国内・国際線のターミナルは一緒。

ベトナム航空のサイトから便を予約したのだが、
eチケをプリントする間がなかったので、ipadで提示。
空港内はwifiだったため、カウンターで並びながら画面を準備。
けれど特にeチケの提示は求められず、パスポートと予約したときのクレジットカードを見せるだけで搭乗券を発行してもらえた。

クレジットカード、忘れずに。

フエからハノイまで飛行機だと約50分!
汽車だと11時間、バスもそのぐらい時間がかかるところを
たったの1時間足らず!
飛行機はほんと早いなぁ。。。

ハノイ着は9時30分。

外に出るともや〜〜っと暑苦しい。
でもフエの刺すような日射しよりはラクな気がした。

さて、市内にどう移動しようかなーと考えていると、
おじさんが一人近づいてきて
「ミニバス?」
と声をかけてきた。

ハノイの空港から市内まではミニバス、シャトルバス、タクシーがあるようだ。
ちょうどいいや、と思い、「イエース」と言って、おじさんの後についていくことにした。

ミニバスにはもうだいぶ客が乗っていた。
ミニバスはいっぱいにならないと走らないもの。
今回はタイミングよく、間もなくいっぱいになってエンジンがかかった。

エアポートミニバス…2ドル

こうして私はハノイ市内へ。

本当に飛行機移動のなんとラクなことか。

確かに料金はバスや列車に比べ、高い。

ちなみに今回乗ったベトナム航空のチケットは税金含めて7500円。
6000円のチケットもあったのだが、そちらは売り切れで手に入らなかった。
列車はフエ〜ハノイ、ソフトベッド、最も早いSE3、4などだと約3000円。
スリーピングバスでハノイまで行けば、2000円強。

高いけれど、そう差があるわけでもない。
いつも飛行機というわけにはいかないだろうが、時にはコスパを優先させることも旅の秘訣だ。

けど、本当は列車でハノイまで行きたかった。
列車での移動は一番旅情緒があるし。
飛行機は確かにラクちん。
でも、旅って移動する時間も醍醐味だから、バスも列車もやっぱり楽しい。

台湾南部の街、高雄
インド生リポ ●台湾編#2 デリーが遠い〜〜〜!!
エリア:
  • アジア>台湾>高雄(カオション)
  • アジア>インド
テーマ:鉄道・乗り物 ホテル・宿泊 その他 
投稿日:2011/12/02 20:17
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2011/09/30

香港へ行くところが、余儀なく台湾に連れて来られてしまった私たち。
台湾南部の高雄空港へ着いたときにはもうへろへろだった。
しかし、キャセイパシフィック航空の対応の速やかさは、堂に入っていた。

ぐったりの乗客たちを次々とバスに乗り込ませ、一路ホテルへ。
バスで走ること約20分、外は暗くまるで台湾へ来た実感は湧かなかった。バスを降り、なんだか狭い玄関からホテルへ一歩足を踏み入れた瞬間、そのゴージャスさにあんぐり。
きらびやかな巨大なシャンデリア、午後11時をとうにまわっているというのにロビーのラウンジには音楽が流れ、はちみつ色の灯りのなか、大勢の宿泊客たちが談笑している。広いフロントカウンターでは私たちを待ちうけるべく、スタッフたちがズラリ。

私と友人は乗客たちの最後尾の方にいたので、部屋を割り振られるのが遅くなった。
フロントの前にようやく立つと、スタッフの手元にある部屋割表がちらりと見えた。部屋のほとんどはすでにチェックが入っている。
ああ出足が遅れたので部屋がもうない、とかだったらどうしよう。。。
フロントは私と友人をひょいと見てから、表の部屋ふたつにチェックを入れ、カードキーを私と友人それぞれに渡した。
「私たち一緒なので一緒の部屋でいいですけど」
そう言ったが、フロントのスタッフは首を振り、
「ディナービュッフェは11時30分までです。まだ間に合いますからどうぞいらっしゃってください。朝のビュッフェは6時半からやっております」

シングルルームなのかしらん、そう思いながら、エレベーターに乗り階上へ。
ビュッフェをやっているダイニングフロアは最上階の42階で、私と友人の部屋はそれぞれその下の下の階あたりだった。つまり高層階だ。……と、いうことは、これはもしや。

フロアに着き、部屋を探す。
見つけた私の部屋は”ULTRA DELAX AMBASSADOR SUITE“というプレートが(確かそんなような名前)。
ドアを開けて部屋に入ってみると、再びあんぐり。
なんという広さ。なんというラグジュアリーさ。なんというリュクスな。
書斎机、リビングテーブル、ふたつのソファ、なぜかふたつの石像、必要のないほどぶ厚いカーテン。寝室へ行くとクイーンサイズのベッドがどーんとふたつ。その前に50インチはあろうテレビ、さらに左奥のドアを開けると、なんと人が3人は寝られるほどのクローゼットルーム。そこにはバスローブやらスリッパやら気持ちいいものがズラリ。
バスルームは、というと、大理石の洗面台、金の縁のバスタブ、ガラス張りのシャワールーム。ミネラルウォーターが4本。アメニティもたっぷり用意されていた。
そしてトイレは玄関近くとここにあり、計ふたつ。
……残りものには福があるというが……、高層階だったのでもしやよい部屋では……という予感が的中した。
今回の部屋の割り振りはきっとふつうの部屋からしていったに違いない。ホテル側としてもスイートまであてがうつもりは毛頭なかったろう。でも足りなくなって、それで。
それにしてもすごい部屋だなぁ。70?はあろうか。家族5人で住めるよww
一人じゃ持てあましてしまう。

そのあとはディナービュッフェへ。
これもまた豪華なビュッフェで台湾料理、中華、和食、洋食まで盛りだくさん。時間がこれほど遅くなければもっと胃に入ったろうに。
翌朝は同じようにモーニングビュッフェ。こちらも豪華で思わず嬉しくなった。高級ホテルの朝ビュッフェってどうしてこうステキなのだろう。が、やはり時間があまりなく楽しむのもそこそこだった。
このホテルの名は、グランド・ハイ・ライホテル。実は5スターだった。
http://www.grand-hilai.com.tw/
今回の長旅では、まったく予定はされていなかったが、このホテルが私のBEST2ホテルとなった。

グランドハイライホテルの豪華なロビー
絶品スイート!ラグジュアリーそのもの

ぐっすり眠れたベッドルーム
朝ごはんは大満足のビュッフェ


さて、思いがけず気持ちよく眠れ、元気になった私たちは高雄空港へ向かう。
キャセイから指示されたのは午前8時半に空港集合。といってもフライトは14時半だ。空港でかなり待たされるが、それもいろいろ事情があるのだろう。でもそこはさすがキャセイ、客から文句が出る前にお弁当と水が支給された。イライラさせないために腹を減らさない作戦か。
そしていよいよ高雄から香港へ飛んだ。高雄からはわずか40分、この日の香港は雨も降っておらず、きのうのことがウソのようにスムーズに着陸した。
香港が目的の人たちは一様にホッとしていたが、私たちのフライトはまだ続く。
乗継はどうかと心配していたが、飛行機を降りたところで、デリー行きのプラカードを持ち、デリーデリーと叫んでいるグランドスタッフを見つける。私たちが走り寄ると、彼は腕時計を確かめ、「20分後に出発します、急いで私について来てください」
20分!? つまりそれは買い物とかするヒマは全くないってことか。
私たちは5~6人のグループでスタッフのあとを小走りについていった。

大きく広い香港の空港を駆け抜け、ゲートに着くと、すでにラストコール。
そのカウンターで慌ただしくチェックイン。背中を押されて乗ったのは、香港発バンコク経由のデリー行き、CX751便。
予定していたキングフィッシャーではない。しかもデリー直行ではない、バンコクに寄るのだ。通常の飛行時間よりも2時間ほど上乗せになっている。
おまけに私の席は右にインド人、左に台湾人で、座った途端にうるさくなった。二人とも私と喋りたくて交互に質問してくる。そしていつのまにか私との会話権争奪戦のようになっていく。
その窮屈な席でバンコクまで2時間、さっき弁当を食べたばかりだというのにヘビーなランチが出され、胃は重いしうるさいし。
ああデリーにはいつ着くのだろう。遠いよ〜〜。

デリーに着いたのは、午後10時頃だった。
結局今日ものべ10時間くらい飛行機に乗っていたし、朝から考えたら丸一日移動に使った。つまり、デリーへ来るのに2日間をたっぷり使ったのだ。それでも無事に着いたのだから、よかったのだ。
デリーの、もう見慣れた感のあるリニューアルした空港に、あまり認めたくはないがホッとした。
再びやってきたインド。
空港のこの到着ロビーを出た瞬間から、またインドのあの強烈な雑踏にもまれることになるのだろう。何度も何度も。

インドが始まる前に起きたこの事件……できごとは、何かの前触れのような気がしていた。

NoPhoto
旅エッセイ〜そろそろインドに行く季節。。。
エリア:
  • アジア>インド>ムンバイ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 ホテル・宿泊 
投稿日:2011/09/16 02:13
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今月末からインドへ行く。
今回は仕事がらみでもあるのだが、それが済めばあとはフリー。
一ヶ月ほどインドをまわって、経由地である香港に寄って帰国する予定だ。

今回のインドでの最大の目的は念願の野生のトラを見ること。
もう長い間の目標だった。今回は決してハズさないつもりでいる。。。
地球を代表する猛獣系は、……野生の、ということだが、ほとんど見ている。
あと見ていないのはインドのトラとアメリカのピューマと、ヒマラヤの雪豹くらいだろうか……??

それにしてもよくインドに行くよなぁ。
特にインドが大好きってわけでもないんだけど。。。やっぱりなにか縁があるのだろう。
もう何回目のインドになるだろ。
8回目……かな? ……8回!

といっても毎回長旅してるわけじゃない。
初めてインドの地に立ったのは、ケニアへ行くためのトランジットだった。
トランジットのためにどうしてもボンベイ(今じゃムンバイと呼ばれてるけど、ボンベイという響きの方がクールだと思う)で一泊しなければならなかった。
最近ではケニアへ行くときはドバイ経由がメジャーだが、あの頃はアフリカ行くならエアインディア、が常識だった。欧州まわりはかなり高額だったから。
そういうわけで初めて訪れたインドの町はボンベイだった。

正直、度肝を抜かれた。
今も鮮明に覚えている。
夜遅くボンベイの空港に着いたのだが、あの生ぬるい空気と大きいけれど殺風景な暗い空港。到着ロビーの玄関を出たところのフェンスに群がるインド人。玄関のライトは暗かったのでインド人の大群はただただ不気味だった。
そしてなんといってもあのニオイだ。
めっちゃくそ臭い。充満する排泄物と饐えたニオイ。生ぬるく蒸し暑い暗い空気のなかでニオイが生きもののように蠢いているようだった。
これが、インドか。

その頃はまだ海外経験が浅かった私は、ケニアへのツアーに参加していた。
ツアーが用意したバスに乗り、ホテルへ向かう。
空港を離れはしたが、辺りは真っ暗だった。
バスのライトがかろうじて前方を照らしているだけ。道の両側がどうなっているのかさっぱりわからない。ただの空き地なのか畑なのか、人がいるのかいないのか。
ただ、バスの開け放した窓からは強烈なニオイが流れこんでくる。
その汚物のニオイは空港にいたときよりも倍以上強い。
窓を閉めたかったが、閉めようとしてもぴくりとも動かない。……インドのバスとはこういうものかと早々に受け入れた。

やがてぽつんぽつんと明かりが見え始め、バスは市内に入ったようだった。
時刻は何時頃だったろう。。。午後9時か10時か……遅いといってもそれほど遅い時間ではなかったはずだ。が、電灯の少ない通りに人の気配はなく、店はすべてぴっちりシャッターが降りている。
確かボンベイはインド第二の商業都市だったはず。そんな町でもインドは夜が早いのか……。
突然斜め前方で黒いかたまりがどよん、と動いた。そのかたまりがバラける。
バスがその脇を通り過ぎるとき、どきりとした。
そのかたまりは人だったのだ。
かろうじて見えたそれは、リヤカーのようなものを中心に人が集まっていたようだ。暗闇に同化してよくわからなかったが、地べたに何人もの人が寝転がっていた。
びっくりした。
路上で寝るなんて。
なんで?
はじめは友人同士で遊んでいるのかと思った。が、その後ホテルに着くまでにいくつもの黒いかたまりを見ることになった。
ホテルに着くころには、彼らが路上生活者であるということに、当時はまだウブだった私もさすがに気付くことができた。
これが、インドか。

あのときはケニアのことで頭がいっぱいでインドのことはどうでもよく、しかも一泊のトランジットだったのでほとんど何の知識もなかった。宿泊したホテルがインド一有名なホテルグループ、タージの5ツ星ホテル タージマハルだということをあとから知ったくらいだ。

広く豪華な部屋からは目の前にインド門が見え、海が見えた。
朝、テラスに立つと昨夜とはまるで違うインドの町の風景が眼下に見下ろせた。
しかし素晴らしいビューもロケーションも、あいかわらずのニオイにかき消された。
ただ昨夜の排泄物のニオイとはまた違う、排気ガスや腐った魚、ゴミといった強い生活臭だ。
このニオイは、その日一日ボンベイを観光したが、常につきまとっていた。
このニオイがインドのニオイなのだろう。おえ、耐えられん。
服にもばっちりインド臭がつき、ケニアへ行ってから早々に洗濯したのはいうまでもない。

寺院や公園、有名なボンベイのビーチを観光した。
公園では本物の蛇使いがいてウケた。
本当に笛を吹くと、壺からコブラが出てくるのだ。
なんだかコブラが可哀そうだった。

とにかく暑くて臭くてぐったりだった。
どこへ行っても物乞いが寄ってくるし、ビーチでは男同士が手をつないだり肩を抱いて歩いているし。インドってのはゲイが多いのか?? ……インドの文化も習慣も知らなかった私には不思議なことがいっぱいだった。

そして再び度肝を抜かれた。
ボンベイのビーチ沿いをバスで走っているときだった。
渋滞でクルマの流れが途絶えたとき、何台か先の黒塗りのハイヤーに犬が一匹近づいていくのが、バスの窓から見えた。
ハイヤーの後部座席には年配のヨーロピアンの男女が二人乗っている。
脚の長い、痩せた黒い大きな犬だった。
犬はハイヤーのすぐそばまで来ると、後ろ足で立ち、前足をハイヤーの後部座席の窓にかけた。
食べ物でもおねだりしているのか。それにしても大きな犬だ。。。
渋滞はじりじりと動き始め、やがて私の乗っているバスはハイヤーの近くまで進んでいった。
--そのときの衝撃は今も忘れられない。
犬だと思っていたその生きものは、少年だった。
足腰が立たない、四つん這いでしか歩けない人間の子供だったのだ。
少年は棒のように細い脚をふんばり、からだを起して、窓に手をかけ、ハイヤーのヨーロピアンに必死に物乞いしていた。
年配のヨーロピアンは、ぴっちり締まった窓の内側からどうしてよいかわからないような顔で少年を眺めていた。
ドライバーが運転席の窓を開け、少年に怒鳴った。
少年はその怒鳴り声を聞くと、腕を窓から離し、再び四つん這いになった。膝をつかない、本当の4本足の動物のように。
少年は首を垂れながら、クルマの間をすり抜け、そのままビーチへと降りていった。
私はショックでしばらく呆然としていた。
これが、インドの現実なのか。

タージマハルホテルをチェックアウトし、空港へ向かう。
私のバスはツアー会社が手配したバスだから、ツアー客しか乗っていない。が、突然一人の日本人の女の子が乗って来た。彼女はドライバーと軽く言葉を交わすとシートに座る。
彼女はクルタ(インド人女子のふだん着。このときは名前も知らなかった)を着ていた。

バスは出発し市内を抜けていく。
空港へ近づくにつれ、例の強烈な排泄物のニオイが漂い始めた。
いったいどうしてこんなニオイがするのだろう。
やがてその原因が突如として目の前に現れた。
それは巨大なスラムだった。
空港の周りは一大スラム地域だったのだ。
薄いベニヤに汚れた幌をかぶせただけのテントが無数にひしめきあっている。
下半身まるだしで走り回る幼児、側溝で用を足す大人たち……。ゴミの山、飛びまわるハエ、くすぶる火。
私は身をかたくして窓越しにその風景を見つめていた。
テレビではなく、ライブの風景なのだ。
そのとき、さっきの日本人がドライバーに声をかけ立ちあがった。ドライバーはバスを止め、ドアを開ける。彼女は礼をいうとバスを降り、瞬く間にスラムの中へ入っていった。
それもまた衝撃だった。
彼女はいったい何者なのだろう。今思えば、彼女はきっとJICAあたりのボランティアだったのかもしれない……。
こんなスラムがあることも、あんな日本人がいることも--インドなのだ。

たった一泊のボンベイ滞在だったが、すでにインドの洗礼を受けたといっていいかもしれない。
その日の夜、私は無事ケニアのナイロビに着いた。
空港を出たときはちょうど雨が上がったばかりで、その空気はとてもみずみずしく、芳しかった。インドとは全然違うと心底思ったのを覚えている。

この2年後に再びケニアへのトランジットでボンベイに寄ったが、そのときはスラムが縮小されており、さらにその数年後に訪れたときはきれいに撤去されていた。
あの強烈な汚物臭をもう嗅ぎたいとは思わないが、巨大スラムを見ておいたことは、自分のためになったと思う。

まぁあのときはその後何度もインドへ足を運ぶことになるとは、まったく思っていなかったけれど。。。。。。

NoPhoto
ドキュメンタリー小説 マダガスカル・ジャーニーVOL.2 マダガスカル最初の夜 
エリア:
  • アフリカ>マダガスカル>アンタナナリボ
テーマ:街中・建物・景色 旅行準備 ホテル・宿泊 
投稿日:2011/06/24 23:42
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今はシーズンでホテルは混んでいる、と最初に助手席の男が言ったように、ホテルはどこもいっぱいだった。

最初の3軒はガイドブックの乏しい情報に従って連れて行ってもらった。が、全て満室。
マダガスカルでタナでこの遅い時間に3軒ともフラれるとは予想外だった。それは私だけでなく、彼と彼女も同じだったようだ。
「じゃあ何軒か僕らが知っているところにあたってみよう」
助手席の男が励ますように言った。が、その後も数軒不発に終わった。
まずい。
時間は過ぎる一方だし、ここまでタクシーを連れまわしたとなると、最初の交渉金額に上乗せされかねない。
そして、疲れてきた。
早くホテルでほっとしたい。
助手席の男がホテルのレセプションから戻ってきて、首を振った。
ここも満室らしい。
OK。ドライバーがハンドルを叩いて振り返った。
「ワシの知り合いのホテルに連れて行ってやろう。ただし、安くはないぞ」
……背に腹はかえられない、この際。

ホテル・ド・プリンスという名のホテルは確かにゲストハウスには見えなかったが、一泊の料金はそれほど高くはなかった。が、部屋は5階建ての最上階のスイートルームしか空いておらず、日本円にすると3000円ほど。
私たちは顔を見合わせた。
部屋にはツインベッドとソファがあった。
「どうする? 3人でシェアする?」私はふたりに訊いた。
「……オレはいいけど、もしキミらがイヤでなかったら」
彼はソファを指差し、オレはここで寝るから、と付け加えた。
「私もかまいませんよ」彼女も頷いた。
3人でシェアすれば一人1000円ですむ。一泊1000円はバックパックの旅としては安くはないが、部屋がよさそうなので納得できる。
バスルームへ行き、トイレの水が流れることとお湯のシャワーが出ることを確認する。
これで決まりだ。
私たちはタナの街を徘徊してくれたドライバーたちに礼を言い、おカネを渡した。

初めて出会った人と部屋をシェアすることは、一人旅では時々あることだ。
これまでにもそういうことがあったが、トラブルになったことは一度もない。それは不思議に幸運なことだ。
私たちは荷物をおろし、顔や手を洗い、ようやくほっとした。
部屋の中央にはテーブルがあり、ソファとイスがある。私たちはテーブルを囲んだ。

「オレは佐藤 陸」自分の寝床になるソファに座った彼が名前を告げた。
「私はハルカ。野田 遙です」私の隣に座った彼女が言う。
「私は」ふたりが私を見る。「秋野 楓」
最初の自己紹介は照れくさく、みなぎこちない。仕事のときはそんなふうに感じないのに。肩書きの入った名刺の力なのかもしれない。
「今夜は突然こんなことになっちゃったけど」リクが話し出す。
「オレ、明日朝早く出る予定だから」
「何時頃?」
「たぶん、6時とか7時。気にしなくていいからさ」
「タナから移動するんですか」ハルカが訊いた。
リクは頷き、
「アンチラベに向かう予定。マダガスカルをぐるってまわって、タナは最後にゆっくり見るつもりなんだ。……キミらは?」
「あ、私も午前中にはホテル出ますよ」
「どこかに行くの」今度は私が尋ねた。
「知り合いがタナに来ていて。その人に会う約束してるんです」
「しばらくタナにいる予定?」
彼女は首を傾げると、
「うーん。その人の予定によっては出るかも。たぶんその人とマダガスカルをまわると思うから」
「えーっと、か……」リクが私を見た。
「カエデ」
「うん、カエデさんは」
「私は……2〜3日はタナにいるつもり。けど、ふたりが出るんじゃ、ホテルを探さないとなぁ。一泊3000円を一人で払うのはキツいし」
「宿、混んでそうでしたもんね」
「うまく見つかればいいけどね」
「ま、朝になれば動くツーリストもいるだろうから」とリク。
私はリクを眺めた。
ほとんど坊主で陽に焼けた精悍な顔付き。
「あのさ」私は彼の小型のバックパックに視線を向け、
「荷物少ないよね。そのバッグ、ふつうのナップザックみたい」
ああ、彼はザックを引き寄せると、
「デカいのはナイロビの宿に預けてあるんだ。2〜3週間くらいで戻るからって」
「えー、ってことは相当長い旅なんですね」ハルカが目を輝かす。
「うん、まぁ……3年ぐらいかけてバイクで世界一周するんだよね」
驚いた。
「で、今ちょうど1年たった頃で」
「どこを走ってきたの」
リクは私を見ると、
「カナダから出発して北米、南米を縦断して、で、セネガルに飛んで西アフリカを南下して、南アフリカから今は東を北上中」
「アフリカのあとはヨーロッパ?」
「そう。ヨーロッパをまわってトルコからユーラシアを横断するつもり」
はぁ、私もハルカもため息をついた。
リクはそういう反応にはもう慣れているらしく、特に顔色も変えず、
「マダガスカルは中休みみたいなもん。ナイロビでバイクを点検に出しててね。それとスーダンとエチオピアのビザを申請してる最中で。ビザがおりるまで何日もかかるっていうからさ。じゃ、その間バックパッカーの気分でも味わおうかと思って」
そこまで言って、リクはようやく笑顔を浮かべた。
世の中、思い切ったことをする人がいるものだ。
「すごいなぁ。3年かぁ。私は日本出てから3カ月くらいなんですけど、あと3カ月くらいで帰る予定なんです」
「ハルカさんはどこ行ってきたの」リクが尋ねた。
「タイにしばらくいて、そのあとナイロビに。……カエデさんは?」
「私は……」
今回は3週間とちょっとの旅だ。
最初の数日をナイロビで過ごした。そしてマダガスカルに2週間、残りの1週間をケニアのビーチ、モンバサと国立保護区であるマサイ・マラで締めくくる予定でいる。
私には時間がない。だからマダガスカルも行きたい場所を効率よくまわるつもりでいた。
「3週間じゃあっという間ですね」
私はハルカの言葉に頷き、
「仕事があるからね。さすがに何カ月も休めない」
「仕事してるんだ」リクとハルカが同時に言った。
「え。うん。ふたりは?」
「私はバイト辞めてきました」
「オレも」リクは私から目を逸らし、
「仕事、何してるの」
フリ-のライターやってる、私は告げた。
「へー。リクさんもカエデさんもなんかカッコいいですねぇ」
「ふぅん、いい仕事だね」
リクは無表情につぶやいた。

マダガスカルの初めての夜、私たちはずいぶん遅くまで話していた。

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