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- パナマ運河〜大陸を切り裂き大海を繋いだ運河〜
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エリア:
- 中南米>パナマ>パナマシティ
- テーマ:観光地 クルーズ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2010/12/10 16:27
- コメント(0)
アメリカ大陸は昔一つだったのをご存知ですか?
19-20世紀初頭、世界の移動は大型船が主流だった頃、ヨーロッパからアジアへ向かうには南北アメリカ大陸をぐるりと回らなければなりませんでした。
19世紀末にスエズ運河設計で有名なレセップスがフランス主導の下の運河建設を断念し、いろいろな経緯のなかでコロンビアからパナマ共和国が独立し、結局アメリカ主導で造られたパナマ運河は、船旅の移動日数をあっという間に短縮させました。
この工事には、明治時代であったにもかかわらず、日本人技師が1人参加していました。
さらに今でも船を牽引する電気機関車は日本の東洋電機製造製だといいますから、パナマ運河は日本と割りと深い関わりがあると思いませんか?
さて、そのパナマ運河には3つの閘門があります。
これは大西洋と太平洋の海の表面の高さが異なるため、大陸を横断中にそれを調整しようという、すごいことを行っているわけでして、この一日に及ぶ通過の行程こそが、パナマ運河クルーズ最大の見せ場なのです。
年に1万隻近い客船が通過するというのですから、その人気っぷりは一目瞭然です。
そして一番興奮するのが、パナマックスと呼ばれる、船体が運河通過ぎりぎりの幅の大型客船の通過なのです。乗客はデッキにでて、自分達の客船がどんな風に通過していくのかじっくりと楽しむことが出来ます。
一日という行程なので、自室のバルコニー(付を選んだ場合)から見たり、デッキに出たりと、いろんなところで楽しめます。もちろん、大抵の人がカメラを持参していますが、もう何回も訪れている乗客はのんびりと、今回の行程を楽しんでいました。
運河の入り口のアメリカ大陸橋を抜けて、ミラフロレス閘門、ペドロ・ミゲル閘門を通過しました。この二つの閘門によって、高さの違う海の横断が可能なのです。閘門へ入ると、門が閉ざされ、勢いよく水が注がれます。船はゆっくりと上昇していきます。さながらエレベーターのように。デッキから見える景色がゆっくりと上昇し、やがて水が門を一杯にしてゆっくりと開きます。
観客からは大きな歓声が上がります。
最後のガトゥン閘門を抜けると、おお、大陸を横断した!という感動、充足感、で誰もが興奮した瞬間!と、同時にこれで終わったのかという寂寥感が胸に広がりました。しかしながら、目の前に広がる海を見ていると、再び高揚感が生まれてくるのです。
なぜなら同じに見えるのに昨日とは高さも名前も違う海にいるのだと、本当に実感できるからです。
恐らく100年前、ここを通過した人の感動は一入だったであろうと思います。
より多くの可能性を求めて、大陸を二つに分けた人々の大いなる夢とその偉業に思いを馳せながら次の目的地へ船は出港するのです。


19-20世紀初頭、世界の移動は大型船が主流だった頃、ヨーロッパからアジアへ向かうには南北アメリカ大陸をぐるりと回らなければなりませんでした。
19世紀末にスエズ運河設計で有名なレセップスがフランス主導の下の運河建設を断念し、いろいろな経緯のなかでコロンビアからパナマ共和国が独立し、結局アメリカ主導で造られたパナマ運河は、船旅の移動日数をあっという間に短縮させました。
この工事には、明治時代であったにもかかわらず、日本人技師が1人参加していました。
さらに今でも船を牽引する電気機関車は日本の東洋電機製造製だといいますから、パナマ運河は日本と割りと深い関わりがあると思いませんか?
さて、そのパナマ運河には3つの閘門があります。
これは大西洋と太平洋の海の表面の高さが異なるため、大陸を横断中にそれを調整しようという、すごいことを行っているわけでして、この一日に及ぶ通過の行程こそが、パナマ運河クルーズ最大の見せ場なのです。
年に1万隻近い客船が通過するというのですから、その人気っぷりは一目瞭然です。
そして一番興奮するのが、パナマックスと呼ばれる、船体が運河通過ぎりぎりの幅の大型客船の通過なのです。乗客はデッキにでて、自分達の客船がどんな風に通過していくのかじっくりと楽しむことが出来ます。
一日という行程なので、自室のバルコニー(付を選んだ場合)から見たり、デッキに出たりと、いろんなところで楽しめます。もちろん、大抵の人がカメラを持参していますが、もう何回も訪れている乗客はのんびりと、今回の行程を楽しんでいました。
運河の入り口のアメリカ大陸橋を抜けて、ミラフロレス閘門、ペドロ・ミゲル閘門を通過しました。この二つの閘門によって、高さの違う海の横断が可能なのです。閘門へ入ると、門が閉ざされ、勢いよく水が注がれます。船はゆっくりと上昇していきます。さながらエレベーターのように。デッキから見える景色がゆっくりと上昇し、やがて水が門を一杯にしてゆっくりと開きます。
観客からは大きな歓声が上がります。
最後のガトゥン閘門を抜けると、おお、大陸を横断した!という感動、充足感、で誰もが興奮した瞬間!と、同時にこれで終わったのかという寂寥感が胸に広がりました。しかしながら、目の前に広がる海を見ていると、再び高揚感が生まれてくるのです。
なぜなら同じに見えるのに昨日とは高さも名前も違う海にいるのだと、本当に実感できるからです。
恐らく100年前、ここを通過した人の感動は一入だったであろうと思います。
より多くの可能性を求めて、大陸を二つに分けた人々の大いなる夢とその偉業に思いを馳せながら次の目的地へ船は出港するのです。



- タージマハル 〜インドで一番輝く建造物〜
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エリア:
- アジア>インド>アグラ
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2010/11/25 22:12
- コメント(0)
10月〜3月の北インドは、乾期でありましてかなり過ごしやすくなります。
というわけで、今回ご紹介するのはインドです。
インドの三大都市の一つムンバイは海のシルクロードの重要な中継貿易港でした。そしてガンジス川が流れる聖地ベナレスや、北インド一番の見所のゴールデントライアングルと呼ばれる、デリー・ジャイプール・アグラをぐるりと回ってみるのも楽しいです。
そんな北インドでいまでも印象深いのは、アグラのタージマハルではないでしょうか。
「白亜の宮殿」
そんな風に称するのが相応しい、優雅で巨大な建築物ですが、実は霊廟、つまりお墓なわけです。
その昔、この地方がムガル帝国と呼ばれ、イスラム教の君主が支配していた頃、シャー・ジャハーンという皇帝がいたわけです。この方のお后様がムムターズ・マハルといいまして、子供も沢山生んでくれたのです。結果、産褥熱で38歳のときにお亡くなりになりましたが、17歳で皇子に嫁いでからなくなるまで14人くらいの子供を生んだわけですから、皇帝との仲は良かったのでしょうね。
皇帝は、即位するまで紆余曲折で結構大変だった方でしたが、その横にずっといたのが第一后のムムターズ・マハルなわけです。強い信頼関係があったのかもしれません。
さて、そんな彼女が亡くなったあと、皇帝の悲しみは大変深かったそうです。彼は2年近くも宴をしなかったともいわれています。そうして長い長い年月をかけて、彼はムムターズ・マハルの霊廟を造り上げたのでした。皇帝の愛情が造り上げたとも言われますが、どちらかというと、皇帝の権力の強さをムガル帝国の技術の素晴らしさを内外に指し示したかったともいわれています。
これは私の私見ですが、シャー・ジャハーンとムムターズ・マハルは愛情以上に強い絆で結ばれていたと思います。ムガル帝国を治めてゆくために、皇帝はこの后と互いを支えあってきたのではないかと思うのです。先に亡くなってしまった彼女と皇帝の威光をこのような形で示したいくつもの事情や仮説の一つにムムターズ・マハルへの「感謝」や彼女の名前を後世に残してやりたいという思いがあったのではないかな・・・と。あくまでも私見でございます。
まぁ・・・皇帝の思惑はどのようなものであれ、この霊廟は数百年経った今でもその美しさを留めています。
前庭、並木通り、下の水面が遠近感を際立たせ、建物をあらゆる角度から眺めてみるとその柔らかな質感と立体感を実感できます。ムガル帝国の5代目の皇帝シャー・ジャハーンが最愛の妻のため造った霊廟として、今では世界中から多くの観光客が訪れ、多くの女性がムムターズ・マハルを羨み、シャー・ジャハーンのかっこ良さに心を掴まれてしまっています。お世辞にも幸せとは言いにくい晩年でしたが、数百年経った今も輝くタージマハルがある限り、彼らは永遠の存在になったといえるのではないでしょうか。
というわけで、今回ご紹介するのはインドです。
インドの三大都市の一つムンバイは海のシルクロードの重要な中継貿易港でした。そしてガンジス川が流れる聖地ベナレスや、北インド一番の見所のゴールデントライアングルと呼ばれる、デリー・ジャイプール・アグラをぐるりと回ってみるのも楽しいです。
そんな北インドでいまでも印象深いのは、アグラのタージマハルではないでしょうか。
「白亜の宮殿」
そんな風に称するのが相応しい、優雅で巨大な建築物ですが、実は霊廟、つまりお墓なわけです。
その昔、この地方がムガル帝国と呼ばれ、イスラム教の君主が支配していた頃、シャー・ジャハーンという皇帝がいたわけです。この方のお后様がムムターズ・マハルといいまして、子供も沢山生んでくれたのです。結果、産褥熱で38歳のときにお亡くなりになりましたが、17歳で皇子に嫁いでからなくなるまで14人くらいの子供を生んだわけですから、皇帝との仲は良かったのでしょうね。
皇帝は、即位するまで紆余曲折で結構大変だった方でしたが、その横にずっといたのが第一后のムムターズ・マハルなわけです。強い信頼関係があったのかもしれません。
さて、そんな彼女が亡くなったあと、皇帝の悲しみは大変深かったそうです。彼は2年近くも宴をしなかったともいわれています。そうして長い長い年月をかけて、彼はムムターズ・マハルの霊廟を造り上げたのでした。皇帝の愛情が造り上げたとも言われますが、どちらかというと、皇帝の権力の強さをムガル帝国の技術の素晴らしさを内外に指し示したかったともいわれています。
これは私の私見ですが、シャー・ジャハーンとムムターズ・マハルは愛情以上に強い絆で結ばれていたと思います。ムガル帝国を治めてゆくために、皇帝はこの后と互いを支えあってきたのではないかと思うのです。先に亡くなってしまった彼女と皇帝の威光をこのような形で示したいくつもの事情や仮説の一つにムムターズ・マハルへの「感謝」や彼女の名前を後世に残してやりたいという思いがあったのではないかな・・・と。あくまでも私見でございます。
まぁ・・・皇帝の思惑はどのようなものであれ、この霊廟は数百年経った今でもその美しさを留めています。
前庭、並木通り、下の水面が遠近感を際立たせ、建物をあらゆる角度から眺めてみるとその柔らかな質感と立体感を実感できます。ムガル帝国の5代目の皇帝シャー・ジャハーンが最愛の妻のため造った霊廟として、今では世界中から多くの観光客が訪れ、多くの女性がムムターズ・マハルを羨み、シャー・ジャハーンのかっこ良さに心を掴まれてしまっています。お世辞にも幸せとは言いにくい晩年でしたが、数百年経った今も輝くタージマハルがある限り、彼らは永遠の存在になったといえるのではないでしょうか。
アフリカ一国土の広いスーダンの想い出です。
4WDに乗り、道なき道を行き過ごしたハプニングと感動の5日間の印象に残ったエピソードをご案内します。
一つ目はスーダンの人々についてです。彼らはとても正直で、その正直さゆえに、例えば私とガイドさんは意見がかみ合わないこともしばしばで、毎日話し合いを重ね、旅の終わり頃にようやく上手なコンビネーションが取れるようになりました。
クッル遺跡という、壁画が美しい色彩を残す、クシュ王国時代の王のお墓見学へ行く途中に私はなんと、ポケットに何気なく入れていた5ユーロ程のお金を落としてしまったのです。そのときは全く気がつかなかったのですが、子供達がわざわざ届けに来てくれました。スーダンの物価を考えれば、5ユーロは子供にとっては大金です。日本でもそうですが、拾ったものであれば、誰の物かわからないのですから、そのまま持っていってしまいそうなものです。
にもかかわらず数人の子供達は、わざわざ私にお金を届けに来てくれたのです。物凄く緊張した子供達からお金を受け取り「シュクラン(ありがとう)」と伝えると、はにかみながら去っていってしまいました。お金が戻ってきて嬉しかった、というよりも、なんだかとてもさわやかな気分になりました。
もう一つは遺跡の面白さです。砂に埋もれたメロエのピラミッドはエジプトほどの大きさはありませんが、入り口にローマ神殿のような付属物があります。内側のレリーフは、古代エジプトの神々が描かれています。地下にあった玄室の副葬品などは19世紀に盗掘にあって、何一つ残っていないそうです。また、「王の街」と呼ばれる遺跡には、アウグストゥス(初代ローマ皇帝)の彫像の頭部のみが発掘されています。これは国立博物館で見ることができます。当時の女王がローマとの戦いに勝ち、アウグストゥスの彫像の頭部だけを持ち帰ったそうです。これがどういう状態で発掘されたかは、現地に行ってからのお楽しみでお願いします。ローマから遙か遠く離れた地でローマ文化の残照に出会う。古代ローマとメロエ王国のかかわりが、発掘事業でもっと見えてくるのかもしれません。
メロエ以外にも古代ローマと古代エジプトの文化の融合が見られる遺跡がたくさんあります。私の個人的なお気に入りはナカ遺跡のアマニティリナス女王のレリーフです。ふくよかな女王のレリーフは、迫力があり、当時の彼女の権力がしのばれます。
豊かな古代文化遺産をもつ大きな国スーダン。ピラミッドの周りをゆっくり歩いて観光した時に感じた、渇いた熱い大地と風。メロエの夕日とピラミッドのコントラスト。スークで出会ったおじいさん。ナイル河を渡るフェリー。あらゆる風景が脳裏に焼きつき、離れません。
まだまだ語りつくせないことが沢山ありますが、この続きは又改めてご案内します。

4WDに乗り、道なき道を行き過ごしたハプニングと感動の5日間の印象に残ったエピソードをご案内します。
一つ目はスーダンの人々についてです。彼らはとても正直で、その正直さゆえに、例えば私とガイドさんは意見がかみ合わないこともしばしばで、毎日話し合いを重ね、旅の終わり頃にようやく上手なコンビネーションが取れるようになりました。
クッル遺跡という、壁画が美しい色彩を残す、クシュ王国時代の王のお墓見学へ行く途中に私はなんと、ポケットに何気なく入れていた5ユーロ程のお金を落としてしまったのです。そのときは全く気がつかなかったのですが、子供達がわざわざ届けに来てくれました。スーダンの物価を考えれば、5ユーロは子供にとっては大金です。日本でもそうですが、拾ったものであれば、誰の物かわからないのですから、そのまま持っていってしまいそうなものです。
にもかかわらず数人の子供達は、わざわざ私にお金を届けに来てくれたのです。物凄く緊張した子供達からお金を受け取り「シュクラン(ありがとう)」と伝えると、はにかみながら去っていってしまいました。お金が戻ってきて嬉しかった、というよりも、なんだかとてもさわやかな気分になりました。
もう一つは遺跡の面白さです。砂に埋もれたメロエのピラミッドはエジプトほどの大きさはありませんが、入り口にローマ神殿のような付属物があります。内側のレリーフは、古代エジプトの神々が描かれています。地下にあった玄室の副葬品などは19世紀に盗掘にあって、何一つ残っていないそうです。また、「王の街」と呼ばれる遺跡には、アウグストゥス(初代ローマ皇帝)の彫像の頭部のみが発掘されています。これは国立博物館で見ることができます。当時の女王がローマとの戦いに勝ち、アウグストゥスの彫像の頭部だけを持ち帰ったそうです。これがどういう状態で発掘されたかは、現地に行ってからのお楽しみでお願いします。ローマから遙か遠く離れた地でローマ文化の残照に出会う。古代ローマとメロエ王国のかかわりが、発掘事業でもっと見えてくるのかもしれません。
メロエ以外にも古代ローマと古代エジプトの文化の融合が見られる遺跡がたくさんあります。私の個人的なお気に入りはナカ遺跡のアマニティリナス女王のレリーフです。ふくよかな女王のレリーフは、迫力があり、当時の彼女の権力がしのばれます。
豊かな古代文化遺産をもつ大きな国スーダン。ピラミッドの周りをゆっくり歩いて観光した時に感じた、渇いた熱い大地と風。メロエの夕日とピラミッドのコントラスト。スークで出会ったおじいさん。ナイル河を渡るフェリー。あらゆる風景が脳裏に焼きつき、離れません。
まだまだ語りつくせないことが沢山ありますが、この続きは又改めてご案内します。


- 仏領ギアナを訪れたクルージング
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エリア:
- 中南米>ガイアナ>ガイアナその他都市
- テーマ:観光地 クルーズ 自然・植物
- 投稿日:2010/10/06 15:18
- コメント(0)
本日はカリブ海をご紹介したいと思いますが、その前に立ち寄った「悪魔島」からご紹介を・・・・・。
南米大陸の北東部、ベネズエラとブラジルを結ぶ地点にガイアナ三国と呼ばれる地域があります。その中のひとつ、仏領ギアナという国にこの悪魔島と呼ばれるなんとも恐ろしい島があるのです。
この島全体は、1852年から約200年間、フランスの監獄として利用されてきました。政治犯や重犯罪人が収容され、劣悪な島の環境や周りを海に囲まれていた事により脱獄が難しく、「一度入ると生きて出ることは出来ない」と言われていたほどです。
ここから「悪魔島(デビルズ・アイランド)」という呼び名がついたそうです。
今でもなお密林に囲まれた島で、人も暮らしていません。
昼間でもなんとなく、空気が重たく感じられるのは何故でしょうか・・・・。
どのような島なのか雰囲気を感じてみたい方は、1974年の映画「パピヨン」の鑑賞をお勧めします。ダスティン・ホフマン主演で、この「悪魔島」からの脱出を図ろうとする男の物語です。
まぁ、実際に降り立ってみて頂くのが一番よろしいかと思います。
クルーズ旅行の楽しみは人ぞれぞれ。船でゆったりとした時間を楽しむもよし、船内のイベントを満喫するもよし、寄港地での観光を楽しむもよし、です。
寄港地の中には、船でないと行けない場所や、船からしか見ることのできない景色もあります。
今は世界中の海にクルーズ船が航行していますので、お気に入りの海やお気に入りのクルーズ船を探しつつ、新しい旅の形を発見してみたいと思います。
南米大陸の北東部、ベネズエラとブラジルを結ぶ地点にガイアナ三国と呼ばれる地域があります。その中のひとつ、仏領ギアナという国にこの悪魔島と呼ばれるなんとも恐ろしい島があるのです。
この島全体は、1852年から約200年間、フランスの監獄として利用されてきました。政治犯や重犯罪人が収容され、劣悪な島の環境や周りを海に囲まれていた事により脱獄が難しく、「一度入ると生きて出ることは出来ない」と言われていたほどです。
ここから「悪魔島(デビルズ・アイランド)」という呼び名がついたそうです。
今でもなお密林に囲まれた島で、人も暮らしていません。
昼間でもなんとなく、空気が重たく感じられるのは何故でしょうか・・・・。
どのような島なのか雰囲気を感じてみたい方は、1974年の映画「パピヨン」の鑑賞をお勧めします。ダスティン・ホフマン主演で、この「悪魔島」からの脱出を図ろうとする男の物語です。
まぁ、実際に降り立ってみて頂くのが一番よろしいかと思います。
クルーズ旅行の楽しみは人ぞれぞれ。船でゆったりとした時間を楽しむもよし、船内のイベントを満喫するもよし、寄港地での観光を楽しむもよし、です。
寄港地の中には、船でないと行けない場所や、船からしか見ることのできない景色もあります。
今は世界中の海にクルーズ船が航行していますので、お気に入りの海やお気に入りのクルーズ船を探しつつ、新しい旅の形を発見してみたいと思います。
先日、ドバイが好き、と申し上げました。
http://www.tour.ne.jp/blog/eurasia/area/middle_east/u.a.e/
本日はその続きです。
好きな理由の「ずばり」はやはり「砂漠」です。
いろいろな国の砂漠を添乗で参りましたが、ドバイほど海岸線近くに、あって、イベントが充実してるところは無いのではないかと思います。
暑さが和らぐ夕日の時間、砂が夕日色にゆっくり染まってゆきます。
今まで見てきた青い空と砂の世界が一変し、眼前に広がる赤い世界に、誰も一瞬言葉を失う瞬間です。
私はこんな小さなドバイで、こんな雄大な風景を見ることが出来るのがなんとも嬉しくてたまらないのです。
今年の冬に乗船したコスタ・クルーズでは、砂漠へ行くオプショナルツアーに参加してみました。
4WDで砂漠にでてご希望の方は駱駝に乗ることも可能ですし。女性なら「ヘナ」と呼ばれる染色で腕に模様を書いて遊ぶことも可能です。(でも1週間くらい落ちないので気をつけてください)
http://www.tour.ne.jp/blog/eurasia/area/middle_east/u.a.e/
本日はその続きです。
好きな理由の「ずばり」はやはり「砂漠」です。
いろいろな国の砂漠を添乗で参りましたが、ドバイほど海岸線近くに、あって、イベントが充実してるところは無いのではないかと思います。
暑さが和らぐ夕日の時間、砂が夕日色にゆっくり染まってゆきます。
今まで見てきた青い空と砂の世界が一変し、眼前に広がる赤い世界に、誰も一瞬言葉を失う瞬間です。
私はこんな小さなドバイで、こんな雄大な風景を見ることが出来るのがなんとも嬉しくてたまらないのです。
今年の冬に乗船したコスタ・クルーズでは、砂漠へ行くオプショナルツアーに参加してみました。
4WDで砂漠にでてご希望の方は駱駝に乗ることも可能ですし。女性なら「ヘナ」と呼ばれる染色で腕に模様を書いて遊ぶことも可能です。(でも1週間くらい落ちないので気をつけてください)

そして、砂漠でのバーベキューランチを食べた後、日が落ちたあと、お洒落なベリーダンスを楽しむことが出来ます。
ダンサーは周りのお客様を誘って一緒に踊ったりもします。
このオプショナルツアーは毎年人気のプログラムのようです。
しかもこういうものはノリのいいラテン系のお客さんが多いコスタクルーズでは大変な盛り上がりで、隣に座っていたお客さんがいつの間にかベリーダンサーと踊っていたりするから、びっくりデス。
このプログラムは本当に楽しかったです。きっと在りし日の隊商(キャラバン)もきっと、いろんな人種の人々が交じり合って不毛で不安な砂漠の夜をこんな風に明るく過ごしたに違いないと思います。
6 - 10件目まで(27件中)





