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- ドバイ(アラブ首長国連邦)
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エリア:
- 中近東>アラブ首長国連邦>ドバイ
- テーマ:観光地 クルーズ
- 投稿日:2010/07/20 09:36
- コメント(0)
先日、盛況で終わった説明会の後に、アラビア海クルーズお問い合わせを早速頂きました。
私は、個人的な意見で恐縮ですがドバイが好きです。
友人たちはホテルも物価も高くて、お酒も自由に飲みにくいし(置いていないお店も多いためか)一回行けば十分、といいますが、私は時間が合えば又行きたいと思う街のひとつなのです。
というわけでドバイのお話をしようかと思います。
ドバイといえばまず、思い浮かべるのが「バージュ・アル・アラブ」世界初、七星ホテルで、宿泊客やレストランへ食事に来た方以外は入館すら出来ない、本当のスイートルームばかりのホテルです。
一度は宿泊してそのサービスを受けてみたいものです。でも、一泊ではつまらないので出来れば7日間くらい住んでみたいです。
しかしながら、宿泊費はとても高額なので、大抵朝食を食べに行き、ため息をついておしまいになってしまいます。
朝食は、大体日本円で5,000円前後。朝食とは思えない豪華さとボリュームです。
あぁ〜又行きたいです。

ちなみになぜドバイが好きかと申しますと、まず、アクセサリーの多いゴールドスークへ立ち寄っていろんな金細工を見ることが楽しいです。商人はやり手ばかりなのでなかなかまけてくれませんが、買え買えとあまりしつこく言われないのもちょっと嬉しいのです。
それから近代的なショッピングモールの冷やかしたりもいいですが、アラブチックなスークをプラプラするのも楽しいです。
外国人も多く、割と街が綺麗なのも気に入っています。
そして日中は暑いので、部屋にいてお昼寝をしていても誰にもとがめられません。
夕方、やや涼しくなった頃にいそいそお出かけ・・。日が落ちるころにご飯を食べる。
このゆったり間が、日ごろ時間に追われている気がしなくもない私にとってはたまらないのかもしれません。
あとお気に入りはアバヤです。
とりあえず、ちょっとよさそうなアバヤを一着買っておけば、中身がどうであろうと、あっという間にアラブ女性的お洒落を実践できます。
しかも日焼け止めいらず!
私は割とお気に入りです。
近年、女性蔑視であるとしてこのアバヤをきることが禁止になってしまった国もあるようですが、私は身体をしっかり紫外線から守ってもらえる感じだし、意外にも薄くて風通しも割といいので、結構中近東では愛用しています。
細かな刺繍のものや、お洒落なワンポイントなど、アバヤにはアラブ女性のお洒落心が満載です。
肌をばんばん出す西欧的な服もいいですが、アバヤを着た女性のしぐさや瞳の美しさはかなりぐっと来ます。そんなわけで、私もアバヤを着た時は少ししとやかに?歩きます。
抵抗のない方は「民族服」と思ってためされては如何でしょうか?
【ブログ:船の旅便りより】
http://bit.ly/aylGg1
私は、個人的な意見で恐縮ですがドバイが好きです。
友人たちはホテルも物価も高くて、お酒も自由に飲みにくいし(置いていないお店も多いためか)一回行けば十分、といいますが、私は時間が合えば又行きたいと思う街のひとつなのです。
というわけでドバイのお話をしようかと思います。
ドバイといえばまず、思い浮かべるのが「バージュ・アル・アラブ」世界初、七星ホテルで、宿泊客やレストランへ食事に来た方以外は入館すら出来ない、本当のスイートルームばかりのホテルです。
一度は宿泊してそのサービスを受けてみたいものです。でも、一泊ではつまらないので出来れば7日間くらい住んでみたいです。
しかしながら、宿泊費はとても高額なので、大抵朝食を食べに行き、ため息をついておしまいになってしまいます。
朝食は、大体日本円で5,000円前後。朝食とは思えない豪華さとボリュームです。
あぁ〜又行きたいです。

ちなみになぜドバイが好きかと申しますと、まず、アクセサリーの多いゴールドスークへ立ち寄っていろんな金細工を見ることが楽しいです。商人はやり手ばかりなのでなかなかまけてくれませんが、買え買えとあまりしつこく言われないのもちょっと嬉しいのです。
それから近代的なショッピングモールの冷やかしたりもいいですが、アラブチックなスークをプラプラするのも楽しいです。
外国人も多く、割と街が綺麗なのも気に入っています。
そして日中は暑いので、部屋にいてお昼寝をしていても誰にもとがめられません。
夕方、やや涼しくなった頃にいそいそお出かけ・・。日が落ちるころにご飯を食べる。
このゆったり間が、日ごろ時間に追われている気がしなくもない私にとってはたまらないのかもしれません。
あとお気に入りはアバヤです。
とりあえず、ちょっとよさそうなアバヤを一着買っておけば、中身がどうであろうと、あっという間にアラブ女性的お洒落を実践できます。
しかも日焼け止めいらず!
私は割とお気に入りです。
近年、女性蔑視であるとしてこのアバヤをきることが禁止になってしまった国もあるようですが、私は身体をしっかり紫外線から守ってもらえる感じだし、意外にも薄くて風通しも割といいので、結構中近東では愛用しています。
細かな刺繍のものや、お洒落なワンポイントなど、アバヤにはアラブ女性のお洒落心が満載です。
肌をばんばん出す西欧的な服もいいですが、アバヤを着た女性のしぐさや瞳の美しさはかなりぐっと来ます。そんなわけで、私もアバヤを着た時は少ししとやかに?歩きます。
抵抗のない方は「民族服」と思ってためされては如何でしょうか?
【ブログ:船の旅便りより】
http://bit.ly/aylGg1

- チンクエテッレ(イタリア)
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ラ・スペツィア
- テーマ:観光地 世界遺産
- 投稿日:2010/07/15 14:00
- コメント(0)
イタリア西部からフランスに至る海岸線は、「リヴィエラ海岸」と呼ばれて、世界中から多くの人を惹き付けています。フランス側ではニース、カンヌやモナコ、イタリア側ではサン・レモやポルトフィーノが有名です。リヴィエラ海岸の特にイタリア側では、ジェノヴァの南方地点で砂浜が途切れ、複雑に入り組んだ海岸線に変貌します。その入り組んだ海岸線の間に位置するのがチンクエ・テッレです。チンクエ・テッレとはイタリア語で「5つの村」を意味し、北からモンテ・ロッソ・アル・マーレ、ヴェルナッツァ、コルニーリア、マナローラとリオ・マッジョーレの5つの村の総称です。

チンクエ・テッレの歴史は、11〜12世紀頃まで遡る事が出来ます。前述の通り、ジェノバ以西のリヴィエラ海岸は砂浜が続く直線的な海岸線であるのに対し、チンクエ・テッレの海岸線は非常に入り組んでいます。また、断崖が海岸線に迫っているので、前も後も守るのに適していました。決して住み良い地形ではありませんが、人々がこの地に定住するようになったのは、このような背景からだと思われます。
その後は田舎の漁師村として、細々とした営みで今日まで至りました。そしてその営みが効を奏して、昔ながらの風情を残す村として世界遺産に登録されました。世界遺産登録後、観光客が増える傾向にありますが、ヴェネツィアやフィレンツェ辺りと比べればまだまだ人も素朴、町並みも素朴、カフェで飲むカプチーノの値段も素朴です。
チンクエ・テッレの村々では、漁業が生業の中心です。断崖が海岸線に迫っている為、農業に適した用地がほとんどないためです。チンクエ・テッレと言えば、紺碧のリグーリア海やカラフルな家並みをイメージされる方も多いかと思いますが、実際に足を運んでみると、意外に畑が多い事に驚きます。断崖が海岸線に迫っている為に、人々は限られた耕地を工夫して段々畑を築き、オリーブ、ブドウやかんきつ類を栽培しています。無駄な土地は微塵もないくらい、家のない場所は畑でびっしり埋められています。

決して広くはないブドウ畑で採れたブドウから作られるこの地の名物のシャケトラというワインは、イタリアでもかなりプレミアなワインです。
このシャケトラというワインは白の甘口デザートワインに分類され、主に食後に飲まれます。イタリア半島の反対側(東側)に位置するバッサーノ・デル・グラッパで生産されるグラッパに流通量では及びませんが、大量生産できない稀少なワインであるが故、富裕層も珍重してきたワインです。必ず在庫がある訳ではないようですが、チンクエ・テッレを訪れたら、ちょっとエノテカ(酒屋)を覗いて、このワインを探してみても良いでしょう。物にもよりますが、20〜30ユーロぐらいのお値段で購入する事も可能です。海際だけあって、もちろんお食事もお楽しみです。段々畑から採れたオリーブオイルは、潮風から魚介類に合う風味を受けたと言われる事もあるぐらい魚介類に特に合うそうですが、真相はどうでしょうか。
チンクエ・テッレでもう一つ紹介したいのが「愛の小道」と呼ばれる散策路です。この「愛の小道」は、5つの村の中で最南端に位置するリオ・マッジョーレ(Rio Maggiore)とその次のマナローラ(Manarola)間を結ぶ散策路です。
愛の小道は、徒歩で20分前後で歩ききってしまうぐらいの道です。「愛の小道」と呼ばれるようになった起源は定かではありませんが、道の途中には恋人達のモニュメントが作られたりして、地元の人々としては恋人達が逢瀬を重ねたロマンティックな道という説を定着させようとしているようです。名前はどうあれ、平坦な遊歩道なので、晴れた日には美しい海と前後に見える町の風景をご堪能頂けます。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】
http://bit.ly/ayG16f

チンクエ・テッレの歴史は、11〜12世紀頃まで遡る事が出来ます。前述の通り、ジェノバ以西のリヴィエラ海岸は砂浜が続く直線的な海岸線であるのに対し、チンクエ・テッレの海岸線は非常に入り組んでいます。また、断崖が海岸線に迫っているので、前も後も守るのに適していました。決して住み良い地形ではありませんが、人々がこの地に定住するようになったのは、このような背景からだと思われます。
その後は田舎の漁師村として、細々とした営みで今日まで至りました。そしてその営みが効を奏して、昔ながらの風情を残す村として世界遺産に登録されました。世界遺産登録後、観光客が増える傾向にありますが、ヴェネツィアやフィレンツェ辺りと比べればまだまだ人も素朴、町並みも素朴、カフェで飲むカプチーノの値段も素朴です。
チンクエ・テッレの村々では、漁業が生業の中心です。断崖が海岸線に迫っている為、農業に適した用地がほとんどないためです。チンクエ・テッレと言えば、紺碧のリグーリア海やカラフルな家並みをイメージされる方も多いかと思いますが、実際に足を運んでみると、意外に畑が多い事に驚きます。断崖が海岸線に迫っている為に、人々は限られた耕地を工夫して段々畑を築き、オリーブ、ブドウやかんきつ類を栽培しています。無駄な土地は微塵もないくらい、家のない場所は畑でびっしり埋められています。

決して広くはないブドウ畑で採れたブドウから作られるこの地の名物のシャケトラというワインは、イタリアでもかなりプレミアなワインです。
このシャケトラというワインは白の甘口デザートワインに分類され、主に食後に飲まれます。イタリア半島の反対側(東側)に位置するバッサーノ・デル・グラッパで生産されるグラッパに流通量では及びませんが、大量生産できない稀少なワインであるが故、富裕層も珍重してきたワインです。必ず在庫がある訳ではないようですが、チンクエ・テッレを訪れたら、ちょっとエノテカ(酒屋)を覗いて、このワインを探してみても良いでしょう。物にもよりますが、20〜30ユーロぐらいのお値段で購入する事も可能です。海際だけあって、もちろんお食事もお楽しみです。段々畑から採れたオリーブオイルは、潮風から魚介類に合う風味を受けたと言われる事もあるぐらい魚介類に特に合うそうですが、真相はどうでしょうか。
チンクエ・テッレでもう一つ紹介したいのが「愛の小道」と呼ばれる散策路です。この「愛の小道」は、5つの村の中で最南端に位置するリオ・マッジョーレ(Rio Maggiore)とその次のマナローラ(Manarola)間を結ぶ散策路です。
愛の小道は、徒歩で20分前後で歩ききってしまうぐらいの道です。「愛の小道」と呼ばれるようになった起源は定かではありませんが、道の途中には恋人達のモニュメントが作られたりして、地元の人々としては恋人達が逢瀬を重ねたロマンティックな道という説を定着させようとしているようです。名前はどうあれ、平坦な遊歩道なので、晴れた日には美しい海と前後に見える町の風景をご堪能頂けます。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】
http://bit.ly/ayG16f
- タグ:
- チンクエテッレ イタリア 世界遺産

- 仏教遺跡バガン(ミャンマー)
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エリア:
- アジア>ミャンマー>バガン
- テーマ:観光地
- 投稿日:2010/07/08 10:34
- コメント(0)
外国人に人気がある日本の代表的な観光地である京都や奈良にも行ったことがありますが、私は先日鎌倉へ行ってきました。天気がとてもよく、青空の下に輝く大仏を見るのが落ち着いて、2時間もかけて大仏を見ていました。
さて、今回はミャンマー観光の第一の目玉ポイントである「仏教遺跡バガン」をご紹介します。パゴダが2000基をこえるバガン仏教遺跡は現在ユネスコ世界遺産には登録されていませんが、カンボジアの「アンコール・ワット」、インドネシアの「ボロブドゥール」と共にアジアを代表する巨大遺跡の一つです。
モンゴル系民族であるビルマ族は8世紀ごろから10世紀頃にかけて都を全国のあちらこちらにつくりました。11世紀頃(日本の平安時代後期)になるとビルマ族の王「アノーヤター」はバラバラになっている都を統一し、ミャンマーの中部(現在のバガン遺跡があるところ)の平地に「アリマダナプラ=幸福な都」という名前で新しい都を作りました(農業国ミャンマーの命でもある「エヤワディー川」がすぐ近くに流れています)。
バガン王朝は、その名前の通り豊かな国で、国民は安全で、安心して暮らすことができ、とても裕福な生活を送ったと言われています。当時のビルマ王朝は政治的、経済的に安定していました。ですから、宗教に力を注ぐようになり、当時仏教が栄えていたスリランカや他の東南アジアの国などと活発に交流しました。アノーヤター王はスリランカを訪れ、仏教と触れあい、仏教徒になりました。自分だけでなく、王族も国民も一緒に仏教徒になれるように、また仏教がずっと栄えるように力を入れたと言われています。
当時の人々は自分たちのご利益のためにパゴダを作り始めました。自分達がつくったパゴダを子孫が守り続け、功徳がずっと続いていくと共に仏教も長く存在するという思いを込めて造ったと言われています。サイズや形、使うお金や造る場所などに関係なく国王に申告すれば自由にパゴダをつくることができました。当時バガンにつくられたパゴダは4000基以上もあったと言われ、現在はその半分の2000基以上が存在しています(未だに発掘中のところもあります)。バガン遺跡にあるパゴダは小さい規模(高さ1m)から大規模な(62m)ものまであり、存在する場所も庭や学校、又畑の中など様々です。又、形も異なります。
私はお客様を案内するたびに当時の人たちの思いが現在までに至っていることを実感しました。一つ残念なことは、規模が大きいパゴダは王様やお坊様などが造り、造った理由・年・造った人のこと等が石碑などで刻まれてあり、知ることができますが、小さいパゴダを造ったのは殆どは一般の国民であったため、データが残っておらず、知ることができないことです。
誰が造ったか、いつ造られたかか分からなくても、近くに住むバガン人は毎日少なくともお水とお花をお供えしていますので、造った人の功徳は今にでも存在しています。
【ブログ:パゴダの国からミンガラバーより】
http://bit.ly/ctArHK

さて、今回はミャンマー観光の第一の目玉ポイントである「仏教遺跡バガン」をご紹介します。パゴダが2000基をこえるバガン仏教遺跡は現在ユネスコ世界遺産には登録されていませんが、カンボジアの「アンコール・ワット」、インドネシアの「ボロブドゥール」と共にアジアを代表する巨大遺跡の一つです。
モンゴル系民族であるビルマ族は8世紀ごろから10世紀頃にかけて都を全国のあちらこちらにつくりました。11世紀頃(日本の平安時代後期)になるとビルマ族の王「アノーヤター」はバラバラになっている都を統一し、ミャンマーの中部(現在のバガン遺跡があるところ)の平地に「アリマダナプラ=幸福な都」という名前で新しい都を作りました(農業国ミャンマーの命でもある「エヤワディー川」がすぐ近くに流れています)。
バガン王朝は、その名前の通り豊かな国で、国民は安全で、安心して暮らすことができ、とても裕福な生活を送ったと言われています。当時のビルマ王朝は政治的、経済的に安定していました。ですから、宗教に力を注ぐようになり、当時仏教が栄えていたスリランカや他の東南アジアの国などと活発に交流しました。アノーヤター王はスリランカを訪れ、仏教と触れあい、仏教徒になりました。自分だけでなく、王族も国民も一緒に仏教徒になれるように、また仏教がずっと栄えるように力を入れたと言われています。
当時の人々は自分たちのご利益のためにパゴダを作り始めました。自分達がつくったパゴダを子孫が守り続け、功徳がずっと続いていくと共に仏教も長く存在するという思いを込めて造ったと言われています。サイズや形、使うお金や造る場所などに関係なく国王に申告すれば自由にパゴダをつくることができました。当時バガンにつくられたパゴダは4000基以上もあったと言われ、現在はその半分の2000基以上が存在しています(未だに発掘中のところもあります)。バガン遺跡にあるパゴダは小さい規模(高さ1m)から大規模な(62m)ものまであり、存在する場所も庭や学校、又畑の中など様々です。又、形も異なります。
私はお客様を案内するたびに当時の人たちの思いが現在までに至っていることを実感しました。一つ残念なことは、規模が大きいパゴダは王様やお坊様などが造り、造った理由・年・造った人のこと等が石碑などで刻まれてあり、知ることができますが、小さいパゴダを造ったのは殆どは一般の国民であったため、データが残っておらず、知ることができないことです。
誰が造ったか、いつ造られたかか分からなくても、近くに住むバガン人は毎日少なくともお水とお花をお供えしていますので、造った人の功徳は今にでも存在しています。
【ブログ:パゴダの国からミンガラバーより】
http://bit.ly/ctArHK


- シャーク・ベイ(西オーストラリア)
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エリア:
- オセアニア>オーストラリア>モンキーマイア
- テーマ:観光地 ビーチ・島
- 投稿日:2010/07/01 16:14
- コメント(0)
パースから距離にして850km、広大なオーストラリア大陸西側の一角にシャーク・ベイという世界遺産があります。インド洋と本土を隔てるように伸びる半島と本土の間にできた細長い入り江を中心に、東京都のおよそ10倍のもの広さの周辺地域一帯が世界遺産に指定されています。入り江や沿岸近くには、イルカをはじめ、ジュゴンやザトウクジラなどの動物、植物の生育域の北限・南限のちょうど境目にあるため、固有種も多く多様な植物が生息しています。このシャーク・ベイには大きな見どころが三つあります。
その1つはストロマトライトと呼ばれる不思議な生命体。藻の一種が砂や泥と一体になって固まった堆積物ですが、何と35億年のカンブリア紀から地球に酸素を生み出している、いわば地球最古の生命体でもあるのです。
シャーク・ベイの細長い入り江は浅瀬が多く、湾の奥へ行けば行くほど海流の影響を受けずに、海水の塩分濃度が上がっていきます。この特種な環境下で、ストロマトライトは年に0.3mmほど、成長し続けています。色も形も地味な生命体なので、強烈なインパクトはありませんが、地球の長い営みをしみじみと実感できる場所です。
ストロマトライトが集中するハメリンプールから海岸沿いを2時間ほど走ると、シェル・ビーチがあります。小さなニ枚貝が気の遠くなるような年月を経て、海岸を100キロ以上に渡って埋め尽くしているのです。ビーチと言えば、もちろん砂浜を想像しますが、ここは砂の代わりに全てが真っ白な貝で海岸が埋め尽くされているのです。長さ100キロ以上、堆積している貝の厚さは何と10メートルにも及ぶと言われています。こんなにも貝が積もるにはどれだけの歳月がかかるのでしょうか。やはりオーストラリアの大自然は私達の想像をはるかに超えたスケールで驚くことばかりです。
最後の見どころは野生のイルカが人に合いに来るモンキー・マイア。毎日だいたい決まった時間に湾の奥にある浅瀬までやってきます。砂浜に集まった多くの観光客の中から、レンジャーに選ばれた幸運な人は間近でイルカに餌付けをすることができるのです。実のところ、人間に会いに来るというよりは、餌の為にやってくるといった方が正しいかも知れませんが・・・。
また、このモンキーマイア周辺には大きな町が一切無いので、夜になったら是非夜空を見上げてください。南半球ならではの南十字星を含め降って来そうな満天の星空が見えるかも知れません。
ここでご紹介した観光ポイントは人間が一切手を加えていない、全てありのままの大自然なのです。是非、西オーストラリアの大地で私達の想像を超えた地球の豊かな営みと大自然のスケールを体感して下さい。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】
http://bit.ly/ayG16f

その1つはストロマトライトと呼ばれる不思議な生命体。藻の一種が砂や泥と一体になって固まった堆積物ですが、何と35億年のカンブリア紀から地球に酸素を生み出している、いわば地球最古の生命体でもあるのです。
シャーク・ベイの細長い入り江は浅瀬が多く、湾の奥へ行けば行くほど海流の影響を受けずに、海水の塩分濃度が上がっていきます。この特種な環境下で、ストロマトライトは年に0.3mmほど、成長し続けています。色も形も地味な生命体なので、強烈なインパクトはありませんが、地球の長い営みをしみじみと実感できる場所です。
ストロマトライトが集中するハメリンプールから海岸沿いを2時間ほど走ると、シェル・ビーチがあります。小さなニ枚貝が気の遠くなるような年月を経て、海岸を100キロ以上に渡って埋め尽くしているのです。ビーチと言えば、もちろん砂浜を想像しますが、ここは砂の代わりに全てが真っ白な貝で海岸が埋め尽くされているのです。長さ100キロ以上、堆積している貝の厚さは何と10メートルにも及ぶと言われています。こんなにも貝が積もるにはどれだけの歳月がかかるのでしょうか。やはりオーストラリアの大自然は私達の想像をはるかに超えたスケールで驚くことばかりです。
最後の見どころは野生のイルカが人に合いに来るモンキー・マイア。毎日だいたい決まった時間に湾の奥にある浅瀬までやってきます。砂浜に集まった多くの観光客の中から、レンジャーに選ばれた幸運な人は間近でイルカに餌付けをすることができるのです。実のところ、人間に会いに来るというよりは、餌の為にやってくるといった方が正しいかも知れませんが・・・。
また、このモンキーマイア周辺には大きな町が一切無いので、夜になったら是非夜空を見上げてください。南半球ならではの南十字星を含め降って来そうな満天の星空が見えるかも知れません。
ここでご紹介した観光ポイントは人間が一切手を加えていない、全てありのままの大自然なのです。是非、西オーストラリアの大地で私達の想像を超えた地球の豊かな営みと大自然のスケールを体感して下さい。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】
http://bit.ly/ayG16f


- テカポ湖(ニュージーランド)
-
エリア:
- オセアニア>ニュージーランド>テカポ
- テーマ:観光地
- 投稿日:2010/06/15 12:02
- コメント(0)
ニュージーランド南島の玄関口であるクライストチャーチから最高峰マウント・クックまで上る道のややマウント・クック寄りの場所にテカポ湖という湖が広がっています。テカポが湖がある辺りは、海抜700mの高原地帯に位置しています。海岸線にあるクライストチャーチから上がってくると、少しひんやりした空気に触れることになるでしょう。
南島のサザンアルプス沿いの中央部には、プカキ湖、ワカティプ湖などの湖があるが、これらの湖の名前の由来は、先住民マオリの呼び名に語源を持ちます。また、これら湖のほとんどが氷河湖です。ですから、湖の水の色は氷河湖特有のミルキーブルーです。これが周囲の山々や青い空との対比で非常に映えます。
そんなテカポ湖を訪れるのに良い季節のひとつが、11月下旬から1月下旬ぐらいまでの季節です。善き羊飼いの教会が建つ湖岸に鮮やかなルピナスが一斉に開花します。ルピナスは恐らくヨーロッパから持ち込まれた外来種ですが、ニュージーランド南島の高原地帯ではこの時期色々なところで見かけます。地元の人には雑草の扱いを受けているので、だいぶ人の手で刈り込まれている。それにも関わらず頑張って花を咲かせているのは、繁殖力が強いからなのかもしれません。いずれにしてもルピナス越しに見るテカポ湖とその奥のサザンアルプスの風景は、ニュージーランドを代表する絵になる風景の一つです。
ちなみに善き羊飼いの教会の近くには、犬の像が立っていて、一つの観光名所になっています。この犬は、亡くなった主人を湖畔でひたすら待ち続けた犬の像・・・ではなく、英国から来た初期開拓民の大きな力となった牧羊犬の像です。特定の犬というよりも、牧羊犬全般の功績を称えてこの場所に建てられました。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】
http://bit.ly/ayG16f
南島のサザンアルプス沿いの中央部には、プカキ湖、ワカティプ湖などの湖があるが、これらの湖の名前の由来は、先住民マオリの呼び名に語源を持ちます。また、これら湖のほとんどが氷河湖です。ですから、湖の水の色は氷河湖特有のミルキーブルーです。これが周囲の山々や青い空との対比で非常に映えます。
そんなテカポ湖を訪れるのに良い季節のひとつが、11月下旬から1月下旬ぐらいまでの季節です。善き羊飼いの教会が建つ湖岸に鮮やかなルピナスが一斉に開花します。ルピナスは恐らくヨーロッパから持ち込まれた外来種ですが、ニュージーランド南島の高原地帯ではこの時期色々なところで見かけます。地元の人には雑草の扱いを受けているので、だいぶ人の手で刈り込まれている。それにも関わらず頑張って花を咲かせているのは、繁殖力が強いからなのかもしれません。いずれにしてもルピナス越しに見るテカポ湖とその奥のサザンアルプスの風景は、ニュージーランドを代表する絵になる風景の一つです。
ちなみに善き羊飼いの教会の近くには、犬の像が立っていて、一つの観光名所になっています。この犬は、亡くなった主人を湖畔でひたすら待ち続けた犬の像・・・ではなく、英国から来た初期開拓民の大きな力となった牧羊犬の像です。特定の犬というよりも、牧羊犬全般の功績を称えてこの場所に建てられました。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】
http://bit.ly/ayG16f
- タグ:
- ニュージーランド テカポ
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