記事一覧
16 - 20件目まで(27件中)

- 世界一の大迷宮フェズ(モロッコ)
-
エリア:
- アフリカ>モロッコ>フェズ
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 世界遺産
- 投稿日:2010/08/17 10:30
- コメント(0)
混沌と喧騒、どこか泥臭さも漂う町、それがモロッコのフェズである。昨日触れたように、モロッコと言えば、サハラの砂丘や荒涼とした大地の中に立つ日干し煉瓦のカスバのイメージが強いが、モロッコの本当のハイライトはこのフェズである。

フェズの旧市街には大きな道が一つもない。そう、今日でもここには車は通れない。自分の足で歩くしかないのである。しかし、商店を営む者となれば、何かしらの運搬手段は欲しいところ。それがロバである。中世以来何も変わらない町並みと生活がこの場所に息づいている。
この町が最初に築かれたのは、8世紀頃。この地方に国家を打ち立てたアラブ人達の手によって築かれた。その後、13〜14世紀頃になると地中海からアフリカ方面への通商路の中継都市としてその重要性が高まり、人口も一気に増えて今日見られる町並みが築かれた。迷路のような町並みは特に地中海に面した国ではよく見かけるが、それは常に戦乱と隣り合わせで生きなければならなかった人々が編み出した生活の知恵だろう。外敵が侵入しても容易に町を攻略できないように、迷路状に町は作られたと言われる。また、小路は、夏の強い日光を遮って日陰という涼をもたらすので、細い小路が多いのはこのような理由にもよる。

しかし、いずれにしても、このフェズではその迷路のスケールが桁違いだ。世界一の迷宮と呼ばれるだけある。城壁に囲まれた旧市街にはいくつもの入り口があるが、最も有名でフェズを訪れたら必ず立ち寄るであろう場所が市の東部にあるブージェルード門だろう。実際には近代に入ってからフランス人技師達の手によって建てられた門だが、フェズの特質をよく捉えて建てられている。このブージェルード門から町に入ると、フェズで一番大きな通り(タラーカビーラ)が伸びている。道幅が2〜3mぐらいだが、それでもフェズでは一番広い通りである。ちなみに平行してタラーサラーラというやや細い道も走っており、途中でこの二本の道は二箇所で交錯するので行き返りに利用するのであれば、それぞれ別の道を利用してみると良い。この二つの通りの左右にはこれでもかとばかりにお店が並んでいる。世界遺産に登録され、多くの観光客がフェズを訪れるようになったので、この辺りは観光客向けの商品を扱っているお店も増えている。しかし、フェズの真骨頂はこんな大きな通りではなく、細い路地を彷徨うことにこそあるだろう。二度と同じ場所には戻れないであろう感覚と次に何が現れるのか分からない感覚を味わえる事こそがフェズの醍醐味。(次回に続く)

フェズの旧市街には大きな道が一つもない。そう、今日でもここには車は通れない。自分の足で歩くしかないのである。しかし、商店を営む者となれば、何かしらの運搬手段は欲しいところ。それがロバである。中世以来何も変わらない町並みと生活がこの場所に息づいている。
この町が最初に築かれたのは、8世紀頃。この地方に国家を打ち立てたアラブ人達の手によって築かれた。その後、13〜14世紀頃になると地中海からアフリカ方面への通商路の中継都市としてその重要性が高まり、人口も一気に増えて今日見られる町並みが築かれた。迷路のような町並みは特に地中海に面した国ではよく見かけるが、それは常に戦乱と隣り合わせで生きなければならなかった人々が編み出した生活の知恵だろう。外敵が侵入しても容易に町を攻略できないように、迷路状に町は作られたと言われる。また、小路は、夏の強い日光を遮って日陰という涼をもたらすので、細い小路が多いのはこのような理由にもよる。

しかし、いずれにしても、このフェズではその迷路のスケールが桁違いだ。世界一の迷宮と呼ばれるだけある。城壁に囲まれた旧市街にはいくつもの入り口があるが、最も有名でフェズを訪れたら必ず立ち寄るであろう場所が市の東部にあるブージェルード門だろう。実際には近代に入ってからフランス人技師達の手によって建てられた門だが、フェズの特質をよく捉えて建てられている。このブージェルード門から町に入ると、フェズで一番大きな通り(タラーカビーラ)が伸びている。道幅が2〜3mぐらいだが、それでもフェズでは一番広い通りである。ちなみに平行してタラーサラーラというやや細い道も走っており、途中でこの二本の道は二箇所で交錯するので行き返りに利用するのであれば、それぞれ別の道を利用してみると良い。この二つの通りの左右にはこれでもかとばかりにお店が並んでいる。世界遺産に登録され、多くの観光客がフェズを訪れるようになったので、この辺りは観光客向けの商品を扱っているお店も増えている。しかし、フェズの真骨頂はこんな大きな通りではなく、細い路地を彷徨うことにこそあるだろう。二度と同じ場所には戻れないであろう感覚と次に何が現れるのか分からない感覚を味わえる事こそがフェズの醍醐味。(次回に続く)
- タグ:
- モロッコ フェズ

- 未知なる体験〜死海〜 (ヨルダン)
-
エリア:
- 中近東>ヨルダン>死海
- テーマ:観光地
- 投稿日:2010/08/10 10:26
- コメント(0)
先日シリアとヨルダンのツアーより帰国しました。古代遺跡ペトラ、パルミラをはじめ、シリアとヨルダンの主要な遺跡を巡る毎日がハイライトの両国です。内容盛りだくさんの地域ですが、今回のツアーでは、死海での浮遊体験を楽しみに参加してくださったお客様が多かったようです。

死海は太古の昔の地殻変動により、海水が閉じ込められて形成され、世界で最も低い海抜-398mにある湖です。年間を通して雨がほとんど降らない厳しい気候条件と、強い日差しにより、少しずつ少しずつ湖水の水分が蒸発してできた湖で、生物が生きられないレベルまで塩分濃度が高まってしまったため死海(Dead Sea)と呼ばれています。海水の塩分濃度が約3%であるのに対して、死海の塩分濃度は10倍の約33%!!死海には塩の結晶が地面にたくさんくっついていました。お客様の中にはその塩の結晶をたくさんとって日本でお風呂にいれようという方もいらっしゃいました。効果は定かではありませんが、まさに天然のバスソルトです。
お客様と一緒にどれだけの塩分か確かめようと、少し手につけた死海の水を舐めると…思わず「ぎゃ!!」と悲鳴をあげてミネラルウォーターを一気に飲んでしまいました。塩を舐めるよりも強烈な味がしました。
この塩分濃度のおかげでどんなにカナヅチの人でもプカプカ浮いてしまうのです。あるお客様曰く、「死海の浮遊体験は他では決して体験することはできない貴重なもの。」だそうです。浮遊しているお客様からは「わ〜!!本当に浮く!!水の中で立つことが出来ない!!」と歓声がわいていました。はじめはなかなか浮遊力に慣れず、悪戦苦闘していらっしゃる方もいましたが、すぐに慣れてプカプカ浮いておられました。また死海で新聞を広げて優雅に浮いている方もいらっしゃいました。
最近は死海といえば、その豊かなミネラル量により、日本では「美容」のイメージが定着してきました。ヨルダン王室公認の化粧品リバージュをはじめ、泥パック、石鹸、バスソルトなど日本でも色々な死海美容グッズが販売されています。ガイド曰く、ヨルダンではこういった死海製品の輸出が国内産業に大きく貢献しているそうです。
死海のビーチでは泥が設置してあり、自由に体に塗ることが出来ます。女性のお客様はもちろん、男性のお客様もせっかく死海に来たのだからと、たっぷりすみずみに泥を塗っていらっしゃいました。その様子はまるでどこかの国の民族のよう。ビーチではこんなにかわいらしいアルゼンチンの子供も泥だらけになっていました。
もちろん死海体験後の、お客様のお肌のツヤが全く違ったのは、言うまでもありません。
【ブログ:添乗見聞録より】
http://bit.ly/9ETYf8

死海は太古の昔の地殻変動により、海水が閉じ込められて形成され、世界で最も低い海抜-398mにある湖です。年間を通して雨がほとんど降らない厳しい気候条件と、強い日差しにより、少しずつ少しずつ湖水の水分が蒸発してできた湖で、生物が生きられないレベルまで塩分濃度が高まってしまったため死海(Dead Sea)と呼ばれています。海水の塩分濃度が約3%であるのに対して、死海の塩分濃度は10倍の約33%!!死海には塩の結晶が地面にたくさんくっついていました。お客様の中にはその塩の結晶をたくさんとって日本でお風呂にいれようという方もいらっしゃいました。効果は定かではありませんが、まさに天然のバスソルトです。
お客様と一緒にどれだけの塩分か確かめようと、少し手につけた死海の水を舐めると…思わず「ぎゃ!!」と悲鳴をあげてミネラルウォーターを一気に飲んでしまいました。塩を舐めるよりも強烈な味がしました。
この塩分濃度のおかげでどんなにカナヅチの人でもプカプカ浮いてしまうのです。あるお客様曰く、「死海の浮遊体験は他では決して体験することはできない貴重なもの。」だそうです。浮遊しているお客様からは「わ〜!!本当に浮く!!水の中で立つことが出来ない!!」と歓声がわいていました。はじめはなかなか浮遊力に慣れず、悪戦苦闘していらっしゃる方もいましたが、すぐに慣れてプカプカ浮いておられました。また死海で新聞を広げて優雅に浮いている方もいらっしゃいました。
最近は死海といえば、その豊かなミネラル量により、日本では「美容」のイメージが定着してきました。ヨルダン王室公認の化粧品リバージュをはじめ、泥パック、石鹸、バスソルトなど日本でも色々な死海美容グッズが販売されています。ガイド曰く、ヨルダンではこういった死海製品の輸出が国内産業に大きく貢献しているそうです。
死海のビーチでは泥が設置してあり、自由に体に塗ることが出来ます。女性のお客様はもちろん、男性のお客様もせっかく死海に来たのだからと、たっぷりすみずみに泥を塗っていらっしゃいました。その様子はまるでどこかの国の民族のよう。ビーチではこんなにかわいらしいアルゼンチンの子供も泥だらけになっていました。
もちろん死海体験後の、お客様のお肌のツヤが全く違ったのは、言うまでもありません。
【ブログ:添乗見聞録より】
http://bit.ly/9ETYf8
- タグ:
- 死海 ヨルダン

- イア(サントリーニ島)
-
エリア:
- ヨーロッパ>ギリシャ>サントリーニ島
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 ビーチ・島
- 投稿日:2010/08/03 10:08
- コメント(0)
サントリーニ島を象徴する青いドームの教会は、島の各地で見られますが、最も有名なのは、やはり三日月型の形をしたサントリーニ島の北端に位置するイア(Oia)の町でしょう。よくユーラシア旅行社のパンフレットやインターネット上でも紹介している青いドームと紺碧のエーゲ海の写真のほとんどがこのイアで撮影されています。

島の西側のほぼ中央に白い家並みが並んでいる地帯が島の中心であるフィラ(Fira)、そこから海沿いに北上した島の一番北に位置し、南側に向いた白い家並みが並んでいる一帯がイア(Oia)です。町の入口から大聖堂がある広場まで登ると、後はほとんど一本道で町を歩きぬけます。途中左右に小道が延びていますが、もし時間があれば、是非小道にも足を伸ばしてみて下さい。特に海側に伸びる小道は、数歩歩きこんだだけでも、絵になるフォトジェニックな風景がたくさん広がっています。どの小道もまた違った角度で断崖の上に佇むイアの町が眺められて、シャッターを切る手を休める暇はないぐらいです。町中にはフィラ程のお店もないので、ゆっくり散策するのがお勧めです。

そして、白い家並みと青いドーム、紺碧のエーゲ海という姿と共にイアを有名にしているのが、町の裏側に沈む夕陽です。この夕陽は、世界でも五指に入ると言われていて、世界的に知られて、様々な国からこの夕陽を見に観光客が押し寄せます。フィラからイアまでの移動は車かバスで、所要時間は20〜30分です。夕陽の前後は、特に混雑しますので、帰りはともかく、行きはこの時間帯は避けた方がよろしいかと思います。特に個人旅行で行く場合は、夕陽直後のバスやタクシーはほとんど捕まりませんので、夕食を食べて帰るなり、少し時間を潰してから帰るのが望ましいです。夕陽の時間はおおまかに以下の通りです。
4〜5月、9月:19〜20時頃
6〜8月:20〜21時頃
10月上旬〜中旬:18〜19時頃
10月最終週〜11月中旬:17〜18時頃
※上記の時間帯はあくまで目安です。実際にツアー以外で個人で見に行く場合には、当該日の時刻をご確認下さい。
クルーズのツアーではなかなか時間を合わせにくいですが、島で滞在するツアーであれば、時間を調節して、夕陽を楽しむ事も出来るでしょう。イア以外のみどころも少なくありませんので時間があれば、滞在をお勧めします。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】
http://bit.ly/ayG16f

島の西側のほぼ中央に白い家並みが並んでいる地帯が島の中心であるフィラ(Fira)、そこから海沿いに北上した島の一番北に位置し、南側に向いた白い家並みが並んでいる一帯がイア(Oia)です。町の入口から大聖堂がある広場まで登ると、後はほとんど一本道で町を歩きぬけます。途中左右に小道が延びていますが、もし時間があれば、是非小道にも足を伸ばしてみて下さい。特に海側に伸びる小道は、数歩歩きこんだだけでも、絵になるフォトジェニックな風景がたくさん広がっています。どの小道もまた違った角度で断崖の上に佇むイアの町が眺められて、シャッターを切る手を休める暇はないぐらいです。町中にはフィラ程のお店もないので、ゆっくり散策するのがお勧めです。

そして、白い家並みと青いドーム、紺碧のエーゲ海という姿と共にイアを有名にしているのが、町の裏側に沈む夕陽です。この夕陽は、世界でも五指に入ると言われていて、世界的に知られて、様々な国からこの夕陽を見に観光客が押し寄せます。フィラからイアまでの移動は車かバスで、所要時間は20〜30分です。夕陽の前後は、特に混雑しますので、帰りはともかく、行きはこの時間帯は避けた方がよろしいかと思います。特に個人旅行で行く場合は、夕陽直後のバスやタクシーはほとんど捕まりませんので、夕食を食べて帰るなり、少し時間を潰してから帰るのが望ましいです。夕陽の時間はおおまかに以下の通りです。
4〜5月、9月:19〜20時頃
6〜8月:20〜21時頃
10月上旬〜中旬:18〜19時頃
10月最終週〜11月中旬:17〜18時頃
※上記の時間帯はあくまで目安です。実際にツアー以外で個人で見に行く場合には、当該日の時刻をご確認下さい。
クルーズのツアーではなかなか時間を合わせにくいですが、島で滞在するツアーであれば、時間を調節して、夕陽を楽しむ事も出来るでしょう。イア以外のみどころも少なくありませんので時間があれば、滞在をお勧めします。
【ブログ:地中海欧羅巴くらぶより】
http://bit.ly/ayG16f
本日は、南米ボリビアの首都ラパスをご紹介します。
ラパスは人口100万人でボリビアの事実上の首都。憲法上の首都はスクレですが、行政と立法府はラパスにあります。中心街の標高は約3,600Mで「世界一標高の高い首都」ということになります。ラパスの魅力はずばりインディヘナとアンデスの町。
地形は面白い形をしていて、すり鉢の形をした盆地みたいな形になっており、上から下までは700mの標高差があるといわれています。そして晴れていれば標高約6400mのイリマニ山が姿を現る風景は、これぞアンデスの町という感じがして、とても記憶に残る風景です。国際空港はすり鉢上の上にある隣町エル・アルトという街にあり、標高は約4,000mとなります。この標高は既に富士山よりも高く、飛行機は高度をそんなに下げることなくあれッというまに空港に着陸する珍しい国際空港です。
空港から街に行くには、このすり鉢上の縁をずっと下っていきます。この上の方から眺め る下の景色がまた迫力があるのです。すり鉢の下に行けばいくほどお金持ちが住む家が多くなるという話もあり、その上から日干しレンガの家が下までぎっしり続く様子は、すり鉢の底に建つ高層ビルととても対照的な印象を醸し出します。
さてラパスの町の観光は、街の中心から。真剣な祈りをする姿があちこちで見られる、16世紀スペイン人による植民地化がはじまて建てられたサンフランシスコ寺院、ボリビア独立戦争で活躍したムリリョ像が建つムリリョ広場、まるで月面を思わせる月の谷と観光は続きます。
そして面白いのがサガルナガ通りと市場がある付近。ここらへんは民芸品や地元の市場などもあり、にぎわっています。セーターや帽子、楽器や織物の民芸品から食材や呪術に使うというわれる薬草なども売っていています。ラパスは先住民族インディヘナの住む割合が多い街。その数は半数以上だという。それゆえこのような市場を歩くといかにも南米っぽいにおいがするのです。
ただ近年残念ながら治安が悪化していますので、夜の出歩きは厳禁。昼間にガイドと共に団体で周ることになります。また夜はフォルクローレのお店が盛り上がりを見せます。ペーニャと呼ばれるライブハウスがいくつかあり、本場アンデスのフォルクローレの歌と踊りを楽しむことができます。力強い踊りと歌というのが第一印象。しかし、力強い中に、おそらくインディヘナの生活などを歌ったものがあるのでしょう、何かケーナの響きが悲哀を感じさせ心に沁みてきます。生活の苦しさは当然あるものの、雄大なアンデスに強い誇りを持ち、それが心の拠り所となっているボリビアの人々・・・。確かにあの6,000m級のアンデスの山々を見ていると何か強い気持ちが持てる気がします・・・。
ちなみにツアーでは、標高が高いところなのでゆったりとした日程にしてあるため、民族音楽はペルーでご覧頂きますが、夜はほどほどにしないとコンドルに運ばれてしまうかも。
【ブログ:ぶらり秘境探検隊より】
http://bit.ly/bXSvq8
ラパスは人口100万人でボリビアの事実上の首都。憲法上の首都はスクレですが、行政と立法府はラパスにあります。中心街の標高は約3,600Mで「世界一標高の高い首都」ということになります。ラパスの魅力はずばりインディヘナとアンデスの町。
地形は面白い形をしていて、すり鉢の形をした盆地みたいな形になっており、上から下までは700mの標高差があるといわれています。そして晴れていれば標高約6400mのイリマニ山が姿を現る風景は、これぞアンデスの町という感じがして、とても記憶に残る風景です。国際空港はすり鉢上の上にある隣町エル・アルトという街にあり、標高は約4,000mとなります。この標高は既に富士山よりも高く、飛行機は高度をそんなに下げることなくあれッというまに空港に着陸する珍しい国際空港です。
空港から街に行くには、このすり鉢上の縁をずっと下っていきます。この上の方から眺め る下の景色がまた迫力があるのです。すり鉢の下に行けばいくほどお金持ちが住む家が多くなるという話もあり、その上から日干しレンガの家が下までぎっしり続く様子は、すり鉢の底に建つ高層ビルととても対照的な印象を醸し出します。
さてラパスの町の観光は、街の中心から。真剣な祈りをする姿があちこちで見られる、16世紀スペイン人による植民地化がはじまて建てられたサンフランシスコ寺院、ボリビア独立戦争で活躍したムリリョ像が建つムリリョ広場、まるで月面を思わせる月の谷と観光は続きます。
そして面白いのがサガルナガ通りと市場がある付近。ここらへんは民芸品や地元の市場などもあり、にぎわっています。セーターや帽子、楽器や織物の民芸品から食材や呪術に使うというわれる薬草なども売っていています。ラパスは先住民族インディヘナの住む割合が多い街。その数は半数以上だという。それゆえこのような市場を歩くといかにも南米っぽいにおいがするのです。
ただ近年残念ながら治安が悪化していますので、夜の出歩きは厳禁。昼間にガイドと共に団体で周ることになります。また夜はフォルクローレのお店が盛り上がりを見せます。ペーニャと呼ばれるライブハウスがいくつかあり、本場アンデスのフォルクローレの歌と踊りを楽しむことができます。力強い踊りと歌というのが第一印象。しかし、力強い中に、おそらくインディヘナの生活などを歌ったものがあるのでしょう、何かケーナの響きが悲哀を感じさせ心に沁みてきます。生活の苦しさは当然あるものの、雄大なアンデスに強い誇りを持ち、それが心の拠り所となっているボリビアの人々・・・。確かにあの6,000m級のアンデスの山々を見ていると何か強い気持ちが持てる気がします・・・。
ちなみにツアーでは、標高が高いところなのでゆったりとした日程にしてあるため、民族音楽はペルーでご覧頂きますが、夜はほどほどにしないとコンドルに運ばれてしまうかも。
【ブログ:ぶらり秘境探検隊より】
http://bit.ly/bXSvq8
- タグ:
- ボリビア ラパス

- セント・アンドリュースのオールドコース(イギリス)
-
エリア:
- ヨーロッパ>イギリス>イギリスその他の都市
- テーマ:観光地 ゴルフ
- 投稿日:2010/07/22 19:04
- コメント(0)
全英オープンはいくつかのゴルフ場で持ち回り開催されているが、今年は5年に一度ゴルフ発祥の地セント・アンドリュースのオールドコースで開催される記念すべき年だ。ちなみに直近の2000年、2005年のセント・アンドリュース開催ではタイガー・ウッズが優勝している。
セント・アンドリュースは、スコットランドの中心エジンバラの北方にある小さな港町だ。伝説では、約600年前にこの地でゴルフが誕生したと言われている。ゴルフの競技としての起源はともかく、セント・アンドリュースの7つあるゴルフコースの内、オールドコースが世界で最も古いコースである事は確かなようだ。
16世紀頃から記録にも登場するセント・アンドリュースのオールドコースは、当初12ホールだったようだ。その内10ホールは2回づつプレイを行い、計22ホールで争われていた。

しかし18世紀後半に10ホールの内4ホールを合体させ、22ホールから18ホールに変わり、その後定着した。定着したのはセント・アンドリュースにおいてだけでなく、世界のゴルフにおいて18ホールを定着させたのだ。19世紀に入ると現在の全英オープン(The Open)が開催されるようになり、現在ではゴルフの聖地として崇められている。聖地故にプレイをするのは容易ではないが、セント・アンドリュースまで足を伸ばせば、コースを見る事は出来る。
セント・アンドリュースを訪れたら、まず併設されているゴルフ博物館をちらっとでも覗いてみたい。ゴルフや全英オープンの歴史に関する展示、過去の名手たちのクラブを握った手形などが並んでいる。ゴルファーにはもちろん垂涎の場所だが、ゴルフをやらない人でもなかなか興味深い。

博物館を一通り眺めたら、オールドコースを見渡してみよう。過去の全英オープンの中継で悪天候のもと難コースを回る選手たちを見た事がある方も少なくないと思うが、セント・アンドリュースのオールドコースは意外に他の全英オープン開催地と比べて難関コースではなく、優勝も通常アンダーパーである。時折変なバンカーがあるが、見晴らしも良く、起伏も大きくなく、気持ちいい場所だ。しかし、歴史ある聖地故にオールドコースでのプレーには独特の緊張感が漂っている。
【ブログ:倶楽部ユーラシアより】
http://bit.ly/4mfB0e
セント・アンドリュースは、スコットランドの中心エジンバラの北方にある小さな港町だ。伝説では、約600年前にこの地でゴルフが誕生したと言われている。ゴルフの競技としての起源はともかく、セント・アンドリュースの7つあるゴルフコースの内、オールドコースが世界で最も古いコースである事は確かなようだ。
16世紀頃から記録にも登場するセント・アンドリュースのオールドコースは、当初12ホールだったようだ。その内10ホールは2回づつプレイを行い、計22ホールで争われていた。

しかし18世紀後半に10ホールの内4ホールを合体させ、22ホールから18ホールに変わり、その後定着した。定着したのはセント・アンドリュースにおいてだけでなく、世界のゴルフにおいて18ホールを定着させたのだ。19世紀に入ると現在の全英オープン(The Open)が開催されるようになり、現在ではゴルフの聖地として崇められている。聖地故にプレイをするのは容易ではないが、セント・アンドリュースまで足を伸ばせば、コースを見る事は出来る。
セント・アンドリュースを訪れたら、まず併設されているゴルフ博物館をちらっとでも覗いてみたい。ゴルフや全英オープンの歴史に関する展示、過去の名手たちのクラブを握った手形などが並んでいる。ゴルファーにはもちろん垂涎の場所だが、ゴルフをやらない人でもなかなか興味深い。

博物館を一通り眺めたら、オールドコースを見渡してみよう。過去の全英オープンの中継で悪天候のもと難コースを回る選手たちを見た事がある方も少なくないと思うが、セント・アンドリュースのオールドコースは意外に他の全英オープン開催地と比べて難関コースではなく、優勝も通常アンダーパーである。時折変なバンカーがあるが、見晴らしも良く、起伏も大きくなく、気持ちいい場所だ。しかし、歴史ある聖地故にオールドコースでのプレーには独特の緊張感が漂っている。
【ブログ:倶楽部ユーラシアより】
http://bit.ly/4mfB0e
- タグ:
- イギリス ゴルフ セントアンドリュース
16 - 20件目まで(27件中)



