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みゅうローマ発信 現地情報

プロフィール
ニックネーム:
みゅうローマ
居住地:
ヨーロッパ>イタリア>ローマ
会社名:
みゅうローマ
会社英字名:
Myu Rome
会社所在地:
ヨーロッパ>イタリア>ローマ
会社電話番号:
+39-335-750-1984
業種:
旅行業
自己紹介:
イタリア国内の旅行関連手配をしています。オリジナル定期観光バス・みゅうバス、レストラン、通訳、ガイド、アシスタント、送迎サービスなどを手配しています。何なりとご相談下さい。

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ルクレツィア・パンチャーティキ
【フィレンツェ観光】ウッフィツイ美術館「冷たい美人の肖像画・ルクレツィア・パンチャーティキ」
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
テーマ:観光地 鑑賞・観戦 歴史・文化・芸術 
投稿日:2021/01/29 00:00
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今日はこの美術館の中でも冷たい美人の肖像画をご案内したいと思います。

 

 

こちらはブロンズィーノが描いた、ルクレツィア・パンチャーティキの肖像画です。

 

ちょっと舌を噛みそうな名前ですね。

 

ブロンズィーノは当時の貴族で、またメディチ家のお抱え肖像画家でもありました。

彼は人物像とその人物の感情を注意深く観察し描くのが特徴です。

 

このパンチャーティキ家は彼の重要なパトロンでした。

左側には彼女の夫であるバルトロメオ.・パンチャーティキの肖像画もあります。

 

 

1541年頃、バルトロメオがフィレンツェのアカデミーウミディの会員になったのを記念して描かれのではないかと言われいます。

 

1704年に彼の子孫によって、ウッフィツィ美術館に譲渡されています。

 

このルクレツィアは、実はコジモ一世が大公のなる前に愛人だったそうです。

 

 

しかしコジモ一世にはトスカーナのすべての国を治める野心があった為、政略的なことも考えた上で、この美術館の次の部屋に肖像画があるエレオノーラ・ダ・ トレドと結婚してしまいます。

 

 

ちなみに彼女も美人です。

 

その後、夫となるバルトロメオに出会います。

バルトロメオはピストイアの旧家出身で長年リオンにも住み、フィレンツェ大使の任務も努めていました。

 

ルクレツィアは木工細工の椅子に座っていて、素晴らしい赤色の洋服を着ています。

袖は上が膨らんでいて、下は濃い赤色でリボンがついていますが、これは当時の流行です。

 

特に袖の下の方はリボン緩めて取り外しができて、機会に合わせて違う袖を付けることが出来ました。

当時の他の肖像画にもよくでてくるファッションです。

 

襟は四角で、金糸の入った透明な生地で飾られています。

背景が黒い為、彼女の姿がはっきり見え、彼女の白い顔が浮かび上がるように見えます。

 

宝石も綺麗で、髪には真珠のついた髪止めをしていて、左手の長い指は椅子の上をしっかり握り、宝石のついた指輪をしています。

 

右手には小さい本をもっていますが、これは彼女の知性を表しています。

 

ベルトにも沢山の宝石が描かれており、首には真珠のネックレスも描かれています。

もう一つシンプルな金の鎖のネックレスをしていますが、そこには小さなプレートが描かれており、フランス語で"amour dure sans fin" (終わりのない愛)という文字が刻まれています。

 

おそらくこれは、夫婦が幸せに過ごしていたことを示しているのでは無いかと言われています。

 

500年たった今でも、幸せな愛情を持ち続けているかのように、2枚の肖像画が近くに飾れています。



とても美しい表情ですが、美しすぎて私達は彼女の貴族性の中に入れないという感じですね。

 

見ている人からずいぶんかけ離れて、私達の住んでいる世界と貴族達の世界との隔絶みたいのが感じられます。

 

私達の方を真っ直ぐ、冷たく、感情なしに見つめています。

 

彼女の肖像画は理想の傑作でありますが、美しいけれどとても冷たさがあので、ヴァザーリは

 

「ブロンズィーノが、彼と彼の妻を自然に描き、まるで生きているようだが、魂に欠ける。」

 

と言っています。

 

ルクレツィアは美しいが悲しみに沈み、遠くを見ているようで、やはりそれはコジモ一世との関係を絶たなければならなかったからなのでは、とつい思ってしまいます。

 

ちなみに絵を描いたブロンズイーノですが、1574年に君主が交代すると彼に対する年金支給が停止され、ついに宮廷の首席画家の地位は名実ともにヴァザーリのものとなります。

 

ただ彼の親しみやすく穏やかな人柄は多くの人に愛され、若い画家達を熱心に指導したこともあって、彼の葬式にはフィレンツェの芸術家で参加しないものはいなかったと伝えられています。


ヴィアレッジョカーニバル
イタリア観光・ヴィアレッジョのカーニバル
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>ルッカ
テーマ:観光地 お祭り・イベント 歴史・文化・芸術 
投稿日:2021/01/27 00:00
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私の住むトスカーナも寒くなってきました。裏山の頂上には、雪が積もっています。

2月といえば、イタリアではカーニバルが行われるはずなのですが、今年はコロナの影響で、トスカーナ一有名なティレニア海沿いの町ヴィアレッジョのカーニバルは、9月延期と発表されました。

このヴィアレッジョのカーニバルは、妖艶なヴェネチアの仮面のものとは違い、十数台の山車が海岸沿いの大通り(約2キロメートル)で引き回しされます。

山車といっても大きいものでは20メートルを超え、山車の上の飾りはあらゆる方向に動くので、見ごたえがあります。山車の原料は大部分が紙で作られていて、それをひっぱるのは農業用トラクター一台です。

 

 

山車は、あらかじめ公募コンクールで選ばれたアーティストたちがそれぞれテーマを決めて、9月から作り出します。

そして各アーティストにファンたちが集まり、山車のテーマに合ったコスチュームを自費で作り、当日は山車の上や横で一緒に踊りながらカーニバルに参加します。なので、この応援団と山車はセットで評価されます。

カーニバルの山車回しは計5・6回(週に1度で日曜または土曜や、昼または夕方)あり、毎回人気投票もあるので、最終日に審査員の得点とともに順位を決める重要な要素でもあります。

 

もうすでに9月から山車が作られていたのですが、延期になってしまい、山車製作者側からは不満の声も出ました。

なぜならば、ヴィアレッジョの山車は昨年起きた出来事からテーマを決めるため、半年のずれで、今まさに旬のテーマがもう6ヵ月後には流行おくれになってしまっている可能性もあるからです。

とくに社会、政治風刺がよくきいたものが山車に使われることが多いのでなおさらです。

コロナのことや、環境のことや、アメリカ大統領選挙とかいろいろなテーマが考えられますが、山車を見るのは9月までのお預けとなってしまいました。

今年は仕方がないですね。

 

でも皆さん、2000メートル級の山を眺めながら海水浴が楽しめるヴェルシリア地方にあるヴィアレッジョで、昼は海水浴を、そして夜はカーニバルを楽しんでみませんか。

 

 

子供たちから人気のあったクリスティアーノ・ロナウド選手の山車と仮装した応援団の一部。

 

秋の山車引き回し予定日は、9月18日、26日、10月2日、3日、9日予定です。

詳しくはサイトをどうぞ。viareggio.ilcarnevale.com

文、撮影 佐藤加代子


トリブーナ
【イタリア旅行】フィレンツェ・ウッフィツィ美術館の「メディチのヴィーナス」を見る!
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
テーマ:観光地 鑑賞・観戦 歴史・文化・芸術 
投稿日:2021/01/12 00:00
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皆さん、こんにちは!

フィレンツェガイドの福島です。

 

先日イノシシ、マルシアなどの彫刻をご案内しましたが、今日はウッフィツィ美術館で一番有名なメディチのビーナスをご紹介します。

 

この彫刻がある部屋はトリブーナ。8角形の部屋で、メディチ家のフランチェスコ一世がブォンタレンティに注文して、1581年から1583年の間に作らせた部屋です。

 

 

ここには絵画や彫刻だけでなく、自然の中から集められた変わったものや特別なもの、メダル、小彫刻、宝石、カメオなどが飾られていました。

 

しかし現在は、以前とはだいぶ変えられてしまいました。

残念ながら2014年に修復が終わってからは、内側に入れなくなり、3つの扉から中を覗き込むことが出来るだけになってしまいました。

 

それでも綺麗な装飾が残っています。一番の見どころは天井の内側で、インド洋からもって来た真珠貝が5780枚埋め込まれています。

 

 

ぜひのぞきこんで下さいね!

 

その一番奥にメディチのヴィーナスがあります。

 

 

これはローマのトライアヌスの温泉跡で発見され、その後メディチ家のフェルディナンドに譲渡されます。

 

1677年にこの美術館に持って来られ、このトリブーナに置かれました。

 

当時からとても人気があり、ヨーロッパやイタリア全土からこの彫刻を見る為だけに沢山の人がやってきたと言われています。

 

今まで表現されたヴィーナスの中で、最も美しいと言われていたほどです。

 

基部には作者である、クレオメネス・アポドロスの息子(Kleomenes figlio di Apollodoros)

の名前が書いてあります。

 

彼は紀元前1世紀にアテネで活躍していた彫刻家であったため、ここからこの彫刻が作られたのが大体紀元前1世紀の終わりだということがわかっています。



ヴィーナスは水浴びを終え出てきますが、誰かに見られているのに気づき、前かがみになり腕で胸と股間を隠そうとしています。

 

それにより、恥じらいのヴィーナスとも呼ばれています。

 

足元には木の幹とイルカ、そして2人の天使が彫られています。

 

これらはこの彫刻の飾りでもありますが、彫刻自体を支える役目も果たしています。

 

最近の修復によりオリジナルの色が分かり、髪の毛には金箔が貼られ金色、唇には赤色、基部にはラピスラズリの青色が使われていました。

 

耳たぶには穴が2つ開いていて、多分イヤリングをしていただろうと思われます。

 

1700年代に見た人がこの金髪について語っているので、その時代まではこれらの色彩が残っていたと考えられており、本当に生きている女性のようだったと伝えられています。



しかし残念ながら、トスカーナ公国がナポレオンに支配されていた時、ナポレオンがこの彫刻を気に入り、1802年にパリへ持って行ってしまいます。

 

1800年、トスカーナ公国にフランス軍が入ってきた時、フィレンツェ美術館の責任者であるトマソ・プッチーニが、ウッフィツィ美術館とピッティ美術館にあった作品をフランス軍から守る為、75個の箱に入れてリボルノからパレルモまで船で運んだと言われていいます。

 

プッチーニはパレルモでこれらの作品を厳重に監督します。

 

しかし、「これらの作品はフィレンツェに戻すべきだ。」と言うことになり、船に乗せて運ぼうとしたところ、フランス軍がやって来てこのヴィーナスが入っている箱を盗み、マルセイユに持って行きました。

 

その後パリのナポレオン博物館に持っていかれしまったのです。



そしてこのメディチのヴィーナスはフランスでとても称賛されます。

 

フィレンツェの人達はその代わりにカノーバにイタリアのビーナスを作らせ、このトリブーナに飾っていましたが、1816年のナポレオンの失脚の後、メディチのヴィーナスが戻り、カノーバのイタリアのビーナスはパラティーナ美術館に移されました。

 

フランス人たちは、メディチのヴィーナスを自分達のヴィーナスと考えていたので、なくなってしまった後に新しいヴィーナスの像を買うことにします。

 

ギリシャのミロス島で発見されたミロのヴィーナスを、トルコから買ってきて修復し、そしてルーブル美術館に展示しました。。

 

今ではルーブル美術館のシンボルとなっています。


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