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- 【イタリア】ヴェネツィア、青空と水上バスと
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ベネチア
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 世界遺産
- 投稿日:2021/07/08 00:00
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イタリアはワクチンキャンペーンが着々と進み、6月には夜間の外出禁止が撤廃され、先日屋外でのマスク着用義務も撤廃されました。7月1日からはユーロ圏内でのグリーンパスが有効化されます。
イタリアやヨーロッパの市民にとって重要な夏期ヴァカンスに向けて、往来が大分活発になって来た印象があります。
こちらヴェネツィアでも、5月22日には建築ビエンナーレが開幕し(会期11月21日まで)、Salone Nauticoという船舶博覧会も無事に会期を終了しました。7月前半にはG20経済サミットがヴェネツィアで開催される予定と、大きな国際イベント開催に向けて動き出している感があります。
そんな中のある晴れた日に、久しぶりにサンマルコ広場から水上バスに乗り、サンマルコ湾を横切って向かいのジュデッカ島へ。
サンマルコ広場近くにある水上バス乗り場から乗船し、10分とかからない短い時間ですが、こんな晴れた日には、とても気持ちが良いのです。
サンマルコ小広場やドゥカーレ宮殿を右手に見ながら…
通称サルーテ聖堂(Basilica di Santa Maria della Salute)をやや遠くに眺めつつ、大運河とジュデッカ運河が交わるサンマルコ湾を横切ります。
水上タクシーが、湾を横切って行きます。近隣国からの観光客がヴェネツィアに戻り始め、水上タクシーの往来も大分見かける様になりました。
乗客の方々も、なんだか気持ち良さそうな。
手前の停留所で、降りる準備をする乗客たち。
水上バスが停車する度に、乗務員が、この太いロープを使って船体を停留所にくくり留めます。
着いた先は、ジュデッカ島にあるTre Ociという美術館。今、Mario De Biasi というイタリア人写真家の写真展をやっています。
いつも充実した写真展を開催する美術館ですが、落ち着いた館内からの運河の眺め、これも中々美しく、対岸にサンマルコを遠く眺めつつ、写真展を楽しむことが出来ます。
快晴の青空の下、ゆったりと楽しい散策&美術館の一日でした。
ヴェネツィア在住、ペンネームS.K.より
- テスタッチョ地区その1
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ローマ
- テーマ:観光地 世界遺産 グルメ
- 投稿日:2021/06/15 00:00
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こんにちは、公認ガイドの竹内 みどりです。
今回は、ローマ旧市街地南部に位置するテスタッチョ地区。(地図?)をご紹介したいと思います。
ローマ料理が生まれた場所で、レストランやストリートフードのお店、さらにはローマで最も活気のある市場があり、下町の雰囲気を味わっていただける場所です。
この地区の名前は、こちらのテスタッチョ山(地図?星印)に由来します。
山といっても全周1km高さ54m、土器片が積み重ねられて造られた人口の丘です。
テスタッチョというのは、ラテン語で陶器片という意味なのです。ローマの支配地の拡大に伴い都ローマの人口も増大し、属州アフリカやスペインから大量に食料が運ばれました。そのために紀元前2世紀、ここに川沿いの港とそれに関連する倉庫などが建設されます(地図?赤い部分、地図?再現図)。今でもテスタッチョ地区の各所でその遺跡を見ることができます。地図でご覧いただくテスタッチョ市場は(地図?)2005年に改装されましたが、その際に大量のアンフォラ(オリーブオイル・ワイン・ガルムなどの運搬や保存に使う素焼きの壷)の残る倉庫の遺跡が発見されます。現在でも市場の地下にその遺跡は保存され見学することも可能です。この遺跡で発見されたようなアンフォラのなかでリサイクル不可能なものが廃棄されてできたゴミ山が実はテスタッチョ山なのです!
さて、そのアンフォラの破片が積み上げられた丘とはどんなものかというと、、、
こちらは、F L A V I O A L V E L A V E V O D E T T Oという有名店で、『ローマでカルボナーラが最も美味しい店ランキング』で必ず登場するレストラン、同時にテスタッチョ山の見学もできる場所です。
世界的に有名なカルボナーラの本場ローマでは、ベーコンでカルボナーラを作る!なんていうと
『ローマ料理を罵倒する行為だ!!!』なんて大変な剣幕で怒られてしまいます。しかし、、、
歴史を遡ってみると、シェフ、レナート・グワランデイが1944年にアメリカ人好みのパスタを!とベーコンと卵とチーズを使ったパスタを考案し、これがカルボナーラの起源だ!というのが有力説です。もちろん大半のイタリア人はこの説を否定していますが
- 死ぬまで現役!!ミラノ・スカラ座復活コンサートと指揮者たちの終わり無き戦い
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ミラノ
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2021/05/18 00:00
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皆さんこんにちは。活気が戻ってきつつあるミラノから三浦です。
4月26日よりレストランやバールで着席して食事ができたりと、徐々に規制が解除され活気が戻りつつあるイタリアですが、
オペラの殿堂ミラノ・スカラ座も199日ぶりに観客を入れてのコンサートが行われました。
当初はオープニングコンサートは5月11日に、スカラ座の前専任指揮者リッカルド・ムーティー(1986-2005年)によるウィーンフィルハーモニーのコンサートと言われていました。
特に5月11日と言うその日は、1946年の5月11日に戦後初のスカラでのオペラアリアコンサートがトスカニーニの指揮で行われたと言う記念すべき日なのです。
今年は戦後75周年記念に当たります。
しかし結局オープニングはその前日、5月10日に現専任指揮者のリッカルド・シャイーがスカラのオケとコーラスでコンサートが行われました。
どちらのコンサートもチケットの売出しは、16日のダニエルハーディング指揮のコンサートと共に、4日から年間定期席所有者への売出し(恐らくここで既に売り切れたのでは?)、
6日から残りのチケットを一般向けに売出しで、この日の開始時間14時、私もだめもとで購入画面に入ってみたのですが・・・。(オンライン購入のみ)
どのコンサートでもいい!美しいコンサートに飢えている!ストリーミングじゃなくライブで聴きたい!と言う気持ちが溢れてくる。
もちろん皆そうですよね〜。しかし、私は自分が昔よくスカラ座に通ってたときの指揮者だったムーティーの指揮のコンサート狙いだったのですが・・・。
何と言っても、コロナ規制で、劇場は室内だと500人まで、野外だと1000人までと言う人数制限があります。
2030席のスカラ座は約4分の1に当たる500人までしか入れられない。なので、チケット争奪戦は超絶。
画面開いたときはもう1,2席しか無く、どんなにカートに入れようとしても入らず、そのうち、ソールドアウトの文字が・・・。
まあ、しょうがないですよね・・・。
どちらのコンサートももちろん感動の中大成功!常連のお客様たちはさぞかし喜んだことでしょう・・・。
と思ってたら、ムーティーのコンサートの翌日12日にはとんでも無い記事が!
ムーティーのコンサート後、コンサートを聴いていた現専任指揮者シャイーがムーティーの楽屋に賞賛のため挨拶に行ったところ、
なんとムーティーはシャイーに向かって「君は誰だね?何の用だ?」と言い、周囲の人たちはムーティーは冗談を言っていると思ったそう。
そこでシャイーがマスクを外して顔を見せ、素晴らしいコンサートを賞賛しに来ましたと言ったそうなんですが・・・
ムーティーはイラつきながら、あっち行けと追い出したんだそうです。
シャイーは黙って去って行ったそうです・・・。
シャイー、可哀想すぎませんか?!
ムーティー昔から性格悪いやつだと思ってたけど、もう80歳になってまでこーゆーの醜くないですか?
オープニングの初日コンサートを任せられなかったからムカついている説もあるようですが・・・。
大人げ無いでしょっ?!と呆れてしまったのですが、オペラをやっている友人曰くは、
指揮者同士の嫉妬と言うのは激しく、それは死ぬまで続く、指揮者が人に譲るようになったら終わり、なんだそうです。
スカラ座のCEOのドミニクマイヤーは、ムーティーにスカラ座でオペラの指揮を取ってもらうことも望んでいるらしいですね。
死ぬまで現役。スカラ座の復活で指揮者たちの戦いもヒートアップ?
- 【イタリア旅行ブログ】サルデーニャ編 第一弾 アルゲーロ
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>アルゲーロ
- テーマ:ハイキング・登山 旅行準備 世界遺産
- 投稿日:2021/04/14 00:00
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ミラノ発信者、ワキです。
特別企画サルデーニャ(Sardegna)編をお届けします。
地中海でシチリア島に次いで2番目に大きい、サルデーニャ島。
この島は海好きイタリア人の憧れの地です。
イタリアは建築、美術の宝庫ですが、イタリア人の旅行先のトップは実は海なんです!
中でも最も人気があるのがサルデーニャ、この島を海をテーマにシリーズで紹介します。
その初回、第一弾はアルゲーロ(Alghero)です。
アルゲーロはイタリアではとても有名な町です。
1986年、ジュウニ・ルッサ(Giuni Russa)の歌「Voglio andare ad Alghero!」( アルゲーロへ行きたい!)という曲が大ヒットしてサルデーニャ旅行の火付け役になったと言われています。
ジュウニの音楽パートナーであったマリアのアルゲーロ在住の母親が病気になり、マリアを母親に会わせてあげたいというジュウニの気持ちから生まれた曲といわれています。
また、ジュウニは、マリアと母親が頻繁に会えるよう、アルゲーロで多くの音楽フェスティバルをプロデュースしたとも言われており、当時のアルゲーロではたくさんの音楽フェスティバルが開催されていたそうです。イタリア人は優しい。特に自分の大切な人には。。。
アルゲーロはサルデーニャ州の北西に位置するサッサリ(Sassari)県にある街で、スペインのマジョルカやイビザ島のあるバレアス諸島にイタリアから最も近いところにあり、その距離は約500キロといわれています。
この町はミニバルセロナとも呼ばれ、約42000の人口の22%以上がカタルーニャ語を話します。
サルデーニャ島はアラゴン・カタルーニャ連合国に支配された時代がありました。
今でもこの街にはカタルーニャ州政府の支部(Generalitat de Catalunya)が置かれているなど、島ではこのアルゲーロにその歴史の名残が見られます。
街は海岸線に沿って築かれた城壁に囲まれ、旧市街は赤いサンゴを扱う店で賑わいます。
そう!アルゲーロ周辺には赤いサンゴ礁があるんです!
散策していくとクーポラにマジョルカ焼きを使ったサンミケーレ教会が見えてカタルーニャの風情が味わえます。
アルゲーロの旧市街の港から、およそ24キロ先にカポ・カッチャ(Capo Caccia)という岬があり、シーズン中は船で行くことができます。船を降りるとネプチューン鍾乳洞(Grotta di Nettuno) の入り口につながります。この岬、180メートルの断崖で、1959年に階段が造られたことで、車でも行くこともできるようになりました。絶景のスポットとして知られていますが、そこに到着するまでの階段は654段もあり、結構キツイです。。。カポ・カッチャの手前にはカポ・ジーリオ(Capo Giglio) という岬があり、そこからカポ・カッチャまでの湾周辺は州立公園(Parco di Porto Conte)に指定されており、船でも車でも眺めを楽しむことができます。
周辺にはたくさんの優良な海岸があるのですが、カポ・カッチャより北方向にあるトッレ・デル・ポルティッチョーロ(Torre del Porticciolo) という浜を紹介します。
トッレは「タワー」、ポルティッチョーロは「小さな港」という意味で、いわゆる「小港の看守塔」となりますが、この塔は16世紀半ばのもので、2つの大砲を設置して3人の看守で管理されていたと伝えられています。浜は船のメンテナンスに使われ、塔自体の高さは10,6メートル、塔の頂上は海抜48メートルです。
この塔の周辺では、2011年に恐竜の骨が発掘され、2014年に「Alierasarus Ronchi」と名付けられました。アルゲーロと発掘者の名前が由来になっています。この骨、なんと2億7千万年前のものらしく恐竜の体長は約6メートルと、大きかったようです。
この浜のちかくには宿泊施設が一つあるだけで、他には何もありません。
透き通る水の中を変わった潜り方をしている人がいたので、聞いてみたら、タコを捕っていたとの事(違法かもしれないと思いましたが、笑)。
携帯冷蔵庫は海の産物でいっぱいでした。そして、この近くにはサンゴ礁もあると教えてくれました。
自然の宝庫、サルデーニャ島は未知の地です。
ミラノリナーテ空港からアルゲーロに到着した際、日本のご夫婦がいたのでお話してみたら、微生物の研究でアルゲーロに来ていて、ここに住んでいる日本人は私たちだけです、と仰ってましたが少し前の話ですので、もう帰国されたかもしれないですね。
では次回をお楽しみに。
編集:shota.k
- 【街並み散策】ローマ散歩道 ピカソ編【ローマ】
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ローマ
- テーマ:観光地 世界遺産 散歩・自転車
- 投稿日:2021/03/29 00:00
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ローマ公認ガイドの竹内です。
早速ですが、ローマには、魅力的な裏道がたくさんあります。
その一つが数々のハイブランドが並ぶバッブイーノ通りの裏道マルグッタ通りです。
バッブイーノ通りは、17世紀クレメンテ7世の時代に整備された通りでローマの北門・ポポロ門から3方向に伸びる通りの一つです。
この北門は教皇様の権力が増大した1500年代以降は教皇様との謁見に向かう際に利用することが多く、かの天正遣欧使節団もこの門から入場し教皇宮殿に向かったそうです。
当時は多くの貴族の宮殿が並び、現在マルグッタ通りがある場所には、お屋敷の倉庫や厩舎が並んでいました。
17世紀にバンボッチャンテイと呼ばれる画家のグループがこの界隈に住み始めたことをきっかけに、この通りは「芸術家の通り」と呼ばれるようになります。
彼らは、当時のローマに住んでいた庶民の姿を遺跡の残るローマの風景と共に生々と描き一世を風靡します。
この時からこの通りは芸術家の通りと呼ばれるようになり、1917年ピカソがローマに3カ月間滞在した際にもこの通りの53番地Bにアトリエを構えました。彼のアトリエがあった宮殿の入り口に隣接して50年前にこの素敵な工房ができました。
さすが芸術家の通りですね!
個性的な書体で大理石の看板を制作しているのは、サンドロさんです。
オーダーメードも可能だそうです。詳しくは、彼のF Bのページをご覧ください。
https://www.facebook.com/La-Bottega-del-Marmoraro-769355589806398/?ref=page_internal
それ以外にも面白いギャラリーや工房がひしめき合う魅力的な通りです。
さてピカソは、当時 ロシア・バレエ団のために『パラード』という作品の企画をジャン・コクトーと共に行っていて、そのバレエ団の公演を見るためにローマに滞在することになったそうです。
台本は、詩人、小説家、脚本家、バレエ製作者となんでもこなす多才なジャン・コクトー。音楽は、異端児エリック・サテイ、そして衣装と舞台装飾をピカソが担当するというドリームチームによる制作でした。
このバレエ団のバレリーナのオルガが後にピカソの妻となります。
ピカソはローマに滞在時に、スペイン階段界隈を散歩し、カフェ・グレコに行き未来派の画家たちと芸術談義をするのを日課としていたようです。
スペイン階段には、美人が多くて有名なチョチャーリア地方の女性が、ローマ在住画家たちのモデルの仕事を得ようと屯していたそうです。
ピカソの描いたイタリア女性と呼ばれる作品は、その一人をモデルとして描いた作品でチョチャーラ地方の民族衣装や背景にサンピエトロ大聖堂が描かれています。
ピカソとジャンコクトーが滞在していたのは、現在でも多くの有名人が宿泊することで有名なデ・ルシエホテルだったそうです。
https://www.roccofortehotels.com/hotels-and-resorts/hotel-de-russie/promotions/
ピカソのアトリエからも見えたピンチョの丘ののどかな景色が見えるシークレットガーデン内のレストランも有名です。
!さあ皆様もピカソの見たローマを体感してみませんか!
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